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 ♪♪♪ H.Tokuda

小学生時代の苦悩

2017-02-15 00:33:39 | エッセイ

  (注)写真は小学校の卒業アルバムより。
     顔写真は当時の僕。太ってる。
     隣はユミちゃん。かわいい!

 子供のころ学校で苦手なものといえば、一に図画、二に給食、三にフォークダンスだった。とりわけ絵を描くことはこの上なく嫌いで、嫌いだから当然ヘタだった。
 そもそも僕は絵を描くことを「物事を描写するための手段」としか理解しない子供で、この世に写真という便利な物がありながら、どうして絵など描く必要があるのだろうと、ずっと不思議に思っていた。時間をかけて精一杯うまく描いたとしても、その写実性に関しては写真にかないっこないし、第一、写真ならものの数秒でパチリと終わってしまう。写真の無かった時代なら仕方ないが、この現代社会においてなぜ絵を描くなんて無駄な努力を強いられるのだろう。
 版画となれば、さらにひどい。あれはそもそも印刷技術の無かった時代、絵や文字を大量複製するために用いられたものである。たった一枚の印刷物を提出するためにゴム版や木版を彫ることを強制するなんて、児童に対する嫌がらせか拷問としか考えられない。
 そんなわけで、中学生の頃には開き直ってほとんど作品を提出しなくなり、美術の成績はずっと「一」だった。でも結局は図画や美術なんて芸術家を志す一部の人を除いてはどちらでもいいようなものだと思う。僕がこれまでの人生において絵がヘタなために損をしたことは一度もない。微分積分なんて知らなくても何不自由なく生活していけるのと同じことだと思う。

 給食については言うに及ばす。人それぞれの嗜好も体質も許容量(または要求量)も無視して「ほれ、これだけ全部食べなさい」などとやるのは、児童虐待以外の何物でもない。こういった教育が無気力・没個性の現代人気質を生み出すのだ。そもそも「好き嫌いしない」ということがどうして美徳のひとつに数えられるのだろう。「食」は文化なのである。
 小学校三~四年の担任はとりわけ給食にうるさい人で、好き嫌いの多い僕はいつも厳しい立場に立たされた。ある日先生は非常にご機嫌が悪く、「給食を全部食べ終えるまで家に帰らせない」などと強行手段に出た。そんなことに屈するようではプライドが許さないから、僕の方も「それなら帰らない」と開き直ることにした。長い時間にらみ合いが続いたが、結局先生はあきらめたのか、それとも自らの蛮行を反省したのか、「もう遅いから帰りなさい」とぶっきらぼうに僕を教室から追い出したのだった。
 ちなみに今でも僕はシイタケを食べることができないが、「嫌い」だなんて子供じみたことはもう言わない。「このキノコは、宗教上の理由により食べてはいけないことになっております」と・・・。宗教上の理由となれば、誰もこれ以上介入することはできない。小学生の頃は、そこまで知恵が回らなかったのだ。われながら未熟だった。

 体育の時間にフォークダンスを踊らされることも大嫌いだった。女の子と手をつなぐのなんて照れ臭いし、とりわけ「マイム・マイム」などは「かごめかごめ」の巨大版みたいで気味悪い。江州音頭や河内音頭などわが国に伝わる盆踊りを教えずして、どうして外国の踊りを踊らせるのだろう。これも明治文明開化以来つづく西洋かぶれ教育の弊害であると思う。

 ところで、最近になって、やっと絵画の味わいがわかるようになった。もちろん自分で描こうなんて気にはならないが、少なくとも写真と絵との違いくらいは理解できる。ときどきは美術館へ足を運ぶことだってある。
 また、あれだけ嫌いだった給食についても、パサパサの食パン、アルミの食器、先割れスプーン、マトンのから揚げ、クジラの煮付けなど、妙に懐かしさを感じてしまい、ぜひもう一度食べてみたいと思うことがある。
 さらに、ごく稀にだが、フォークダンスを踊りたいような衝動に駆られることすらある。いったい、自分はどうなってしまったのだろう。謎だ。


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