鏡海亭 Kagami-Tei  ネット小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

生成AIのHolara、ChatGPTと画像を合作しています。

第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第59)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

『アルフェリオン』まとめ読み!―第37話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン



6 失われた過去の記憶、ルキアンは何者 !?



 下の階層へと戻る途中、階段の踊り場でルキアンは立ち止まる。そして、ふとポケットに手を入れた。
 柔らかな手触り。取り出されたのは、薄汚れてしまった子豚の小さなぬいぐるみ。あるいは布製の玩具。粗い縫い目は、お世辞にも上手だとはいえないが、素朴な手作りの味わいを醸し出している。
 ――僕は、どこから来たんだろう。そして、どこに向かっているんだろう?
 子豚のぬいぐるみを掌の上に乗せ、ルキアンはぼんやりと考えた。
 未来も分からないが、それと同様に、彼がどこから来た何者かも実は分からない。本人にさえ。両親も実の親ではなかった。そんなルキアンが、物心ついたときから手にしていた唯一のもの――それが、この子豚のぬいぐるみであった。

 ◇ ◇

 ルキアンの手にある古ぼけたぬいぐるみが、水晶玉にぼんやりと映っていた。薄暗い部屋の中、ランプのおぼろげな明かりが水晶の冷たい肌を照らす。
 さきほど眠りにつこうとしていた一人の女が、不意に何かを思い出したかのようにベッドから起き上がり、この場にやってきていた。クリスタルの輝きを夢うつつの目で見つめているのは、《地》のパラディーヴァ・マスター、《紅の魔女》アマリアである。
 就寝用の薄い衣の上にケープを羽織り、彼女は、机の上の大きな革張りの本――いや、ノートに掛けられた鍵を外した。
 天の啓示か、あるいは魔のささやきか。水晶玉の力を借りて、彼女は心に浮かんだ予言を分厚い冊子に書き付ける。
 羽根ペンがなめらかに文字を綴った。優雅だが、力のある筆跡だ。

  引き裂かれし二人。
  その本来の思いが、両者の邂逅によって取り戻されるとき、
  だが新たな悲劇が、たちまち二人をまた引き裂くだろう。
  再びの別れは永劫の別れとなる。
  そのとき青き淵に輝く光は潰え、憎しみの翼は羽ばたく。
  闇は解き放たれ、三つの凶星は滅びの天使を呼ぶ。

 ――やれやれ、夢の中でも未来が見えれば、さっそく書き残しておくとはの。おぬしの先読みの力も、因果なものじゃて。わが親愛なる主(マスター)は、落ち着いて眠れもせぬわ。
 暗闇の中から老人の声が聞こえた。彼自身は眠りを必要としない、人ならぬパラディーヴァだが。
 フォリオムの冗談を聞き流し、アマリアは真剣な表情で言った。
「あの少年から目を離してはならない。彼に関しては、良いことも悪いことも、我々の想像を超える早さで推移している。近いうちに、私も出向かねばなるまいな」
「分かっておるよ。リューヌもあのような状態じゃ。このままでは、ちと荒療治が必要かもしれん。お主には迷惑を掛けるが……」
 ただ、神秘的で端正な女性であるアマリアも、さすがに眠りの出鼻をくじかれては、気分がよいものではない。彼女にしては珍しく、少し不機嫌そうな――裸の感情のこもった顔つきで――つぶやいている。
「構わない。《闇の御子》は、我らエインザールの使徒の長(おさ)。彼を守護するパラディーヴァ、リューヌとやらは救わねばな。だが《封印》をいま解いてしまっては、すべては終わる。少し変則的な次善策を用いねばなるまい。それにしても、いい歳をした女の寝入りを邪魔するとは、あの少年もいささか無粋だな。いや、彼のせいではないか。彼の未来を勝手に幻視したのは、この私か……」


