の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

雑記7 『元出雲』

2010年06月28日 00時24分08秒 | 雑記
 江戸時代までは、出雲神社といえばこの出雲大宮のことを指していたそうです。ちなみに皆さんの知っている出雲大社は、明治時代に至るまで杵築大社という名稱でした。故に、杵築社というものが世間にたくさんありますが、それは昔の出雲大社から勧請された社ですね。

 祭の大國主命は出雲大社より勧請されたといわれていますが、出雲大社自體、この出雲大宮より勧請されたという説があり、『丹波國風土記』には、「元明天皇和銅年中、大國主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」との記述も殘っております。丹波の風土記にある記述がが後期の創作であったとしても、非常に興味深い記述であると思われるのです。が、おそらく、この説が書かれているということは、そういうことが傳承されていた可能性が高いことが推測されます。それに、明治まで社號が、こちらが「出雲」で、出雲國のほうが「杵築」であったというのも無視できない事實なのです。それに、『出雲國風土記』ほど疑わしきものはございません。大體において、出雲大社が元であるならば、江戸時代における両社の名稱は辻褄が合いません。

 丹波の出雲大宮と出雲の出雲大社。

 紀伊の熊野速玉大社、本宮大社、那智大社と出雲の熊野大社(上社は熊野三山と祭が同じだった)。

 疑わしき出雲國である。


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