メキシコの隅っこ

メキシコの遺跡や動物、植物、人や風景などを写真で紹介してます

太田連二ドクトル

2007-01-27 02:37:54 | 日系移民関連
移民のお話が出たので、引き続きシマちゃん泣かせ(?)です。

エスクイントラの道。



残念ながら、エスクイントレと呼ばれたらしい犬は一匹も写ってませんが。
これ、人力車に揺られながら撮影したんです。
どこが!? と言われるかもしれませんが、そうなんです。

で、人力車のおじいさんとシマちゃんが、
「あっちだったような気がするんですけど……」
「うん、こっちにそんなようなものがあったと思うよ~」

などと、ゆらゆら揺られながら青空の下、緩やかな会話を交わし、
なんとな~く進んでいくと、ありました!

第一次榎本移民、太田連二ドクトルの大頌徳塔(というらしいです)。

 

ドクトル R.オオタ、1917年5月6日没。
高貴にして高潔なドクトル・オオタへ、
エスクイントラ、アカペタウア、マパステペックの住人たちの
尊敬と感謝の念の証として
いつまでも安らかならんことを


と書いてあります。
何というか、単語の区切り方がとても日本的。
まあ日本と関係なくても実は、好きなところで切っちゃいますけどね、メキシコ人。
でも、こういうときだけは、勝手に日本的と思いたくなるもんです。

なんでこんな道端に記念碑というか、これ墓石なわけですけど、
あるのかというと、
ここら、当時は霊園だったそうです。
でも町がどんどん大きくなって通りが延びて、家が建って、
霊園を撤去してよそへ移すことになったとき、
この太田ドクトルの碑だけは、
動かしてくれるなと町じゅうの人の反対運動で、ここに残ったとか。
(シマちゃん談)



碑の前にたたずむシマちゃん。
碑の後ろに、ひょっこりと生えているパパイヤの木が可愛い。
というか、



同じような写真を何度もすみませんが、
この並びのおうちの色彩に、もううっとり……。



さて、松田英二氏という、移民関連では必ず名前が出てくる植物学者さんがいます。
この人が書いた、当時の記録、貴重な一次資料をシマちゃんから見せてもらいました。

そのうちの一冊、
『南メキシコに遺された日本人の足跡』(昭和41年8月31日発行)というのは、
藁半紙っぽい紙を綴じた小冊子。
その口絵写真に、このドクトル・オオタ大頌徳塔の写真がありました。



スキャナの限界で、まだらになっちゃってスミマセン。
でも、これはきっと、まだここがちゃんと霊園だったころの写真だと思います。

そしてこの小冊子に、ドクトル・オオタについての記述も。
以下、引用します。

「最後に見落としてならぬ人物は、仙台人太田連二である。
 彼は前にも記したように、榎本の自由移民として渡航したのであるが、
 資性あわれみ深く、学ばざるによく医者の業に巧にして、
 すでに太平洋を渡る時から、仲間や船乗の病気や負傷を治していた。
 それ故エスクィントラに住んでは、よく村人のために病を癒し、怪我を治した。
 しかもすこぶる淡白な態度でお金に心を惹かれないため、貧乏人がどれ程助かったか知れない。
 彼が一時結婚のため日本に旅するという噂が立つや、全町民は酒を担ぎ込んで、
 再び必ず町に帰られんことを願い、町中の楽器を動員して、
 彼の門出を祝うという有様であった。」


当時の榎本移民の中に仁平氏という医師がおられたようなんですが、
太田氏はその助手として働き、仁平氏がトナラ市に往診中黄熱病に罹って亡くなったあと、
その医院を継いでドクトル・オオタとして町民に慕われたそうな。
しかしドクトル・オオタもまた、黄熱病で不帰の客となったとあります。

「エスクィントラの町民は、氏の没後、永くその徳を追慕し、
 その徳をほめたたえんがために、町会の満場一致の決議により、
 同氏旧居の前通りを”Avenida DR.OTA”と命名し、表彰したのであった。」


