夢みるアンドロイド

アンドロイドは電気羊の夢をみるか?
膨大な情報を蓄積し相互にリンクするインターネットはやがて知性を持つかもしれない。

Googleの方法論

2012年05月12日 08時39分43秒 | Weblog
Googleという会社の屋台骨は検索サービスだ。その検索のメインは言葉による検索。現在の主流は単語をひとつ、もしくは複数入力しての検索だろう。

インターネットの検索サービスという領域において、Googleは高いシェアを持っている。他国との比較において、日本でのシェアの高さは突出している。Yahoo!というこれまた突出したアクセスを持つポータルのバックグランドでその検索エンジンをGoogleが提供しているという特殊な事情が極めて高いシェアの理由のひとつだろう。

だが、日本語という言語による検索においてGoogleが優秀なパフォーマンスを発揮しているということも理由のひとつかもしれないと思う。日本語の処理においてGoogleのアプローチが適合性が高いのかもしれない。たんなるあて推量だが。日本語という言語は他の言語と比較して特殊であるという仮設に基づいての話しである。

しかしその言語による検索サービスで高いシェアを誇るGoogleのサービスは言葉の意味を理解していない。その検索は意味の理解或いは解釈に基づくものではない。リンクやクリック等のデータの統計処理という機械的な方法論に基づく。

そのデータ処理のためには、言葉がどこまでひとつのカタマリ(単位/ユニット)なのか、それを区別するための文節ごとに文章を区切る形態素解析というような言葉を分析する技術を必要とする。

Googleは技術的な面では突き抜ける会社だ。

検索というサービスの使い勝手、ユーザビリティを向上させるため、そしてユーザの求めるものを言い当てるという検索精度を高めるために、おそらくGoogleは自然文検索にも力を入れているはずだ。文章による検索。しかしそこでも、「意味の理解」は蚊帳の外。それはGoogleの求めるゴールではないのだろう。

言語の研究という領域において、それは人間を理解するという方向ではなく、Googleはあくまでもコンピュータの世界を指向する。言葉はあくまでもデータの素材。それが言葉に対するアプローチ。

それは恐らく暫定解なのだろう。今は、そうしたアプローチでサービスを提供することが経済合理性があるということだ。

逆にいうと、Googleをもってしても、「人間を理解する」というアプローチでは商用に足りるようなサービスは提供できないということ。人間の理解は難しいということの裏返しなのだ。

それはGoogleの翻訳サービスが未だに実用的でないことからも想像できることだ。

Googleのコンピュータ力をもってしても難しいのだそれは。けれどもそれは、今後のコンピュータ技術の進化によって、人間の理解が飛躍的に進化する可能性があるということでもある。

人間という存在は、深い。




下記のブログを読んで考えたことである。

Google 辞めました ~アスペ日記




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1 コメント

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ベイズ推計 (通りすがりですいません)
2012-05-13 10:11:06
不躾ながら、ご存知かとは思いますが、ベイズ推計とゲーム理論で「外見の」人間は統計的に処理できるということでは?個人の「内面」のことを述べられいるのだとは思いますが。
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