不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

昭和の時代

アナログの時代がなつかしい

今年も今日で終わりです

2015-12-31 20:18:47 | 日記
 今年もいろいろありました。

 昨夜の晩御飯の献立も定かに思い出せない歳になりますと、直近のニュース
しか思い浮かびません。韓国の慰安婦問題の外相会談、あれで少しは前に進んだの
でしょうか。そうでもない様な事が既に伝わって来ていますが。

 韓国は何時からあんな鬱陶しい国になったのでしょうかね。
私は長州(山口県)は周防で生まれ育ちました。長州は毛利の前は大内氏が治めて
いました。大内氏は百済の王の末裔だと自称していたようで、真偽は兎も角
半島とか明とは友好関係にあり、大内文化、西の京都と呼ばれるほどに栄えました。
陶氏が大内氏を討ち陶を毛利が討ちその後を継ぎました。
 私の先祖は、文禄慶長の役で毛利氏について朝鮮から来て、関ケ原の役後、
毛利について長州に来たと、それらしき言い伝えが残っています。

 ある人の説によると日本人の99%に半島の血が混じっているといいます。
天智天皇の御代、白村江の戦い後百済人を多く受け入れたこと、新羅の人を関東
へ沢山移植させた事を考えれば、99%はどうかとして、うなずかざる得ません。
日本人の起源とは全く別ですが。

 15世紀李氏が高麗の王族を皆殺しにし、明から朝鮮という名前を付けてもらって、
李氏朝鮮を作りました。明の勅使を迎える時は王自ら国境に出向き、三躓九叩頭
(三回跪き、9回頭を地面に叩き付ける)の礼で迎えたと言います。明の属国です。
こういう王が臣下に何を要求したでしょう、臣下とは9%程の両班です。両班は民
に、民とは90%のです、何をしたでしょう。

 こういう国が20世紀の初頭まで続いたのです。今の鬱陶しさは、先祖の両班への
恨み、文禄慶長の恨み、日韓併合時の恨み、何なんでしょう。

 我が国も徳川時代を19世紀の終わりまで、士農工商の身分制度治められました。
しかしこの間、明治維新をやり遂げるまでの力が育っていました。
 李氏朝鮮では、幕末でも水車一つ作れなかった様です。李朝以来の文官(両班)
以外は賎職とする考えが、今もノーベル賞一つ取れない理由の一つだと何方かが
言っていましたね。

 なにか変な話になりました。
 

 



























コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆずり葉

2015-12-30 09:50:37 | 日記
 正月飾り(鏡餅)

 各地方で、又各家で飾り方があるようですが、如何ですか。

私の家では
 お餅2段 裏白 だいだい(みかん) 昆布 するめ 干し柿 ゆずり葉
を使います。

 お餅、干し柿は自家製。だいだい、昆布、するめはお店で。裏白は
近所の山から採って来ます。

 最近、ゆずり葉の調達が難しくなりました。
ゆずり葉の木は常緑樹で、綺麗な花が咲くでもなく、庭木にしたいような
樹形が良い木でもない。その年の新芽の先に、ハタキの先のように葉が茂
るだけで何の妙味もない。正月飾りに2,3枚必要な時だけ大事にされるが
普段は邪魔なだけの木である。
 そんな理由で、今では御近所で2、3軒の家が残しているだけになって
しまった。


 ゆずり葉は、近所のよしみで、どうどどうどお好きなだけどうど、と貰って
来るものではない。名前の通り、お金を出して譲って貰うものなのです。
例え1枚でも50円なり100円お金を払って貰い受けます。
だから、ゆずり(譲る)葉なのです。

 とは言え、正月に飾る縁起ものです、御不幸のあった家のゆずり葉は遠慮したい。
また、お願いしたくない御家もある、この葉一枚調達先が更に難しくなります。


















コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お正月の歌

2015-12-29 10:10:19 | 日記
 今日は朝から天気が良い。

 家の傍を、近所のおばあさんが4,5歳程の女の子と歌を歌いながら
散歩している。久しぶりに帰省した孫が可愛くて、嬉しくて仕様がない、
風である。

 もう 幾つ寝るとお正月
 お正月には凧揚げて 独楽を廻して 遊びましょう
 早く来い来い お正月

 おばあさんの声だけが聞こえる。今の子はこの歌を知っているの
だろうか。凧も独楽もカルタも、遠い昔になってしまった。


 お正月の歌なら、もう一つ知っている。
元日にこの歌を歌う為だけに登校した記憶がある。
 
 年の初めの 試とて
 終わりなき世の めでたさよ
 松竹立てて 門ごとに
 祝う今日こそ 楽しけれ

 歌を歌う為だけでも無かったろうから、モーニング姿の校長が今年も
頑張りましょう、位は言ったろうが、他に何かあったかは全く覚えて
いない。一番嫌いな登校日であった。

 こんな記憶のあるのは昭和20年代に小学生を過ごした人である。
この歌、一番だけなら今も歌える。







  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マッチは何処へ行った

2015-12-29 08:49:06 | 日記
 皆さんのお宅、マッチがありますか。

 私の家を考えてみる。
火を使いそうな所、台所に無いし
神棚にもない、仏壇は元々ない。
有るとしたら、若い頃に飲屋で貰った物が
机の奥の方に残っているかも知れない。
そんな存在になってしまった。

 ”マッチを貸して下さい”と言われても
 ”ライターでは駄目ですか”、と答えるしかない。

 年末に、お歳暮を持って尋ね、仏壇にお参りする
親戚がある。
 仏壇には何年も灯明用のマッチの小箱が置いてあった。
この10年位であろうか、マッチが100円ライターになり、
先日は”チャッカマン”に変わっていた。

 引き金一つで着火するし、機能的で良いのだが
仏壇の灯明は、マッチを擦って、炎を両手で包む様に
して静かに点けたい。

 その一瞬の無心と静寂が一番の供養の様な気がする。















コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神棚の掃除

2015-12-28 09:17:14 | 日記
 今日は大掃除です。
窓を開け放ち、寒いのを我慢しながらハタキでパタパタする。
普段と違うのは、窓とハタキの音位ですが、大掃除と聞かされている所為か
何となく大掃除をした気分になります。
小さな家で、大、を付けること程の事も無いのですが。

 神棚の掃除だけは亭主の出番になります。
部屋の隅の少し高い所で、特別大切にもされず、邪魔にもされず、長い間
年末のお札の交換と、社の埃を払って貰う事だけで耐えておられます。
榊を替えて、灯明を上げて、柏手を打って終了です。

 新築した時に神棚を奨められました。
予算は頭の隅にも無かった年齢で、万事屋で小さな神棚を求めました。
予定した置き場所の上は子供部屋になっています。いくら不信心でも神様の
上を人が歩く、これは失礼だろう位の事は考えました。
 先輩に相談すると、神棚の上の天井に、天と書いた紙を貼れば良いというの
です。神様も貧乏人の住宅事情は良く御存知なのです。

 家も築40年ともなりますと、あちこち修理を致しました。車にいたっては
何台も乗り換えました。が、神様のお住まいは40年前と少しも変っておりません。
”天”の文字一つで40年間堪えていただき、一家をお守りくださいました。
 宝くじでも当たれば、家を建て替えて、立派な神棚を作るつもりです。
神様、来年も宜しくお願い致します。










コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする