の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

雑記8 『聖戰という名の侵略戰争-武東征-』

2010年06月28日 00時24分34秒 | 雑記
 實際問題、武東征自體は、侵略戰争です。

 大和の先住民、いわゆる土蜘蛛と呼ばれた民族、長髓彦と呼ばれた民族たちは殺されました。出雲の國譲りも、現實問題、出雲國風土記が殘っているために島根縣の話と思われていますが、紀伊大和両國に出雲が殘っており、古代イズモ族という民族が存在していたこともわかっています。おそらく、出雲國風土記は武王朝に駆逐されたイズモ族の生き殘りの方が殘した、大和、紀伊で起こった傳承の記録であろうと推測します。一説には、國譲りとは、紀伊國一之宮である伊太祁曾社(國津系)の社地と日前宮(天津系)の社地が入れ替わっているという謎の出来事がありますが、ここにイズモ族が關わっており、この社地交換こそが、出雲の國譲りの元話であるという説もあります。その場合、全然、平和裏に行われてはいないです。なぜならば、乗っ取りだからですね。

 いずれにせよ、奈良盆地に住む、足と手が長いために土蜘蛛と呼ばれた人(ユダヤ系の白人と言われてますが)たちは根絶やしにされてますし、卑弥呼のように呪術系の支配者であった紀伊の名草戸畔、熊野の丹敷戸畔たちも武の侵略によって、殺されています。武東征というものは、それまで平和に暮らしていた人々を根絶やしにして、侵略して乱してきたものであり、聖戰とは、よくも言ったものだ、と憤りさえ覚えるものです。ま、平安時代の坂上田村麻呂たちが蝦夷を攻めて、大墓公阿弖流爲たちの平和に自由に暮らしていた民族を征服に行ったのと同じようなことですから、結局、彼らは同じことをずっと繰り返すのです。

 別に、今の帝や皇族の方々を憎むわけでもなく、好意をむしろ持っているほうではありますが、帝や皇族の方々が武東征にどのような認識を持ってるのか、どのように洗脳されているのか、知りたく思うものです。


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