バニャーニャ物語

 日々虫目で歩く鈴木海花がときどき遊びに行く、風変わりな生きものの国バニャーニャのものがたり。

バニャーニャ物語 その16 「カルロッタ、海に還る」

2012-05-15 15:01:57 | ものがたり


                   
               「バニャーニャ物語 その16 カルロッタ、海に還る





作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 




         




 オレンジ色の長ぐつに同じ色の傘をさしたカイサは、
雨のなかを、丘の上の石舞台に向かう山道を歩いていました。
道は草深く、雨が長ぐつの中にまで入ってきます。
道の両側の雑木林の木々は、たっぷりと葉をしげらせて、
あたりは緑と雨の匂いでいっぱいでした。




 夏がやってきたかと思えたバニャーニャですが、
シンカのようすがおかしくなった翌日は、
冷たい雨が降り出しました。
 空気は水気を含んで重く、肌寒いくらい。

 シンカのようすを見に行ってくる、というモーデカイと丘のふもとで別れたカイサは
 風邪をひいて元気がない、というバショーに、
きのうの晩つくった野菜スープをいれたいれものをピンク色の手提げにいれて、
届けに行くところです。

 
 白い花崗岩でできた石舞台にある、一本の大きなブナの古木。
バショーはもうずっと昔から、この大きなブナの樹を住処にしてきました。
この樹の根元あたりからは、斜面に沿って石の段々があり、
さらにその下に半円の形をした石の舞台があります。
舞台の後ろは絶壁。
その向こうには紺碧の海原が広がっています。

 「バショー、どこにいるの?おーい、野菜スープもってきたよー」
ブナの枝の下に入って傘をつぼめながら、カイサが大きな声でいいました。

「ふおーい、コホコホ・・・・・・」とバショーが口ごもりながら、
みっしりと葉の繁った枝の陰から顔をのぞかせました。
バショーは今ちょうど、おいしい青虫をほおばったところだったのです。
なので、口のなかのものをあわてて飲みこんでから、
カイサのいる樹の根元の方へ降りてきました。

 バショーは青虫やコガネムシなんかが好物でしたが、
虫が大好きなカイサの目の前では
遠慮して食べないようにしています。
もちろんカイサも、バショーが、虫が好物なのは知っています。
でもバショーの心遣いはうれしいといつも心の中で思っています。

 カイサは、まだちょっと目を白黒させているバショーのようすに、笑いをかみ殺しながら、
手提げから出した野菜のスープを、バショーに差し出しました。
「風邪ひいちゃったってきいたから、
きっとビタミン不足じゃないかと思ってさ」

 バショーはそのスープをありがたくもらいました。
青虫ほどは美味しくなかったけれど、
誰かがこうやって自分のことを気にかけてくれているなんて、
うれしいものです。
「あー、おかげで生き返ったようじゃ。
雨のなかを登ってきてくれて、ありがとう!」
とバショーはカイサにいいました。

 「ここ、雨にぬれなくていいね」
カイサが空になったビニールの手提げを、
樹の下に敷いて座りながらいいました。
「そうじゃよ、樹っていうのは、ありがたいもんじゃよ」
ふたりはしばし、誰もいない石舞台や、
その向こうに、白くくだける波が泡立っている海を見下ろしていました。

 「こんな日は、このロウィーナの石舞台で『テンペスト』が上演されたのを思い出すんじゃ、コホコホ」
とやがてバショーが、遠くをみるような目をしてつぶやきました。
「『テンペスト』って、嵐っていう意味だっけ?」とカイサ。
「ああ、シェークスピアじゃよ」
シェークスピア?
カイサの知らない名前でした。

 「『テンペスト』は偉大なる劇作家シェークスピアの傑作のひとつじゃ」
「ああ、お芝居の名前なのか。それがこの石舞台で演じられたの?」
「気が遠くなるほど昔のことじゃが」
カイサは今ではあちこちがくずれた石舞台に衣装をつけた俳優たちが立ち
苔の生えた石段に観客たちが座っている光景を思い浮かべようとしましたが
あんまりうまくいきませんでした。

 「バショー、さっき<ロウィーナの石舞台>っていったけど、
ロウィーナって、なんのこと?」
「ロウィーナちゅうのは、この石舞台のある野外劇場を
ひとりでつくりあげた女の人の名前じゃよ」
バショーがいいました。
「えっ、女の人が!ひとりでここをつくったの?!」
カイサはあまりの意外さにびっくりして息が止まりそうになりました。

 「ロウィーナは劇作家のひとり娘でな。
20歳の時、この断崖に劇場をつくる、と決心したんじゃ。
ロウィーナは憑かれたように来る日も来る日も
花崗岩のガケをひとりで切り出し、
手押し車で石を運び、
ドリルで石の板を彫って・・・・
完成までに60年かかった」
カイサは驚きに目を見開いたまま、
バショーの話にききいりました。

 「ついに劇場が完成すると、
バニャーニャのものたちは、自分たちだけでここをつかうのはもったいないと、
国境の街や海の向こうからも俳優やお客さんを呼ぼうと計画してな。
ロウィーナはもちろん大喜びで、みんなで準備をすすめて。
そのころはまだ国境の街への森にナメナメクジはいなかったんじゃ。
だから大陸からけっこうたくさんの人が
バニャーニャにやってきたものじゃ」。
カイサは、ロウィーナという女の人に思いをはせました。
その狂気ともいえる決心の固さと執念を思うと、
彼女が運んだ石の重さまでが手に感じられるようでした。

 「この石舞台にそんな話があったなんて、知らなかったなあ・・・・・・。
ところでねバショー、きのうからシンカも具合がわるいんだよ」
カイサが顔をくもらせていいました。
「ほう、シンカが風邪をひくなんて、めずらしいな」
バショーがいいました。

 「ううん、風邪じゃなくて。
なんでも、海のなかでカルロッタっていうのに会ってから、
まるでたましいを抜かれたみたいにフニャってなっちゃったの」
カイサがそう口にしたとたん、
バショーは目をかっと見開き、
くちばしをわなわなと震わせながら叫びました。

 「なんじゃとっ! カ、カルロッタじゃと・・・・・
なんで、それを早くいわんのじゃ。
カルロッタという名を、
またきくことになるとは・・・・・・・」

 「バショー、カルロッタって、いったい誰なの?」
「カルロッタっていうのは、
そうさな、
わしらの力ではいかんともしがたい、
自然の力みたいなもので、
シンカが見たときはたぶん、ギル族の姿をしていたかもしれん。
カルロッタは、さまざまに姿をかえるんじゃ」

 「バショー、なんとかシンカをもとにもどす方法はないのかな?」
カイサが必死の顔つきで尋ねました。
「ふむ・・・・・・・
あれをふたたび取り出さねば掘りださねばならぬ時が来たのかもしれん。
しかし、こんどもうまくいくとは限らんが・・・・・・」
「ねえ、おしえて!うまくいくかどうかはわからなくても、
とにかくやれることをやってみようよ」。

「よし!わしはひとっぱしり、みんなを集めてこよう。
話のつづきは、それからだ」
バショーはそういうと、
風邪なんかふっとんだように、
ばっさばっさと翼をはためかせて
丘のふもと目指して飛んで行きました。

 ジロ、フェイ、コルネ、
そして手につるはしを持って石舞台に集まってきたモーデカイたちに、
カイサはさっきバショーからきいた話をしました。
「ひぇーっ、ここってそんな昔につくられたんだねえ」フェイがいいました。
「女の人がひとりでつくったなんて!」とジロ。
「ロエナってのは、スゲエな」とコルネ。

「もう、わしの他には誰も知らない、ずいぶんと昔のことじゃ。
 カルロッタは、そのころのバニャーニャにも現れたんじゃよ。

 劇場ができて、しばらくたったころのことじゃった。
今のシンカと全く同じような、ようすのおかしいものが
バニャーニャにどんどん増えていった。
まるで自分を失ったように、目はうつろ、
気を付けていないと食べることさえ忘れてしまうので、
どんどん体が弱っていったものもあった。
そして、かれらが口にしたのが、カルロッタという名前じゃった。

 そんな半島のみんなのようすに心を痛めたロエナは、
毎日この石舞台から海をみつめて、考えこんでおった。
そして生涯でただひとつの脚本を書いたんじゃ。
国境の街の向こうから有名な俳優たちを集めて、
その芝居―『カルロッタ、海に還る』が、この石舞台で上演されたんじゃよ」


みんなは、息をつめてバショーの話に聞き入りました。
「それで・・・・・・どうなったの?」
フェイが先をうながしました。
 「俳優が最後のセリフを言い終った時じゃった。
海に不思議な青緑色の光があらわれ、
魂を失っていたものたちは、みんな目が覚めたように、
自分をとりもどした。
妙なことに、国境の街との境にある森に、
大量のナメナメクジが姿をあらわしたのも、そのころだった。
いらい、カルロッタの名前をきくことは久しくなかったのだが」。

 「それじゃあ、その芝居ってのをまたここでやれば、
シンカの魂がもどるかもしれないってことか」
コルネがつぶやきました。

「モーデカイ、舞台の真ん中の、この四角な石を、
つるはしで持ち上げてみてくれんか」
バショーがいいました。

モーデカイがつるはしで、ぶ厚い石の板をもちあげると、
その下から、鉛を貼った大きな箱があらわれました。
「ここにはロエナの書いた芝居の脚本と、
あのときに使った衣装がおさめられておる。
二度と使わないですむように、という祈りを込めて」。

「はあー、これはまたすっげえ豪華な衣装じゃないか」コルネがいいました。
「これが脚本だな」とジロ。
「でもさあ・・・・・・これを着てセリフをいう俳優がいないじゃない」とフェイ。
「今度は、バニャーニャのみんなが演じればいいんじゃ!」
バショーが力強くいいました。

 ジロが脚本をひらいて、みんなに読んできかせました―
それは・・・・・・
あるときのこと。
どうしたわけか、にわかに海のあちこちで凶暴化した生き物たちが増え、
手を焼いた竜王は、海の精カルロッタに、かれらを鎮めるように頼む。
竜王はほうびとして、海の財宝をカルロッタに贈る約束をするが、
海が鎮まっても、王は約束をたがえ、カルロッタを追放してしまう。
ひどく失望したカルロッタは、
ひとり海の深淵に消えていく・・・・・
という話でした。

「カルロッタはきっと、すべてのことに失望して、
その深い悲しみが、
みんなの魂をうばうことになったんじゃない?」
カイサが考え深げにいいました。

さて、お芝居をするには、まず役柄を決めなければなりません。
舞台監督は、かつて上演されたのを観ているバショーがつとめることになりました。
竜王は文句なく体の大きいモーデカイの役。
カイサがカルロッタ、
暴れん坊のサメはコルネ。
サメの家来のミズダコがフェイ。

「ぼく、やだなあ、タコってくねくねするんでしょう?
かっこ悪いよ」とフェイは文句をいいました。
「じゃあ、ぼくのウツボと代わる?」とジロ。
「ひゃー、この衣装のウツボの顔、こわすぎるよ。
しょうがない、タコでいいか・・・・・・」
フェイはしぶしぶミズダコの役を引き受けました。
 そして、乱暴者たちに苦しめられる小さな魚たちの役は
アザミさんやウル、ティキさんたちに頼むことになりました。

