人生は願った通りに実現する
金は必要なだけ降ってくる
講師 株式会社A.L.C.代表取締役 西山 輝さん
2016年8月22日にティグレの会議室で株式会社A.L.C代表取締役の西山 輝さんに「人生は願った通りに実現する お金は必要なだけ降ってくる」と題して講演していただきました。以下に要約します。
自己紹介
今ご紹介いただいた西山 輝(あきら)です。普通は輝(てる)と読みますので、「西山輝(てる)さん居られませんか」と、勧誘の電話がかかってきた時には、「いません」と居るすを使います。西山 輝(あきら)という名前は気に入っています。生まれは1961年1月1日生まれで、生まれた時間は朝の4時です。今年56歳になりました。朝日が出て照らしたのが西の山ということで西山 輝(あきら)といい名前が付きました。大阪市大病院で二ヶ月半の未熟児で生まれてきました。保育器が大阪市大病院にしかなかったので、いま、命をつなぐことができています。大阪市大病院で生まれていなければ、ここにはいません。その意味では生まれたときから運がいいと思います。
A.L.C.という会社もしていますが、個人的にはライフビジョンプロデュ―サ―と名乗っています。「仕事は何ですか」と聞かれると無職だと応えています。仕事は「つかえること」と書きますので、私は「働く」方を選んでいます。働くとは「はたを楽にする」ということの方が、好きだからです。好きなことをして、その結果今日のテーマ「お金」に結びつけばいいと考えています。
お金を握りしめていたときは、しんどいお金の握り方をしていました。それを手放した瞬間に、お金が入ってくるようになりました。握りしめことで握れるお金は僅かです。握りしめることをやめて、広げると大きなお金が入ってくるということを、大きな失敗をすることで学びました。前半戦は、お金をテーマにしたお話をさせていただきます。後半戦は、すぐにから役に立つノウハウをお伝えします。コミュニケーションに関するゲームをします。初めての方とわずか数分で仲良くなれる方法をお伝えします。知っているという方もおられるかもしれませんが、覚えてか言ってもらえると役に立つと思います。そして、「なんで今、私の人生はうまいこといっているのか」をお伝えする三部構成でお話をしようと思います。
大学を出て7年目、上場を目指してコンサル会社を設立
関西大学を出て、税理士になりたかったので、会計事務所に勤めました。所長からいわれて、1週間かかる資料を5日で仕上げて提出しました。すると、消費税が昨日決まったのでつくり直しと言われてびっくりしたことを思い出します。法律がころころ変わります。法律に縛られて生きるのは嫌だという気持ちがありまいた。同時に、私は士業の人たちをとても好きでした。だから、一緒に仕事ができないかと考えるようになりました。そのためにはコンサルタント会社を経営して士業の人につなげればいと思いました。
けれども30年前のことですから、大学を出て3~4年の者が経営者になるのは至難の業でした。しかし、私の周りにけっこう優秀な経営者がいました。父親です。父親は自動車整備業界の仕事をしていました。当時は、この業界に携わる人の中に荒っぽい人が多くいました。父親に連れられて、会合に出ると背中にカラフルな人がたくさんいました。父親は、運輸省と連携し業界をリードするやり手の経営者でした。そこで、経営を勉強するために父親の会社に入りました。
会社に入り7年間一所懸命働いて、会社の売り上げを3割上げました。その方法はクルマを買うときに、助成金をとれるようにしたことです。当時は、企業内で研修をしたり、設備投資をしたら助成金がたくさん出ました。でも中小企業の社長さんは助成金のあることを知りません。社長さんに「お宅の会社の規模でしたら、助成金が200~250万円でますよ」と説明すると、社長さんは「助成金ってなにやねん?」と返ってきます。私が「国からもらえるお金です」と説明すると「なんで、国が金くれるね」と信用してくれません。社長さんに「信用しなくていいので、半年待ってください。半年後にお金が出たら、私の車買ってください」とお願いしました。実際に助成金が出て、車を買ってもらった社長さんは人に自慢します。だから、口コミであっという間に広がり、会社の売り上げが3割アップしました。
