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電気通信の源流 東北大学 19.学士院賞の受賞

2024-01-07 11:05:11 | 投稿
電気通信の源流 東北大学 19.学士院賞の受賞

 昭和49年、西澤は日本学士院賞を受賞した。名目は「半導体及びトランジスタの研究」である。これは学士院会員、八木秀次の推薦によるものである。学士院賞は、知名度こそ低いが、日本の学者にとっては文化功労者を上回る垂涎の顕彰である。
 学士院会員そのものの枠が狭小である。人文科学系の第一部が3つの分科(法学、文学、経済学)で70人、自然科学系の第二部が4つの分科(理学、工学、農学、医学)で80人、計7分科150人の会員で構成されている。そのなかでも八木が所属する第五分科の工学は建築、土木、化学、物理、電気・電子、金属など、抱える分野が広かった。電気・電子所属の会員の定数はわずか3名である。
 学士院賞は各分科から毎年一人ずつ選ばれるが、専門が細分化された現在の学問の世界では一つの分科の代表に選ばれるのが難しい。一つの分野の候補者が第五分科を代表する候補者に選ばれる割合は、8、9年に一回となる。戦後、昭和48年の時点で、電気・電子分野から学士院賞を受賞したのは、昭和23年の古賀逸策(水晶発振器)、昭和29年の山下英男(リレー式電算機)、昭和40年の江崎玲於奈(トンネルダイオード)と僅か3人しかいなかった。
「江崎の受賞からすでに8年。来年こそは電子工学から受賞者を出したい」
と、八木が満を持して推薦したのが西澤であった。世界に先駆けたレーザーや光通信の発明に象徴される半導体研究の先進性から、八木は孫弟子の西澤を、以前から高く評価していたのである。
 西澤にとって八木は、師の渡辺の、そのまた師である。大学に入ったとき、八木は既に阪大に移っていた。西澤は八木を
「東北大を、日本のエレクトロニクス研究のメッカに育てた伝説の人」
として知っているだけであった。
 八木から西澤へ、こうした師弟の絆こそ、東北大学の強さ、「独創力」の源動力にほかならない。

 仙台市の青葉山に展開する東北大理工系キャンパスの一角、工学部電気系研究棟の中庭に八木秀次の胸像が建っている。昭和51年に除幕された胸像はブロンズ製で、高さ70センチほどである。
 加藤睦奥雄東北大総長は除幕式の祝辞で
「片平キャンパス金属研究所前にある本多光太郎先生の銅像と共に、ここに八木先生の像を持つことは東北大学のこれからの研究に大きな影響を与えます。八木先生は東北大学が生み出す独創的な研究の象徴となられるでしょう」
と述べたのであった。

<18.光通信と西澤の発明
 電気通信の源流 東北大学 は本章「19.学士院賞の受賞」で完結です。 目次ページはこちら
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1 コメント

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神はサイコロ遊びをする (ああいえばこういう熱力学)
2024-04-03 23:03:01
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。

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