昨日の戌、亥の山に続いて、1996年からの「干支の山」に登った思い出です。
子ノ泊山(907m)1996.5.11
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/38/05f32d3b1563c0a03d5b872097dfa2f3.jpg)
吉野から紀伊半島を縦断、新宮を過ぎ再び熊野川の支流沿いに遡って目指す
山へ。桐原から舗装林道となり、中の谷橋を渡った路側に駐車する。
いきなり雑木林の中の厳しい直登を30分はどで稜線に出る。さらに急坂を登って
小広い台地に飛び出すと、そこが一等三角点のある頂上だった。(仮登山口から
2時間20分)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/42/684811bf838e7f8c52044bf3f2897caa.jpg)
東から南にかけて大きく熊野灘が拡がり、北から西には大峰、熊野の山並み
と360度の展望台なのだが、残念ながら薄墨を流したような曇り空の下で、すぐ
近くの山が頂を見せるだけだった。帰りに「落打ノ滝」を見に行くが、その豪壮
さに度肝を抜かれた。
伊勢・牛草山(550.3m)1997.01.08
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/61/fedf58c7aaac9552b7f227291fbc2778.jpg)
伊勢自動車道玉城ICを出て更に南へ宮川の支流・一之瀬川に沿って走る。
2ヶ月前に登った獅子ヶ岳と、ちょうど川を挟んで向かい合う位置になる。
川口集落から五里山橋を東に渡って林道に入る。この先が工事中で、ここから
林道歩き45分で登山口に来る。
檜林を抜け、広葉樹林のジグザグの急登となる。小ピークを二つ越え、テー
プに導かれて急坂を登り切ると、明るく視界が開け小さい岩がごろごろした小
広場の山頂だった。
正面に五所ヶ浦の眺めが拡がる。他は木に遮られ、展望はただそれだけだった。
牛廻山(1206.8m)1997.05.10
紀伊半島の中央部、奈良・和歌山の県境にある。
北側を通る十津川往来は、古くから大和の十津川と紀州の龍神を結ぶ物資交流
の道であり、また高野山と熊野を結ぶ信仰の道でもあった。
十津川村最奥の迫西川の集落を過ぎて和歌山との県境が、峠の蟻ノ越である。
大峰南部から熊野に続く山々が紫に霞んでいる。十津川から龍神にかけて緑の
尾根が起伏して連なっている。牛廻山はこの尾根とほぼ直角に交わる別の尾根
(蟻ノ越からさらに北へ続く県境尾根)との交点のすぐ西の隆起である。尾根
の上の古い登山道を40分ほど歩くと、まったく展望のない頂上に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/f9/6f0b834db13747720596ddcbeabcdb44.jpg)
往復するだけでは物足りず、龍神まで歩くことにしたが道が不明瞭で、藪こぎ
や少し深刻な道迷い、最後は長い林道歩きの末に、頂上から3時間かかって目
的地に着いた。
信貴山(437m)1998.01.07
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a6/a90c24c85aacbb8615a642507d537a98.jpg)
大阪と奈良の府県境となっている生駒山脈の南端、高安山から東に派生した尾
根上にある双耳峰。山頂には戦国時代に松永久秀の築いた城跡があり、また朝
護孫子寺・空鉢堂が立つ信仰の山でもある。何度か登っているが、この日は高
安山へ縦走した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/53/3170df356d656a212f1491c4394c0a3f.jpg)
高安山は天智天皇のとき、都の防備のためこの山頂に烽火台を置いたといわれる。
近年、倉庫跡などが発見され、山城の規模を持っていたらしい。山頂三角点から
信貴山へ引き返し、奥の院へ参詣して帰った。
虎伏山 1998.03.15
阪和自動車道泉南ICを出て金熊寺梅林駐車場に車を置く。隣接の信達神社
の石段を登り、山道に入る。近頃あった山火事で焼け残ったマツやクヌギの中
を進むと小広い台地に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/93/66ab40d23599f4485a8d163ee230f4c3.jpg)
目の前に真っ青な泉南の海が拡がり、関空島は目の下。海を挟んで友ヶ島、
淡路島、ずっと右に明石大橋が見える。六甲と麓の市街地もはっきり見える。
その手前は大阪のビル群。東から南にかけて大阪と和歌山の府県境の山がずら
りと並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/9b/6acc6348a7d8e54f041fd47f9b45467c.jpg)
寺から1時間足らずで頂上らしい広い台地に着いたが、三角点も山名板も見
あたらない。2万5千図にも山名や登山路の記入がない山なので、確認のし
ようもないが辺りの様子からここを虎伏山頂とした。焼け跡のような台地で
昼食をとる。
四石山へ縦走の予定で1時間ほど進んだが、山焼けのあとで歩き辛く道も不
明瞭で元の道を帰った。
子ノ泊山(907m)1996.5.11
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/38/05f32d3b1563c0a03d5b872097dfa2f3.jpg)