「シンカにも何かやってもらえないかな」、
さっきから、みんなから離れてぼーっとしているシンカをみて
カイサがいいました。
「このクラゲっちゅうのは、
セリフがないから、今のシンカでもできるんじゃないか?」
コルネがいいました。

「さあ、そうと決まったら、稽古じゃ、稽古じゃ」
バショーが舞台監督らしく、パンパンと手をたたいていいました。



 セリフを覚えたり、
通し稽古をやったりで、大忙しの一週間が過ぎました。
「本職の俳優たちのようにはいかんが、
シンカの他にも、ようすのおかしなものたちがバニャーニャに増えてきているそうじゃ。
もう一刻も猶予はできん。
上演は、あすの夜じゃ!」バショーが宣言しました。


 暑い夏の一日が終わり、
太陽が沈むころ、
石舞台に、バニャーニャじゅうのものたちが
ぞくぞくと集まってきました。
石を彫ってつくられた階段状の客席はまたたくまに満員になり、
座れないものは、そのまわりに立って観ることになりました。


 石舞台の左右には、大きな松明がたかれ、
刻々と夕闇に包まれていく石舞台を幻想的に見せています。
海が強く香り、
舞台の後ろのガケに打ち寄せる波の音が、
観客をいっきに、異世界に誘いこみます。

 ドラが鳴り、お芝居がはじまりました。
サメやミズダコやウツボなどが、
小さい魚たちを追い回して、大立ち回りを演じます。
タコ役をいやがっていたフェイですが、
舞台に立つと、体をくねらせて観客の大喝采を浴び、
すっかりタコになりきっています。



 モーデカイの竜王は、
「そなた、勇敢なる海の精カルロッタよ、
海の狼藉ものをこらしめてくれんか。
されば、ほうびをとらせようぞ」
というむずかしいセリフを言うときに
ちょっと声がかすれましたが、
なんとか間違わずに言い終えることができました。

 銀色の顔に、青と緑の目玉をつけたカイサ扮するカルロッタの
不気味で神秘的な雰囲気に
観客たちは息をのみました。



 カルロッタが、みごと乱暴者たちをやっつける場面では
みんなから拍手がおこりました。
そして、海の財宝をほうびにあげる約束を破った竜王には、
みんなから非難の声があがりました。

 絶望したカルロッタが、
海にひとりさびしく消えていく最後の場面。
カイサが舞台の後ろの崖にさっと消えると、
みんなから「あっー!」という驚きの声があがりました。
舞台後ろの崖には、足をかける仕掛けがあるので、
もちろん、カイサはほんとうに海に落ちることはありませんでしたけれど。

 カイサの演じるカルロッタの姿が、
ガケの向こうに消えると同時に、
出演者全員が声をかぎりに、歌います。
『おお、カルロッタ
その瞳は青く、
その瞳は緑
千尋の海にすまう
海の精よ
孤立無援のたましいよ』

 すると・・・・・、
「あ、あれを見ろ!」
「海が、海が!」
観客が立ち上がって、舞台の後ろの海を指さしながら、
口々に声をあげはじめました。

 その様子に、演じていたジロやモーデカイたちも、
びっくりして振り返りました。
海が一面、冷たい燐光を放つ青緑色の絹の布で覆われたようにゆらめいています。



 そのとき、
「あれ・・・ねえ、みんな何してるの?」という声がして、
ジロがそっちを見ると、
シンカが、頭にかぶっていたクラゲの衣装を手に持って不思議そうにながめながら、
目をぱちくりさせています。

 「シンカ!もとにもどったんだね!」
ジロがそう叫ぶと、たちまちみんながシンカを取り囲みました。
「やったぁー!シンカがもとにもどったぞ」フェイが叫びました。
その声に、ガケの後ろに姿をかくしていたカイサも
舞台に上がってきて、シンカに駆け寄りました。
「わあい、いつものシンカがもどってきた。よかった、よかった」
「えらく心配しちまったぜ」コルネもいいます。
「シンカ、何もおぼえていないのか?」モーデカイがききました。

 「うん、ぼくどうしちゃったの?
なんだかずうっと夢をみていたみたいでさ・・・・・
えーっと海底美術館に行ってから???」

 「よかったワイ、よかったワイ、こんどもまた
ロエナの芝居が、カルロッタを鎮めてくれたのじゃろう」
バショーが感激のあまり、
つばさで涙をぬぐいながらいいました。

 「あれ、海が青緑色に光ってる。
あれは海ホタルだな」
そういうシンカの目は、
すっかりいつもの博学なシンカの目でした。
青緑色のサテンをしきつめたように波打ちながら、
光は沖へ沖へと遠ざかっていきます。

 カイサが、シンカの肩に手を置いていいました。
「ううんシンカ、あれは海ホタルじゃなくて、
海に還って行く、カルロッタなんだよ」
 バニャーニャのものたちは、
はるか沖の地平線の向こうに
青緑色の光が消えて見えなくなるまで、
カルロッタを見送りました。

 みんなが帰ってしまったあとの石舞台では、
バショーがひとり、いつまでも海を見つめていました。









**************************************

 前回途中までだった、ベルギーの小さな谷の町―デルビュイでの
ちょっとこわかった体験のつづき。

 夕食をパスして、ひとり宿に残った私でしたが、
なんとしても今夜こそは家族に電話をかけたいと思い、
7時半になると、一階にある管理人室に向かいました。
国際電話をかけるには、管理人につないでもらわないといけないのです。

 さて、この宿。
その昔、デルビュイの貴族が、3人の娘と住んでいたという、
3階建ての、複雑な間取りの大きなお屋敷。
バスルームなどは、空色のタイルを敷き詰めて、
とても快適にリノベーションされていたのですが、
なにしろ屋敷自体は古いので、
歩くとあちこちで床がギシギシ。

3階の部屋を出ると、廊下は真の闇。
人が歩くのを感知して、黄色い小さい灯りがつくのですが、
それが遅いので、廊下に出てしばらくは、闇のなか。
(閉所恐怖症の私は、闇がかなり苦手。黒い空間が迫ってきて
押しつぶされるような気がする)

 なんとか1階まで降りて、管理人のいる部屋のドアについている、
恐ろしく武骨で重いノッカーをたたいてみました。
ところで、このドア。
西洋の時代劇に出てくるような代物で、
とにかく厚い硬い木でつくられていて、
前に立つと、取りつく島がない、という感じ。
なんどもノッカーをたたいたのに、誰も出てこない。
横着な管理人が居留守をつかっているのでしょうか。
ドアに耳をつけてみました。
ドアがあまりに厚いせいか、ひとの気配は感じられませんが、
かすかに、テレビのような音がする。
「いるくせに!まだ7時半なのに、どうして出てこないのよ!!!」
しかし、いくらノッカーをたたきつづけても、
ドアは開かれず。
なんだか、気持ちがすごく追い込まれてしまい、
さっきより胃の痛みも増して途方にくれましたが、
「ここは世界に名だたる美食の町。もしかしたら夕食時間には
管理人は何があってもドアを開けないことにしているのかもしれない。
もうすこし、あとで来てみよう」と
いったん部屋へ帰ることにしました。

 1階から2階へ上がった時、
階段の脇に、さらに数段の階段があり
そこに部屋があるみたいで、ドアが開いており、
灯りがもれていました。
灯りに誘われるように、私はその数段の階段をのぼりました。
部屋の入口には小さなテーブルが置かれていて
その上に、キャンディのカゴがあります。
そして、明るい部屋をそっとのぞいてみると・・・・・
向こう向きにイスに座った20人ほどの人がいっせいに振り向き、
こちらを見ました。

その顔の白かったこと!(白人だから?)
いちように無表情だったこと!
何かの会合の最中で、
邪魔したことを咎められるんじゃないか、と
私は急いで、自分の部屋にもどりました。

部屋で悶々としていると、なんだか胃だけでなく、
下痢もはじまったみたいです。
何度かバスルームに通い、
なんとか治まったところで、
もう一度、管理人のところへ向かいました。

ああ、家族の声がききたい!!!
一言でもいいから、家族とつながりたい。
気持ちは追い詰められるばかりです。

しかし、再度試みてみたものの、
厚いドアは、開きませんでした。
ドアの前で、もうひざが折れそう。
今夜もだめか―明日はまた移動だから
電話は無理そうだし・・・・・・ああ。

仕方なく部屋に向かう途中、
さっき灯りのもれていた部屋を見ると、
ドアは閉まり、あたりは暗闇に包まれていました。

部屋にもどると、外はまた雪が降り始めたようで、
窓のあたりが雪明りでほの明るく見えます。
ツインの部屋だったので、ベッドがふたつ。
私は壁側のベッドで横になろうとしました。
そのとき・・・・・・・・

隣のもう一台のベッドに
向こう向きに、誰かが座っている!
暗いシルエットなのに、
なぜかそれは女性だ、と感じました。

これは娘?
あまりの家族恋しさに、娘の幻をみているのでしょうか?
でも次の瞬間、私の心にはっきり浮かんできたのは、
コレは、私の打ちひしがれたさびしい気持ちにつけこんできた
ナニカだ、ということ。

 あの夜、どうやって眠ることができたのか、
覚えていません。
翌日他のスタッフにきくと、
『いのしし亭』のディナーが終わったのは
真夜中過ぎだったそうです。





 さて、石舞台の話をしましょう。
バニャーニャという世界を最初に思い描いたとき、
まず考えたのは、ここにロウィーナの石舞台をつくりたい、ということでした。

 バショーが語った石舞台の来歴は、ほとんど実話で、
バニャーニャの石舞台は、イギリスはコーンウォール半島の南西端にある
ランズ・エンド(世界の果て)から少し行ったところにある
ミナック劇場がモデルです。


(井村君江著『コーンウォール』より転載させていただきました)

 ミナック劇場は、花崗岩を掘りだして作られた野外劇場で、
今でも毎年5月から9月の4か月間オープンしています。
イギリスでもっとも独創的で美しい野外劇場と形容されるこの劇場ですが、
この劇場はとんでもなく重く深い来歴を秘めているのです。
 この劇場は、ロウィーナ・ケイド(1893年生まれ)
というひとりの女性によってつくられたのです。

バショーが語ったように、
ロウィーナ・ケイドは20歳のとき、ここに劇場をつくることを決心し、
なんと完成までに60年!!!かかったといいます。
毎日毎日、女性の身で岩を削り、石を運び、
という気の遠くなるような作業をつづけ、
1932年に初演。演目はシェークスピアの『テンペスト』でした。
初演後すぐに亡くなってしまった、というロウィーナの生涯に思いをはせると、
その執念というか、石の重さというか・・・・
言葉を失ってしまうような鬼気迫るものがあります。

石を運ぶ手押し車に座る晩年のロウィーナ・ケイド。
(『井村君江著 コーンウォール』より転載させていただきました)

一年でたった4か月しかオープンしていないので
なかなかチャンスがありませんが、
いつかここで『テンペスト』を観たい、と思いつづけています。


カルロッタ騒動もおさまったバニャーニャには、
暑い暑い夏がやってきたようです。



<お知らせ>です!