経営コンサルタント会社も立ち上げて、父親の会社の取締役までになりました。経営者の仲間入りができたので、新規に会社をつくり上場を目指して業界をよくするというビジョン建てて会社を辞めました。
バブルの時期でしたので、資本金6億集めて新しい会社を立ち上げました。父親にも協力してもらい3億3千万円を自分でつくり、残りを有名会社3社に9千万円づつ出してもらい6億円の会社をつくりました。上場するのであれば、本社は東京がいいということで浜松町につくりました。私は超大阪が好きで、東京まで飛行通勤しました。飛行機の席は、スパーシートを使いました。なぜかというと、誰よりも早く乗せてくれて、誰よりも早く降ろしてくれることと、朝食を陶器の器で食事ができるからです。往復8千円で時間と雰囲気を買っていました。バブルの申し子のような生活をし、よく働きました。銀座にもお金を落としました。銀座に行くときはバターを一かけら飲みこんでいきます。バターが胃に回り、2時間は酔わなくなります。得意先を接待してグデングデンに酔わせて商談を成功させました。2時間後には、ママさんに車を用意してもらい得意先の方には先に返ってもらいます。急性アルコール中毒になるくらい飲んでいますので、トイレに入り吐き出しました。死に物狂いで仕事をしました。
事業に失敗、2度自殺と離婚
上場目前まで来たところで、バブルがはじけました。
バブルがはじけた瞬間、大手の3社は素早い対応をしてきました。事業の破棄というと、契約違反になるので「事業の見直し」という提案です。「少し様子を見て、体制を立て直しましょう」と言います。事業から撤退するとは言いません。大きな事業になっていましたので、何もしなくても月に2千万円は掛かりました。1年間中断することになりましたので、2億4千万円が必要になります。維持するのは無理ですから、会社の整理に入りました。まず、事業を拡大するという名目で撤退資金を用意しました。全国的にチェーン展開していましたので、独立する方は独立していただいて、廃業する方には、違約金を手当てして会社を整理しました。1社も倒産させていません。残った借金が20億円です。嫁さんもいましたが、ほったらかしにしていましたので、離婚したいと言われました。保険金5千万円をかけていましたので、自殺してそれを嫁に残そうと会社の整理が済んだときに実行すると心に決めていました。
札幌支社を閉めるのが最後になりましたので、札幌に行きました。いつもであれば札幌グランドホテルに泊まりますが、。その日はススキノの場末のビジネスホテルです。広さは10平米ぐらいで洋室でしたが、部屋に梁(はり)が通っていました。「これはちょうどいい」と思い、浴衣のひもをほどいて、梁にかけて「えいや」と試みました。すると「バキ」と梁が折れましたその日は気持ちがなえてそれ以上できません。札幌支社をスケルトンにして返すことになっていましたので、翌週、もう一度札幌に行くことになっていました。
もう一度チャンスがありました。翌週はススキノグリーンホテルに泊まりました。今度の部屋は雪国だから、、壁から大きなコートハンガーありました。「今度はこれか」と思い、浴衣のひもをほどいて再度試みました。今度は失敗したらあかんと思い、ひもをかけてから3度引っ張って大丈夫だということを確認してから試みました。今度は壁が落ちてきました。「これは死なしてくれない」と思い、あきらめて借金の返済をすることにしました。嫁さんには、5千万円ぐらいの預金がありましたのでそれをわたしました。
