タクシー人生

東京のタクシー人生について語ります。よくある話です。

057

2016-06-30 18:09:58 | 日記
自動車事故対策機構(NASVA)は いろいろなことをやっているようだが 
もともとが「自動車事故対策センター」であり、「事故を守る、防ぐ、(被害者などを)支える」が
基本柱らしい。

タクシー乗務員になる者の「適性診断」も「事故を防ぐ」ためのひとつの策というわけだ。

運転管理者の講習や事故被害者の支援などが、どのような活動をしているかは知らないが、
この「適性診断」は個人的には「まったく意味のないもの」に感じられた。

「適正診断」の結果、「適性がないから不合格」にはならない。一般的な自動車免許が取れる
健常人ならば、全員合格である。(適性、不適性というようなものでもない)約半日かけて、
「適性検査」を行い、レポートのようなものをもらい、最後はなぜか、白衣を着た「研究員」
みたいな人がでてきて、一般的などうでもいい話をする。実に無駄な時間だった。
特に白衣を着た「研究員」みたいな人は、上から目線というか、不遜な態度に感じた。

東京は錦糸町にある。施設は全国にある。お金がかかっている、と感じる。
税金がふんだんに投入されている。

国土交通省の役人などが、天下っているのだろうな、と 東京タクシーセンターの時に感じた
イヤーな気分になった。


タクシー乗務員になる者の僻みだろうか。


静岡県浜松市のタクシー事情2

2016-06-23 09:38:04 | 日記
浜松市のタクシーはほぼすべてが「色タクシー」で黒タクはない。

個人タクシーは小豆色というか、ワインレッド色。遠タクはブルー系の色で
他の会社も昔から同じようなカラーリングである。ほとんど見かけないが、
ハイヤーは黒である。
「ハイヤーは黒、タクシーは色」という分け方。東京も以前はそうだった。

東京で派手な色のタクシーで乗務し、日々、黒タクにお客様を取られて
いる私としては、この「黒タクなし世界」が羨ましく感じる。ここでは
「タクシーは黒でなきゃイヤ」という人はいない。黒タクがないのだから
仕方がない。黒タクがなければ、色タクに人々は乗るのだ。

昔、ハイヤーには「高級感」があった。現在でもハイヤーは基本「時間契約」で
あり、「その場契約」のタクシーとは違う。黒い車で、行灯もメーターもなく、
運転席の防護板もなく、車内広告もない、「高級イメージ」はあることはある。
だが、タクシーの黒タクも違うのは行灯とドアの社名表示位で、あまり変らなく
なってしまった。

浜松滞在中に一度タクシーに乗った。繁華街で友人と酒を飲み、バスも終わって
しまったので、利用した。

着け待ちをしていた、遠タクではない会社のタクシーに乗った。

乗務員さんに勤務体系を聞いてみた。勤務は午後5時から翌2時までの9時間の
「夜勤」で週6日勤務1日休みだそうだ。「日勤」「夜勤」で1日の乗務が13時間の
勤務体系もあって、その場合は4日勤務2日休みとのことだった。

東京の「隔日勤務」のような勤務スタイルは「遠タクさんでもやってないのでは
ないか」とのことだった。

13時間の勤務で「4勤2休」は、魅力的だ。月約20日勤務10日休み。
現在の私の会社の日勤夜勤は13時間で「6勤1休」。それだけ稼げるわけだが、
「4勤2休」くらいでちょうどいいかな、と思う。

乗務員さんは「仕事はほとんど繁華街で着け待ち、お客様をお届けして
空車で繁華街に戻る時は流すけど、そこで手が挙がることはまずなくて、
そのまま繁華街に戻りますね」とのことだった。

やはり、着け待ちメインなのだな、と思ったが、いつだったか遠タクに乗った時に
同じ質問をしたら、「私はわりと流してます。駅の乗り場も入れる日は決まっているし、
流したほうがいいから流してますね」と言った乗務員もいた。

料金は1800円くらいだった。2割増しの時間帯で東京の距離感覚からいうと
2000円は確実に越えてしまう距離だったが、やはり小型は安い。



静岡県浜松市のタクシー事情1

2016-06-20 17:53:51 | 日記
私は静岡県浜松市の出身で年に4回程度は帰省する。実家は父はすでに他界し
母がひとりで暮らしていたが、数年前から認知症になって、現在はグループ
ホームで暮らしている。グループホームに入所するまでは遠距離介護で月に
1~2回は帰省していた。現在は3~4ヶ月に1度グループホームに見舞いに行く
程度になっている。

浜松のタクシーについては、しっかり調べたわけではないので、確かな情報
ではないが、遠州鉄道のタクシー(遠タク)が最大手でその他いくつかのタクシー
会社がある。料金は1.5Kmまでが690円、その後301m毎に80円(時間距離併用)
である。深夜割り増しは22時から5時まで。迎車料金は130円。(2016年現在)

