鏡海亭 Kagami-Tei  ネット小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

・画像生成AIのHolara、DALL-E3と合作しています。

・第58話「千古の商都とレマリアの道」(その5・完)更新! 2024/06/24

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第58)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

『アルフェリオン』まとめ読み!―第29話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 ◇ ◇

 ――もしもし、こちらルキアンです。シュワーズさん、聞こえますか? 大丈夫ですか?
 例の《伝書鳩》という特殊な方法を用い、ルキアンは、ミトーニアの市長秘書と極秘裏に連絡を交わしていた。
 ――ルキアンさん? 大丈夫です。構いません……もうすぐ私の居場所が抗戦派に見つかってしまうかもしれませんが、それでも私は伝えねばならなかったのです。それより、ギルドの司令官の結論は?
 もはや開き直った様子で、シュワーズ秘書は切々と応える。
 とはいえ、やはり彼の不安は暗いイメージとなって、念信の声と共にルキアンの心に流れ込んでくる。気持ちの良い感覚ではない。
 ともかくルキアンは、今しがたクレドールから送られてきた艦長の――今回はギルド側の総指揮官でもあるカルダインの――回答を伝える。
 ――ミトーニア市への総攻撃については、ギルド艦隊は今しばらく待機し、様子を見るとのことです。抗戦派が市長さんたちを監禁していることについても、状況を理解してもらえたと思います。
 確かにカルダインは総攻撃を《中止する》とは言っていない。しかし降伏の期限である夜明けをとうに過ぎた今も、ギルド側は攻撃を始めておらず、予告に反して慎重な態度を見せている。
 クレヴィスの熱心な提言のせいもあって、艦長はルキアンの働きに多少の期待を寄せているのかもしれない。無駄な戦闘が回避できれば、ギルド側にとってもそれに越したことはあるまい。
 これからどうすべきか、とルキアンが戸惑い始めたとき、シュワーズが有無を言わさぬ切実な調子で告げてきた。
 ――遅かれ早かれ、私たちの隠れ家は見つかってしまうでしょう。その前に、抗戦派による暴挙を街の人々に伝えなければなりません! 市長たちが監禁されていることを、一般市民はまだ知らないのです。しかし私はここから一歩も出られません……。我々の隠れ場所のある中央広場一帯に通ずる道が、現在、抗戦派の軍に封鎖されており、ネズミ一匹行き来できない状況だからです。あなた方の手を貸してください、ルキアンさん!