7 「一緒にいられれば、それだけで…」



 ◇ ◇

 正午を過ぎた後、午後2時、3時――時計の針が毎正時を指すたびに、柱時計の鐘の鳴る音も繰り返された。そして今も数度目の鐘が響いている。くぐもった音が、石造りの部分の目立つ壁や床に染み通ってゆく。
「遅いなぁ、フォーロックさん。もうすぐ日が暮れちゃうよ!」
 アレスはそう言うと、椅子に座ったまま、勢いよく伸びをした。
 食卓の向かいの席では、ミーナが申し訳なさそうに微笑んでいる。
「ごめんね、待たせちゃって。フォーロックがごちそうの材料を買ってきてくれたら、さっそく夕食の準備をするわ。もしかしてアレス君、お腹減った?」
「え? いや、俺は平気。へへ。えへへへ」
 ヤマアラシのように逆立った赤い髪をかきながら、照れ笑いするアレス。だが、間の悪いタイミングで彼のお腹が鳴った。絵に描いたようなお決まりの場面に遭遇し、ミーナも声を立てて笑う。一緒になって笑うアレスの声が、家中に響いている。
 そのとき急にミーナが咳き込み、苦しそうに胸を押さえた。
「やっぱり寝てなきゃ。無理しちゃだめだよ。のど、痛くない? 水か、お茶、飲むか?」
 心配そうに見つめるアレスに対し、ミーナは弱々しげに首を振る。
「ありがとう。でも今日は楽しい気分だから、ちょっと無理をしてでも起きていたいわ。もう大丈夫……」
 なおも数回、彼女の咳は続き、ようやくおさまった。
 二人の他にイリスも同じテーブルを囲んでいるのだが、ほとんど気配がしない。アレスとミーナの会話を聞いているのか、いないのか、もう何時間も似たような姿勢で行儀良く座ったままだ。目の前に出されたお茶とケーキにさえ、イリスはほとんど手を付けていない。
 イリスの足元では、アレスの相棒の魔物カールフ、レッケが床に伏していた。丸くなって目を閉じている姿は――額に角がなければの話だが――大きな犬に見えなくもない。ここ数日間の急激な環境の変化に《彼》もそれなりに疲れているのだろう、さきほどから眠そうな目を閉じたり開いたりしている。
 イリスはテーブルの下にそっと手を伸ばし、レッケの頭をなでた。

「でも、たしかに、ちょっと帰りが遅い。昨日もだったけど……」
 ミーナは不安げに窓の外を見つめている。もう、少し薄暗い。田園の上に広がる空の色は濃さを増し、青から濃紺へと近づいている。家の周囲の木々も、遠くの森も、黒々としたかたまりのように見え始めた。
「フォーロックったら、また真っ直ぐ帰らずに、ハンター・ギルドの人たちと飲んでるのかしら。今日はアレス君たちがいるのに、困った人なんだから」
 仕方なさそうにミーナはつぶやく。
「あの人ね、一杯だけ、一杯だけって言いながら、気がつくとビンを1本空けていたりするの……。あら? アレス君、どうしたの?」
 アレスはなぜか嬉しそうな顔つきで、黙って聞いていたのだ。
「あぁ、何でもないよ。ただ、あのさ、そうやってフォーロックさんの話をしているときのミーナさん、とても楽しそうだなって思ったんだ」
「そうかしら。そうかな。ふふふ」
 一瞬、恥ずかしそうに微笑んだ後、不意にミーナの表情が陰りを帯びた。彼女は再び目を外の風景に転じ、寂しげに言う。
「そう、楽しい……。私はフォーロックと一緒にいられるだけで、今の暮らしで本当に幸せよ。でも彼は、いつも私を《もっと幸せにする》と言ってばかり。大きな仕事で儲けて、病気も必ず治すからって。でもハンターやエクターの仕事は危険なんでしょ? 無理ばかりしていないかと、最近、特に心配なの」
 ミーナが真顔で尋ねたため、アレスは返答に迷う。困って天井を見上げている。
「そりゃ、危ないと言えば、普通の仕事よりは危ないかもしれないけど。でも、フォーロックさん、強そうじゃん! だから平気だよ。俺の父ちゃんも、冒険や戦いで怪我したことはほとんど無いとか言って、威張ってた。大丈夫さ!」
 ともかく思いつくことを並べ、彼女を安心させようとしたアレス。だが効果のほどは疑わしい。むしろ、普通は冒険や戦いの中で傷を負うことが多いからこそ、アレスの父の自慢が自慢になり得るのだが。
 ミーナは今度はイリスの方を見ながら、独り言のようにささやく。
「一緒にいられれば、それだけでいいのに……」


8 紫のフロックの男、衝撃の正体!