 今年10月初旬に、原宿にある「絵本の読める喫茶店」シーモアグラスさんで
バニャーニャ展を開かせていただくことになりました。
『バニャーニャ物語』をどんなふうな展覧会にするか、
いろいろ考慮中。
詳細が決まりましたら、またお知らせしていきます。
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バニャーニャ物語 その15 わたしの名は、カルロッタ

2012-04-16 19:04:39 | ものがたり


                   
               「バニャーニャ物語 その15 わたしの名は、カルロッタ」





作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 







 シンカは玄関ドアの前からはじまる階段の上で、
手をかざして、海を見渡しました。
水平線は、強い日差しの下で碧く燃え上がっていました。
夏がきたのです。

 「きょうもあめふり図書館に行く前に、
ちょっと海底美術館まで散歩してこよう」
シンカはそうつぶやくと、
階段を下りて行きました。
海水がひたひたと寄せている15段目までくると、
静かに体を投げ出すように、海に入りました。

 この瞬間がなんともいえなくシンカは好きです。
陽に焼かれた肌が、海水でさっと冷やされ、
波が体を浮力で受け止めてくれるこの瞬間―シンカの呼吸は、
自然と肺からエラにきりかわります。
ギル族のシンカは、陸上では肺で、水中では首の両脇にある小さなエラで
息をするのです。
エラのなかに、新鮮な海水が満ちてくるときの
気持ちが切り替わって高揚するような感じは、
ギル族だけにしかわからないでしょう。

 シンカの家は、バニャーニャの東側、「めまいの崖」にあるくぼみに
建っています。
「めまいの崖」は断崖絶壁で、
陸地側からは険しい道を降りなければならないので
めったに訪ねてくるものはありません。




 でもシンカはこの波の音と海鳥の声、そして風の叫びに囲まれた
孤独な暮らしがけっこう気に入っています。
大好きな博物学の研究に没頭したり、
バニャーニャに生えている植物や海の生物の観察記録をつけたり、
好きなことに熱中するにはかっこうの住処ですから。
そして、ひとりの時間にたまらなくさびしくなったときは、
ホテル・ジャマイカ・インやジロのスープ屋に行けば、
仲良しのみんなに会うこともできますしね。


 波にゆれる丈高い海草の黒い森を泳いで過ぎると、
海底はがらり様相を変え、上から降り注ぐ日の光がまだらに踊る、
灰色の砂地が見えてきます。
シンカはギル族だけにできる方法で
重心をすべて足にあつめて砂地に立ち、
向こうに見えてきた海底美術館に向かって、
水の中をスローモーションのような速度で歩き始めました。

 耳のなかに、陸上にはない、
どこか遠くから水を伝わってくる音がひびいてきます。
「カトゥーーン、コトゥーーン・・・・・・」
クリスタルを震わすような、密やかな音。

 バニャーニャの海底美術館。
ここには、彫刻家パンプルムースが、
どろぼう一味に盗まれてしまったものの
運ぶ途中で海に投げ捨てられた作品が
海底の砂地にめりこむように立ち並んでいます。
(その14 「バショーは迷探偵」参照)
この海底の作品展示場所がすっかり気に入ったパンプルムースが
その後も彫刻をここに沈めにきているので
そきどき、作品がふえたりします。

 なかには砂の上に横たえられたり、
半分埋められているものもあり、
彫刻の表面には、すべすべした貝殻のタカラガイがはっていたり、
花のような触手をゆらめかしながら小さなエサを捕るケヤリやカンザシゴカイといったいきもの、
不思議な色合いをしたフリソデエビやカニたち、
イソギンチャクや色とりどりのウミウシなどもいつしか住みつくようになりました。
シンカはきょうも、彫刻と海の生きものたちが織りなす光景のなかを
ゆっくりと散歩しました。



 さあ、そろそろ図書館にいかなくちゃ、
と思ったその時でした。
彫刻の間に見え隠れしながら、何かがゆっくりと動くのが
目にとまりました。
大きな魚?と思って振り返ったシンカは
びっくりして立ち止まりました。
彫刻の向こうを横切ったのは、驚いたことに
シンカと同じギル族の、女の子のようでした。

 バニャーニャのどこかに、
自分以外にもギル族が住んでいる、
というウワサはきいたことがありましたが、
見かけたのははじめてです。

 「あのぅ・・・・」
シンカがそう話しかけると、
口から出た細かな泡がビーズのように連なって
きらきらと光りながら相手の耳元にとどきました。
ギル族が水中で話をするときに使う方法です。
すると、女の子は振り向いて、彫刻のあいだから、
じっとシンカを見つめました。
その目をみたとたん、シンカの心臓はドキンとおどりあがり、
背骨のあたりがゾクっとしました。



シンカを見つめる2つの瞳は、右が青、左が緑。
まるで宝石のような、神秘的な光を含んでいます。

「あ、あの・・・・きみもギル族だよね?」
シンカがそういった泡のビーズが届くと、
女の子はゆっくりとうなずきました。
「ぼ、ぼくこのあたりじゃあギル族に会ったことがなくて・・・・・。
ぼくはバニャーニャのめまいの崖に住んでいるんだけど」
女の子は相変わらずシンカを見つめたまま、
またかすかにうなづきました。

「きみはよく、ここにくるの?」
シンカがなんとかありったけの勇気をふりしぼってまたきくと、
「ときどき・・・・・・」
と、いう声を運んで泡がシンカの耳に届きました。
「ぼく、シンカっていうんだ、よ、よろしく」

「わたしの名は、カルロッタ」。
そう答えた瞬間、シンカを見つめる女の子の目のなかの
海の深淵の青と、ラグーンのエメラルドのような緑色が
いっそう深みと輝きを増して、
シンカは体じゅうにトリハダ立つのを感じました。

 そしてカルロッタと名乗った女の子は、
とうとつに背を向けると、
もやのようにかすんで見えるはるか沖のほうを目指して
歩いて行ってしまいました。
一度も振り向きませんでした。

 シンカは、まるで金縛りにあったように、
水のかなたに小さくかすんでいく、
カルロッタの後姿が見えなくなるまで、たちすくんでいました。



                              







 
 「あっつくなってきたなあ。
ぼくさ、どっちかっていうと、夏は苦手だなあ。
ねえジロ、今年も早く削り氷やってよ」
あめふり図書館へ向かう道でジロといっしょになったフェイが
汗をふきふきいいました。

 「うーん・・・・・・どうしようかと思っているんだ。
削り氷を店で出すと、すごく忙しく夏が終わっちゃうんだもん」
図書館の前の道に落ちていた
まだ青いつやつやしたどんぐりの実のついた小さな枝を拾いながら
ジロがいいました。

 青いドングリは、図書館の屋根にまで枝を伸ばしている
ミズナラの大木から、落ちてきたのでしょうか。
「あ、小さな穴があいてるよ。
きっとこのなかには、虫が住んでるんじゃないかな。
カイサにあげよぉっと」
ジロがドングリの枝をポケットに入れながらそういうと、
「ええーっ、削り氷のない夏なんて、もう考えられないよー」
顔を真っ赤にしながらフェイがいいます。
「氷を切り出しに行ってくれるモーデカイとも相談してみるよ」
ジロが冷たい井戸水を詰めてきた水筒をフェイに差し出しながらいいました。

 図書館のなかは、ほんのりと暗くて、古い本の匂いを含んだ空気が
吹き抜けの高い天井から、降りてきます。

 「あれ?きょうはシンカ、いないのかな?
錬金術の本がもっとあるか、教えてもらいたかったのに」。
フェイがそういって、図書館のなかを見回しました。

 パンプルムースの彫刻を盗み出して、
途中の海で舟が沈みそうになり、
海に投げ出したまま姿を消した図書館の司書デルモンテのかわりに
このところ午後になると
あめふり図書館の本については誰よりもよく知っているシンカが、
司書を引き受けているのです。

 「きょうは夏の冷たいスープのアイディアがのっている本を
さがしに来たんだけど」
ジロがそうつぶやくと、
「きょうは、シンカはいないよ」
カウンターの上にある青い線のはいったノートに
自分の名前と借りたい本の名前を書きこんでいたウルが、
顔をあげていいました。
ヤシノミ族のウルは体が小さいので
鉛筆をつかって字を書くのはひと苦労のようです。
「ちぇ、自分でさがすのかぁ。めんどくさいなあ」
フェイがぶつくさいいました。

 読みたい本を探し出すのにジロもフェイも時間がかかったので
ふたりが図書館を出たころには、もう陽が傾きはじめていました。

 「おっとたいへんだ、急いで帰って夜のスープの用意をしなくちゃ」
急ぎ足で歩きながらジロがそういうと、
「ぼく、もう夕ご飯つくるのめんどうくさくなっちゃった。
ジロのとこで、食べることにするよ。
今夜のスープはなに?」
「えーと、ムラサキジャガイモの冷たいポタージュと、
 ハヤトウリとカモ肉のとろりクズ仕立てスープだよ」。
ジロが息を切らしながらいいました。

 ふたりがジロの店のドアを開けたところへ
ホテル・ジャマイカ・インのコルネが、
川向うから手を振りながら走ってくるのが見えました。

 「ハア、ハア、ハア・・・・。
シンカを見かけなかったか?
きょうのディナーに出す
エスカベッシュ用の魚を獲ってきてくれる約束だったのに
あいつ、まだ来ないんだよ。
お客さんは腹をすかせて待ってるし、
もしかして、ここにいるんじゃないかと来てみたんだけど
・・・・・・いないみたいだな」
コルネが顔中を汗にして、
がっかりしたようにいいました。
「おかしいなあ、あの真面目なシンカが約束を忘れるなんて考えられないし。
きょうね、あめふり図書館の方にもシンカは来なかったんだよ」
ジロがいいました。

 「シンカのうちにも寄ってみたんだけどさ、
いない・・・・・・」
とコルネがいいかけたとき、
「ああーっ、あっちから来るの、あれシンカだよ!」
フェイがミズキの木立の方を指さしていいました。

 川と反対側の森のなかから現れたシンカは、
なんだか、ようすが変でした。
熱でもあるみたいにフラフラしながら、道をジグザグに歩いてくるし、
みんなの顔を見ても、心ここにあらず、といったようすです。

 「おいおい、シンカ、魚はどうしたんだい?」コルネがきくと、
シンカは
「ん?あ、魚かぁ」といったきり、目をトロンとさせています。
「ねえシンカ、だいじょうぶ?」
フェイがシンカの肩をゆすって心配そうにいいました。

 そこへ、晩ごはんをジロの店で食べようと
カイサとモーデカイもやってきました。
「みんな集まって何してるの?」
みんなは口々に、シンカの様子がおかしいことをカイサに話しました。
「ほんと、なんだか目がポカーンとしているし、体もふにゃふにゃ。
どうしちゃったんだろう。
シンカはきょうも海底美術館へ散歩に行ったはずだよ。
このごろは毎日そうだもの。
だから何かあったとすれば・・・・・・」

 「海の中ってことか。
それだったら、やっぱりアイソポッド先生が何か知っているんじゃないかな?」
ジロが腕を組んで考え込みながらいいました。
「そうだな、アイソ先生に相談してみるのがいいと思うよ」
とフェイもいいます。
「でも、海底の泥の原にいるアイソ先生にどうやってきくんだよ?」と
コルネ。

