誠運の日常

里の仙人(雑踏の中で悟りを開く人)になりたい誠運の口説きや仕事ぶりと自然の営みなどを見て下さい。

六華舞う

2016年01月24日 19時40分22秒 | 日記
近くに小川越えと言う峠があります。その山の峰から雪風が吹き下ろしてきます。所謂、地獄の余り風というやつです。風の無い静かな時の雪は良い俳句の題材になります。
昔、奈良に行った時に丁度この雪でした。古い土塀の瓦に静かに舞い落ちてきました。中々、詩的な感じがしました。
一般的な人は暖冬の方が良いですが、雪も降らないとスキー場や除雪業者さん達の仕事が無くなります。何でもそうですが、この世の事は平均勘定が出来ています。
株式なども売り買いが揃わないと成立しないし、支払えば受け取る方とプラスマイナス0になります。悪いことをすれば悪いことが返ってきます。良い種を播けば良い実りが返ってきます。
子供の頃、風の無い雪の日には口を大きく開けて空に向け雪を口の中に入れたものです。牡丹雪などは特に捕まえやすかった記憶があります。
もう60年も前の事です。

電子レンジ

2016年01月05日 19時56分15秒 | 日記
我が家の電子レンジは女房と一緒に嫁いできました。当時は電波監理局に届けないと使えない代物でした。日立製ですが今も現役です。
今のレンジと違い大きくて重いしっかりした物です。当時は値段も18万円くらいしました。今から45年前です。錆びもせず故障もせず
元気で動いています。

年の始めに思うこと

2016年01月05日 19時37分25秒 | 日記
明けましてお目出度うございます。良寛さんの歌に(門松や冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし)上手く歌っておられます。高齢になると本当にそう思われてきます。
でも、親神様は定命115歳と定め付けたい。後は心次第に何時までも病まず弱らず。と言われています。細胞学的にも120歳までは生きられるそうです。
さて、この心次第とはどのような事かと考えました。思いつくことはやはり綺麗な心、優しい心、欲気のない心、自然の理に沿い切った心、等が思いつきました。
中々出来そうに無い心の持ち方です。でも時々晴れやかな心になる時が有ります。それは人様のお役に立てた時ではないでしょうか。こんな心の時にふと自然の風景を見ると
何時もと違ったように見えるときがあります。受ける感動も違いますし、有り難いなと思えるような気がします。この様な心が神意に沿った心では無いかと思います。
人類がこんな気持ちになった時に親神様の決められた定命まで生きられるのかも知れません。地球の我慢にも限度が有る様な気がした年の始めです。