14 もう後悔したくない! ルキアンの覚悟



 ――ぼ、僕たちの、ですか? 一体、何をすれば?
 怪訝そうに聞き入るルキアン。
 そうしている間にも、シュワーズの言葉は悲痛な雰囲気を強めていく。
 ――ギルドの方から市民たちに伝えることはできませんか? 市民の多くは市長を支持しているはずです。抗戦派の行っている行為を知れば、人々は彼らに対して何らかの抗議に出始めるでしょう。
 ――でも僕たちの言葉を、街の人たちが信じてくれるでしょうか? こんな状況です。ギルド側の策謀だと思って、取り合ってくれないかも……。
 ――しかし、今はそれしか手がありません! 駄目で元々です。お願いします!! 私にはもう時間がないのです。
 だがやはり、ルキアンにはシュワーズの身の安全も気がかりであった。
 ――分かりました。でもシュワーズさん、何とかそこから脱出できないのですか? 見つかったら、もしかしたら、殺されてしまうかもしれません!
 ――えぇ。恐らくは……。私は、市庁舎のすぐ近くにある神殿に匿われています。ですが、外では抗戦派の兵士が必死に捜索しており、たとえ運良く見つからずに神殿から抜け出せたとしても、その先では軍のアルマ・ヴィオが道を封鎖していて、この一角からは到底出られないのです。
 ――そんな!!
 ――構いません。愛するミトーニア市を守るために死ねるのなら、本望です。
 その言葉に偽りはなかった。
 一度も顔を合わせたことのないシュワーズだが、ルキアンは彼に尊敬の念を覚えた。彼を救いたいという気持ちが、ルキアンの心を一杯に満たしていく。
 ――僕は……僕は、もう嫌なんだ。戦いは絶対に悪いことだと思うけど、だけど……だからといって、誰かが犠牲になるのを黙って見過ごすのは、もっといけないことだと思う。
 ルキアンの心に浮かんだ光景が、迷いを打ち消し、彼の答えを決定づけた。
 昨晩の悪夢のような出来事……。
 あの純粋で勇敢なシャノンが、悪漢たちの薄汚れた手でなぶり者にされ、助けを求めて泣き叫ぶ姿。ルキアンの名を呼ぶ彼女の壮絶な悲鳴が、残酷なまでに生々しく反響した。そして目を覆わんばかりの傷を負わされた、瀕死のトビーの姿も。
 ――僕は、シャノンやトビーを守れなかった。
 ルキアンはぼんやりと繰り返す。
 ――戦うのが怖かった、嫌だったから。自分の中にある憎しみの影に怯えていたから。でも、もし僕がもっと早く戦っていれば、シャノンたちを救えたかもしれなかった。それで後悔したばっかりじゃないか! 馬鹿だな、本当にどうしようもない!!
 彼は思い出したかのように、言葉を噛み締める。
 ――そうだ。クレヴィスさんも、シャリオさんも、言っていたじゃないか。正しい答えが分からなくても、それは決断しなくていい理由にはならないって。僕たちは、少しでも正しいと信じることを、選び取って生きてゆかなきゃいけないって……。僕が戦い続ければ、いつかステリアの力に身も心も魅入られてしまうかもしれない。でも戦わなければ、今ここで目の前の人を守れない……。
 そしてルキアンは、思ってもみなかったような結論に達した。
 揺れ動く決意に対し、また何度目かの誓いを立てる。
 ――シュワーズさん、僕が戦います。広場の付近のアルマ・ヴィオは任せて下さい。それさえ片づければ脱出できるのでしょう?
 ――しかしルキアンさん……。そんなことをしたら、あなたの方が危険です。ただ一人で敵軍の中に飛び込むなんて! それに万が一、大規模な市街戦にでも発展すれば、ギルドとミトーニアの和平の可能性は今度こそなくなってしまいます。私のことはいい、ルキアンさん。もう充分だ。ありがとう……。
 けれどもルキアンは、妙な冷静さと共に言った。自分でも信じられないほど落ち着いた心持ちで。
 ――大丈夫です。このアルフェリオンは普通のアルマ・ヴィオとは違います。みんなが言葉で理解し合おうと、懸命に流血を避けようと努力しているのに……それに耳を貸そうとせず、身勝手に自分たちの考え方を押し通そうとする人たちなんて! 抗戦派の人たちのことを僕は許せません。いや、もし僕がここで何もしなかったら、結果的にその無茶苦茶な人たちの振る舞いを認め、その手助けをしてしまっていることにさえ、なりかねないと思うんです。もう、そういうのは嫌なんです。黙って見ているだけなんて、もう嫌なんです!!
 ――しかし……。何?
 戸惑うシュワーズだったが、突然、彼からの念信が途絶えた。
 ――いけない! シュワーズさんの隠れ場所が見つかってしまった!?
 ルキアンは彼の名前を繰り返し呼んだ。だが返事は二度と戻ってこない……。


