播惑闘球団 Barbarians

スクール指導員、カネカOBやそのつながりで集まった播州地区Over40ラグビーチーム

レフリー

2008年01月14日 | Weblog
 ラグビーのレフリーは立派だ。私にはとても務まらない。人間には目が2個しかないのに、30人の動きを把握するなど、難しすぎる。プレーをする側から見れば、「しめしめ」もあれば、「なんでやねん」もある。それは何百回、何千回と経験済みである。ミスジャッジ、見落としがあったにせよ、大きな力量差があれば、たいていは勝敗には影響しない。圧倒的に力の差があれば、ジャッジミスなどは取るに足らない。しかし競った試合での微妙な判定には割り切れないこともあるだろう。先般、協会にビデオを提出して抗議した高校監督もいた。したがって未だにそのような重責を負う気になれないし、そのような能力もない。だからそれを負うレフリーには常に敬意を抱いている。しかしながら時折聞かれる、「レフリーは試合をコントロールする」という表現はあまり好きになれない。あくまで試合はプレーヤーのものだ。

 かつて(1905)、NZの英国遠征中最終試合。AllBlacksのある選手はトライを認められなかった。そのときはクレームはつけなかった。その後、その選手は出征先の欧州戦線での戦死直前、「あれはトライだった」と言い残して息を引き取った。そんな話もあり、ラグビーでは「レフリーの判定は絶対」の伝統は現在も続いている。プロ野球での殴り合い寸前のような審判への抗議、「中東の笛」のハンドボールのような再試合などはまずラグビーでは考えられない。

 先般の大学選手権のある試合でのスクラムコラプシングの判定。明らかにFWの力量差はあった。ゴール前で何度かスクラムでの組み直しが続いた。負けていると思われる側のプロップの肩は相手に潜られてやや浮いており押され気味。しかし、プロップ経験のある私から見れば、この姿勢から負けている側がスクラムを落とすことは至難の業のように思われた。勝っている側でもスクラムを落とす。スクラムではそんな駆け引きもある。(スクラムのなかでの駆け引きについては、松瀬学氏著「スクラム」(光文社新書)に詳しいので参照されたい)。スクラムが落ちるたびに、レフリーが尤もらしく「しっかりバインドして組み合え」と指示している。さらに負けている方のプロップを呼んで、諭している。諭されている側は、「何故?」「違います」、といったような戸惑いの表情。気の毒としかいいようがない。その後、落とした(と思われる)側は認定トライをもらっていた。おそらくレフリーはBK出身の方と思われるが、こんなジャッジはしばしば起きていると考えられる。

 審判にはレフリー以外にタッチジャッジが2名いる。タッチジャッジがレフリーの行き届かないところを助言することは実際には少ないようだ。しかしながら、タッチジャッジはもっとレフリーをアシストすべきではないか。レフリーに正当に意見できるのは唯一タッチジャッジであり、かつレフリーからみても信頼し採用できる参考意見はタッチジャッジからしかないのだから。