 ◇ ◇

「一緒にいられれば、私はそれだけで良かった。だけど、いつもあなたは、もっと遠くの方を見つめていた」
 淡い光をまとった金色の髪。そのしなやかな流れと同様に、ソーナの声もまた繊細だった。窓から差し込む夕日が、胸元の赤いスカーフの色を周囲の影から浮かび上がらせている。ほっそりとした体を包む黒い衣装。一見、彼女の眼差しは穏やかだが、その瞳に宿る普段の理知的な光は、今は感情の波に揺るがされている。
「置いていかれるのが怖かった。だから私も一緒に、遠くの同じ理想を見つめると決めた。でも……」
 外の方へ張り出した頑丈な二重窓。それを通して見えるのは、夕闇、その下に広がる平原。そして、点々と現れては消えてゆく赤い光、いや、それらは炎だった。立ちのぼる煙。多くの出城や塔を伴い、切り立った山脈のごとく延々と連なる巨大な城壁――見まごうはずもない、それは、オーリウムの誇る要塞線にして、現在は反乱軍の本拠となっている《レンゲイルの壁》だ。
「その理想のために、多くの人たちが犠牲になっている。お父様の造り上げた《アルフェリオン》が沢山の命を奪ってしまった。しかし、その手がどれだけ血に染まろうと、あなたの心は揺るがない……」
 彼女がそこまで言ったとき、背後から別の声が聞こえた。低く穏やかな響きでありながらも、確固たる意志を感じさせる。
「そう。揺らぎはしない。もし私がここで手を引いてしまったら、犠牲にした多くの命はすべて無駄になる。もはや取り返しがつかない以上、それらの犠牲に報いるためにも、私は同士とたち共に、この世界を必ず変えなければならない」
 落日が始まり、すでに室内を闇が支配し始めた。暗がりと溶け合う紫のフロック、背中まで届く藍色の長い髪。長身の男が立っている。
「ヴィエリオ!」
 すすり泣くような声を立て、ソーナは背後の影を抱きしめた。飛び込むように。
 ヴィエリオ・ベネティオール――ルキアンの兄弟子は、ソーナを優しく受け止める。彼女はヴィエリオの胸に顔を伏せたまま、声を震わせた。
「私もあなたと一緒に進む。でも、メルカやルキアンには何の罪もないのに……」
 かすかな溜息とともに、ヴィエリオは残念そうに言う。
「いや、ルキアンは……。彼には、どこか遠いところで静かに暮らしてほしかった。しかし今はもう、彼は私たちとは違う道を歩き始めている。ルキアンは《敵》になった」
「ルキアンが? それは、どういうこと!?」
 驚きのあまり、思わず顔を上げたソーナ。答えるヴィエリオの口調には、対照的に微塵の乱れもない。
「敵の戦士となった。そういうことだ。あの後も彼は《アルフェリオン・ノヴィーア》の乗り手にとどまり、エクター・ギルドの飛空艦と行動をともにしているらしい。彼自身はともかく、君も知っての通り、ノヴィーアは恐るべき兵器だ。我らの理想を脅かすほどに」
「まさか、あのルキアンが……。あんなにおとなしくて、争いを好まない人が。どうして」
 ソーナの動揺を静めようとするかのように、彼女を抱きしめるヴィエリオの腕にも、いっそう力が加わる。だがその腕のぬくもりとは裏腹に、彼の口調は氷の刃のごとく冷ややかだった。
「ルキアンにも彼自身の譲れない思いがあって、戦いの道を選び取ったのだろう。もし彼と戦うことになったとしても、私は躊躇せずに倒す……」
 ヴィエリオの物静かな横顔は、窓から差し込む残照の影となった。
 一転して、怜悧な光が瞳に浮かぶ。


9 メルカの見た悪夢、ルキアンの最期 !?



