鏡海亭 Kagami-Tei  ネット小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

・画像生成AIのHolara、DALL-E3と合作しています。

・第58話「千古の商都とレマリアの道」(その5・完)更新! 2024/06/24

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第58)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

『アルフェリオン』まとめ読み!―第28話・中編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン



6 それでいいのか、メイ…。



 ◇ ◇

「何だ、まだこんな時間じゃないの。うるさいなぁ……」
 深夜にもかかわらず扉を激しく叩く音。眠りの世界から無理矢理引き戻されたメイは、みるからに不機嫌そうな顔で周囲を見回した。
 寝ぼけ眼で壁の時計をチェックするまでもなく、まだ窓の外は暗い。
「さっき寝たばっかなのに。眠らせろよ、もぅ……」
 一度起こした上体をふらふらとベッドに横たわらせ、彼女は再び寝入ろうとした。なおもドアの外でノックは続くが、彼女はほとんど耳に入らぬ様子で無視している。
 だが突然、船が荒っぽく方向を変え、メイは枕を抱いたまま床に転げ落ちそうになった。
 続いて艦尾の方から重々しい衝撃が伝わる。
 意識が朦朧としているメイは、乱れた髪の毛を掻きながら起き上がった。
「あれ……。セシーは?」
 クレドールのクルーたちは、基本的には数人でひとつの部屋を共同使用している。メイのルームメイトは女性乗組員3人だが、そのうちの1人はセシエルである。先程まで隣で眠っていたはずの彼女の姿がない。
 そして数秒後……。
「大変!」
 メイはようやく状況を理解し、布団を蹴り飛ばした。シーツや枕も散らかし放題。引きちぎるような勢いで寝間着を脱ぐと、奥の方に荒っぽく放り投げる。後でセシエルあたりが、文句を言いつつこれらを片づけることになるのだろうか。
「悪ぃ、今出るから!!」
 シャツを軽く引っ掛けたメイは、傍らのジャケットを鷲づかみにする。ともかくドアを開けた。勢い余って、扉の向こうに立っていた人物と真正面からぶつかりそうになる。
 非常時とはいえ遠慮して外で待っていたのだろう。彼女を呼びに来たらしい、まだあどけなさの残る見習いクルーが目を丸くしている。ルキアンとさほど変わらない年頃の少年だ。
「あ、あはは。ごめんごめん。おっはよぅー!」
 メイは彼の肩を叩くと、そのまま格納庫に急ごうとする。
「メイ。いくら緊急だからって、そんなだらしない格好で走り回らないで……」
 少年の隣にセシエルが厳しい顔で立っていた。
 そう言われて初めて気づいたのか、メイは下着の上に長いシャツを羽織っただけで、ボタンも掛けずに前をはだけたままだった。
 他方のセシエルは、今しがた起きたとは思えないほど、上から下まで見事な着こなしであった。いつの間にやら、サラサラとした黒髪もほとんど乱れなく整えられていた。そんなはずはないが、何かの魔法でも使ったのだろうか?
「セシーったら。そんな怖い顔するんじゃないって。でも少年、今のはちょっとサービスってとこだったかな? ふふふ」
 眉をつり上げ、じっとりとした目で睨むセシエルから視線をそらしつつ、メイは大慌てで服装を直している。実はブリーチズ、つまりズボンさえ穿かずに小脇に抱えていたのだが、彼女には身だしなみ以前に羞恥心というものがないのだろうか。
 それでもサーベルや銃は忘れずに持っているあたり――妙齢の女性としてこれで良いのかと、セシエルは溜息を付いた。
「艦橋からの伝言、あなたは今すぐラピオ・アヴィスで出撃して。ナッソス軍の奇襲よ。敵は重飛行型に乗った汎用型アルマ・ヴィオが6騎」
「たった6騎で艦隊に攻撃? いくら夜襲だとはいえ、思い切ったことをするわねぇ。陽動作戦か何かじゃないのかな。それとも玉砕ってか?」
 セシエルはメイの背中を押して催促する。
「まじめに聞きなさい! 敵は相当の手練れ揃いらしいの。いまプレアーが応戦してくれているし、レーイももう出ているはずだけど、やはり空の上だから、飛行型にも援護してもらった方が……。さぁ、早く行って!」
「分かった。レーイとプレアーだけで十分だと思うけど、まぁ……」
 エメラルド色のダブルのジャケット、その上にエクターケープ、胸元には青紫のクラヴァット。いつもの服装で決めてメイは走り出す。


7 奮戦のプレアー、危機一髪!?



