読み聞かせ講座の歴史

「絵本の読み聞かせはいつから集団相手になったか」
「児童図書館員養成講座の報告を読む」
カテゴリー「図書館」

を参考にして、私の日記を読んでください。

 40年位前、子供たちの読書環境を良くしようと新潟で研究会が発足しました。それは斎藤惇夫さんのエッセイでも最近書かれ新聞に載りました。
じつは、それに先立ち、東京から当時の児童文学の権威者が複数来られての講演会があったのです。つまりそれを元にできた研究会です。私はその講演会の写真を見せていただいたことがあります。セピア色に変色した古い時代のものでした。
 その権威者と、当時の市立図書館のある職員は親しく、一緒に旅行されたりもしました。その職員は熱心に仕事をされ、責任ある立場に立ち、周囲の信頼を集め、退職に備えて家庭文庫も開いて近隣の図書館長もされました。良い子ども、良い環境、良い本を求めて時代は進み、子ども時代は短いのだから、数多くの普通の本をそろえるより、ごくわずかの選び抜かれたよい本だけ子どもに手渡せばいい、と考えられてもいました。
 東京の権威者の一人が設立した東京子ども図書館と新潟市のその職員は協力関係にあり、図書館児童サービス関係者も講座に通うことで、あきらかにある種の本(古典)が尊ばれるようになり、読み聞かせボランティアは「良い本」を手渡すために協力する人たちとして教育がされてきました。それは、ぴこさんが受けた講座そのものです。克明に記録されたHPが宙をさまよっているので、リンクします。

 図書館協会主催の「児童図書館員養成講座」の講師の一人に、その権威者もなっているのでここまではあんまり問題はないでしょう。問題なのは、講師はたくさんいて意見は分かれているのに、なぜかその一人の講師の意見だけが新潟市の図書館の方針としてとりあげられてしまったことです。

追記・言いたくないけど言いタイ。『児童文学論』『えほんのせかいこどものせかい』のとっぴな数の蔵書は、ここに理由があるのではないですか?税金で買ったのか寄贈があったのかよくわかりませんが。

 その講師(東京子ども図書館という私立図書館の理事長)とその職員が親しかったのは、人と人のあたたかいつながりだったのでしょう。でも、そのつながりはとにかく公務員との関係でもありますから、あいまいにしなくてはなりませんでした。
現在、学校司書のなかにもその元職員を崇拝する人は大勢いるという現状があることも付け加えます。

しかし、しかしですよ、どんなに絵本を研究し、辛口の評論ができても、「私、この本好き!」の受け手の一言には勝てないのです。センス・オブ・ワンダーです。
あたりまえですが、古典と新刊は並び尊重され、市民に手渡されなくてはなりません。
大きな行方不明なお金の流れを究明したいとも思いますが、私にはそこまでできません。
県立図書館が、なぜ児童サービスをしないのか。他にも問題があったのでしょうが、建設当時にサービスを求めて活動した中心人物がその職員だったことを思い出せば、何故かは分かると思います。

そうそう、話は変わって。

 会の目的に「良い本を子どもに手渡す」だったかな、それを規約として目的にしている団体もあります。はい、それを書いたのはこの私です。それくらいあたりまえ、それが回りまわって子どもにとって良いこと、・・・と自分では思っていました。その会に、私は今、所属していないので、現在どうなったかわかりません。

 ここに書きたいと思うのは、その規約を文章化したとき、こっぴどくしかられたということです。あいまいにしなくちゃいけないからです。現在の状態を文章化して出すと叱られる????
 また、自分で「良い本だなー」と思って持ってくると、「先輩」たちに罵倒されるということがたびたび起こりました。たとえば、絵の中の動物の並び方が1ページ目と2ページ目が違う、だから真面目に作っていない、だからダメだ、とかね。
 この線はひょろひょろして力が入っていない、だからだめだ、とかね。

