語りつぐ沖縄平和の会

沖縄でガマや基地の案内をしています。
一緒に平和を考えませんか。

沖縄のことは沖縄が決める

2013年10月14日 | 平和への思い
 多数民族が少数民族の人権侵害をしている状況は、世界中あちらこちらにあります。その一つの例が、この沖縄であることに沖縄の人たちは気づき始めました。

 沖縄の自決権を認めず、銃剣とブルドーザーで作られた、米軍基地を、いつまで背負えばいいのでしょうか。未来永劫ですか。
 
 日本の南の一県に、米軍基地を押し付けておけば、日本本土は安泰だ。中国脅威論を振りまけば、沖縄県民も納得するはずだ。そう考えている、大和の人間も多いと思います。

 那覇市や沖縄県が、方言推進運動を始めました。今年、安倍政権が行った、4.28の主権回復式典に反対する県民大会以来、沖縄の言葉や文化を研究し、それを普及する運動が始まっています。
 
 沖縄のことは、沖縄が決める。琉球のことは琉球が決める。それが一番大事だと思います。(事務局次長 平良昌史)

中国より怖い安倍政権

2013年10月13日 | 平和への思い
 オスプレイは反対だけど、尖閣問題で、中国の脅威を心配するする人がいます。
 
 尖閣問題については、復帰前の日米政府の調整資料にも、アメリカは、日本の主権は認めるが、構造物を日本政府が作るなどの領土権は認めないとの趣旨が記録されています。
 それを踏まえて、日中国交正常化のときに、ときの総理大臣田中角栄は、首脳会談で語ったとされています。1972年の復帰時点での日中両国の確認は、尖閣は、問題先送り、棚上げと推測されます。尖閣の主権、領土問題があるからといって、中国がさも沖縄本島まで占領することの驚異を振りまく人たちいます。しかし、歴史は、琉球と中国が常に友好関係にあったことであり、久米36姓性を始め、中国から沖縄にわたってきた人たちの子孫がたくさんいます。そうした琉球王国を、利権のために侵略したのは、薩摩です。そのあとに、台湾を侵略する名目にするために、明治政府の下、琉球王国→琉球藩→沖縄県という琉球処分がされました。戦前・戦後、琉球の苦難の歴史は続き、1972年の復帰後も、多くの米軍基地が残され、今も植民地状態が続いています。

 台湾の歴史も踏まえ、中国との歴史的事実の積み重ねを行えば、中国が沖縄に軍事占領を行うことは、ありえないことがわかります。
 中国がチベットで人権侵害しているように、日本が沖縄で人権侵害をしています。

 右翼の指導者と公言する、安倍首相、戦争を行うことを前提に、軍備強化をし、自衛隊を軍隊にしたい安倍政権、戦争を行うことを前提にした、絶対的平和主義を唱える安倍政権の方が、中国より怖いと思います。 (事務局次長 平良昌史)

爆音訴訟、危険への接近論

2013年10月12日 | 平和への思い
「元々普天間基地周辺には民家は殆んど無かったんですが・・・なぜ?危険な普天間基地周辺に住宅が集まってきたんでしょうか?これが不思議なんです。」という質問が、私にありました。

 これは、普天間基地や嘉手納基地の爆音訴訟で、国が賠償金を値切るために持ち出した論理で、「危険への接近論」といわれています。騒音を知りながらその地域に転入した者は損害賠償を認めるべきではないという理屈です。
 宜野湾市は、ドーナツの真ん中がぽっかり空いているような、街です。その街を、国道58号線がとおり、330号線がとおり、高速どおりが通り、国際大学が設立され、琉球大学が移転し、人口が増え、基地に隣接して、小学校、中学校を作らざるを得ない、基地の近くまで家を建てざるを得ない…。

 狭い沖縄に、広大な基地があり、人口が増えるにしたがって、原野だったところ、畑だったところも、海だったところも、土地利用のために、開発されました。基地被害が少ない那覇市民が危険性を認識しないで、基地の近くに引っ越す場合もあるだろうし、危険と分かりながらも、愛着のある宜野湾市に住み続ける人もいるでしょう。

 オスプレイが配備され、普天間基地の周辺は、さらに危険になりました。
 しかし、危険なのは普天間基地周辺だけではありません。沖縄は、米軍基地がある限り、どこでも危険です。

 (事務局次長 平良昌史)

オスプレイ NO! 私たちはあきらめない

2013年10月02日 | 平和への思い
 安全性に強い疑問を持たれているMV22オスプレイが、沖縄に配備され、1年が経った。 毎日、オスプレイの低く重い騒音だけでなく、「いつか墜落するのでは」との不安をまき散らしている。

 日米で合意した安全確保策の違反が日常茶飯事でも、日本政府は、調査しようとしない。

 普天間基地のゲート前抗議行動は、毎日行われている。そして、今日、オスプレイ配備に反対する抗議行動が県民広場で、400人が参加のもと行われた。

 私たちは、決してあきらめない。抗議の意思を示し続ける。そうした決意あふれる集会でした。 

 オスプレイ NO!  (事務局次長 平良昌史)