 ◇

 ――速い!? 大きいくせして、こんなにスピードが出るなんて!
 暗闇の中を飛び交う敵を相手に、プレアーはたった1機で苦戦していた。
 巨体に似合わぬ素早さで襲いかかる飛行竜、ディノプトラス。濃紺の翼を羽ばたかせ、圧倒的なパワーで迫ってくる。
 その鋭い牙や爪にも気を付けねばならないが、単に体当たりされるだけでも侮りがたいダメージを受けるだろう。敵は、プレアーの操る《フルファー》よりも二回りほど大きい重飛行型なのだ。肉弾戦では分が悪すぎる。
 味方艦も全力で援護射撃を行うが、強力ではあれ小回りが利かず速射性も低い艦砲では、飛行型の敵を至近距離でとらえるのは難しい。実質的には、彼女が単身で敵に挑む結果になっている。
 ディノプトラスだけでも十二分に手強いのだが、その上にまたがっている《騎士》の攻撃が追い打ちを掛ける。飛竜をかわしつつ、汎用型の繰り出す長大なMTランスの槍先にも貫かれないよう、細心の注意を払わねばならない。
 プレアーは素早く機体の変形を繰り返し、フルファーの人型形態で敵の槍を受け止め、MTソードで応戦、ひとたび斬り結んで距離が開けば、今度は飛行形態に戻ってディノプトラスの速さに対抗する。
 ――負けるもんか。ボクだってギルドの戦士なんだ。お兄ちゃんたちには指一本触れさせないから!
 防戦だけで精一杯に近いとはいえ、6騎の《空中竜機兵》を相手に奮戦するプレアー。彼女は彼女で、これはもはや天才の域に達しているかもしれない。十代の頃から見習いをしている繰士は珍しくないが、プレアーは正真正銘のエクターだ。しかもギルドの猛者たちも顔負けの一流の繰士なのだから。
 ――いくよ、フルファー……。
 人の体にコウモリの翼と鹿の頭を持つ異形のアルマ・ヴィオ、フルファー。その頭部から伸びた見事な枝振りの角が、不意に青白い霊気を帯び、パチパチと音を立てる。
 次第に白熱化し、強まる発光。自然界の魔力が角にチャージされていく。
 襲い来る敵を払いのけ、プレアーは艦隊から距離を取った。
 ――撃てっ!!
 夜空が目映く光る。その閃光が消えた次の瞬間には、機体を中心に稲妻が四方八方に駆け抜け、闇を切り裂いていた。
 ――これは!?
 カセリナのイーヴァが間一髪で回避し、背後に流れていったビームの軌跡を見据える。
 怒濤のごとき魔法力。なおもその名残が空気中に漂っているかのような、強力な攻撃だった。これが旧世界のアルマ・ヴィオ、フルファーの秘密兵器である。
 爆発が生じた。さすがの敵もあの電光全てを避けられはしない。翼に直撃を受け、姿勢を制御できなくなったディノプトラスが、地上に向かって落ちるように降下していく。
 戦闘不能になったのはその1騎だけだったが、他に少なくとも2、3騎にダメージを与えたようだ。
 しかし精鋭の竜機兵団は直ちに体勢を立て直し、反撃に出た。
 イーヴァの目が光った。MTランスを構え、飛竜を駆って突撃するカセリナ。
 ――任せなさい、あれは私が討つ!
 彼女がそう言ったときには、イーヴァの槍はフルファーの目前にまで迫っていた。カセリナの腕前も半端ではない。伝説のヴァルキリーさながらの果敢な戦いぶりだ。
 ――こいつ、強い!? もっと離れなきゃ!
 プレアーは飛行形態に変形しつつ、MgSを発射した。凍結弾の激しい氷片の嵐が、イーヴァめがけて吹きつける。
 なおも突進してくるイーヴァとディノプトラスは直撃を受けたはずだが……。
 ――やった!
 しかし敵はプレアーの読みを――いや、アルマ・ヴィオの常識さえも、超えていた。
 ――甘いわよ、覚悟なさい!!
 六角形の光が、イーヴァの周囲を回って飛び交っている。それらはフルファーの放った凍結弾を完全に消し去っていた。機体の前面に展開されていたのは、ある種の次元障壁だ。
 一気に加速し、カセリナは渾身のひと突きを繰り出す。
 ――そんな、当たったのに!? カインお兄ちゃん、お兄ちゃん助けて!!
 たまらず悲鳴を上げるプレアー。


