はい、どーも!
毎日オカルト、鹿能リコです。
表題にある通り、22日の午前中から、ラップ音がうぜぇです。
場所固定というより、私からの距離が固定されてるので、「ちっ。生き霊かよ」と思って、ただいま、戦闘モードに移行中です。
まあ、生き霊飛ばすくらいなら、新刊買って! って思いますけど。
で。なにが前回か前々回の日記で問題だったのかは、わかりません。
私のうしろ的には、OKだったんだよねぇ……。
とまあ、これだけではなんなので。
依頼者のお母さんのフォローをしときます。
話に聞く限り、ものすごく善人です。家族を愛し、地域活動にも熱心で、お友達も多いです。
普通に考えれば、どっこにも問題はないんですよ。
強いて改善点をあげるとすれば
・こどものことを、考えすぎ
・言葉の選び方が間違ってる
・念が強い&感情ベースで無意識がものすごく動きやすい ことを意識していない
ということでしょうか。
うーんとね。この方の場合、「こどもが困ってないか心配」「こどもが巣立ってしまって寂しい」が、ベースだと思うんですよ。
そう思うのは、仕方がない。親ってのは、いつまでもこどもはこどもだし、かわいいものですから。
あと、人間の精神構造ってのが、1:自意識→2:無意識と自意識の中間→3:無意識→4:ものすごく深い無意識(集合的無意識)って具合に、階層構造になってるんですね。
(分け方は、流派によって違って3段階の場合もある。私は、この分類が今のところ一番しっくりくるので、これを採用してます)
んで。
このお母さん、1では、「心配してる」だけなの。まあ、これはいいことです。
問題は、2の部分で「こどもに困ったことが起こると寂しくなくなる」って感情……感覚、願望がね、1~3割くらいあったとします。
そーすっと、オーダーが通っちゃうのよ。
それが、問題。
んで、瞑想とか内省で、実は3まではいけるので、(3はいわゆる魂の声を聞くとか、そういうの)、このお母さんは、常に2がどう動いてるか、自分をチェックしないといけない精神段階に来てるんだろうなーと思っています。
ちなみに私は、ふつーにしてても、2までは結構チェックしています。
なんでかっていうと、ナチュラルに生き霊が出せるレベルで、念が強いんで、常に自分を監視せねばって思ってるから。
えーっと、例えばね、「なんか気に食わない作品・作家さん」が、いたとします。
気に食わないから、当然、けなしたくなるわけですよ。
こういう時って、胸の底がチリチリしてるわけですけどね。
このチリチリが何由来かって考えると……「劣等感」だったり「この人には敵わない」って認識だったりするわけですよ。
で、ここでこう考えるわけです。
「他人をけなしたり、落としたり、悪口、文句を言いたくなるのは、自分が、自分がそう思ってるほど、そう思いたいほど、すごくないから」だから「じゃあ、もっとすごいものを書こう」と決める、のね。
そうすると、あら不思議、「自分の実力を冷静に観察した結果、欠点とか目標がクリアーになり、それをがつがつ達成することにエネルギーが向く」ようになるので、もう、胸の底はチリチリしなくなるのです。
ここでのポイントは何かっていうと、胸の底のチリチリなの。これが、2なの。自意識と無意識の間の中間意識からの、サインなの。
自分が何かを見た時、聞いた時、チリチリしてたら、それは自分に修正点がある時なのよ。
でもね、「好き嫌いでものを言ってはいけない」ってことはないわけですよ。常識的に。
そうなると、チリチリを無視して、悪口とか言ったり考えたりするわけですよ(前向きになってもチリチリする時は、いっそのこと、その対象を、最大限に褒めまくるってのも、手ですよ。脳は、自分と他人の区別、つかないから)。
……とまあ、こういう風にね、常識的に考えて、別にやっちゃいけないことじゃない時に、なんていうかなぁ……人は安易に流れますよっていうか……。