「自殺と20億円の借金返済」のコンサル経営で再起
本気になると面白いもので、3年で20億円の借金を返しました。「自殺と20億円の借金返済」の話がネタになりコンサルタント事業がうまく行きました。当時、成果人事制度がはやりました。成果人事制度は、成果に応じて給料を支払うという制度ですが、まやかしがあります。20人の従業員さんがいるとして、成果の出た2人ぐらいの給料を上げて、成果の上がらない4人ぐらい従業員さんの給料を合法的に下げれるという制度です。結果的には給与の総額を低く抑えることができて、会社には有利な制度です。会社は儲かります。しかし、問題点は毎月人事考課をして計算することになります。そこで、簡単に計算できるソフトをつくりました。コンサルの顧問料1社50万円以上です。全国を走り回って儲けました。しかし、従業員さんの賃下げに手を貸していました。
目的のないお金を手に入れることになりますので、今度はお金に縛られます。夜中の2時に顧問先の社長から電話がかかってきます。「新地で飲んでいるので、来てくれ。困っていることがある」ということです。行きましたら、「新地のチィーママとできているのがばれて困っている」ので何とかしてくれという相談です。仕事とは関係のない話です。社長は「何でもするのと違うの。200万円も払っているから」と言います。仕方がないので「チィーママとできているのは、私ですねん。社長に店に連れて行きもらっいるうちにできてしまったのです」と社長の奥さんに電話して解決しました。
こんな仕事に疑問を持っていました。お金は十分にありましたが、先のことを考えると心配になり不安が募り、お金もうけに走っていました。再婚もしていまして、娘も二人できていましたので頑張っていました。しかし、「幸せであるような、ないような気分」でした。家族旅行でディズニー―ランドへ行きました。背広にネクタイを締めて、携帯電を持ってスペースマウンテンに並んでいました。休みも7~8年取っていませんでした。「自営業なので当たり前」と思っていました。休んだのは盲腸で命が危ないということで、手術の日だけ休みました。稼がなければならないという思いに囚われてひたすら働いていました。お金は大事ですが、お金のためだけに生きたらロクなことが起こりません。
再び、「父(とう)さんの会社を倒産(とうさん)」させる
父親が10年前に脳梗塞を起こして寝込んでいましたが、会社は続いていて父親は会長、大番頭が社長をしていました。父親は10年も寝込んでいたので、アルツハイマーを発症していました。大番頭の社長も疲れたので社長を辞めたいと言っていました。父親から会社を継いでくれと頼まれました。「継いで欲しい、継ぐのは嫌だ」ともめましたが、自分も仕事をしているので断りました。そうしたら、父親が3階から飛びおりようとしましたが、母親と一緒になって、父親が飛び降りるのを止めました。そのことが起って仕方なく親父の会社を引く継ぐことになりました。
事業に成功している自分より、親父の会社のほうが大切なんだという親父に悔しい思いをしていました。同時に、「こんな会社ぐらい再建したる」という傲慢な気持ちと、2年ぐらいで再建して、売り払うという計算で引き受けました。そんな邪心を持っていたらうまくいきません。着任して1ヵ月目に、前任者が粉飾決算をしていることが分かりました。14ヵ月の粉飾決算でした。不正をしてポケットに入れてくれていれば、告発できるのですが、銀行の融資を受けるためにしていたことでした。自転車操業の会社でした。労働組合もあり社員の中に働く意欲はありませんでした。銀行が社長交代を理由に、会社の経理を精査し、粉飾決算が明らかになりました。融資がストップしました。頭を下げまくりましたが、8ヵ月で「父(とう)さんの会社を倒産(とうさん)させました」。「ここは、笑うところですよ」
