金沢発 あれやこれや

-ヒントをくれる存在に感謝しつつ物語をすすめます-

短命な人とどうつきあうか

2007-05-26 00:18:50 | スピリチュアルコラム
短命な人が自然とわかるといいましたが、自分のことを特別だ
とは思っていません。案外存在していると感じています。

オカルトっぽく言われたくないので「そんな感じがする」と表現してますが、
詳しくいうと、相手の目を見て、その人が身体を何年健康に保つ知恵を
備えているかを見ているのです。目は脳と直結した器官です。そのまなざし
で知恵の程度がわかります。

この表現で違和感を生じた人はギブアップされてください。
この感覚世界とは無縁なのです。

大変興味深いことに、すべての動作に寿命へのヒントがあります。
歩き方、いすへの座り方、いすからの立ち方、食べ方、選んだメニュー、
食べるときの姿勢、机へのひじのつき方などです。
それら全てに50代で亡くなる人、60代で亡くなる人、70代まで
生きる人のやり方というものがあります。
私の会社の食堂はセルフなので、食べたあとに自分で食事の残りを水洗い
したあと、食器を洗浄器の大きな槽に入れるのですが、感心するくらいに
動作が寿命別に分かれます。

簡単な動作ですが、すなわち生きるためのひとつの局面です。
人生はその積み重ねで成り立っています。
ある動作だけ70代まで生きる人の知恵を発揮し、その他は50代という
ちぐはぐはないようです。おしなべて同程度の知恵が発揮されてます。

この感覚を共有する人はわかると思いますが、相手が短命だとわかった
場合、同時にそれを回避する手立ての有無までわかってしまいます。

どうやっても助からない場合、以後その人と会うことは寿命が順調に
削れていることを確認するだけとなり、じかに目を見て話せません。
見れば見るほどあと何年なのか詳しい情報が返ってくるからです。
声(言葉)にのっかってくる「気」でさらによくわかります。
その時期を逃すと医者にかかっても手遅れになる、いわゆる
ポイントオブノーリターンが見えてくるのは本当に嫌です。

私は自分の父親が60歳くらいの寿命だということを成人する前に
わかっちゃいました。そのことを父親に言って節制を求めても
「お前はそんな変なことをまわりにいっているのか」といわれ
相手にしてもらえず。終始おかしな人扱いでした。
年金ももらわずに死んでいく父親を前にして、食事の時は暴食し
ないようににらみつけてましたが、かえるの面に小便で全く
健康に配慮せず。墓穴につき進みジエンドを迎えました。

自分も同様な感覚を持っていて、皆と違うので邪魔なだけと思って
いた方、邪魔ではないのですよ。
ただ、感覚を持たない人とはたとえ相手が親や兄弟でも永久に平行線
なので暴言が返ってきても熱くならずに世の中の常識とからめて話す
ことが必要です。

知恵のレベルを層別する感覚を備えていることは、精神世界の入口に
はいれる最低条件と思っています。ただ、あくまで入場許可証であって、
その後どう生きるかは自分にかかっています。
信じられないことでしょうが、そのレベルに達しているのならその事は
自分をとりまく世界からは、人を除き認識されています。
後悔なく過されますように。

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