吉野から紀伊半島を縦断、新宮を過ぎ再び熊野川の支流沿いに遡って目指す
山へ。桐原から舗装林道となり、中の谷橋を渡った路側に駐車する。
いきなり雑木林の中の厳しい直登を30分はどで稜線に出る。さらに急坂を登って
小広い台地に飛び出すと、そこが一等三角点のある頂上だった。(仮登山口から
2時間20分)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/42/684811bf838e7f8c52044bf3f2897caa.jpg)
東から南にかけて大きく熊野灘が拡がり、北から西には大峰、熊野の山並み
と360度の展望台なのだが、残念ながら薄墨を流したような曇り空の下で、すぐ
近くの山が頂を見せるだけだった。帰りに「落打ノ滝」を見に行くが、その豪壮
さに度肝を抜かれた。
伊勢・牛草山(550.3m)1997.01.08
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/61/fedf58c7aaac9552b7f227291fbc2778.jpg)
伊勢自動車道玉城ICを出て更に南へ宮川の支流・一之瀬川に沿って走る。
2ヶ月前に登った獅子ヶ岳と、ちょうど川を挟んで向かい合う位置になる。
川口集落から五里山橋を東に渡って林道に入る。この先が工事中で、ここから
林道歩き45分で登山口に来る。
檜林を抜け、広葉樹林のジグザグの急登となる。小ピークを二つ越え、テー
プに導かれて急坂を登り切ると、明るく視界が開け小さい岩がごろごろした小
広場の山頂だった。
正面に五所ヶ浦の眺めが拡がる。他は木に遮られ、展望はただそれだけだった。
牛廻山(1206.8m)1997.05.10
紀伊半島の中央部、奈良・和歌山の県境にある。
北側を通る十津川往来は、古くから大和の十津川と紀州の龍神を結ぶ物資交流
の道であり、また高野山と熊野を結ぶ信仰の道でもあった。
十津川村最奥の迫西川の集落を過ぎて和歌山との県境が、峠の蟻ノ越である。
大峰南部から熊野に続く山々が紫に霞んでいる。十津川から龍神にかけて緑の
尾根が起伏して連なっている。牛廻山はこの尾根とほぼ直角に交わる別の尾根
(蟻ノ越からさらに北へ続く県境尾根)との交点のすぐ西の隆起である。尾根
の上の古い登山道を40分ほど歩くと、まったく展望のない頂上に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/f9/6f0b834db13747720596ddcbeabcdb44.jpg)
往復するだけでは物足りず、龍神まで歩くことにしたが道が不明瞭で、藪こぎ
や少し深刻な道迷い、最後は長い林道歩きの末に、頂上から3時間かかって目
的地に着いた。
信貴山(437m)1998.01.07
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a6/a90c24c85aacbb8615a642507d537a98.jpg)
大阪と奈良の府県境となっている生駒山脈の南端、高安山から東に派生した尾
根上にある双耳峰。山頂には戦国時代に松永久秀の築いた城跡があり、また朝
護孫子寺・空鉢堂が立つ信仰の山でもある。何度か登っているが、この日は高
安山へ縦走した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/53/3170df356d656a212f1491c4394c0a3f.jpg)
高安山は天智天皇のとき、都の防備のためこの山頂に烽火台を置いたといわれる。
近年、倉庫跡などが発見され、山城の規模を持っていたらしい。山頂三角点から
信貴山へ引き返し、奥の院へ参詣して帰った。
虎伏山 1998.03.15
阪和自動車道泉南ICを出て金熊寺梅林駐車場に車を置く。隣接の信達神社
の石段を登り、山道に入る。近頃あった山火事で焼け残ったマツやクヌギの中
を進むと小広い台地に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/93/66ab40d23599f4485a8d163ee230f4c3.jpg)
目の前に真っ青な泉南の海が拡がり、関空島は目の下。海を挟んで友ヶ島、
淡路島、ずっと右に明石大橋が見える。六甲と麓の市街地もはっきり見える。
その手前は大阪のビル群。東から南にかけて大阪と和歌山の府県境の山がずら
りと並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/9b/6acc6348a7d8e54f041fd47f9b45467c.jpg)
寺から1時間足らずで頂上らしい広い台地に着いたが、三角点も山名板も見
あたらない。2万5千図にも山名や登山路の記入がない山なので、確認のし
ようもないが辺りの様子からここを虎伏山頂とした。焼け跡のような台地で
昼食をとる。
四石山へ縦走の予定で1時間ほど進んだが、山焼けのあとで歩き辛く道も不
明瞭で元の道を帰った。
netで検索しましたら和歌山城のある場所も同じ名前の虎伏山だとわかりました。
netにも出てこないのも不思議です???
http://kirinosato.fc2web.com/sensi-list02.htm
によると
この山は二万五千図・粉河に275mの標高記載があるようです。
なお、同サイトによると岡山市には同名の
71m (比治山 臥虎山)があります。
このサイトのリストはとても詳細で参考になりました。