タクシー人生

東京のタクシー人生について語ります。よくある話です。

068

2016-09-22 18:54:15 | 日記
同乗研修の車はクラウンコンフォートだった。当時75台の「全社台数」の中で、まだ数台は
コンフォートだった。(2016年9月現在 全車Gパケ)

はじめてコンフォートを運転して、「これは業務用の車だな」と感じた。ハンドルやレバー、
シートしても、「乗用車」というより「機材車」に近い感覚だ。柔らかいところがない、と
言うか、とにかく「硬い」「機械」というイメージ。車とは当然にして、機械なのだが、
たとえば、現在の乗用車は色々な部分が「柔らかく、優しい」イメージがある。これが
トラックなどの業務用車両はヘビーデューティな「硬くて頑丈」なイメージとなる。
クラウンコンフォートはこちらに近い。運転を終えると身体が痛かった。同乗研修中は
全時間を運転していたわけではない。三分の一は助手席だった。それでも身体が痛かった。

これで、21時間の乗務ができるのか、と思った。

その後、「新人の内はコンフォートで我慢してくれ」と言われ、何ヶ月かはその通り
コンフォートで、身体が痛かったが、(もっともその内に慣れたかもしれないが)
しばらくするとGパッケージになって、この車は一般乗用車に近かった。身体は痛く
ならなかった。

客として乗っていた頃は運転手の言う「Gパケとコンフォートは全然違う」がわからなかったが
運転する身になって、よくわかった。Gパケの方が全然疲れない。


2014年4月20日に社内研修の最終課程「たった一日の同乗研修」が終わり、新人研修としては
加盟する無線グループの研修(2日間)を受講して 完全終了となるのだが、どういうわけか
無線グループの研修の前に、実際にデビューしてしまう。

4月23日(水)、4月26日(土)の実乗務を経て、無線グループの研修は4/28、4/30に行われた。

ややこしいので、無線グループの研修の記録を先に書いておく。

067

2016-09-12 15:15:16 | 日記
単独運転研修もどこを走ったか記憶がない。十数組のお客様を乗せたように思う。
最後のお客は山手通り中目黒方向に富ヶ谷の交差点を過ぎたところ、中年カップルが
歩道上でキスをしていた。手が挙がり、女性だけが乗ってくる。「本日のさよならキッス」
だったわけだ。行き先は「南品川3丁目」

「南品川3丁目」、、まったくわからない。わかりませんと言うと、このまま山手通りを
ずっと走って、第一京浜を右折すればいいと言われる。

「南品川3丁目」の交差点はこれで覚えたが、行き先については、それが住所だったり
交差点だったり、駅名だったりする。だから行き先を言われたら、確認することが
重要だ。「二重橋前」と言われ、交差点を連想してしまい、あんなところで降車か、
と思ったら駅名だった、ということもあった。

それにしても、品川という住所は東西南北すべてあり、特に北品川など細い道ばかり
でとても覚えきれない。ついでに言えば、「青山1丁目」の駅名、交差点、「青山2丁目」の
交差点はあるが、「青山〇丁目」という住所はない。北青山か南青山になる。

青山1丁目、2丁目ときて3丁目は「南青山3丁目」である。「青山3丁目」という交差点はない。
ないが、「青山3丁目の信号」などと言われる。複雑だ。ちなみに「南青山3丁目」と言えば
長年「ベルコモンズ」がランドマークだったが、2016年現在、ベルコモンズは取り壊されて
いる。このように、ランドマーク的建物もどんどん変わっていく。本当に東京の街はむずかしい。
なくなってしまったランドマークをそのまま言われることも多い。「銀座日航ホテル」は
いまだによく言われる。「青山ベルコモンズ」も言われ続けるランドマークになるのだろうか。
ベルコモンズ近辺だと、「エイベックスのビル」「月星シューズ」など、移転してしまった
ランドマークがよく言われる。


南品川3丁目での支払いはカード払いだった。初めてのカード払い処理でかなり戸惑った。

なんとか営業所に帰り着き、班長のチェックを受ける。「1万円以上やってきた。上出来」と
褒められた。

その後、納金や日報の書き方、提出を教えてもらい、最後に洗車も一通り習う。

班長は、「自分で洗車をしない人」なので、普通は1000円で社内の「洗車屋」さんに頼む
のだそうだ。「洗車屋」さんは、実際は会社とは関係なく、厳密に言えば「個人的にやっている」
のであるが、多くの人が洗車屋で洗車を頼んでいるようだった。

もちろん自分で洗車をする乗務員もいて、社内には有料(100円)の洗車機もあり、それを
利用して洗車をしている。

多くのことを教わった実車研修だったが、終わってみればあっという間に過ぎた。