結論がわかんなくなったぞ。ここで、2のレベルで修正かける人って意外と少ないよね―という話ですか。
えーっと、例えその2。
劣等感の強い人の中には完璧主義の人がいます。で、その完璧主義の中でも、一部の人は、そりゃもう、他人から後ろ指さされないレベルで、ちゃんとやるのね。
そして、「ちゃんとやらない人を批難する」わけです。時には「他人の欠点ばかりが目につく」わけです。
その行動の裏にあるのは、「私は嫌だったのに、きちんとやらないと褒めて貰えないから、きちんとやらないと叱られるから、嫌々きちんとやってるのに! どうしてあの人たちはきちんとやらなくても叱られないの? ずるい!! 理不尽!!」っていう感情なんですね。
で。そこが、2のサインなの。
劣等感が強いですよーっていう。
で。こういう人がね、ちゃんとした人しかいない職場(つまり、あら探しができる対象がいない職場)に行くと、どうなるか。
攻撃性が自分に向いて、欝になります。
ちゃんとしてない人がいる職場にいると、また、あら探しをします。
不毛ですね。
あら探しする暇があったら、自分の欠点を直した方がいいですからね。「きちんとしてる、自分、すごーい!」って。幸せ回路をぶん回すのですよ。
「私はこどもの頃、きちんとやらないと叱られたけど、別に、世の中はそうでない」ってことを、理解するばいいのよ。
うんとね、「きちんとやることを学ぶ必要がある人」は、「きちんとしろ」って言われるし、そういう状況になるの。
でも、きちんとできるようになったら、もう、それは終わりなの。きちんとすることを、楽しめばいいの。自分で自分を、盛大に褒めればいいの。
世の中には、これからきちんとすることを(魂のレベルで)学ぶ人もいれば、それはとうの昔に卒業しちゃって、次の……そのまたずっと先の課題をこなすために、きちんとすることを放棄せざるを得ない人も、いるのね。
だから、「きちんとしない人を見てイライラする」ってのは、もうそこまできちんとしなくてもいいのに、きちんとできることにこだわってる、から、そうなるの。
ちなみにね、作業効率の話で言うと、がーーーーっと集中して作業できるのなんて、2時間くらいなわけよ。
でも、会社の仕事って8時間拘束じゃないですか。
そうすると、「がーっとやってないけど、最終的に一番作業量がこなせるスピード・やり方」ってものが、あるの。
で、それって人それぞれなの。
あとね、きちんとが楽しい人の周囲の人で、きちんとを学ぶ必要のある人ってね、きちんとが楽しい人を見てて「きちんとって楽しいんだ! じゃあ、やろう!!」ってなるの。
そういう風になるのが、理想っていうか……ベストなのね。
だから、なんだ。
キリキリ他人のあら探しをする暇があったら、楽しく劣等感を克服しましょうっていう……お話です。
ちなみに、お母さんが依頼者だったら、
おこさんのことを考える時は、「健康で楽しく、幸せにやってますように」って、言う。
心配することは、ないの。ただ、ポジティブであるよう、願えばいいの。
過剰な心配=期待するってことでもあるのでね。
というか、お母さんは、心配している状態が慣れてて、そこから変化するのが、怖いだけなの。
あまりにも、心配している状態が長すぎて、定着しちゃってるから、心配事のない状態に切り替えたくないだけなのよ。惰性状態に甘んじてるのよ。
で。依頼者だったら「じゃあ、心配したいってエネルギーを、無意識から追い出しますね」で、作業して終了。
今回は、それができないから、七面倒くさいことになってますが…………。
そんなかんじです。
すべての人が、2のレベルに進めば、それなりに問題は減るんだよねーと思いつつ(そこまでできると、遠隔気功や浄霊もできるよ。要は、心や脳の使い肩の問題だから)、それは常識ではないから、難しいよねぇと思っても、絶好調! 感謝と叫ぶ!!
鹿能リコでした。