倒産する3日前に一人対二十人の労働組合との団体交渉がありました。「アホ、ボケ」の一方的な罵倒をうけました。一人が罵倒して疲れると、次の組合員が罵倒を始めます。トイレと食事以外にこれが止まることはありませんでした。朝の9時から夜の9時まで続きました。3日目は午後の3時まででした。なぜなら、2回目の不渡りが出たからです。不渡りが出た瞬間、ロッカーやら机を壊して、パソコンなどは現物支給といって持って帰りました。
私は破産者です。普通、倒産する会社は弁護士を入れて、破産管財人を立てます。私は弁護士を入れませんでした。800台の車のリ―ス業をしていましたので、管財人を入れると800台の車が債権として押さえられます。そうすると、かりに10台車を借りていただいている会社は車を使えなくなり、最悪の場合倒産することになります。それだけは避けたいので、不渡りを出しても現金取引はできますので、車の受け皿作りに走りました。同業者に頭を下げて引き受けてもらいました。半年かけて解決しました。中小企業で七億の倒産ですが、1社も連鎖倒産が出ませんでした。迷惑をかけたのは、銀行と大手の取引先だけです。
倒産する前に、父親夫婦と妻と娘二人は逃がしていました。住んでいたマンションは、銀行に押さえられていました。組合が絡んでいるので組合に占拠されると困るので、銀行からの要請でそこに住んでいました。週末は、家族のいる所に帰っていました。家に帰ったときに、妻から離婚請求されて離婚しました。
再び、うつ病になり「死ぬこと」ばかりを考える
その日に家を出てマンションに戻りました。結果、半年間で燃え尽きてしまいました。そのとき、死ぬことばかり考えていました。
1ヵ月後、銀行に押さえられていたマンションは出ることになり、銀行が用意してくれたところに移りましたが、家賃は自分で払わなければなりませんでした。不動産はなくなりましたが、背広などの動産はたくさんありましたので、ネットカフェへ行き、ヤフオクで家賃と携帯代を払うお金だけは手に入れていました。ヤフオクに関しては本を出すくらいの知識がありましたので、3日間だけネットカフェに通い約12万円の収入を得ていました。
仕事はしていませんから、生活するお金がありません。しかし、お中は空きます。餓死すればよかったのですが、それもできませんでした。思いついたのが、自動販売機の下に落ちているコインを拾うことでした。自動販売機にコインを入れるのを失敗して、落としてしまったことがありました。当時は、背広を着ていたので、コインを拾うことができずに悔しい思いをしました。それを思い出したのです。自動販売機の下を10台ぐらい見て回ると300円ぐらい手に入ります。それを持ってコンビニに行きます。カップヌードル200円、缶ジュース100円で命をつなぎました。それを3日に1度ぐらいの割合で行っていたと思います。
その当時のことは、うつ病になっていたのでほとんど覚えていません。食べること以外は「死にたい、死にたい」の毎日でした。そんなときに、「007 カジノロワイヤル」のポスターが目に入りました。私は、「大阪ラバー」ですが、同時に「映画ラバー」でもあります。「この映画見て死のう」と思いました。お金がないので、久しぶりに携帯に電源を入れて仕事を探しました。1万円ぐらいのお金を手に入れて、最後の晩餐をして映画を見て死のうと思いました。
今度は失敗しないように、高いビルの屋上から飛び降りようと考えてそのビルも決めました。当日、ビフテキを食べ映画を見ました。映画館に入ると次回の予告篇がありました。今度はこれを見て死のうと思いました。そこでまた仕事に行きました。寝屋川にある魔法瓶の会社です。ゴミ拾いの仕事です。そこの従業員さんは、ゴミを私の頭の上からゴミ箱に捨てるのです。そのたびに頭の上からゴミが降ってきました。職業に貴賎はないと思いますが、さすがに心が折れました。私はここの魔法瓶を一生使おうとは思いません。もしも関係者の方がおられたらごめんなさいね。大丈夫ですか?