8 神剣・レーイ vs 戦乙女の槍・カセリナ



 もう駄目だと思った彼女だが、なぜか全く衝撃が伝わってこなかった。
 カセリナの槍はフルファーに届かず、不意に突き出された光の剣に弾かれ、方向を変えられていた。信じられないほど軽く。
 ――ディノプトラスの突進を加えたあの一撃を、MTサーベル1本で、それも片手で受け流した?
 空中竜機兵の突撃、その槍先に込められた強大なエネルギーは、正面から命中すれば飛空艦をも撃沈させ得るだろう。絶対の自信をもっていたはずのカセリナ。
 一本角の兜を被った汎用型が、イーヴァとフルファーとの間に割って入っていた。《生ける鎧》というよりは、むしろ機械的なフォルムを持つアルマ・ヴィオ、《カヴァリアン》。その乗り手はギルド屈指の戦士、そう……。
 ――レーイ! 遅いよ、もぅ!!
 プレアーは涙ぐみながらも安堵の様子をみせる。
 ――大丈夫か? こいつは俺に任せろ。お前が勝てる相手ではない。
 右手でイーヴァの槍を受け止め、火花を散らしあったまま、カヴァリアンは背中に装着されたMgSドラグーンを別の手で抜いた。
 間一髪、その銃口が火を噴く前にイーヴァはカヴァリアンを押し戻し、自らも高度を下げた。
 ――かわしたか。やはりな。
 そう言いつつレーイは次弾を発射していた。
 その一発はイーヴァの背後にいた別のディノプトラスを打ち抜き、見事に撃破する。彼は同時に別の相手の動きをも計っていたのだ。
 ――ディノプトラスの厚い装甲をいとも簡単に……。とっさに避けていなかったら、危なかったわ。それに発射と発射の間がほとんど空かない!?
 カセリナの胸の内を、初めての奇妙な感覚が走り抜けた。恐怖なのか、興奮なのか、自分でも分からない熱いものが。彼女は何かに突き動かされて叫んでいた。
 ――ギルドの戦士よ、私と一対一で勝負しなさい! 私はナッソス家のカセリナ。あなたの名は?
 念信を通じて予想外の名前が名乗られ、正直な話、レーイもいささか驚いた。
 ――カセリナ? それでは貴女がナッソス家のカセリナ姫か……。噂には聞いていたが、まさか自ら敵陣に飛び込んでくるとは。
 ――カセリナ様! 退いてください。ここは我々が食い止めます!!
 家臣たちはカセリナを止めようとする。レーイは――いま彼らの目の前にいる敵は、あまりにも強すぎる。たった一度の太刀捌きを見せられただけで、その底知れない実力が伝わってきたのだ。その敵の正体がギルド三強の1人だと言われるまでもなく。
 ――尋常に勝負なさい! 名を名乗れ!! 
 あくまで強気なカセリナ。
 ――お嬢様、いけません、お待ちください!
 部下の2騎がイーヴァの前に立ちはだかる。だが止められれば止められるほど、勝ち気な性格のカセリナは前に出てしまう。
 ――お嬢様の好きなようにさせてやれ。
 そう言って、1体の見慣れぬアルマ・ヴィオが仲間を押し戻した。
 大きめの肩当てや胸当て、青紫と黒の装甲の下に赤い間接部分が見え隠れする。ギルドにも軍にも所属していない機体だった。特徴的な武器は剣――重く分厚い、湾曲した刃を持つ大剣を装備している。
 この機体の繰士の名をカセリナが呼んだ。
 ――ムート……。
 ナッソス4人衆のひとり、東部丘陵のある部族の若き戦士、ムートである。
 ――俺たちは必ず勝つ。お嬢様も絶対に勝ってくれよ!!
 言葉少なに、彼は素朴な表現で告げた。あまりに単純に言い放ったようではあれ、止めても聞かぬカセリナの心情を彼は誰よりも理解していた。良くも悪くも――半ば諦めの気持ちで?
 そんなムートの心を知ってか知らずか、今までやや躊躇していたレーイが、敢えて感情を交えぬ声で言う。
 ――よかろう。貴族としての誇りを賭けて、貴女がそこまでおっしゃるのであれば。正々堂々と戦おう。俺はレーイ・ヴァルハート。ギルドの飛空艦ラプサーの繰士だ。
 思わぬ事態の進展に、幼いプレアーは困惑する。
 ――レーイ?
 プレアーはそこで言葉を飲み込んだが、本当は《まさか本気で殺そうなんて思ってないよね?》と言いたかったのだ。しかし彼女も戦士であり、そしてつい先程も命を危険にさらしたのだから、戦いの非常さについては痛いほど分かっている。
 ――いったん誰かと剣を交える決意をしたら……。そう、戦士になったら……男も女も、大人も子供も、ないことになっちゃうんだよね。ボクだってそれは知ってる。でも、でも……。
 レーイに伝わらぬよう、プレアーは悲痛な思いを必死に隠した。
 ――戦いなんか嫌いだ。だけどお兄ちゃんを守りたいから。いつだって一緒に居たいんだ。もしカインお兄ちゃんを失ったら、ボクは、ボクは……。