15 銀の天使、舞い降りる【特別編1】



 ◇ ◇

 迷う間もなく、アルフェリオンの機体は大地めがけて急降下していた。
 点々と漂う雲を突き抜け、地表が見える。
 そびえ立つ市庁舎の姿が。石畳に覆われた広場が。
 そして神殿らしき建物と、それを包囲する数体のアルマ・ヴィオが!
 魔法眼によって増幅された視界が、刹那の間に、ルキアンの心の目に次々と飛び込んでくる。
 燃え盛る炎のイメージがその風景と混じり合う。敵を見つけた彼が、反射的に火の精霊魔法をMgSに込めようとしたためだ。
 しかし、ほぼ同時に彼は気づいた。装填寸前のところで魔法弾のカートリッジが戻される。
 ――いけない。ここで撃ったら周りの建物まで巻き込んでしまう!
 一瞬の判断だった。敵機の姿が見る見る大きくなる。
 身体にひびが入りそうな衝撃。自らと一体化しているアルフェリオンの機体を通じて、ルキアンは大地を生々しく感じ取る。
 天から投げ落とされた雷光のごとく、銀の天使は瞬時に地表に達していた。地震のような揺れと、耳をつんざく轟音。土煙。
 ――動かなきゃ! どうする?
 時が止まったような心境。
 言葉に置き換える余裕すらない。本能的な直感が彼を突き動かした。
 ルキアンは絶叫しながらMTランサーをかざす。
 その光の刃が敵機をとらえた。鋼同士がぶつかり合い、擦れる音。
 無我夢中の攻撃の中にも何度か手応えがあった。
 わずかな間をおいた後、足元から伝わってきた振動。それによって初めて、ルキアンは敵の1体が倒れたことに気づく。
 地面の上、鮮やかな白と青とが目に映った。この2色を基調とするアルマ・ヴィオといえば、最も一般的な汎用型の《ペゾン》だ。攻撃よりも拠点防衛に重きを置いた重装タイプなのだろう、軍に属する同種の機体よりもひと回り大きい胸甲を付けている。そのど真ん中に、MTランサーに貫かれた跡が無惨に口を広げている。
 ペゾンの傍らに転がる楯には、2匹の獅子をあしらったミトーニア市の紋章が描かれていた。
 その図柄の意味を、いつかどこかでルキアンは聞いたことがある。かつて中央平原の諸都市が長く悲惨な戦争を行っていた時代があった。その戦いが終焉を迎えたとき、ミトーニア市は平和への誓いを込めて、この紋章を新たに採用したのだという。獰猛な戦士であるはずの2匹のライオンが、まるで手を取り合っているように見えるのは、無益な戦いを避けて和を重んじる精神を象徴したものなのだと……。
 何という皮肉。ルキアンは、やるせなさのあまり、心の中で叫んだ。
 ――どうして仲間同士で争う!? ミトーニアの紋章に対して恥ずかしくないんですか! なぜみんな巻き込んで、犠牲にしようとする? 街のみんなを守るのがあなたたちの役目でしょう。それなのに何で……分からないのか!!
 猛然と翼を広げ、アルフェリオンは空に向かって咆吼する。
 慣れない得物を闇雲に振り回し続けるルキアン。しかし槍斧状の先端を備えたMTランサーは、切ろうが突こうが、とにかく相手に当たればそれなりのダメージを与えることができる。ルキアンの乱撃によって、敵のアルマ・ヴィオの甲冑から激しく火花が飛び散った。
 残っている敵のアルマ・ヴィオは2体。先程と同型のペゾンがMTソードと楯を構え、その一方で、狼の身体をもつ俊敏な陸戦型《リュコス》が牙をむいて突撃してくる。
 敵もさすがにMgSを使うのは避けている。手持ちの武器での戦いなら、間合いの広い槍状の武器が有利だ。まともに刃が相手をとらえているのか、それとも柄の部分が当たっているのかよく分からないまま、ルキアンは必死にMTランサーで応戦する。