 「アイソ先生の所へ行くときはいつもシンカの中に入って行くんだけど、
このようすじゃ無理だよね。
でも、なにか海の生きものの中にはいって
先生のところまで行けるかどうか、やってみる!」
「カイサ、無理しちゃダメだよ」ジロがいいました。
「シンカの一大事だもん、とにかくやってみるよ」

 カイサはひいおばあさんから受けついだ特別な力をもっています。
どんなモノにも入り込めるその力は、とてもエネルギーを使うので、
カイサはときどきしか使いません。
でも、海底の泥の原にいるアイソポッドに会うには
このくらいしか方法がなさそうです。
カイサはぽーっとしているシンカの世話をジロに任せて、
フェイとモーデカイといっしょに、海に向かいました。


海岸はもう暗くなりはじめていました。
カイサは、打ち寄せる波にのって砂浜に顔を出した1匹のカニを見つけました。
「カニさん、お願い!
いっしょにアイソポッド先生のとこまで行ってほしいの」
心配そうに見守っているフェイとモーデカイの前で、
カニの振り上げたハサミに指を触れると、
カイサの姿はすうっと見えなくなり、
カニはちょこちょこと砂の上を横歩きしながら、
やがて海の深みへと見えなくなりました。

 海の中は真っ暗でした。
カニのなかにはいったカイサは怖い気持ちに耐えながら
黒い水のなかを進みました。
波になびく海草の森を抜けるときには、
おそろしくて目をつぶらないではいられませんでした。

やがて、岩が点々と砂地から突き出している地域を通り越すと、
砂と泥ばかりの荒涼とした場所につきました。
「たしか、前にシンカとアイソ先生に会いに行った時には
この辺だったと思うけどな」


 カイサがそう思った時でした。
海面のはるかかなたから差し込む月光に、
ぼおっと、浮かび上がるものがありました。
それは、きのうもきょうもあすも、
黙々と泥を食べ続けている、
アイソポッド先生でした。


カニの姿のカイサは、
巨大なダンゴムシのようなアイソポッドの象牙色の体に近寄ると、
カニのハサミの先からすばやくアイソポッドのなかに移りました。



アイソポッド先生の頭のなかは、
整理されていない幾万の海の知恵や情報であふれていて、
カイサはたちまち、めまいにおそわれました。
めまいが治るのを待って、カイサはアイソポッドに、
シンカのようすがおかしいことを話しました。



  すると・・・・・・
どこからか甲高い声がひびいてきました。
「カルロッタは、海の精」
「たましいを奪う、海の精」
「その右目は青く、左目は緑」

 「えっ?カルロッタって、だれ?
海の精って、なに?
右目が青くて、左目が緑って・・・・・・どういう意味?」
カイサはけんめいにアイソポッドにたずねましたが
アイソポッドは、同じ言葉をくりかえすばかりでした。

 海からもどったカイサは、カニの体から抜け出すと、
心配そうに駆け寄ってきたフェイとモーデカイに
アイソポッドの言葉を伝えました。

 「カルロッタは海の精、ってアイソ先生がいったんだね」
モーデカイが首をひねりながらいいました。
「右目が青くて、左目が緑なんて、
なんだか気味悪いよねえ」
フェイもいいます。
 
 「うん、たましいを奪う、ともいってた。
アイソ先生の教えてくれることって、
いつも謎めいていて、わかりにくいんだけど、
でもたぶんシンカがあんなふうになっちゃったのは、
そのカルロッタとかいう海の精に
たましいをもっていかれちゃった、
っていうことなんじゃないかな」
カイサはかすれた小さな声でそういうと、
海岸の砂の上に、ばったりと倒れてしまいました。

 カイサを背負ったモーデカイとフェイは、
ジロの店へ向かいました。

 今夜は満月。
「どうやったら、シンカをもとにもどすことができるんだろう?」
途方にくれたようにつぶやきながら歩く二人を、
ホオズキのような赤い月が見下ろしていました。


(次回につづく)




***************************************



 夏のはじめの、凶暴なまでに濃く繁茂する樹々が大好きです。
今回はバニャーニャのあめふり図書館脇のミズナラの大木と、
ジロの店の森側にあるミズキの樹を登場させました。

 ミズナラは30メートルにも達することがあるという落葉広葉樹で、
男性的な風格を備えた樹とも形容され、
そのギザギザの葉のあいだに抱かれるように付く
ドングリがかわいい。



 チョッキリやゾウムシなどは、ドングリが青いうちに、
中に産卵して、孵化した幼虫が土に潜りやすいように、
ドングリのついた枝ごと切り落とすので、
道に落ちている青いドングリには、たいてい虫の卵がはいっています。
今年はこれを拾って、土をいれた容器のなかで育ててみようかな。

切り落とされて道に落ちていた青いどんぐり。




ときどき虫さがしに行く生田緑地の森の奥には
こんな素敵なドングリの本が、ひっそりと広げられています。



 ミズキもまた大好きな樹です。
そよ風にゆれる扇状に横に幾重にも張り出した枝振り、
そこに点々と乗っかっているような白い小さな花群。



 ミズキはまた、カメムシやゾウムシなど、
いろいろな種類の虫が集まる樹でもあり、
見上げていると、ここにはいろんな生き物が住んでいるんだろうなあ、と
その懐の深さに抱かれるような気持ちになります。

 子供のころ飼っていたシロという猫。
青と緑と片方ずつ目の色が違っていました。
見ていると、なんとなく心がゆらいだものです。
シロの目を思い出しながら
カルロッタの話を書きました。

 
 アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』という、
こわ〜い作品があります。
マデリンという美しい女性が、不遇の死をとげた先祖のカルロッタに憑りつかれ・・・・・・
というお話ですが、
別に幽霊とか血まみれのお化けとかが出てくる映画ではないのに、
ヒッチコックのサスペンス映画には思い出すたびに
ゾクっとする、後をひく怖さがあります。
何回観ても、同じ個所で、同じように新鮮な(?)恐怖を感じるのです。
カルロッタという名前にどこか不吉な匂いを感じる一方、
いつか自分の書く物語のなかで、この名前を使ってみたい、と思っていたのは、
『めまい』の恐怖が、ずっと私のなかに影を投げかけつづけているからでしょう。

 ところで、霊感などゼロのわたしは、
幽霊とか、超常現象とかには、まったく鈍感なのですが、
いちどだけ、もしかしたらアレは・・・・・という体験をしたことがあります。
 それはグルメの取材でベルギーに半月も滞在したときのことでした。
いくらグルメの取材とはいえ、毎日毎日、フルコースの重い食事をとり続けて、
旅の後半になると少々体調がおかしくなっていました。

 真冬でした。
深い雪の中、ベルギー南部の谷間にあるデルビュイという小さな町。
ここにある世界の食通の憧れとして名高い「いのしし亭」というレストランに行ったときのこと。

 デルビュイは、どこもかしこも、石畳の坂ばかりの町でした。
坂道ばかりの上に雪が降りつづいているので、歩くのにひどく滑ります。
深い谷間の底にあるような町なのでどこか閉塞感があり、
箱庭に迷い込んだような雰囲気がありました。

「いのしし亭」は特にジビエ料理で有名で、メインは赤ワインと相性のいい
濃厚ソースの鹿肉や鴨肉。
食前酒や前菜からはじまり、最後のデザートのチーズまで、
たっぷりと4時間はかかるフルコースです。
野生動物の肉が好きで、ジビエを楽しみにしていた私ですが、
 これをお昼と夜の2回食べることになった、ときいたときには、
胃がため息をもらしました。

昼食が終わったのが、夕方の4時。
なのに、夕食はなんと7時半からというではありませんか。
しかもどういう事情があったのか、夕食のメニューは今食べ終わったばかりの昼食と同じだといいます。
グルメ取材のライターとしては、取材中の料理はひとを押しのけてもすべて味見をしてきた私ですが、
さすがにこの時は胃も、そして1週間以上も家族に連絡していなかったことから精神的にも疲れが溜まっていた。
しかも同じ料理を1日に2回というのでは、好奇心もしぼみます。
ついにネをあげて、夕食はパスし、
私は休息するために、ひとりホテルに残りました・・・・・・。
長くなるので、つづきは、次回に。

 バニャーニャのお話のほうも、次回につづきます。
「海の精 カルロッタ」に魅入られてふにゃふにゃになっちゃったシンカ。
バニャーニャいちの博学の徒であるシンカですが、
こんどばかりはピンチッ!
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お詫びとお知らせ

2012-04-15 09:17:49 | ものがたり





 毎月15日―すなわち今日!が更新日ですが
今月はまだ挿絵ができておらず、
『バニャーニャ物語 その15 謎の少女カルロッタ』のアップは
あす16日の夜になりそうです。


 挿絵が遅れているのは、
ひとえに私の原稿ができるのが遅かったためです。
 きょう訪問してくださった方、
申し訳ありません。
来週、ぜひまた来ていただけたら
うれしいです。

 鈴木海花

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バニャーニャ物語 その14 迷探偵!バショー

2012-03-15 15:47:01 | ものがたり


                    その14 迷探偵!バショー


作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 







 霧のふかい夜でした。
「これじゃまるで、白いスープのなかを歩いているみたいだな」
スープ屋のジロは、半島の東のはずれにあるバニャーニャ・アパートの1号室にすむ
ダロウェイ夫人にとどけるスープをだいじにかかえながら、
道をいそいでいました。

「ジロ、こんどの夏にはこの霧みたいなひんやりしたスープ、つくって」
とつぜんカイサの声がきこえて、
ひとの形をした霧がジロのほうに流れてきたと思うと、
カイサが姿をあらわしました。



「わあ、びっくりしたー。
あれ、カイサひさしぶりだね、何かに姿を変えたのって」
「うん、もののなかにはいってその姿になると、
あとで、すんごくつかれちゃうんだ。
だから、このごろはずっとやってなかったんだけどね」
 そう、カイサは、どんなもののなかにも入り込めて
姿を変えることができる特別な力を
ひいおばあさんから受けついでいるのです。
でもカイサはひいおばあさんが言い残した言葉とおり、
この力をむやみに使うことはありません。

「でもね、今夜はなんだか、
霧のなかに入ってみたい気分になっちゃったんだ。
霧になるのって、すてきよ。
ちょっとつめたくて、体がなくなったみたいに軽くて、
ゆっくり踊っているみたいで。
ジロは今夜もダロウェイおばあちゃんのとこにとどけもの?
霧で迷子にならないように、いっしょに行こうか」
「うん、助かるよ。今夜のスープはね、バラの花のコンソメ。
ダロウェイさんの大こうぶつだよ」

 ふたりがバニャーニャ・アパートの入り口にやってきたときでした。



1階の2号室に住むパンプルムースさんが、
大声でわめきながら、部屋から飛び出してきました。
「なんてこった、おれの大傑作が消えちまったんだ!」
パンプルムースさんは、バニャーニャの東の山から切り出した石灰石をつかって
作品をつくる彫刻家。
彫刻は、ひとつできあがるまでにたいへん時間がかかるものです。
いままでにつくった作品は9つ。
それがみんな姿を消してしまったというのですから、
パンプルムースさんがとりみだすのも無理ありません。