この通り、今でももちろんあって、私も通りました。
標識の写真を撮っておけばよかったかなあ。
夜で暗かったので、ほほ~、と眺めただけになりました。

「その葬儀の時、町民の嘆き悲しみは非常なもので、
 前後にその例を見ない盛んな葬儀を営んでくれたという。
 又彼の死後未亡人が三幼児を抱えて思案に暮れていた時、
 一日農夫風の男が五匹の牛を引き来りて
 『これは太田先生の牛です。五年前、息子の病気を癒して貰って、
 お金がなかったので一匹のめ牛を差上げて、自分の牧場で飼養して置いたのが
 いまや五匹になりました』と。
 その翌日また四匹、つづいて三匹、五匹と数日を出でずして集まる牛馬三十余匹、
 全家族の帰朝の費をつぐのうて余りありしと。」


こういう話を読むと、感動するとともに、
ちょっと自分の成し遂げた(というか遂げてない)ことを考えて、
ちいちゃくなっちゃいます……。
昔の人は、偉かったよなあ~……。


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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ドクトル ハポネス (忍者)
2007-01-27 12:56:09
30余年前パリクチン火山を訪れた時麓のAngahuanの村で老人にハポネスか?と声を掛かられた
ドクトル???を知らないか?若い時に疫病で村中が罹った時に助けて貰ったが当時は貧乏で代金も支払えず受け取っても呉れなかった
今は多少の余裕が出来たので何とか探してお礼を言いたい

一瞬感動で胸がつかえて返事が出来ないでした

住所と名前をメモしDFに戻って調べようとしたがメモがどうしても見付らず名前も判らず今以って気掛かりになっています

数十年前にこんな僻地で医療活動をしていた医師には本当に頭が下がります

住所はDomicilio Conosidoこの表記は便利ですが人口の多い場所だと探すに大変 郵便が確実に届いていた時代の名残でしょうか

今はどうですか?
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シマちゃんへ三度 (カイマン)
2007-01-28 01:33:18
シマちゃんへ:
昨日カテゴリー「仕事編」を読み終わりました。
大変なもんですね、感動しました。
30年後、忍者さんのドクトールのように、探してる人が出てくることでしょう。

忍者さん:
ここへ引っ越してきてから、郵便が届かないって文句を言ったら、住所変更届け書を書かされました。旧住所を書く欄があったんで、転送のためだと思いました。それ以来、新旧両方とも来なくなりました。それまでは、旧に来たものは住人がとっておいてくれたのに、、、、やぶ蛇でした。
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郵便と電話 (忍者)
2007-01-28 09:35:29
え うそーなんて思わない様になって居るのに気がつきました 有り得る話ですね 今は私書函ですか?

長距離電話が不便な時代にチワワに行ったらそこの会社がどうやって回線を引いたか米国の電話が直通で入ってました

次に国境のPiedras Negrasの工場を訪れたら会社も個人も電話は勿論郵便も国境を越えて米国の郵便局に私書函を持ってました

日常当たり前の事が進む事 日本に住むと有り難味が感じられませんね
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先人のご苦労 (さくらんぼう)
2007-01-28 10:52:29
日系移民の方の苦労話は、どこでも壮絶なものがありますね。

最近は、世界で活躍日本人家族みたいな番組があって、それを見て、自分たちも後に続こうとされている人も多いですよ。

マサトランには、「ドクター清水通り」があるそうです。
産婦人科のお医者さんで、夜お産があると呼び出されて、暗殺されました。今、シティーで活躍されている甥子さんからお聞きしました。
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Unknown ()
2007-01-29 08:14:45
>忍者さん
うーむ、それは気になるお話ですねえ。
http://xbbs.knacks.biz/kamemexico#a332
広場のほうにも写真投稿ありがとうございました。
村の名前がわかるなら、どこかで聞けば、知っている人がいるかもしれませんが……。
もはや遠い昔のこと、難しいでしょうか。

ここでも紹介したマヤ儀式ツアーに参加したとき、
グアダラハラ近郊の田舎から参加したメキシコ人女性が、
自分の村に日本人医師がいると話してくれました。
「黙って座るとぴたりと当たる」という言葉にふさわしい診断をするヘンクツ(誉め言葉です)名医だそうです。
その女性を訪ねて、一度遊びに行きたいと思いながらも、なかなか……。

住所、conocidoでは、今ではどうでしょうか?
私も郵便局では有名人で、日本やドイツから物が届けば、
宛名を見なくても、あのハポネサだと思われているようですけど……。
まあそれは日本の田舎でも同様でしょうね。