 良い本がわからなくて叱られて泣く、などということが私たちボランティアだけでなく、それは図書館内でもあったようです。組織の中にいると、それがヘンだと思わなくなってしまうのです。
そこで突っ込める人がいなかったのが不幸でした。人それぞれ「良い本だ」と思うのは違うのですから、いろいろな本が提案されるのは、あたりまえなのにね。
 
「家元制」という言葉を聞いたことがおありでしょう。生け花とか茶道とか、家元のやり方を真似ることで、人間のピラミッドができ、集金もされます。
 最初は一生懸命子どものため、と思っていたことが、時が移るにつれ家元制になり、家元が良い本だといえばそれが末端までいきわたるように「先輩」が指導するようになりました。

 追記:
先輩は面倒見も良く、個人的に活動しようとすると「wさんがこう言っていたよ」といろいろアドバイスもしてくれました。わたしはその人を知っています。
 読み聞かせボランティアを希望する人はだいたい優等生で通ってきた方が多いし、家元は「先生」ですから、反抗しない。言われたことをきちんと守る、それが本物だと思い込む。wさんの意見を常に気にするようになりました。私もそういう部分はありました。

 でも、それではいつまでたってもwさんの感性の元で活動することになってしまいます。私たちは面倒見のいい先輩のおかげで、また、仲良くやろうとする平和的な気持ちを優先させたせいで、大勢の市民に迷惑をかけてしまいました。電話で個人的に言い合う方法もありますが、傍から見れば仲間内でこそこそやることです。そして、こうしたことを広く明らかにしないと、私たちは新しい一歩をふみだせないとも考えています。
 
 読み聞かせボランティアは声や話し方に「威厳」「愛情」のようなものがあり、話し合うとそれにのせられてしまう部分が大きいです。私もつい「ふーん、そうなんか」とつられてしまった過去があるので、やっぱり文章にします。読む人読まない人、受け取り方は自由で、このせいで私の信用が失われても仕方がない、それくらい緊急事態だと思っています。だから、こんな文章を書く私が間違っているかも知れないのです。絵本講座を受ける方は、講師のいうことが全てだと思わないでほしい。私のこともね。

 それでね、数年前までの図書館の子どもの本だなは、ほとんど動かないものでした。さすがに新しい教育を受けた司書が入ってきて変わっていきましたが、講座の講師はwさんとの目に見えない鎖を切って、生身の子供、生身の利用者のほうを向かなくてはいけないと思います。
 児童文化というおばさんが二人がけの席を一人占めしていたのですね。一つは子ども文化のために空けるのが筋というものでしょう。

ボランティアは歴史を知り、その上に新しい歴史を重ねていきましょう。
知識などはめいめいが本を読めば分かることですから、読み聞かせ講師は知識を教えるより、どうしたら人が幸せになるか考えることを学問の基本にしていきましょう。
ぴこさん、ネットの上であなたにお会いできてうれしいです。今まで書いてきて良かった。
絵本の会がらがらどんにお入りになりませんか?
(唐突ですいません、ちょっと言ってみただけです。これではあきれてしまいますね。一応、来年の代表の連絡先は沼垂図書館整理係241-4116に聞いてください)。私に突っ込みを入れてくれる人はたくさんいたほうがいい。
中央図書館で「聞き手が希望する本を読み聞かせる」という企画を検討してもらおう、と思っているのです。はい。


 
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コメント
 
 
 
Unknown (ぴこ)
2007-03-22 16:09:25
丁寧なお返事ありがとうございます。真摯な内容に、kamisibaiさんは、かなり覚悟して答えてくださってる
のだと思いました。私も、今感じていることを、率直に書こうと思います。

 以前の日記も読みながら、思い出したことがあります。20年ほど前、N図書館に「ノ○○ン」シリーズがない(今はあるようです)理由を職員に尋ねましたら、「選定基準がありまして・・・・・」というお答えに、子ども達が大好きと言う事が最優先じゃないのかと、納得いかなかったのですが、そういうことだったのですね。