 その最中、アルフェリオンに突き飛ばされたペゾンが広場の脇に倒れ、近くにあった数階建ての住宅を倒壊させてしまった。
 ふと我に返ったルキアン。その視界の中で、建物がさらにいくつか崩れ落ちた。広場を取り囲むようにして並ぶ家々が、戦闘の巻き添えになり始めている。すでに避難済みだったのか、それとも軍によって強制的に他の場所に移されたのか、幸いにも付近の建物に住民は居ないようだが。
 ――駄目だって! このままでは本当に街中を巻き込んだ戦いになってしまう。落ち着け、落ち着くんだ……。いいか、ルキアン!!
 ルキアンは自分に向かって怒鳴りつけた。何度も言い聞かせるが、気持ちは全く着いていかない。心を静めようとすればするほど、かえって焦りが増していく。
 ――だから、よく見て戦わなきゃ! 冷静になるんだ!!
 アルフェリオンの左腕から黄金色の光が、ぱっと広がる。MTシールドを構え、ルキアンは敵とにらみ合う。
 しかし相手は2体いる。ペゾンの剣を避けようとすれば、今度はリュコスの鋭い爪や牙が襲ってくるのだ。
 勢いにまかせた戦いで敵をねじ伏せていたルキアンだったが、ここにきて冷静になったのが災いし、逆に押され気味になってしまう。
 特にリュコスの俊敏な動きには苦戦していた。限られた範囲の広場で、小回りの利く鋼の狼は緩急自在の攻撃を仕掛けてくる。
 新たな一撃をMTシールドでかわしたルキアン。だが、背後に注意を払う余裕がなかったため、アルフェリオンの翼が近くの家にぶつかり、真っ二つに切り崩してしまった。
 ――この羽根が邪魔なんだ!! それに、身体が重くて小動きができないよ。くそっ、これじゃあ、リュコスの動きに着いていけない。
 大空では圧倒的な力を発揮する6枚の翼も、街の中での戦いでは、かえってお荷物になってしまう。頑強な装甲ゆえに、見た目よりも遙かに重量のあるアルフェリオンは、地上での移動速度に関しても、基本的には他の汎用型と大差ないのだ。むしろ全体的に動きが重いとさえ言える。ステリアの力を発動させない限りにおいてだが……。
 動揺しながらも、ルキアンはかろうじて相手の攻撃を受け止める。彼は苦し紛れに自問した。
 ――もっと身軽に動けない? 使い勝手が悪いな……。周囲に被害を与えずに、しかも敵を殺してしまうことなく、素早く動きを封じることができたら! 無理か、そんなことは!! シュワーズさんには勇ましいことを言っちゃったけど、駄目だ! 駄目だよ、どうすれば? リューヌ!?
 たまりかねた彼は、黒き翼の守護天使、自らのパラディーヴァに呼び掛ける。
 即座に彼女は答えた。
 機械仕掛けで喋っているのかと思われるほど、あまりに無感情に。
 ――わが主よ。現在の形態、すなわちステリアン・グローバーを発射し得る《フィニウス・モード》は、地上での接近戦には不向きです。それゆえに……。
 ――でも、何か手はあるだろ!? 早くしないと……。うわっ!!
 ルキアンの隙を突いて、ペゾンが体当たりを仕掛けてきた。そのまま羽交い締めにしようと、相手は腕に力を込める。
 それを無理に振り払おうとするルキアンに対し、リューヌは場違いな冷静さで告げた。
 ――あの陸戦型・《レプトリア》と戦ったときにも言ったはず。アルフェリオンは様々な形態に変化できるのです。
 ――そんなこと言ってる場合じゃないよ! この、離せ!! どうだ!!
 ――地上用の高機動形態としては、《ゼフィロス・モード》が……。


