かあさん がんばってるからね

肺腺ガンで急逝した妻との26年間の思い出を綴ります。

また死別

2014-11-24 11:33:33 | その他
昨日は遺族会の集いに参加していました

身の程知らずに、三線を持ち込んで、集いの終わりに

参加者で「涙そうそう」を歌いました

涙々の合唱でした 本当にこんな事をして良かったのかなと思います


帰りの駅で、得意先の社員の方から携帯に電話がありました

先日にバイクの事故で亡くなった相方さんの上司である課長さんの奥様が亡くなったとの連絡が

47歳だそうです  どうも妻と同じ病気で、2年くらいの闘病生活をされたようだ

私の妻が旅立った時よりも2つ若い



奥様との面識はないが、課長のご主人との仲は古い


かつて同じ会社の同僚で、私は中途入社、彼は生え抜きのプロパーだった

彼と同じ仕事場で、まだ経験の浅い彼が呼ぶたびに、私は彼の机に脚を運んで

仕事を教えていた

ある時、彼がこう言った 「教えて当然」 と

血の気の多かった私は 「もう一切何も教えない」と伝えて彼を無視するようになった

宿直の当番の日に、私が宿直室で酔っぱらっていると、夜中に彼がやってきて

泣きながら 「すみません もう一度教えて下さい」 と


数年後に私は独立自営して、下請けの外注先で、彼はその部署の課長さんになった

私が仕事が少ない時は、ずっと先まで発注予定を組んでくれて、心配してくれた


もちろん妻の葬儀にも参列してくれた

今思うに、彼は朝6時には出勤していて、終業と同時に帰社していた

おそらく入院中の奥様との時間を少しでも長くとりたかったのだろう

たまに会うと、白髪が増えて、やつれたような顔をしていた

仕事が大変かなくらいにしか思わなかった


会社のあちこちの部署から、電話、携帯、メール、FAXで知らせてくれる


今日がお通夜  明日が葬儀


喪服を着たのは、ほんの2週間前だ



また親しい人の悲しい時間が始まってしまう



どうして私はこんな巡り合せなんだろう






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