ジロとカイサは、興奮してわめきつづけるパンプルムースさんを
なんとか落ちつかせて話をきくことにしました。

「霧がではじめた3日前から、
おれは新しい作品のアイディアをもとめて、
野山をさまよっていたんだ。
霧にすっぽりつつまれていると、
すごいアイディアがわいてきた。
そいでさっそく石を彫りはじめようと家にもどってきたら、
今までの作品がひとつのこらず姿を消してたってわけだ。
いったい誰だ!
おれの命よりだいじな作品をもってっちまったのは」

パンプルムースさんがまた興奮しはじめたのをみて、カイサがいいました。
「あたし、バショーを呼んでくる。
霧に乗っていけば、丘の上までそんなにかからないから。
できるだけ急いでいってくるね」
そう、こんなときはやっぱり、
もの知りのバショーに来てもらうのがいちばんです。

 霧のなかを、
カイサの案内でバニャーニャ・アパートまでたどり着いたバショーは、
消えた9つの彫刻のゆくえをさがして、さっそく調査を開始しました。



「ふむ、まずはアパートの住人をしらべてみよう」
今夜のバショーは、すっかり名探偵のような口ぶりです。

 バニャーニャ・アパートは、ちょっと変わった形と色をした
3階建ての建物で、住んでいるのは5人。
バショーはまず、1階のダロウェイ夫人の部屋をノックしました。
「どうぞ、ドアはいつも開いているわ」
なかから鈴をならしたような、小さくてキレイな声が聞こえました。

「まあまあ、こんなにみなさんできてくれるなんて、うれしいこと」
バショー、パンプルムース、ジロ、カイサが部屋にはいっていくと、
ダロウェイ夫人はベッドに横たわったまま、
栗色のつやつやした長い長い髪の毛をひとたば、
指のあいだからサラサラと流しながらいいました。

「ダロウェイおばあちゃん、びっくりさせてごめんね」
ここによく遊びにくるカイサが、
ダロウェイ夫人の手をとっていいました。
部屋のなかには、いたるところ、
鉢植えの花や天井までとどく木があふれ、
かべにはツタがはって、まるで温室のようです。

ダロウェイ夫人は、自分でももう何歳か忘れてしまった、
というほど年をとっています。
カイサに手伝ってもらって植物の世話をするほかは、
一日のほとんどをマホガニーでできた大きなベッドで過ごしています。

顔も手足も小さくちぢみ、
シワだけでできているように見えるのですが、
夫人の髪の毛だけは、まるで別の人生を生きているかのように、
いまもつやつやと輝きながら、元気にのびつづけているのです。
「これはわたしに残された、たったひとつの美しいもの」
とダロウェイ夫人は、この部屋をおとずれる人にいいます。

「おっほん。ダロウェイ夫人、夜分におさわがせしてもうしわけありません。
じつはおとなりの2号室から、
パンプルムースさんの作品が消失しましてな。
アパートのみなさんに、なにかあやしいものを見たり音を聞いたりしなかったか、
話をきいてまわっているのです」バショーがいいました。

「まあ、パンプルムースさんのあのすてきな彫刻が消えるなんて!
そう、そういえば、きのうの晩だったかしら?
ほら、ジロがおいしい夜光貝のスープをとどけてくれて、しばらくたったころ。
うとうとしていると
パンプルムースさんの部屋でドッタンバタッンって大きな音がしていたわ」
「おさわがせして、すみませんでした。
このバラのコンソメを飲んだら、ゆっくり休んでくださいね。
だいじょうぶです、バショーがきっと犯人を見つけてくれますから」
ジロが、冷めないように厚鍋に入れて運んできたスープをわたしながら
いいました。

「バショー、これ見て!
部屋の前に、こんなにたくさん足跡があるよ」
ダロウェイ夫人の部屋から出ると、
カイサが、パンプルムースの部屋の前の床を見て叫びました。
「むっ、これは犯人たちのゲソ痕(足跡)に違いない!」
バショーは大きな天眼鏡を床に近づけて
たんねんに見てからいいました。
「ゲソ痕の種類と数からみて、犯人は複数じゃ」


 つぎに一行は2階のカパブランカの部屋を訪れました。
カパブランカは、昼間はテラスで、夜は暖炉のそばのテーブルで、
日がな一日ひとりでチェスをさしています。
伝説の天才チェスマスターとよばれ、
むかしはチェストーナメント世界チャンピオンだったのだそうです。
食後のチェスにぼっとうしているところをじゃまされて、
カパブランカはごきげんななめのようです。

「ふん、いつもやかましい音をたてる彫刻家だと思っておったが、
きのうはこれがまた特別に大きな音をたておって。
がまんづよい私もさすがに文句を言いにいこうと思ったが、
ちょうどいい手を思いついたんで、そのまま忘れてしまったのだ」
手にナイトの駒をもったまま戸口にあらわれたカパブランカが、
太く濃い眉毛をしかめながらいいました。



「その物音をきいたのは、何時ごろだったかおぼえていますか?」
バショーがききました。
「ふん、あれはたしか白のキングをチェックメイトしたときだから、
10時ころだったはずだ。
・・・・ところであんたがたは、
「チェックメイト」というのが
どんな意味か知っとるのかね?」
カパブランカはそういうと、
ぎょろっとした大きな目でみんなを見回しました。
みんなはお互いに顔を見合わせながら、首をふりました。
「チェックメイトとは、王に死を!という意味だ。
つまり、わたしは常に生きるか死ぬかの勝負の世界にいるのだ。
あのうるさい彫刻とやらがなくなったのは、ありがたい」
カパブランカはえんじ色の絹のガウンのエリにさしている
しおれた白バラの匂いをかぎながらいいました。

 それをきいたバショーの目が、きらりと光りました。
「ほう。そうすると、あなたはあの彫刻がなくなればいい、
とそう思っていらしたんですね」
「だったら、どうだというんだ!」
カパブランカはまたかんしゃくをおこしてどなりました。
「そのぉ、動機があると・・・・」
バショーがそう言いかけると、
カパブランカはドアをバタン、としめてしまいました。( )
「うーむ、カパブランカには動機があって、
 ひとりでチェスを指していたのだから、アリバイはない、と」
バショーがつぶやきながら、向いの部屋のドアをノックしました。
 
 2階のもうひとりの住人は、
去年からあめふり図書館の司書をしているデルモンテです。
どういうわけか、この霧深い夜に留守のようで、
いくらノックしても出てきません。
「うーむ・・・図書館はもうしまっている時間なのに」
バショーは考えこんでいます。

 そのあと一行は、屋根裏部屋へつづくせまい階段をのぼっていきました。
ここにはティキという、石のような灰色の肌をしたちいさなひとが住んでいます。
なんでもティキさんはむかし、
遠い南の島の<神さまのようなもの>だったことがあるそうですが、
あるとき悪者に追い出され、
島から島へとにげてバニャーニャにながれつき、
いらい、悪者に見つからないように、
この小さな窓しかない屋根裏部屋に
ひっそりと住んでいる、ということです。

 バショーが、きのうの晩なにか怪しい物音や人をみなかったか、
ときくと、ティキは、
「イアオラナ。アイタ・ペアペア」
と自分の島の言葉でいいました。
「???」
「あのね、ティキさんは、コンバンワ、私はなにも知らない、気にしない、っていったのよ」
カイサが通訳しました。
「なるほど・・・・・どうやらパンプルムースさんが出かけているうちに、
だれかが彫刻をぬすみだしたようですな。
犯行時間は昨夜の10時すぎ、とみて間違いないと思うが・・・・・」
バショーがいいました。

 夜も更けてきたので一行はジャマイカ・インに向かうことにしました。
今夜はもうみんなねむれそうもないので、
ジャマイカ・インでコルネのいれるとびきり濃いコーヒーを飲みながら、
夜通し彫刻のゆくえを推理してみよう、ということになったのです。

 ジャマイカ・インに着くと、
主人のコルネと砂屋のフェイがいて、
「パンプルムースの彫刻がぬすまれたんだって?」
というので、バショーたちはびっくり。
霧のバニャーニャをかけめぐって、
ウワサははやくも広まっているようです。

 「でもあんな重くて大きいもの、
どうやってもっていったんだろう?」
ジロがいいます。
「ところでデルモンテさんは、
こんな晩にどこへ行ったんだろう?」
カイサがいいました。
「そうだ、やっぱしかぎりなく、あいつがあやしいぞ!」
パンプルムースさんが叫びました。
「デルモンテだって?そういや、きのう海辺へ向かう道でやつを見かけたぞ。
なんだか見慣れない奴らといっしょで、
ひどく急いでいるようだったがな」コルネがいい香りのするコーヒーを
みんなのカップに注ぎながらいいました。

 霧の夜がふけていきました。
みんなはいつしか、興奮していたパンプルムースさんも疲れ果て、
ジャマイカ・インの食堂で、眠りこんでしまいました。

 「おーい、たいへんだぁ!」
朝早く、みんなはシンカとモーデカイの声で目をさましました。
霧は3日ぶりにすっきり晴れて、
今朝はすきとおるように青い空と海が、
バニャーニャをすっぽりとりかこんでいます。

 「きのうの夜、アイソポッドに呼ばれているような気がして、
海底へおりていったんだ」
シンカが話しはじめました。
アイソポッドは、巨大な白いダンゴムシ型をした生きもので、
海のあらゆる知恵と情報をその頭のなかにしまっている、
バニャーニャの生きた百科辞典です。

 「アイソ先生が体を向けているほうへシンカが歩いていくと、
海底の砂の上に、白い彫刻が9つも立っているのをみつけたんだそうだ」
モーデカイがいいました。
「そいつはおれの彫刻だ!」
パンプルムースがいすを蹴とばして叫びました。
「シンカ、すぐ、そこへ案内してくれ!コルネ、ボートだ、ボートをかしてくれ」

 みんながコルネのボートのところへ急ぐと、
ボートのかげから、ヤシノミ族のウルが顔をのぞかせて、
ふるえる声でいいました。
「きのうの夜おそく、う、う、海をみてたら、
き、き、きりのなかを幽霊船が、
沖へこぎだしていったよ・・・」
「それは幽霊船じゃなくて、
デルモンテとやつの悪い仲間が、
ぬすみだしたパンプルムースの彫刻を運ぼうとした船じゃ!」
バショーがいいました。
 
 シンカの案内で、パンプルムースは力のかぎりボートをこぎました。
「おーい、この下だ」
シンカが、水面から顔をだして呼んでいるところへ着くと、
パンプルムースはボートから身をのりだして、海のなかをのぞきました。
そこはもうかなり深い場所でしたが、
海はまるで青いゼリーのようにすきとおり、
上からでも、波のせいでゆれているように見える、
9つの白い彫刻をはっきりと見ることができました。

 そのとき、パンプルムースはカミナリにうたれたように、
さとったのでした
―今あるこの場所ほど、自分の彫刻が美しくみえるところはない、と。
「おれのつくった像が、まるで海にいのちをふきこまれたようだ・・・」
 