16 紅の魔女アマリア【特別編2】



 リューヌの言葉を聞く暇もなく、ルキアンは咄嗟の判断で勝負を決めていた。
 敵のアルマ・ヴィオは急に腹部から白煙を上げ、アルフェリオンを両手で締め上げたまま、なぜか動きを停止する。
 その機体を何かが貫通していた――MTランサーだ。しかも、銀の天使の右手に握られているそれとは、また別物である。
 アルフェリオンの腰部にあるランサーの収納装置から、あたかも飛び道具のような勢いで、一気に突き出されたのだ。
 ゼロ距離から計算外の直撃を受け、相手は戦闘不能となり果てている。
 ――危なかった。でも、これなら周りの家にも被害はなかったか……。
 やっとのことで我に返ったルキアンに、リューヌは呆れもせず、静かに言う。
 ――ゼフィロス・モードは地上での速度が最も速く、また超空間感応により、全モード中、最高の索敵能力を有する。すでに貴方には、ゼフィロスのイメージがつかめているはずです。
 ――イメージ? そんなこと言われても……。分からないよ!
 悠長なことを言っている時ではなかった。まだ敵は残っている。ルキアンは光の楯と槍とを構え、リュコスの素早い襲撃に備える。
 ――心を鏡のように研ぎ澄ませ、そこに映るものに従うのです。そして私を呼び、ゼフィロスに変わるのです。わが主よ。
 胸の奥に浮かぶリューヌの姿。長い睫毛を伏せ、彼女はうなずいた。
 緊張が走る中、リュコスの遠吠えが轟き渡る。
 魔法金属の牙が顎の内部に収納され、それに代わって輝く光の牙が現れる。リュコスのもつ一撃必殺の武器、MTファングだ。
 ――心を鏡のように研ぎ澄ませて……。そこに映るもの。
 突然、《あの言葉》をルキアンは思い出す。夢うつつの表情でエルヴィンが告げた、例の謎めいた言葉を。
 ――大地を走る疾風(はやて)が、扉を開く。
 そしてエルヴィンが最後に言ったこと。
 ――強く願えば必ず応えてくれる。あれは、そういうものだから。
 天の騎士と鋼の狼とが対峙し、広場の端を、円周に沿ってじりじりと移動する。リュコスのスピードならば、一瞬にして間合いを詰め、アルフェリオンの首筋に牙を突き立てることができる。おそらく勝負は電光石火のうちに決まるだろう。
 ――願えば、答えてくれる。願いを……。
 ルキアンは呆然と繰り返す。
 ふと、幻影の中でリューヌが微笑んだような気がした。
 その瞬間、鋭く地を蹴る響き。
 リュコスが一気に飛び込んだとき、ルキアンは。
 ――見えた!
 召喚。闇の中に浮かぶ炎を凝視するかのごとき、極度の精神集中。
 ――ゼフィロス!!
 駆け抜ける閃光。
 リュコスの視界からアルフェリオンの姿が消えた。
 両者が空中でぶつかり合ったとき、優美な流線型の翼を持つ何かが、宙返りして槍を振るった。
 何が起こったのか、相手には全く理解できていない。そう、気づいたときには全てが終わっていたのだから。
 リュコスは脚を破壊され、身動きできぬまま、地に突っ伏していた。
 たたずむ勝者の姿は、以前と同じアルフェリオン・ノヴィーアのそれだった。
 ――変わった? 一瞬、今のがゼフィロス、なのかな……。
 高揚した気持ちを抑えつつ、ルキアンはつぶやく。

 シュワーズの籠もる神殿を背に、アルフェリオンは、その建物を守るように振り返った。
 残された敵方の歩兵が、広場の向こうへと蜘蛛の子を散らすように逃走してゆく。生身でアルマ・ヴィオと戦うなど、素手でドラゴンと戦うよりも分が悪いだろう。当然の退却だった。