 昨年、他の読み聞かせ講座も受けました。講師はとても慣れた様子で、ポイントを抑えた、実演の多い
わかりやすい講座でした。その資料、気をつける絵本リストに、息子達のお気に入りで添い寝までしていた
絵本を複数見つけ、自分でも不思議なほどのショックを受けてしまいました。息子達と楽しく過ごした時間を、否定されたように思ったのかもしれません。講師や、その周辺の方達にとっては、既に一般常識になっているのでしょうし、気にしすぎなのかも知れませんが、活字になった情報のインパクトは、かなり強いものです。思い出と結びついていることの多い絵本について、他の方と話す時は注意しようと思いました。ついでですが、一応、息子達は普通に(と、思います)育ちました。

 「美術や、他の様々な芸術に親しんで感性を養って
・・・・」ともおっしゃいました。確かにごもっともですが、司書や、読書アドバイザーでもない、しろうとの私達が、そんな「高み」を目指さなければならないのでしょうか。

 今、一緒にボランティアをしている中には、60歳を超えた方もいらっしゃいます。彼女と子ども達の周りのほわあ~とした空間は、私にはとても作れません。また、出勤前に、はつらつと絵本を読んで、「行ってきま~す」と教室を出ていく方もいます。いろいな人が、いろいろな「センス・オヴ・ワンダー」を
見せてくれることがすてきです。

 校長先生は、「読書につなげて、健全な育成を」と
たてまえをおっしゃいます。そこで、「はい、頑張ります」と、言えればいいのかもしれませんが、個人的には「お母さんや、近所のおばさんが時々本を読んでくれて楽しいな」って子ども達が思ってくれれば、もう十分でしょう。

 先ほど書いた講座では、「最終的評価は子どもたちにー」ともおっしゃたので、昼休みや放課後、図書館でどんな絵本をどんなふうに楽しんでるか、よくおじゃまします。

 重箱のすみをつつくような、大人の勝手な解釈や思い込みやおせっかいを蹴散らして、全身で絵本に没頭している様子を見ると、嬉しくてたまりません。

 人と関わる過程で、自分の価値観を尊重して欲しいなら、他者のそれも尊重することが大切です。子どもも大人も、その意味では対等で、こちらは差し出す方ですから、なおさら子ども達の気持ちに寄り添いたいです。

 kamisibaiさんのおっしゃるように、「私、この本好き!」「私、これが大事!」という気持ちから「個性」が育つのでは。

 思いつくまま、また長くなってしまいました。

 会へのお誘いも、ありがとうございます。ご一緒に子ども達と関われたら、さぞ楽しく、どきどき、わくわくだろうと思うのですが、他にも手を出してまして
今のところは残念ですがよいお返事ができません。でも、機会がありましたら、様子を見せていただきにおじゃまするかもしれません。

 「聞き手が希望する本を読み聞かせる」企画は、羨ましいです。新図書館のお話のお部屋は楽しみですね。実現するといいですね。

 私も低学年クラスでは、ラストを数冊から「どれがいい?」と、選んでもらってるのですが、メインをどう選ぶかー例えば、誕生日の子?、誕生日が近い子?、今日、1番に教室に来た子?、とか、高学年は乗ってきてくれるかな?、他のメンバーとの兼ね合いもあり、なかなか踏み出せずにいます。でも、自分なりに続けていこうと思います。

 私こそ、こちらのブログを、私は何を大切にするのか、気持ちの整理をするよりどころにさせていただきました。まだまだ、迷う日々ですが、これからも読ませていただきたいと思っています。よろしくお願いします。

 


 
 
 
百円の絵本 (匿名)
2007-03-22 18:00:32
百円の絵本


点字つき、触る絵本(絵も色もきれい)、百円です。百円だけど、侮らないでくださいね。ビッダーズのランキングの、「キッズ ベビー」部門で、現在第2位なのです。嘘じゃありません。

http://www.bidders.co.jp/pitem/79044376

 
 
 
現場を大切に (kamisibai)
2007-03-23 23:11:21
コメントありがとうございます。ほんとうに、書いてきて良かった。絵本の敷居を低く、より身近に、現場の気持ちを大切にしたいと思います。
 
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