 デルモンテはあれきり、
バニャーニャから姿を消しました。
「まんまと運び出したものの、
重すぎて船が沈みそうになったんで、
沖でほうりだしたんじゃろ」
バショーは事件が解決して満足そうです。

 パンプルムースは、海の底にしずめられた彫刻をそのままにしておくことにしました。
それどころか、新しいのができあがると、
わざわざそこへ沈めにいくようになりました。
時がたつと、白い彫刻には海草や藻がからみつき、
いっそう芸術的に見えるようになったのです。

 誰ともなく、「海底美術館」と呼ぶようになったこの場所は、
最近では沖を通りかかる船のあいだで評判を呼んでいるそうです。
晴れた日、海がことさら透きとおって見えるときには、
何艘もの船が、ここへパンプルムースの彫刻を見にたち寄ることもあります。

 ジロたちも、かわるがわるこの評判の美術館をボートで観に行きました。
青い水のなかで、立ち並ぶ白い彫刻が波にゆらめいて、
まるで生きているように見えます。
そしてその間を、色とりどりの魚や海の生きものたちが泳いでいく様子は
幻想的で、いつまで見ていても飽きないのでした。

 霧があがったあと、半島の緑はいちだんと色濃くなり、
初夏の気配が満ちてきました。
野菜畑ではソラマメの大きなサヤが天をさしてぐんぐん育ち、
明日あたり、
ソラマメのポタージュをメニューにのせようかな、
とジロは考えています。






***************************************


 いつも登場する面々の他にも、
バニャーニャにはたくさんの生きものが住んでいます。
カイサのようなヒト型の生きものをはじめ
シンカのようにギル族と呼ばれる(ギルとはエラの意)水陸を自由に行き来できるもの、
ジロやモーデカイのような動物型もいるし、
フェイのようななんだかわからないカテゴリーの生きものもいるわけで。
今回登場したバニャーニャ・アパートの住人たちも
それぞれ違う生きものなので
自由に想像して楽しんでください。

 今では引退してバニャーニャにひっそり住んでいる(?)カパブランカは
キューバ出身のホセ・ラウル・カパブランカという実在のチェスマスターがモデル。
4歳でチェスを覚え、12歳でキューバチャンピオンを破り、
その天才度、美男度の高さから
チェス界、社交界の花形としてもてはやされた伝説のグランドマスター。
老後はバニャーニャで、チェス三昧の生活をおくっているようです。

 最近あそぶのはPS3、DS、PSP(オンライン以外)などが中心だけれど
いまだにボードゲームも大好きです。
我が家ではときどきの流行があり、
オセロだったりヤッツィーだったりバックギャモンだったり人生ゲームだったり。
ボードゲームの魅力はプレイそのものに加え、
ボードや駒のデザインの楽しさというのがけっこう大きく、
そのなかでもチェスセットの美しさ、
そのロジックの冷酷なまでの完璧さは
群を抜いていると思う。

 外国の街を歩くときは
チェスセット専門店を必ずチェックします。
意外だったのは、モルジブへダイビングに行ったときに寄った首都マーレの土産物屋で
大理石製のチェスセットがたくさん売られていたこと。
なんで南の島にチェスが?と思ったのですが。
チェスは古代インド起源のゲームだったのですね。


チェコのプラハの街のチェスショップの看板には、珍しい3人用チェスが。


拙著『チェコA to Z』の表紙にもさりげなくチェス駒。


チェコで買ったチェスセット。


ポーンたちはみんな手にチェコビールのジョッキをもっている。


 チェスの起源は紀元前にさかのぼり、
古代インドのチャトランガというゲームがもとになっている、といわれています。
 市松模様の盤上で
白のキングと黒のキングが、クイーン、ポーン、ビショップ、ルーク、
そしてナイトと共に戦うゲーム。

 チャトランガは戦いの好きな王に戦争を止めさせるためにつくられた、
という説もあるほど、好戦的な男性のゲーム、
ということもできますが、
世界チャンピオンにも、ごくわずかながら女性棋士がいます。
ハンガリー出身のユディット・ポルガーはそのひとり。
歴代最年少の15歳4か月でグランドマスターとなりました。

 チェスには、ゲームそのもの以外の盤外の楽しみも多く、
世界に伝播していく過程で、
ヨーロッパの王侯貴族たちは
権力、財力、知力を誇示するために、
歴史、民俗性、地域の素材、モチーフを異にする
工芸品、財宝といっていいような盤と駒をつくりました。
莫大な費用と職人の技を駆使してつくられたものは、
秘宝として代々伝えられ、
中世美術の傑作として大英博物館に収められている「ルイスの駒」のように、
謎めいた物語をもつものもあります。
「ルイスの駒」はセイウチの骨でつくられた駒で、
19世紀、スコットランドのルイス島に袋詰めで埋められているのが発見されました。
 チェス駒の素材は、実用的なものは木やプラスチック製ですが、
石、黒檀、象牙、骨、陶、金銀、宝石など、
じつに90種以上もあるといわれます。


 シンプルの美を極めた将棋の駒も美しいけれど、
その対極にあるような、
駒と盤の無限のバラエティが楽しいのがチェスセットなら、
誰でもが自分のチェスセットをつくることができる!
たとえば、テーブルウェアをモチーフにしたこんなチェスセットも。
かわいい!




 自分でテーマを決めて、チェスセットをつくってみたいな。
虫チェスセットとか。
虫がモチーフだったら・・・・キングはゴライアスハナムグリ?
ルークはハチの巣?ポーンはやっぱりアリかしら・・・・・。

 
ラングラーのノヴェルティグッズとして企画編集した『COWBOY CHESS』の表紙。
デザインはバニャーニャの挿絵を描いている中山泰。


カウボーイのモチーフで、紙のチェスセットがつくれる趣向。


チェスセットの紹介ページには我が家の駒たちが。
一番下に見えるのは、謎を秘めた「ルイスの駒」のレプリカ。



 最新テクノロジーを駆使したコンピュータチェスも興味深い。
初めて人間がコンピュータとチェスの対戦をしたのは1967年。
その後1990年代までは人間がコンピュータに勝っていたのですが、
1997年、IBMの「ディープ・ブルー」というコンピュータが
ついに世界チャンピオンを負かしました。
しかし1秒間に2億近い手を考えることができるコンピュータも、
ゲームの進行を先読みする能力は人間の半分くらいらしい。

 現在では、レイティング1600(中級ぐらい)のプレイヤーの90パーセントはコンピュータに負ける、
というデータがあるけれど、
人間には機械にない感情というものがあり、
それが戦いを微妙に左右するという。
それにしても、2億以上もの手を読むことができる機械に人間が勝つって
すごくないですか。人間、がんばれ!

 チェスはまたダイナミックなロマンを秘めたゲーム。
絵になるゲームでもあるところから、
映画や小説にもときおり登場します。
テレビでも、ガラスのチェスセットを愛用する『相棒』の右京さんとか、
コロンボ刑事シリーズにもチェスマスターの殺人事件があったし、
『ハリー・ポッター』のあの巨大なチェスセットは迫力!

 チェスが出てくる小説もいくつかあります。
『鏡の国のアリス』(ルイス・キャロル)はもちろん、
『ディフェンス』(ウラジミール・ナボコフ)、
『僧正殺人事件』(ヴァン・ダイン)、
『高い窓』(レイモンド・チャンドラー)などなど。
どれも名著ですが、断トツに面白いのが、キャサリン・ネヴィル著『8エイト』。
宇宙を司る「8」の公式。
その謎は伝説のチェスセット「モングラン・サーヴィス」に秘められていた
―時空を超えて広がる壮大で知的な冒険ファンタジーです。





 バニャーニャ・アパートの住人のひとりであるティキさん。
「ティキ」というのは、南太平洋の島々の古代信仰の神さまでした。
しかし17世紀にキリスト教がこの地域にはいってきたとき、
偶像崇拝として、あとかたなく一掃されてしまったのです。

 イースター島のモアイは残りましたが、
ティキは今はもう、この地域の島々を訪れても、
その姿は土産物やレプリカにしか見ることができず、
わずかにマルケサス諸島に残っているだけです。

 でも、土産物に身をやつした今も
どこかブキミなこの神さまは同時にユーモラスで
なんとなく、追放されても世界のどこかにしぶとく生きているような気がします。


うちのティキさんたち。

 不遇な運命をたどった神さまでも、
バニャーニャでなら生き残っていけそうな気がします。
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バニャーニャ物語 その13 「一なる香油」

2012-02-15 20:32:58 | ものがたり





作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 







 きのう降った雨がすっかりあがり、ホテル ジャマイカ・インの前庭で、
水滴を宿したエニシダの黄色い花房が、きらきらと輝いている午後でした。

 ジャマイカ・インの厨房は、そんなに大きくはありません。
でも主人のコルネが腕によりをかけて
お客さんたちの食事をつくるお気に入りの場所です。
厨房の壁には、
かつて七つの海を渡る帆船の船長だったころ
世界のあちこちで集めたスパイスのビンやら
料理の合間にちょびっとコルネが楽しむ上等なラム酒、
磨き上げた銅のフライパンや鍋などが並んでいます。

 ナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルと
そのお供シャルルの滞在もきょうで5日目。
他の宿泊客が出立してしまうと、
さっきから厨房にこもって、
コルネはなにかやっているようです。

 やがて「いっちょ、あがりーっと」という声がして、
スイングドアをひじで開けたコルネが
食堂のテーブルで体をもじもじさせているシャルルの前に、
大きな白いお皿をおきました。
お皿の上には、6種類のキノコが
生のまま並べられています。




 ラ・トゥール・ドーヴェルニュ国王のひとり娘ナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルのお供の旅で、
ナメナメクジの森でナメナメクジになめられてしまったシャルルは、
コルネの手当てのおかげで、きょうになって、
ひどいかゆみと悪夢はだいぶおさまってきましたが、
まだ全快とはいかないようです。
体じゅう、かきむしったカサブタだらけ。
かゆくて、たえず体をもじもじさせています。

 でも、目の前に置かれたお皿を一目見たシャルルは
とつぜん、かゆみを忘れてしまったかのように、
体をしゃきっとさせ、目を輝かせました。
「こ、これは!」
そういうと、お皿に顔を近づけて、しげしげとキノコを眺めました。
 
  キノコ料理が大好きなコルネは、
シャルルが無類の美食家で特にキノコ料理には目がなく、
国では「キノコ狂いのシャルル」と異名をとっている、
というのをきいて、すっかり意気投合。
きょうも、ナナが出かけてしまったのをいいことに、
朝とったばかりの春キノコをシャルルにふるまうことにしたのです。

「えー、左から順番に、
シイの老木に生えるバニャーニャアミガサ、
お次はミズナラの木に生える紫色のムラサキフウセンタケで、
ぬめぬめしている水色のがヌメリササタケといいまして、
黄色いのはカラマツ林に生えていたキイロナギナタダケ、
そのとなりが傷つけるとピンクの汁がでてくるハイイロカラチチタケ、
それにササクレヒトヨタケです。
きのう降った雨で、今朝は春キノコがにょきにょき出てきて、
採りきれないほどでしたよ」