聞いたことがあると思いますが、うつ病が治るときが一番危険です。この経験をして、「自分はごみ以下だ」と思い、京阪電車の特急に何度も飛び込もみかけました。駅員さんにはがいじめにされて何度も止められました。今の生徒さんで私の教え子の方が、「あのときのおじさんですか!私、同じ電車に乗っていました」という方が現れました。世間は不思議です。
映画を見ることが生きがいになりました。派遣会社からの電話を受けるため携帯の電源はONにしていました。携帯はめったになりません。鳴るとしたら、派遣会社からの電話だけでした。派遣会社から「明日、来なくていい」という電話が入る場合があります。この電話を取り損ねると、会社に行って「何しに来たの」といわれます。そうすると、電車賃を損します。最悪の場合、連絡が取りにくいということで首になります。だから、携帯を必死で取りました。意地悪されていたのだと思いますが、留守番電話に伝言してくれませんでした。
「先生、いきているの?」と声がかかる
そんなときに、携帯が鳴りました。「先生、なにしているの?」という声が飛び込んできました。名前を見てみると、元気に仕事をしていたころのセミナーの生徒さんで、アシスタントもしてくれた優秀な子でした。「生きてるの?」と問うてきましたので、「ああ、生きているで」と返事をしました。「そしたら、明日食事に行こう」というのです。「ああいいよ」と返事をしました。
そして行ったら、会った瞬間、「焼き肉行こう」といわれました。羽振りの良かったときの記憶がありますから、「おごらなあかん」という頭がありました。焼肉屋に入ったら、彼女は「上ロース、上カルビ、上ミノと大ジョッキ2杯」と注文しました。とても払えません。謝る以外ないと思いまいた。大ジョッキが来て「乾杯」をした後、「先生、心配せんといて。今日は私がおごるから。先生、上ロース、上カルビ、上ミノ大好きやん。これ食べて元気出して。私世話になったから。成功させてもらいました。だから、セミナーして」といってくれました。私は、「こんなんで、セミナーできない」と断りました。
それから3日に空けず、かつての教え子から「ウナギを食べたい」、「今日は、てんぷらがいかも」と電話がかかってきます。誰一人としておごってあげるとはいわないのです。私のプライドを傷つけることのないように、気遣ってくれました。そして皆いいます、「セミナーして」と。「こんなおれでいいのか?」と聞きました。「今の先生の方がいい。人間くさくて」と返ってきました。それからセミナーを始めました。有難いことに、セミナー道具だけは売ってのかったのです。自分の人生を振り返って「ああ、これが私の役割か」と思っています。それから5年、月に25本の映画を見ています。なんばパークスあたりを毎日うろついています。今は、好きなセミナーしかしていません。好きなコンサルしか受けていません。しかし、お金は降ってきます。次から次へと。
必要なお金は、今、手にしている
私の髪の毛はちょん髷のようで、不思議な感じを受けていると思います。これは宣伝用の頭です。実は私、美容室を経営しています。3年前にある美容師さんに出会いました。私の生徒さんです。髪の毛とお話することができます。ですから、あなたの望む髪型にはなりませんが、髪がなりたい髪型になります。あなたの個性がでる髪型になります。この人の才能を伸ばしたいと思い、今、共同経営しています。美容室はけっこうお金が掛かります。しかし、パタパタと3ヵ月で必要なお金が降ってきました。自分のためではなくて、その美容師さんのために必要なお金は降ってきます。
私はお金に困ったことはありません。自販機の底をあさって得た300円のお金は、そのとき、私に必要なお金でした。もしそのときに1万円のお金を持っていたら死んでいました。ふらふらと外に出ていけば、どこかの屋上から飛び降りていました。2~3万円あれば東尋坊まで行って飛び込んでいたと思います。300円しかないので、家の前をうろうろしていたから、命がつながったのです。私にとって必要なお金はそのときは300円でした。だから私にとるって必要なお金が降ってきていました。
このことは皆さんも同じだと思います。お金はないのではなくて、あるのです。声に出さなくていいので応えてください。「皆さんの中で、携帯代払えていない人はいますか?」「家賃を払えていない方はいますか?」「水道代を払えていない方はいますか?」皆さんは払えていますね。そう考えればお金はありますよね。必要なお金は手にしているのです。しかし、「そうじゃない」と思い込んでいるのです。
まず、今はお金があって、幸せなんだと受け取って見てはどうでしょか?私は、いろいろと経験してみてそう思えるようになりました。「お金がある。住む家がある。仲間がいる。健康だ」 だから幸せだと思えるようになりました。ほかになにがいるのでしょうか?