 ◇

 神殿の前方に折り重なって倒れている、抗戦派のアルマ・ヴィオ。
 賢明にもルキアンが魔法弾を使用しなかったため、小規模な炎上は起こっているものの、爆発が生じるようなことはなかったらしい。
 その光景が、アルフェリオンの姿と共に水晶玉に映っている。
 遠見の水晶の映像を見つめながら、あの赤いケープの女は語り始めた。
 およそ抗し難い、何か神秘的な説得力を伴って彼女は断言する。《沈黙の詩》の言葉を引きつつ。
「少年――やがて彼は《真紅の翼》を羽ばたかせるだろう。今は決して望んでいないにせよ、遠くない将来、必ず……。星はそう告げている」
 彼女は溜息をつく。それは落胆を表すものには見えない。
 微妙な哀しみを漂わせる横顔に、不似合いに涼しげな笑みが浮かんだ。
「誰かに強制されるのでもなければ、不可避の偶然によるのでもない。《自分自身の意思》によって、この少年はエインザールの使徒であることを選び取り、炎の翼をもつ終焉の騎士を――そう、紅蓮の闇の翼・《アルファ・アポリオン》を呼び覚ますだろう。そして《終末を告げる三つの門》は開かれる……。どうした? 今まで私の言葉が外れたことがあったか」
「お主の予言は必ず当たる。いや、そうでなくてはなるまい?」
 正体を見せぬまま、姿なき老人は応える。
 彼の言葉をさほど気に留めない様子で、女は水晶球の表面をそっと撫でた。
「その後のこと、終末の時に関しては、私にも何も見えない。これは予言ではなく、単なる可能性――あるいは希望の提示に過ぎないが、《沈黙の詩》の告げていることは、その最後の時点で大きく変わるかもしれない。たぶんその理由は、この少年の心にあるのだろうな。移ろいやすく、脆くて、不安定な、心のあり方に。光と闇と、強さと弱さと、平凡さと狂気と――そして彼の優しさと、同時に鬱屈した憎しみと。そんな不確定性が、エインザールの予想した物語の結末を変えるかもしれぬ。また、そうした予測不可能性だけが、我々人間にとって唯一、《あの存在》に対抗できる手段……」
「そうじゃの。最後の最後の部分は、誰にも予測がつかぬ。可能性は限りなくゼロに近く、しかし決してゼロにならず、最後まで残されている。まぁ、それは《ノクティルカの鍵》の秘密を解くことができれば、の話じゃが」
 老人が最後に告げた謎の言葉。
 それを耳にした途端、理由は分からないが、女の表情がこわばった。彼女が初めて見せた動揺だった。
「初耳だな。しかし、その響きには何か……」
 とぼけるような茶目っ気と共に、老人の声は白々しく答える。
「は? そんなこと言ったかのぅ? ほほ。わしもボケてきたか。年寄りの冗談じゃて」
「都合の悪いときだけ老人になるものではないぞ、フォリオム」
 女は仕方なさそうに笑った。唇だけが微笑んでいる。
「ノクティルカの鍵。それが何なのか、わしにも意味は分からん。さすがに、お主の力でもその謎を見通すことはできまい――いや、誰にもできん。エインザール博士にも結局は分からずじまいだったし、《あの存在》の力を持ってすら無理かもしれん……。それより、このルキアンとかいう少年。なかなかよくやっておるわい。彼とお主を除けば、他の者は自分の役割に全く気づいておらん。中にはフラメアのマスターのように、まだパラディーヴァの存在すら知らぬ者もいる。困ったことだのぅ……」
 溜息と共に、不意に何かが、まるで地面から生え出るように姿を見せた。
 魔法使いのような出で立ちの、長い顎髭を生やした老人が立っている。緑色のローブから延びる細い腕は、枯れ枝のように乾き、あたかも古木を思わせる。だが小柄で華奢な外見にもかかわらず、付近一帯の大地が震え始めそうなほど、とてつもない魔力が彼の足元から発せられている。
 《地》のパラディーヴァ、フォリオム。
 彼は手近な木陰に腰を下ろすと、詠嘆を込めた口ぶりで、ゆっくりと語り始めた。
「《御子》たちには、いまだ導きの星が見えぬらしい……。だからこそ、お主の力が必要なのじゃろうて。《紅の魔女》アマリアよ」
 彼女――地のパラディーヴァ・マスター、アマリア・ラ・セレスティルは、相変わらず淡々と、水晶の中の幻像を見つめながらつぶやく。
「運命の星々を一所に呼び集めよと?」
「いや。他人の運命を変えることなど叶わぬ話。全ては本人の意思次第……。じゃが、きっかけを作ることは、お主にならば可能かもしれぬ。そして、きっかけがなければ、人は結局、自らの意思の力を呼び起こすことができぬもの」
 堅く冷たいクリスタルに、銀髪の少年、ルキアン・ディ・シーマーの横顔が浮かんだ。同様にカリオス、グレイル、イアラと続く。移り変わるマスターたちの肖像を見つめ、フォリオムは目を細めて頷いた。
「賽を振るのじゃ、わが主・アマリア……。始まりの火花を放て」
 しばらくの間、彼女は言葉を返すことなく沈黙したままだった。
 その眼差しは水晶玉から離れ、庭園の木々の彼方の風景に向けられる。
「分かっている。しかし、今さらながら重いものだな。選ばれし者の使命とは」
 アマリアはおもむろに立ち上がり、流れゆく雲を目で追った。


【第30話に続く】



 ※2002年3月~8月に鏡海庵にて初公開
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