 コルネはお皿の上のキノコのひとつひとつについて説明すると、
「いましばらく、お待ちを」というなり、また厨房に消えました。
そしてほどなくまたスイングドアが開いて、
こんどは、それぞれに料理されたキノコを載せたお皿が
シャルルの前に置かれました。
「目で見たあとは、味わわなくっちゃね」

 シャルルはもうすっかりかゆみを忘れたように、
目をつぶると、目の前で湯気をたてている、
きのこ料理の香りを胸いっぱい吸いこんでから
さっそくひとつを口に運びました。

「なんと!こんなすばらしい香りと歯触りのアミガサダケは初めてだ」
「そうでしょ、そうでしょ。バニャーニャだけに生えるこの赤いアミガサだけは、
他では味わえませんからね。
でもこの旨さをわかってくれるお客さんは、そうはいませんけどねぇ」
コルネが心からうれしそうにいいました。

 「うーん、秋のキノコももちろんすばらしいが、
春キノコにはそのぉ、新緑の森の精のかぐわしい息づかいのような
独特のアロマがあるのですねぇ。
いやあ、どれも初めて口にするものばかりで、
じつに美味でござりまする」
ひとつ、またひとつとキノコを味わうにつれ、
シャルルのカサブタだらけの顔が喜びに満ちていきます。





 ジャマイカ・インでふたりがキノコ談義でもりあがっている同じころ、
ジロのスープ屋では、
店の前の川沿いのヤナギ並木にそって並べられたテーブルで、
カイサとナナがちょっと遅いお昼ごはんを食べ終わったところでした。
隣のテーブルには、モーデカイやフェイ、シンカもいます。

 きょうのジロのおすすめ―マボロシハマグリと海藻のスープを食べ終わると、
ナナはテーブルにひじをついて、ため息をつきました。
「ああ、きょうもこんなところでむなしく時間が過ぎていくのは、たまらないわ。
わたしにはやるべきことがあるというのに」

「ナナさん、そのやるべきことって、なんなのか、
よかったら話してみてはくれませんか?
もしかしたら、なにか役にたてることがあるかもしれないし」
樹液のシロップをたっぷりかけた
ふんわり焼きたてのパンケーキをテーブルに置きながら、
ジロがちょっと遠慮がちにいいました。

「そうね、どうせシャルルのあのばかばかしいかゆみが治るまで
ここで足止めだし、あなたたちが役にたつとはとうてい思えないけれど・・・・
話してみてもいいわ」
 それをきくと、隣のテーブルのモーデカイたちも
ナナのまわりに集まってきました。
なにしろ、みんなずっとナナの探検の目的がなんなのか、
興味津々だったものですから。



 ナナは集まってきたみんなの前で、
腰にさげた皮の袋から
小さなガラスのビンを取り出しました。
ビンは丸くて平べったくて、表面には細かい複雑な模様が彫られています。
ナナがフタをとると
そこから、いままでかいだことのない
不思議な匂いが漂いだしました。



 「これが私の国の繁栄の源、『一なる香油』よ。
またの名を<幸福の記憶>とも呼ばれている、貴重な香油なのよ」
ナナは誇らしげにそういうと、
芳香のなかでうっとりと目をとじているみんなの顔を、
ぐるっとみまわしました・・・・・・ジロの心には、毛糸の舟で憧れの冒険の旅に出た、
あの春まだ浅い朝のことが、鮮やかによみがえってきました。

 カイサはずっと見たいと思っていたカメノコテントウムシを見つけた瞬間を、
シンカは「あめふり図書館」で博物学大百科に読みふけっている幸せな時間を
思い出しました。

 モーデカイの心には、何日もかかってついに気に入った揺り椅子が完成したときの
あのうれしさが、そしてフェイは、ひとりで冒険の旅に出てしまった仲良しのジロが帰ってきたときの、
飛び上がるほどうれしかった気持ちを思い出しました。

 「『一なる香油』が、<幸福な記憶>と呼ばれる理由が
みんな、よくわかったようね。
この、世界にふたつとない不思議な力をもった香油をつくりだすことで、
私の国は繁栄を築いてきたわ。
香油の調合法は秘密にされていて、
選りすぐりの調香師たちが
数知れない花や香草の香りを取り出す特別な技を駆使して
つくりつづけてきたのよ」
そこまで一気にいったナナはちょっと肩を落として
こうつづけました。

 「でも、その調合の最後に加えるものとして、
リュウゼンコウというものが欠かせないのよ。
リュウゼンコウは、花や香草の芳香を、
香油のなかに永遠に失われることのない記憶としてつなぎとめるために、
なくてはならないものなのよ」

 「ああ、それでこのあいだ店にきたとき、
リュウゼンコウを知らないか、って、いってたのか」
フェイがいいました。
「話のこしを折らないでちょうだい!」
ナナに、にらみつけられて、
フェイは首をすくめました。

 「どこまで話したかしら・・・」
「リュウゼンコウのところまでだよ」カイサがいいました。
「そうだったわ。国には代々伝えられた
リュウゼンコウの大きな塊があったのだけれど
長年使いつづけるうち小さくなり、ついに数年前に
最後のひとかけを使い尽くしてしまったのよ。
リュウゼンコウがなくては、『一なる香油』はつくれないし、
香油なしでは、我が国はどんどん衰退してしまうわ」
 
「それでナナさんが、リュウゼンコウを探す旅にでたわけですね」
ジロが、すっかり冷めてしまったテーブルの上のパンケーキを見下ろしながらいいました。
「そのとおりよ。わたしがこんなところでぐずぐずしてはいられない理由が、
これでわかったでしょ」

「リュウゼンコウのことは、ずっと前に本で読んだことがあったなあ。
たしかクジラが体から出す排出物だと書いてあったと思うけど」
シンカがいいました。
「は、排泄物ですって!失礼なっ。
わたしの国の存亡を左右する貴重なものが魚の排出物だなんて、
もう一度いったら許さないわよ!」

「ナナちゃん、その探しているリュウゼンコウって
どんな大きさや形のものなの?」
興奮気味のナナの気持ちを落ち着かせるように
カイサがききました。

「リュウゼンコウは厳重に保管されていて、
ごく一部の者しか目にしたことがないのよ。
私が一度だけ見たときにはもうかなり小さくなっていて、
白っぽくて、灰色っぽくて、石のカケラのような・・・・・・」
「ふーん・・・・・白っぽくて灰色っぽい小さな石のようなものを探すって、
とんでもなく難しそうだなあ」
カイサがためいき交じりにいいました。

「あなたにいわれなくったって、それはわかっていてよ。
だから私はいてもたってもいられない気持ちなんじゃないの!
でも、ただの石ころとリュウゼンコウを見分ける方法がひとつだけ、あるのよ。
銀の針の先を赤くなるまで火で熱して突き刺したとき、
それが本物のリュウゼンコウならば、
針がそのなかに入っていく、といわれているわ」
ナナがそういったときでした。

 川の向こうから、手を大きく振りながら
誰かがこちらに向かってくるのが見えました。
「あっ、シャルルさんだ。
もうかゆいの治ったのかな?」
カイサが手を振りかえしました。
「ふん、あの役たたずのオタンコナスが。
国へ帰ったらようしゃしないから」
ナナがいいました。

 橋をわたって、息を切らせながらこちらへやってきたシャルルは
顔中がまだカサブタだらけでしたが、
ジャマイカ・インにかつぎこまれたときに比べると
ずいぶん元気を取りもどしたように見えます。

「シャルルさん、具合はどう?」
カイサがいいました。
「はい、みなさまのおかげで、
またきょうはコルネさんが大好物のキ・・・・
あわわ・・・・いえ、そのぅ・・・ですね、
滋養のあるお食事を用意してくださって、
体と心に力が湧いてきたら、
かゆみも耐えやすくなりまして、
もう1,2日で完治しそうです」
「この失態は、国へ帰ったらお父さまにさっそく報告しますからね」
 ナナが、シャルルにきびしい口調でいいました。

 「ねえ、シャルルさんもこんなに元気になったし、
もうすぐふたりも国に帰っちゃうし、
明日は、みんなで貝殻島へ行かない?」
カイサがいいました。
「うん、それはいいね!
明日はぼく、店を休もうとおもってたんだ」ジロもいいました。
「あ、ぼくも砂屋を休んじゃおうかな」フェイもいいました。
「明日はお使いの仕事もないしな」とモーデカイ。
「ぼくの予報では、お天気もよさそうだよ」とシンカもいいます。

「ちょっと、勝手に決めないでちょうだい。
その、なんとか島って、いったいなんなのよ」
ナナがみんなを遮っていいました。

「ジャマイカ・インの桟橋からボートで20分くらいの所にある
海底火山の噴火でできた小さな島でね」
モーデカイがいいました。
「貝殻島って呼んでいるんだけど、
まわりの海は温泉みたいにあったかいし
バニャーニャとは違う植物や生き物がいっぱいいて、
気分転換にはもってこいだと思うな」ジロがいいました。

「いいですねえ、ナナさま、ぜひ行ってごらんになっては。
わたくしもお供いたしますです」
シャルルがいいました。
「あなた!なんだかやけにウキウキしちゃって、
私たちは物見遊山でここにいるのではないのよ!」
ナナがシャルルをにらんで、ビシっといいました。
「でもまあ、明日も特にやることもないし、
気晴らしにはなるかもしれないわ。
ただし!あさってにはどんなことがあろうと、出立しますからね」



 翌日はシンカがいったとおりのいいお天気でした。
ジャマイカ・インの前にある桟橋は
貝殻島へ行こうと集まってきたみんなでにぎわっていました。
きょうはお客さんがいないから、とコルネまでがいっしょに行くといい出しました。
「シャルルさん、貝殻島にはもしかして珍しい「アレ」があるかもしれませんぜ」
コルネがシャルルに耳打ちすると、シャルルは目を輝かせて
しーっと唇に指をあてました。

 何回かにわけてボートに乗り、全員が貝殻島につくと、
シャルルとコルネは、さっそく「アレ」をもとめて、
島のまんなかにある林のなかに入っていきました。

 シンカは去年タツノオトシゴを見つけてから、
ずっとその様子を見守っているので海のなかへ入っていきましたし、
モーデカイは、腰をかがめて浜辺に打ちあがっている海藻を拾いはじめました。
今夜のサラダにいれようかな、と思って。

 カイサは、砂浜にはえているハマボウフウの花にいる
サルガネハムシを見つけるのに没頭していますし、
フェイはなにか錬金術に使える生き物はいないかな、と
タイドプールのなかを熱心にのぞきこんでいます。

 ジロは、いっしょに連れてきたチクチクが
ママンゴーの木の下で、落ちている実に集まるハエをおいしそうに食べているのを
にこにこしながらながめています。

 こんなふうに、みんなが思い思いに好きなことをはじめたのですが、
ナナだけは、したいことが見つからず、
所在無げに海辺を歩きまわってときどき貝殻などを拾っては、
海に向かって投げていました。
やがて退屈したナナは、海辺に打ちあがった石の上に腰かけて、
おだやかにくりかえし寄せる春の海の波を、
ぼんやりと見つめていました。