そこからです。「お金は充分ある。今幸せだ。だからこの夢のためにもっと稼ごう」「社員のためにもっと稼ごう」「お客さんのためにもっと稼ごう」「そして、もっと幸せになろう」と思うようになりました。「お金が欲しい」「幸せになりたい」ということではないのです。
「お金が欲しい」というのは「お金がない」ということになります。「幸せになりたい」といういのは今不幸だということです。そうではなくて、「もっとお金をつくろう」「もっと幸せになろう」ということで、お金と幸せとをあふれさせて、周りを幸せにしていくという生き方をしたらすごく幸せです。
「今が幸せだ」ということに気付いてください
もう一つよく口にする言葉ですが、「来月の支払いどうしょう?」「来月の家賃どうしょう?」といいます。確率論的には、何ヵ月も何年も支払ができていたのに、来月だけ支払いができない可能性は極めて低いものです。しかし私たちはいつも「お金がない」とこぼしたり、「支払ができない」のではないかと不安にかられます。グチや不安で現実をつくりだしているだけなのです。打つ手は打って、やることはやっておけば何とかなるのです。「何とかなると」と思えるかどうかで人生が楽になります。人生が楽しくなりなす。
5年前に仕事を再開して、セミナー会社に拾ってもらいました。そのときに、みかんを出してもらいました。その3年前はみかんに困っていました。年末に、箱でミカンがお歳暮でと届きます。何箱も来るので腐らしていました。そのミカンは2年ぶりに食べるフルーツでした。果物好が好きなのですが食べたことがなかった。涙が出ました。泣きながら食べました。甘さと酸っぱさを味わいました。「あたりまえ」ではないのです。与えられているのに、感謝しないで「もっと」と求めてしまうのです。
「もっと」と求めた瞬間、足らなくなるのです。有難いと受け止めて、「周りの人のためにもっと」とエネルギーを変えたら幸せになれます。今日幸せであればそれでいいのではないでしょうか?明日になれば、また今日になるわけですから、幸せな日がまたやってきます。こんな男ですが、何かの役に立てばと思っています。この講演会に呼んでいただいて感謝しています。そして、一人でも二人でも「今が幸せだ」と思ってもらえたら幸せです。
10年前、お金があったころ、児童養護施設(孤児院)の支援をしていました。現在は施設にくる子の半分は被虐待児です。体中にビッシリと真っ白な斑点が付いている6歳の男の子がいます。母親のたばこのあとです。体中に隙間なく火の付いたタバコを押し付けられたあとが残っています。でも、その子供は「僕が悪かった」「ママに会いたい」と言います。そんな子が全国に3万5千人います。
「おっちゃん、『朝マック』ってどんな味?」と聞いてきましたので、ビックマックを山もり買って持っていきました。6歳の子が2つも食べれば、お中満腹のはずですが、えずきながら3つも4つも食べるのです。また買ってきてあげるからといいますと、「おっちゃんなんか信用できない。いま食べとかないとビックマックの味忘れてしまう」といいます。事業に失敗して、そのNPOも人手に渡りました。お蔭さまで、この11月から支援を再開します。大阪市の書類審査が通り、認定待ちです。児童養護施設の子供たちに貢献したいと思っています。好きなセミナーして、好きな映画見て、ボランティアができたらいいなと思います。そんな人生があってもいいのではと考えています。こんな男です。とても長い自己紹介をしました。ちょうど1時間です。何か質問はないでしょうか?