東京と比較して、安いと感じる。

車はほとんどがトヨタのコンフォート。一部プリウスや他車種もあるが、ほとんど
コンフォート。

車の知識が豊富でない私は、「コンフォート」と聞けば、「クラウンコンフォート」
と思っていたが、調べたら、トヨタには「コンフォート」という車種と「クラウン
コンフォート」という二種類の「コンフォート」があった。

後ろから見れば、テールランプの形といい、どちらも見分けがつかないが、全体を
見ると、やや「コンフォート」の方が小さいと感じる。

トヨタのサイトで確認すれば、「コンフォート」は「クラウンコンフォート」より
全長が10センチ程短い。(全高、全幅は同じ)車内空間もタテが10センチほど違う。
よく見れば、「コンフォート」の前部にはクラウンのエンブレムがなく、若干デザインも
違う。

ちなみに東京のタクシーのコンフォートはほぼすべてが「クラウンコンフォート」で
あると思う。(ごく一部「低料金タクシー」の会社が「コンフォート」を採用している)

また、浜松のタクシーは「小型」である。乗ってみると、横幅高さは同じなのに、
(東京のタクシーに比べて狭いな)と感じる。タテが短いだけで、そう感じてしまう。

その昔、東京にも「小型」のタクシーが走っていた。(現在は中型しか見かけない)
駅の乗り場には「小型乗り場」「中型乗り場」があった。その名残が新宿西口乗り場や
新橋東口乗り場に見ることができる。(ほぼ同じ場所にふたつの乗り場がある)

「小型」と「中型」の違いは車の大きさだけではなく、乗員定数にも違いがあった。

「小型」は現在と同じ5人(運転者含む)だが、「中型」は6人だった。
前の座席に3人乗れた。運転手はシフトレバーがハンドルと一体のコラムシフトで
あり、座席は後部のようなベンチシートだった。運転手の隣に2人乗れたのである。

セドリックが現在でもシフトレバーがコラムなのはこの名残か。

その後、シフトレバーが真ん中になって、前の座席に3人座れないようになり、「中型」
も5人となって、どちらかに偏るようになったのではないか、と思う。

東京では中型がメインとなり、浜松では小型がメインとなっている。ちなみに浜松では
まだ一部に中型も走っている。おそらく、都会ではない地域のほとんどが小型メイン
なのではないだろうか。


056

2016-06-13 08:28:41 | 日記
Bさんとは住んでいるところも近く、運転免許センターも同じだったので、
これも知り合ったご縁と待ち合わせをして学科試験を受けた。

自動車学校でまじめに勉強をしたため、ふたりとも合格。深視力検査は
心配だったが、勘でなんとか合格した。視力検査も裸眼でなんとか合格。
晴れて二種免許を取得した。

Bさんはこのあと、地理試験のための講習を数日外部で受けるという。東京在住の
人なのに、地理試験の講習をうけさせてくれるBさんの会社はいいところ
だなと思った。毎度比較して悪いが、私の会社は沖縄出身のAさんにしても
完全な独学で勉強させる。大手の中では社内で講習するところもあると聞く。
いつだったか、所長に「地方出身者は地理試験が大変だから、外部講習を
受けさせた方がいいのでは」と聞いてみたことがある。所長は「お金がかかるから
できないよ」との答えだった。

ちなみに私の会社では地理試験の費用は2回まで会社負担、3回以降は自己負担に
なる、と聞いた。

この後はタクシーセンターで運転者登録をするのだが、その前に「自動車事故
対策機構」ということころで、適正診断というものを受けなければならなかった。

メガネを買った。

サングラス以外のメガネを買ったことはなく、メガネの知識もまるでない。
JINSとかZOFFとかの安くてしゃれたメガネメーカーが最近はあることはCMなどで
知っていたが、相場がどうとか、メガネの良し悪しもよくわからない。近くの
イトーヨーカ堂に入っている、無名のメガネ屋で店員に言われるまま、一番安い
何の変哲もない黒色のハーフフレームのメガネを買った。

かけてみると、遠くがよく見えた。だが、メガネをかけて車の運転をしたことは
もちろんなく、はじめてのメガネ、はじめての長時間運転に問題はないのかな
とちょっと不安になった。

「自動車事故対策機構」とはどういうところなのだろうか。




055

2016-06-08 15:14:44 | 日記
Dさんは明るく話好きな人で、ずいぶんと話をした。Dさんの会社は寮もかなり
広いらしい。ちなみに私の会社の寮はAさんによれば、「ベットひとつ置けるだけの
スペース」らしく、「前の人のタバコのヤニで部屋中が黄色になっていて、目に
沁みるくらい」らしい。

Dさんは会社選びにしてもずいぶんと各社比較検討して決めたらしい。「家から近い」
で決めてはいないのである。(寮生活なので、もともと「家から近い」は、ないが)