 ◇ ◇

 今度の夢の中でも――あの荒野は炎に包まれていた。

 乾いた草むらや立ち枯れた木々を舐め尽くし、風のような速さで燃え広がる火焔。みるみる勢いを増し、渦を巻いて荒れ狂う炎の様子は、あたかも自らの意志を持ち、命を宿している化け物にさえ見えてくる。
 鋼の巨人や巨獣の残骸。傷つき、血を流し倒れた兵士たち。持ち主を失い、地面に刺さったままのサーベル。うち捨てられた背嚢や小銃。
 多くの者が力尽き果てた凄惨な戦場で、見上げるように大きな二つの何かが、なおも敵意をむき出しにして対峙している。
 双方とも翼をもった、黒い影と白い影。

 両者が何なのか。両者の戦いの結末は……。
 そのすべてを《彼女》は理解し始めていた。もう何度も、この同じ場面を見たのだから。そして回を重ねるたびに、恐ろしい夢の中身は明確になっていった。

 ◇

「大丈夫ですからね。何があっても、私たちが必ずあなたを守るから」
 優しくささやくように、それでいて力強い思いを込めた言葉で、シャリオは言った。白い僧衣をまとった彼女の胸に、一人の少女が顔を埋めたままで震えている。少女の顔は見えないが、亜麻色の豊かな巻き髪とピンク色の大きなリボンから、それがメルカだと分かる。
「もう、やだよ……。こんなの、やだ……」
 メルカは、小さな手でシャリオの法衣にすがりつき、ほとんど聞き取れないほど弱々しい涙声で繰り返す。
「ルキアンが……」
 単なる夢・幻とは言い難い、抗し得ぬ現実感と明瞭さとをもつ何らかのヴィジョンを通じて、彼女には見えたのだ。

 全身を損傷し、大地に崩れ落ちた銀の天使・アルフェリオン。
 引き裂かれるように散り、風に吹かれる無数の黒い羽根のイメージ。
 そして、うつ伏せに横たわるルキアン。
 息絶えたかのごとく、彼の身体は微動だにせず、起き上がることもない。

 ◇

 どのくらい経ったのか、メルカは医務室のベッドで再び眠りについた。閉じられた目からは、なおも涙が流れ、頬を伝う。
 ベッドの傍らの椅子に腰掛け、シャリオはずっと見守る。ただ、時おり、彼女は部屋の奥の方にも目を向け、何か変化がないかと慎重に様子をうかがっている。現在、シャノンとトビーも、彼女の患者としてこの部屋で休んでいるのだ。
 音を立てぬよう、そっと近づいてきたフィスカ。彼女に向かってシャリオは頷いた。
「気持ちが安静になり、眠りも深くなるよう、薬を調合して飲ませました。でも果たして、これは薬でどうにかなる類のものでしょうか」
「えぇぇ? 薬、効かないんですか……。でもメルカちゃん、寝るたびに恐ろしい思いをするなんて、可愛そうですよぉ」
 さすがのフィスカも深刻な表情で答える。口調は相変わらず少し奇妙だが、それが彼女本来のものだから仕方がない。
 眠っているはずのメルカに遠慮するような様子で、シャリオは溜息を抑えた。
「何と言えばよいのでしょうか。彼女の繰り返し見ている《悪夢》は、疲れや不安のせいでもなければ、心の病などでもないかもしれません。端的に言えば、それがもしメルカちゃんの《力》のせいなのだとしたら?」
 フィスカは意味が分からず、首をかしげている。
 沈黙。白っぽい光で室内を照らす《光の筒》が、二人の頭上で不安定にちかちかと瞬き、また元の明るさに戻った。そろそろ交換しなくてはといった顔つきで、シャリオは天井を見上げた。そのまま天を仰ぐような目で彼女は語り始める。
「気になるのです。メルカちゃんは普通では考えられないほど直感の鋭い子だと、時々まるで未来が分かっているようだと、ルキアン君が言っていました。そのことは、ネレイで私自身も見知っています。何も知らされていなかったにもかかわらず、メルカちゃんは、ルキアン君がクレドールに乗ることになると明らかに予見していました。そう、《未来》を……」
 ベッドの傍らの椅子に腰掛け、シャリオはメルカを見守る。フィスカが話を理解しているか否かは問題でないといった調子で、自分自身に問いかけでもするように、シャリオはつぶやいた。
「ラシィエン家は代々続く優れた魔道士の家系。この子に特別な力があっても不思議ではありません。そして、その種の力というものは、しばしば何らかの《きっかけ》により、突然に本当のかたちで目覚めるもの。もしかすると、メルカちゃんを襲った今回の不幸が……」
 シャリオの胸元では、神々の力を象徴する聖なるシンボルが光っている。メダルのような形状をしたそれを彼女は握りしめた。
 ――これが試練であったとしても、オーリウムの神々よ、罪なき清らかなこの子をお守りください。どうか、あのときの私のような思いなど、決して……。
 彼女の白い首筋には急に鳥肌が立っていた。背後にいるフィスカには分からなかったが、シャリオの表情は何かを怖れ、あるいは憎悪に歪み、唇は震えている。