10分間で初対面の人と、とても親しくなるスキル
自己紹介だけで終わりではなくて、具体的に何かを持って帰ってもらいたいので、今からゲームをします。初対面の方でペアーをつくってもらいます。少し移動をお願いします。
「10分間で初対面の人と、とても親しくなるスキル」というのを紹介します。コミュニケーションの簡単なワークをします。2人1組の内、一人をAさん。もう1人をBさんとします。皆さんは「コミュニケーション」とよくいわれますが、「コミュニケーション」という言葉は日本語にはないのです。辞書によると「通信・報道と言語・その他による思想の伝達と交換」となっています。「通信・報道」が「マス・コミュニケーション」で、「言語・その他による」が「コミュケーション」ということになります。「その他による」というコミュニケーションが「ノンバーバル・コミュニケーション」です。言葉を使わないコミュニケーション方法です。たとえば、「この人とても良いことを言っているけれど、胡散臭い」というような場合です。「胡散臭さ」が伝わっています。これを「パーソナルコミュニケ―ション」といいます。行動科学では、「信頼関係を築くための相互理解とその手段」となっています。なんのためにコミュニケーションをとるかというと、相互理解をして「信頼関係を築くために」コミュニケーションをとるわけです。
今から、そのことを理解してもらい、「信頼関係を築くための方法」を手に入れていただけたらと思います。そのためのワークをします。会社で使ってください。誰がやっても同じ結果が出ます。
それでは、2人1組でAさんとBさんを決めてもらいましたので、AさんがBさんの「趣味、血液型、年齢、既婚・未婚、家族構成、好きな俳優・女優、好きな本など」を予想して当ててもらいます。AさんはBさんを見て想像してください。そして、Bさんの「趣味、血液型、年齢など」を当ててください。Bさんにも役割があります。反応をしないでください。「ふふん、Aさんはそう思うの」と心の中で反応してください。後から、交代します。
それでは始めてください。(2分経過)
それでは交代。BさんがAさんのことを当ててください。(2分経過)ハイ、終了。
これで終了するとお互いにモヤモヤするので、お互いに答え合わせをしてもらいます。ハイ、どうぞ。
ハイ、終了。
あっと2つやります。
AさんはBさんをほめてあげてください。Bさんの役割は、「もっと、ほめて」と催促してください。それでは、AさんはBさんをほめてあげてください。
ハイ、終了。
AさんとBさん交代してください。BさんはAさんをもっとほめてあげてください。ハイ、どうぞ。
ハイ、終了。
最後のワークをします。Aさんが自分のいいところを自慢する。Bさんは「それは素晴らし」「もっとないですか」と聞いてあげてください。ハイ、どうぞ。
ハイ、終了。2分経過しました。大学生にこれをやると2分もたないのです。
AさんとBさん交代してください。
ハイ、終了。お互いに拍手してください。どうです。まだ喋りたらんでしょう。
一人の人が喋った時間は6分です。二人合わせても12分です。12分でこれだけ仲良くなれます。初めての人がなぜこれほどまでに仲良くなれるのか?その種明かしをします。
3つのことをやりました。1つ目は、お互いに相手に対して興味を持ちました。ラポールをとれるといいます。好きな人ができたら興味を持つでしょう。それと同じです。いやな気持はしませんね。興味を持ち合うということがポイントです。2つ目は、相手のいいところをほめ合いました。プラスの所を見つけました。マイナスの所は見なくていのです。最後はプラスの自己アピールをしました。お互いに相手のいいところを見つけて興味を持っているので、お互いの話を聞きたくなるのです。このステップを踏むといい関係性ができます。わずか6分です。マイナスは必要ありません。プラスなので、にっこり笑って身振り手振りで自分を表現していましたね。これをコミュニケーションといます。これが仲良くなるコツです。
「意図」する生き方が成果を生み出すコツ
最後になりますが、成果を出すコツについてお話します。普通は、私の講演会でないと話はしないのですが、高木さんの紹介なので成果を出すコツをお話します。
今日は、赤いネクタイを締めてきました。頭もちょん髷にしていますが、年齢が高い方が多そうだったので、髪の毛を少し寝かせてきました。あなたはどんな意図でその服装を選んで、どんな意図で毎日を過ごしていますか?なにをつくり出すためにその服装でなければならないのでしょうか?意図したことしか起こらないのです。たまに意図したことが降ってきますが、それをあてにしたらしんどいので、成果を出すために意識的に意図しているでしょうか?明日から、服装を選ぶのにどんな一日にするのかということを意図してください。「どんな一日にするか?」「誰を喜ばす一日にするのか?」朝に意図することで人生が変わります。
私は何十年もそうして生きてきました。だから、お金を意図した瞬間にお金につぶされました。意図がずれたときの怖さも知っています。でもちゃんとした意図を持てばその通りになります。「お金はなんのために使うのか?」と問い、「天才的な美容師を世に出すために使う」と決めたら、お金が手の上に乗ります。彼女で儲けたろうと思ったらお金は手に入らなかったと思います。「髪の毛と話ができる美容師さんがいます。美容院にきませんか?」「個性的な髪の毛になりますよ」と営業しています。私の美容院はご新規さんがたくさん来てくれます。一度きたご新規さんは、必ずリピーターになります。一番遠い人はロサンゼルスから来ます。そんな美容院を経営してことは素敵でしょう。だから意図して宣伝しています。それではあなたは、日々どれぐらい意図して言動しているでしょうか?