 やがて島のまんなかあたりに生えていた
名前のわからない木の根元で珍しいキノコを見つけたシャルルが、
コルネといっしょに意気揚揚と、林のなかからできました。
キノコをもっていると、またナナに叱られそうなので
いそいでポケットにしまいながら、
海を見ているナナの後姿を見たシャルルの心のなかに、
とつぜん、ハッ!とひらめくものがありました。

「ナナさまぁー、ナナさまぁー」
シャルルは手を振りまわし、大声で叫びながら
ナナのほうに駆け寄りました。

「いったい、どうしたっていうのよ。
ひとが休んでいるというのに、
うるさい人ね」
カサブタだらけの顔を真っ赤にして、
息を切らせているシャルルを振り向いて、
ナナが眉をつりあげていいました。
 
「ナ、ナナさま、こ、こ、この石は、もしかして・・・・・」
「なんですって!」
ナナはそういうと腰かけていた大きな石から立ち上がり、
指先で石の表面に触りながら、しげしげと石を見ました。

「シャルル、あれを、早く!!!」
「ははっ、ただいま」
シャルルはそういうと、腰の物入れから
銀色に光る太い針とマッチをとりだし、
火で針先を赤くなるまで焼きました。
そして、震える指先で、
針先を石に突きたてました。



 すると―
石が針を受け入れるかのように、
ずずっと、なかに入っていき、
うっすらとケムリがたちはじめました。
シャルルが慎重に針を引き抜くと、
そこにはなにかねっとりしたものがまとわりついています。
ナナが祈るような面持ちで、
針先を鼻に近づけ、いいました。
「間違いないわ、調香師からきいたとおりよ、
シャルル、これはリュウゼンコウだわ!」

 「うう、ナナさま・・・・・・」
シャルルは砂にひざをついて、
感極まってうめくようにいいました。
「おおーい、みんなぁ、ナナさんとシャルルさんが
リュウゼンコウをみつけたぞー」
コルネが海岸のあちこちにちらばっていたみんなを大声で呼びました。

 みんなは、かわるがわるリュウゼンコウにさわってみました。
「ずいぶん長い間、海をただよってきたんじゃないかな。
干からびたエボシガイとか藻とかがこびりついてるし」
シンカがいいました。

 「リュウゼンコウは色が白いほど高品質だって、調香師がいっていたわ」
バニャーニャにきて以来、はじめて笑顔を見せたナナがいいました。
「これ、真っ白だもん、きっと最高級品だね」
カイサもそんなナナをみて、うれしそうにいいました。

 「これだけ大きなリュウゼンコウがあれば、
我が国はこれからもずっと
『一なる香油』をつくりつづけることができるでありましょう」
そういうシャルルの顔のカサブタの上を、
ひとすじの涙がつたって落ちました。

 翌朝。

 「こんなところで、1週間も時をムダにしてしまったかと思ったけれど、
ぶじにリュウゼンコウを見つけることができて、
これで私の国も繁栄をとりもどすことができるわ」
ボートに乗りこんだナナがいいました。

「みなさま、ほんとうにお世話になりました!
バニャーニャのことは決して忘れません」
コルネが丈夫な帆布で包んでくれたリュウゼンコウをしっかり押さえながら、
シャルルがいいました。
「じゃあ、そろそろ舟を出しますぜ」
国境の街の海岸まで、ふたりを送っていくことになったコルネが
ボートのもやい綱をほどきました。

 ナナとシャルルは、帰りは半島をぐるっとまわって、
海側から国境の街へ入ることにしたのでした。
シャルルは二度とナメナメクジンの森を通るのはごめんだといいますし、
リュウゼンコウは、背負っていくには大きすぎましたから、
国境の街で乗り物をやとうことにしたのです。

 「わたし・・・わたし、いつかまた、
バニャーニャに来ようと思うのよ」
ボートが桟橋を離れはじめたとき、
とつぜん、ナナが大きな声でいいました。
「カイサ・・・・・・あなたとまたバニャーニャをあちこち、歩き回りたいのよ」
「ナナちゃん、やっとあたしの名前おぼえてくれたねー。
またきっとおいでよ、待っているよ!」

 やがて3人をのせたボートが、
半島のカーブにそって見えなくなると、
ジロは空をみあげ、目を細めてつぶやきました。
「日差しが強くなってきたなあ」。
石舞台につづく丘の木々の緑も日ごとに勢いを増し、
春から夏へ、季節が移ろうとしていました。
 

 

 ***************************************

 もうずいぶん前のこと。
その日、わたしはいくつものトラブルが重なって、
ひどく落ち込んでいました。
そんなわたしを友人が、
近所に住む母親が丹精しているバラが満開だから、
と誘ってくれました。

 5月の庭には、赤、ピンク、オレンジ、黄色、白と、
色とりどりのバラが、咲いていました。
お茶をごちそうになって帰ろうとすると、
友人の母親が、
1本のオレンジ色のバラを切って、
私に手渡してくれました。
なんというバラだったのか、教えてもらった名前はもう忘れてしまいましたが、
いただいたバラを鼻に近づけた私は、びっくりしました。

 近頃のバラは、その姿形の華麗さを追求する改良を加えられて
美しい姿を得た代わりに、香りを失ってしまっている種類が多いのですが、
そのバラの香りの強かったこと!
摘まれたばかりの、新鮮な全草から立ちぼる青っぽい香りと、
ぱあっと広がる花がふりまく香りが混ざった、
みずみずしくも力づよい香り。
もう一度鼻に近づけて息を深く吸うと、
それまで自分の心の上に垂れ込めていた灰色の雲のかたまりのようなものが、
さあっと晴れていくのがわかりました。

 今でこそ、アロマテラピーが普及し、
香りが心(脳)や体に強い力を及ぼすことが知られてきましたが、
そのころ、まったくそんな知識もなかったわたしは、
ただただ、自分の感じた香りの力に驚くばかりでした。

 やがて植物のエッセンスを閉じ込めた精油が売られるようになると、
アロマテラピーの本を読み漁り、
いろいろな精油を買うようになりました。
精油は本に書いてある効用にとらわれず、
そのときの自分の体調や気持ちによって、
いちばんいい香りだと感じたものを買います。


 なかでも特別大好きなのが、
インド産のジャスミンの一種「ジャスミン・サンバック」。
甘すぎず、どこかに緑の香りを宿しているところが
ふつうのジャスミンとは違うところ。
インドのジャスミンというと、
濃い闇の中で重く甘く香るイメージですが、
私はこれを嗅ぐとなぜか、
子供のころ、まだ寒い春に満開になる「おばあちゃんの水仙畑」で、
大きく息をしたときのことがよみがえってきます。

 そして、もうひとつ、気持ちが落ちこんだり、
心身ともに疲れた時に愛用しているのが、
ブルガリア産の「ローズ・オットー」。
精油屋さんの店先で、この精油の香りをかいだときのことは、
今も忘れられません。
嗅いだ瞬間に、華やかで晴れやかな、
悩みなんか吹き飛んでしまうパワーに
うわーっと包まれた感じ。
その圧倒的な芳香に、理性も吹き飛んでしまったようで、
気がついたら、値段も確かめずに「これください」と
店員さんにいっていた。
わたしにとっては宝ものともいえるこのふたつの精油をそばにおいて、
『一なる香油』の話を書きました。


 そして、リュウゼンコウ。
漢字だと、龍涎香。

 横浜の磯子という海岸沿いの町に生まれたので
こどものころから遊びといえば、
海辺でカニを追いかけたり、アサリを掘ったり、
流れ着いたいろんなものを拾うことでした。
大人になってもこの「拾いグセ」は治らず、
貝殻を集めるようになりました。
そして「海辺の拾い人」の憧れといえば、リュウゼンコウです。

 いまでは、ビーチコーミングなどと呼ばれ、
貝殻だけでなく、陶片、外国のライター、流木、動物の骨や漂着した種などなど
いろいろな拾いものを楽しむ人が増えてきましたが、
金塊と同等の、あるいはそれ以上の価格で昔から取引されている、
ときには拾った人の人生を変えてしまうとまでいわれる漂着物です。

 そもそもリュウゼンコウとは?
シンカがいったように、マッコウクジラの排泄物。
深海にすむダイオウイカを食べたマッコウクジラの体内で
消化されないイカの「カラストンビ」(口の部分)が、
なにかの拍子でクジラの腸に突き刺さると、
特殊な脂肪が分泌されてカラストンビを包み込むように大きな塊を形成し、
それが肛門から排出された、つまり結石のようなもの、というのが通説。

 高価であるため、マッコウクジラを切り開いて、
直接体内から取り出すようなことも行われていたことがあるそうですが、
とりだされたばかりのリュウゼンコウはけっしてよい匂いとはいえず、
長期間海に漂い、太陽の紫外線にさらされ、
波にもまれ、酸化することでえも言われぬ香りが熟成されていくらしい。
 黒、茶色、灰色、白といろいろあって、
白いものが香料としては極上品なのだそう。

「浮かぶ金塊」の異名もあるリュウゼンコウは、
大昔から世界各地の海辺で発見されており、
なかでも琉球で見つかることが多かったようです。
大きさは小石くらいのものもあれば、
大人が抱えられないほどの大きさのものまでさまざま。
まわりは石そっくりのざらざらしたものもあるし、
ときにはプラスチックのボールのような質感のものもあるといいます。


 リュウゼンコウそのものの匂いは、
「強いフェロモン様の匂い」とか「ずっと嗅いでいたくなる匂い」とか
「麝香のような甘い土の芳香」とか、「湿った林のなかを思い出させる」
などといわれています。
クレオパトラや楊貴妃も使っていたという「香料のなかの至宝」と呼ばれるリュウゼンコウは、
香水産業のなかで、大昔からもっとも高値で取引されていたいっぽう、
薬用や料理にも使われていたそうです。

 沖縄の記録によると、石垣島のお百姓さんが見つけたものは約100キロ。
今の価格に換算すると、2億3千万円相当だったといいますから、
拾ったら人生が変わるというのもうなずけます。

 南太平洋の島に詳しい友人から、
ダイビングで有名なツアモツ諸島で見つかったことがあるときき、
貝を拾いに行ったついでに、リュウゼンコウはないかなあ、
と目を凝らしたこともありましたが
旅行者がそうやすやすと幸運に恵まれるものではなく。

 でも、でも!以前このブログで『南の島移住記』を紹介した、
ランギロア島の西村直子さんから去年、
「このあいだ村人が、リュウゼンコウを拾ったのだけれど
日本人は買わないか、と持ってきた」という話が。
リュウゼンコウは、香水会社が目の色をかえて探しているものではありますが、
普通の人が持っていても、置物にするくらいしか使用法がないと思われるので、
直子さんのご主人が「そんなもの買う人いないよ」といったら
すごくがっくりきていたそう。
拾ってもそう簡単にはお宝にはならないようです。

 一見、石のように見えるリュウゼンコウの見分け方は、
話のなかでシャルルがやったとおり、
火で焼いた針を使うそうです。

 えばりんぼうのナナと、
国の大事よりも自分の楽しみのほうが大事、という
マイペースのシャルルは案外いいコンビ。
みごとにリュウゼンコウを見つけました。
お騒がせな春の珍客が去ったあとのバニャーニャは、
またいつもののどかさを取りもどしたようです。
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