10 何を企む? ファルマス、狂気の微笑み!



 ◇ ◇

 ほぼ、日も暮れた時刻。エルハインの都の背後の丘に、広大な市街を見下ろして黒々とそびえ立つ王城にも、点々と灯りが輝いている。相次ぐ増築で複雑に連なる城郭のうち、奥まった建物にある一室から、窓の光だけではなく、不可思議な楽曲も周囲に漏れ出していた。ハープシコードを思わせる音色の独奏だ。だがその曲が普通ではないのだ。
 細かな音符の群れが狂ったように踊る楽譜を、機械仕掛けのような、あるいは魔法の技のごとき超絶的な指使いがひとつの曲として再現している。蔦や唐草を模した黄金色の化粧漆喰に飾られた《円卓の間》の白壁に、その人間離れした演奏が響き渡る。
 まさに無心という態度で、ひとしきり曲を弾いたかと思うと、演奏の主は急に笑い出した。誰もいない広間に子供のように無邪気な――ということは、子供ではないということに他ならないが――声が反響する。聞いているのは、天井のフレスコ画に描かれた巨大な神々ぐらいなものだろう。
「さて! 今晩も楽しい夜になりそうだよ。僕も仕事、仕事……」
 独り言というにはあまりにも大きな声で、彼は満足げに言う。男は立ち上がると、ビロードのような艶やかな光沢を浮かべるグレーのフロック・コートを、洗い立てであろう真白いシャツの上から羽織った。
 広間の一角、鏡面仕上げの壁に向かい、彼は首に巻いた漆黒のクラヴァットの具合を丹念にチェックした。そして腰に帯びた白と黄金色の派手な剣に触れる。瞬間、刃がきらめき、再び鞘に戻された。彼が抜刀して一振りしたその様子は、正面に向けて水を打ったかのように、スムーズで素早い。
 独りでにこにこと笑いつつ、彼は円卓の間を出た。
 同じく過剰な装飾で埋め尽くされた廊下。別の部屋から出てきた人影が、こちらを見て言った。
「ファルマス、お出かけですか?」
 大きな縁のついた帽子を小脇に抱え、落ち着いた声で尋ねたのは、同じくパラス騎士団のエルシャルトだ。薄暗い廊下では、長髪の彼の横顔は美しい女性のようにも見える。
 しばらく無言でにんまりしていたファルマスは、いたずらっ子のような調子で答えた。
「うーん。内緒!」
「おやおや……。珍しく副団長殿がわざわざ出向くとなると、例の旧世界の少女とあの少年の件でもないようですね」
 感心しているようでいて、少し呆れているようにも見える表情で、エルシャルトは微笑んでいる。仮にも王国最強、あるいは世界でも屈指の機装騎士団の者とは思えないほど、この《音霊使い》の表情は物静かで柔和だ。
 おもむろに、すれ違う二人。
 そのときファルマスはエルシャルトの耳元でささやいた。
「例のイリスちゃんと、あの誰だっけ……単純な子、そうそう、アレス君のことは、手配は済んでいるから。僕の仕事は、もっと手強い。そして、もっと楽しい。いわゆるこれは……」
 口元は笑ったまま、ファルマスの目は虚ろになり、狂気じみた殺意を帯びる。
「決闘。かな」


【第38話に続く】



 ※2007年8月~9月に鏡海庵にて初公開
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