同日入学のBさんは私と同様「家から近い」で決めていた。Bさんは仕事でもプライベートでも
よく車を運転しているらしかった。「タクシーじゃなくて、風俗嬢を送り迎えするドライバー
でもいいかと思ったんだけど、あんまり稼げそうでもないのでタクシーにした」らしい。

暇だったので、散歩がてらコンビニにも行ってみた。遠いとのことだったが、歩いたら
15分くらいで行けた。往復30分、遠いと言えば遠いが、歩いていけない距離ではない。

合宿中の私の不安といえば「深視力検査」だった。

学校のカウンターにも深視力検査機があり、やってみたが、やっぱりよくできなかった。
Bさんは老眼だったが、メガネをして見ると3本の棒が4本に見えたりして、戸惑っていた。

私はBさんの老眼鏡を借りてかけてみると、とてもはっきり見えて、自分は老眼かな、
だからよく見えないのか、と思ったりした。自分が近視か老眼なのかもよくわからないの
だった。

卒業したらまずメガネを買わなければ、と思った。

学校の卒業試験は3人とも、当然にして合格で、晴れて卒業となった。

2014年4月15日、Bさんと新幹線の中でビールを飲みながら東京へ戻る。

翌4月16日は運転免許センターで学科試験の受験と、深視力の検査である。




054

2016-06-08 14:45:10 | 日記
普通免許取得のため合宿している「おバカでうるさい若者」たちは連日大騒ぎを
していた。私達の部屋はちょっと離れた場所にあったが、それでもどんちゃん騒ぎの
声は聞こえていた。

2日目か3日目か、そのどんちゃん騒ぎでものすごい大きな音、何かが割れる音が
して、しばらくしたら救急車がやってきた。深夜だったし、関わり合いになりたくない
ので、部屋を出ないでいたが、トイレに立った時、事態を知った。

騒いでいたひとりが建物のガラスサッシに体当たりし、ガラスの破片でケガをした
とのことだった。サッシは完全に割れて粉々になっており、あたりは血だらけだった。
中でもどちらかの足の親指は切断されるくらいに深く切れたそうである。
当然にして救急車の出番となった。

救急車で運ばれた本人は「退学処分」となった。その場でいっしょに騒いでいた友人達が
どうなったかはわからない。

寮長も「この仕事をしていて、こんなことは初めてだ」と嘆息していた。寮長も責任を
問われただろう。

こんな事件があり、少しは静かになるかと思ったが、思ったほど、若者達は静かには
ならなかった。

4日を過ぎると、入れ替わりで新しい土曜日入所組みがやってきた。この人たちを
DさんとEさんとする。

Dさんは東京で四社のグループ会社、Eさんは四社の本体だった。

Dさんは地方の会社の営業職で、自動車で東京に営業にずっと来ていたとのことだった。
なので、ある程度東京の地理はわかるとのことだった。特に高速は得意で、首都高も
だいたいわかると言っていた。会社がリストラで事業を縮小するので退職し、この
業界に入ったそうだ。四社系列に決めたのは「売り上げができるから」である。

Eさんはまだ若いが、よい就職口もなくとりあえずタクシーをやってみる、という感じの人
だった。

ちなみに、私と同時に入所したBさんもDさんもEさんも、まだタクシーセンターの受講を
していなかった。「先に二種免許を取ってからセンター講習」の流れだった。

したがって、地理試験をまだ受けてなく、地理試験を修了している私はずいぶんと
地理試験について質問を受けた。Cさんは埼玉県なので、地理試験はない。





053

2016-06-08 14:20:47 | 日記
自動車学校では、学科が20時限、実技が18時限あり、卒業検定を受けて
「卒業」となる。よほどの事がなり限り、ほぼ全員が規定時限で卒業する。
実技については、はじめの頃、とても狭い道でUターンさせられたり、自信を
失うような指導があったりしたが、それは、土曜日入所組みの方に言わせれば
「あれは、単にいやがらせ」らしく、検定試験とはまったく関係なかった。

学科も、中には講師の雑談で終わってしまうような時もあった。実技は
もともと1種免許を持ち、運転経験があるのだから、新しく覚えることは
なにもないのである。むしろ、学校では免許センターで受験する学科試験を
一発で合格するように、想定試験問題を朝とか夜とか時間がある時に勉強
するように、と指導された。

学科試験の合格率を上げることが重要なのだった。と、いっても運転免許の
学科試験は少し勉強すれば、ほぼ合格できるレベルであり、暇な合宿期間中に
まじめに勉強したら、だいたい合格点を取れるようになった。

朝、昼、晩と学校内にある食堂で、あまり美味ではない食事を取った。
夕食はたしか、17時30分くらいで、そこから寝るまでに膨大な時間があった。

酒がない生活が不安だったが、なんとか6泊を過ごす事ができた。朝は早くに
目が覚め、学校内のコースをひとりランニングしたりした。4月の福島はまだ
雪が残っていた。酒も飲まず、真面目に勉強し、ランニングをしている。
修行僧のような日々である。

2日目か3日目かにちょっとした事件があった。