「コンテキスト」、「在り方」がきまればお金は降ってくる
実はもう一つ大事なことがあります。ネットビジネスではコンテンツが重要とされています。SNSでどんな情報を発信するか?インターネットで、アメブロで、facebookで、ラインで。これからはライブドアブログがトレンドになるようです。少し前まではどんなホームページをつくるかということが問題でした。今はどんなコンテンツをつくるかが大事になってきています。これは正しいのですが、ちょっと違うような気がします。
一番たくさん儲かっているのはインターネットをつくったアメリカではないですか?コンテンツをつくってもそれを配信する機能がなければコンテンツは役立ちません。その枠組みのことを「コンテキスト」といいます。「コンテキスト」を整備した人が一番成果をあげています。これを「あなた」という人に置き換えたら、「在り方」になります。どんな枠組み、を持っているのか、どんな在り方をしているのかという事になります。だからあなたの枠組み、あなたの在り方、あなたの生き方が信用されているから、あなたがしゃべる「コンテンツ」が信用されるのです。
極端ないい方をすれば「枠組み」さえ持っていたら、コンテンツは何でもいいのです。私は破産しましたが、50年かけて「コンテキスト」をつくってきましたので、美容院をつくるためにちょっとひねったら、何百万円もの金が降ってきます。今月、新しいNPOをつくるための何億円ものお金を用意しました。確実に3年後、自分のお金ではないですが、何億円かのお金を手にしています。NPOのために。それは枠組みがあるからです。
それではあんたの枠組みは何ですか?あなたは「いったい、だれ」なんですか?あなたとは「いったい、なに」なんですか?あなたは、「この人生でどんな役割があるのでしょうか?」見直してください。「なんのために、生かされているのか?」それが明確になればなるほど、コンテンツが湧いてきます。そして、あなたの欲しいものが手にできます。あなたが「いま、ここに生きている限り」役割がありますし、目的があるはずです。このことを伝えるために「意図して」ここに来ました。偉そうなことを申し上げましたが、それが「仕事で仕える」ということではなくて、「働く」ということだと思います。「働く」とは今回の人生での役割のことです。「あなたは、だれ」「あなたは、なんのために生きているの?」「あなたのこの人生での役割は何か?」ということを最後の質問にしてお話を終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
質問 西山さんの半生記を聞かせていただいて胸に迫るものを感じました。特に「焼き肉をおごってもらうシーン」は目に浮かぶようでした。初対面の人と仲良くなるワークをしてとても盛り上がりました。自己紹介の部分が長くて、大丈夫かなと思うこともありましたが、「自己紹介の部分」と「ワーク」の関係は意図されていたのでしょうか?
回答 自己紹介で自己アピールしています。「人生は願った通り実現する 必要なお金は降ってくる」は興味を引きます。ちょん髷頭と風貌でなにをしゃべるのか期待が膨らみます。自分をすべてさらけ出しました。プラスもマイナスもない自分の姿です。面白いし、楽しいし、さらに興味を持ちました。そしたら、明日からどうするの?人はいい話を聞いたら、自分は何をしたらいいか、行動したくなります。しゃべりたくなり、発信したくなります。そこで、「初対面の人と仲良くなるワーク」をいれました。興味をひて、楽しくなってもらうためにワークを入れまいた。3つに分かれていますので、最後に一番いいたい「コンテキスト」の話をしました。もしも「コンテキスト」の話を最初に持ってきても理解も、共感も得ることはできなかったと思います。
質問 西山社長にとって事業の失敗とはなんでしょうか?
回答 ごう慢ないい方になりますが、「失敗」はなにもありません。この人生があり、この役割があるので失敗だと思ったことはありません。ただ、会社を倒産させた、まっただ中にいるときは、失敗したと思いました。その経験があったから今があります。その意味で失敗はありませんが、もしあのとき、死んでいたら失敗といえるでしょう。