自宅か現場が多いので実感はないものの、街中を行く人々にはマスク姿が蔓延しているようだ。
マスクの習慣はアジア諸国に多いと聞く。
これ、特に農耕を主として形成された国々独特のもののように思えてならない。
匿名とは自分を隠ぺいすることで本来の自分を表現すること。
マスクをすることと匿名は似ていないだろうか。
ぼくは賃貸マンションの清掃などもしているが、そこそこ立派な賃貸物件のごみ置き場でさえ、そのマナーの悪さに辟易する。担当地域の分別はさほどうるさくないのだが、一部の居住者はそれができない。
個人的には、それなりの賃金で請け負った仕事だから、いちいち本人を呼びつけどうこう言うつもりもなく、ごみの分別なんて「燃やしたいごみ」と「燃やしたいけど燃えないごみ」の二通りでイイとさえ思っている。
しかし、分別できていないごみは市が回収しない。片付けても、翌週にはまた同様の繰り返しに閉口する。毎回毎回再分別に要する時間だけ、本来なすべき共用部分の清掃がおろそかになるのだから、やはりルールを守らない連中は、他の居住者に迷惑をかけているといえるだろう。
ごみ出しにあたって、ごみ袋に部屋番号を明記せよ、などとは管理規約にもないし市の条例にもない。つまり、ごみの廃棄は匿名なのである。
当人の心持は、
うっせ~な、めんどいンだよ。ど~せ誰が捨てたかわかりゃしね~ヨ。
ま、こんなところだろう。
税金納めてるんです、回収するのは当局の義務でしょ。分別できていないですって?私が出したとでも?
と、置き換えても良い。ま、ルール違反といったって、市に特別な感情を抱く組織に属していることもなく、みんなフツ~の人たちなのだ。
では何がフツ~にそうさせるのか。
農耕民族は村八分になるのを極端に恐れる。農作業はとても個人で営めるものにあらず、村の力を結集してこそ成果が上がるのだ。
遠い昔、村長(むらおさ)の欺瞞に満ちた意見指示に反発しながらも、明日の生活を考えれば唯々諾々とせざるを得なかった祖先の心の不自由さ、不満は如何ばかりであったか。そしてその思いは我々のDNAに深く深~く潜んでいるに違いない。
農耕集団の中で不承不承生きながらえた記憶を持つDNAは、その正体を隠すととたんに元気が出る。ごみ出しと同様、匿名ならば(=正体を隠せば)村長の束縛から離れることができると思ってしまうのである。豚インフルエンザがどんなに恐ろしく変化しようと、それに備えるわけでもなく、マスクで顔を隠すことは何より祖先の血が喜んでくれるのだ。
マスク姿の私ですが、これが本来の私です。私やっと自由になれました。
ホームセンターの軽便マスクですら買いつくしてしまった行動に、科学的根拠のあるはずもなく、DNAが原因だったとは誰も気付くまい。
※最初の投稿は気に食わなかったので校正しました。(09/05/30)
雨っ気を帯びた風でないかい?
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