>カイマンさん
シマちゃん、ここも見てくれるとは思いますが、あちらにコメント書いても喜んでもらえるのでは?
しかし郵便が届かないのは困りますねえ。
私もこの年末来いくつも届かないものがあって、郵便局に通っていますが……。
最近は、お値段高くても宅配便が確実なので、
どうしても大事なものはそれで送ったり送ってもらったりしてます。
そこらだと、どうでしょうか。

>忍者さん再び
そうそう、私書箱だとまだしもなんですよね。
ただ、そこまで取りに行かなきゃならないのが大変と言えば大変なんですけど。
届いたのがわかっていれば確実に取りに行けて、やはり少しでも安心です。
人間、便利にはすぐに慣れてしまうものですよね。
ネットなどなかったころを思うと、今が嘘のようです。

>さくらんぼうさん
日本で、そんな番組をやっているのですね~。
以前ここで紹介した並河萬里氏の本にも、移民の話に絡めて、
楽ばかり求めるよりこういう苦労を進んでしようという若者はいないのか、と
嘆く文章がありましたが、
中にはそういう気概のある人もおられるんでしょう。
む……、漫然と移民しちゃう私みたいなのもいるわけですが……。

マサトランにも、尊敬された日本人医師がおられたんですね。
しかし暗殺とは……メヒコですねえ。
シティにはずいぶん、日系のお医者さんがいらっしゃると聞いてます。
私も、本当に心配なときは日本人か日系人のお医者さまがいいかもな~、などと思います。
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偉大なるハポネス♪ (あやたろう)
2007-01-29 21:22:21
このようにして、自分の一生を異国の地で
沢山の人たちのためにささげた日本人がいらっしゃった・・・というすばらしい事実を、もっと日本人は
知らないといけんと思いました。
めっちゃ感動しました!
亀さんのおかげで、知らなかった事・・・知らなかった事実を知る事はができて嬉しいです。

ありがとうございました☆
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いやいや ()
2007-01-30 04:43:39
>あやたろうさん
私もメキシコに来なければ、そしてシマちゃんと出会わなければ、
知らないままだったことです。
でも本当に、もっと大勢の人に知ってほしい、とは思いますね~。
このまま忘れられていくなんて、もったいなくて残念です。
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感動です (mie)
2007-01-31 13:52:37
移民の話は、本当に心を締め付けられたり
打たれたりと、心がギューギュー痛くなります。
このお医者様も、その恩に酬いた家族も
(おそらく昔の日本人の多くはそうであったのでしょう)
素晴らしい方々ですね。う~ん、今の日本の現状、
恥ずかしくてお見せできないなと、悲しく思います。

こんな立派な日本人がいたんだという事を誇りに思い、
後に続く我々も、せめて自分も恥ずかしくないように
生きて行きたいです。高潔な志って、いつからどこに
行っちゃったんでしょうか・・・
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今また ()
2007-02-01 04:35:57
>mieさん
今ちょうどまた、北杜夫のブラジル移民の話『輝ける碧き空の下で』ってのを読みかけてるんですが。
やっぱりすごいですよね、大変ですよね。
それに引き換え、今の日本を思うと、本当にどうしちゃったもんかな、と思ってしまいますね。
思うだけで、何もしないんですけどね(苦笑。
怖いのは、こうした移民とその子孫の日系人のかたがたが、
未だに日本はすばらしい国だと信じておられることかもしれません。
うーん、知らないほうがいいことも、世の中にはあります……。
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ここで墓参りです。 (太田連二ドクトルのひ孫)
2007-06-30 02:05:25
こんにちは。はじめてコメントさせていただきます。私は仙台に住んでおります太田連二のひ孫にあたるものです。このブログ拝見させていたきました。
連二のお墓も見ることができ本当にうれしく思っております。
連二のお話は、私が親戚から教えていただいた通りでした。kamegomatamago様、大変ご丁寧に記載していただいたこと感謝いたします。
私は小さな時から、このお墓のことを聞いており一度はメキシコに行ってお墓参りをしたいと
思っておりました。しかし、残念ながらメキシコに行くチャンスが無く…住所も分からず…勝手ながら、このブログでお墓参りをさせていただくことにいたしました。
遠い昔の日に、メキシコの皆様のご好意によって祖父が帰国することができたからこそ、今の私があります。本当に何といって良いかわからないぐらい今いろいろな気持ちでいっぱいです。
しばらくの間忘れていたお墓参り、時間の都合つけば行ってみようと思います。

kamegomatamago様お墓の住所ご存知ですか?
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