9 負の情念が、紅蓮の闇の翼を呼ぶ?



 ◇ ◇

 ――どうして戦うの? ちょっと待って、待ってよ……。
 ルキアンはうわごとのように繰り返す。
 2体のレプトリアとの戦いで、彼の精神は消耗しきっていた。焦点を失った視界の中、激しく交えられる砲火がぼやけて見える。
 レプトリアの脅威が去った今、ギルドのアルマ・ヴィオの群れはミトーニア市を再び包囲し、本格的に応戦を始めている。幸いにも、いまのところギルド側は市街を直接砲撃しようとはせず、まず市壁の外に築かれた砲台や塹壕の制圧に取りかかったようだ。
 これに対して守備側も頑強に抵抗する。数の点では相手方に遠く及ばないものの、ミトーニア軍は高性能な兵器を揃えている。じきにナッソス家からの援軍もやって来るだろう。
 いざ戦いが始まってみると、ギルドの陸上部隊だけでこの街を攻め落とすことは、そう簡単ではない。やはり空からの支援が必要となる……。
 ミトーニアへの攻撃は、できるだけ一般市民の犠牲を出さぬよう配慮しつつ行われている。それでも時には《事故》が――ルキアンが注視していた間だけでも、何度かMgSの流れ弾が外壁を飛び越え、市街地に命中してしまっていた。
 市壁の背後に頭をのぞかせる尖塔が、炎に包まれて倒壊するのが見えた。
 その光景を目にして、ルキアンは《あのとき》のことを反射的に思い出す。黒いアルフェリオン、ドゥーオの攻撃によってカルバの研究所が焼け落ちてしまったときのことを……。
 炎の中で助けを求めて泣き叫んでいたメルカ。
 あの事件ですべてを奪われ、それ以来、幼い瞳からは生気の光が消えた。
 メルカだけではなく、ルキアンも《日常》を失った――皮肉にもその《喪失》と引き替えに、彼の運命の歯車が動き始める結果となったにしても。
 ――僕は自分の日常に不満を持っていたけど、そんな僕ですら……疎ましいはずのあの日々を失うことを、あれほど恐れた。ましてや《幸せな》人たちにとって、日々の生活は本当に大切な宝なんだ。たとえどんなにささやかでも、彼らにとっては全てなんだ。変わらない今日や明日が……。
 彼は悲しい思いを込めて、いや、厳密には同情といった言葉では決して汲み尽くし得ない、複雑な気持ちでミトーニアの街を見つめる。
 ――今日と同じ明日が再びやって来るのなら、それで、いいんだよね……。今の喜びがずっと続けばいい。その通りだ。いいじゃないか、それで。そのままで……。それで、でも、本当にいいのだろうか? 
 不意にルキアンの胸中に暗い影が差した。
 ――今日と同じ明日がまためぐってくる限り、変わらない限り、ずっと苦しみ続けなければならない人は……どうしたらいいんだろうか。もしあのときの《きっかけ》がなかったなら、僕だって、僕は……あの凍り付いた日常の中で、何をどう変えることができたというのだろう? できないよ。僕一人だけの力では無理だったと思う。這い上がろうとするたびに、滑り落ちて。あのまま、頑張っても頑張っても、いつまでたっても割を食ってばかりいたら……変えられないのなら、僕だって、こう考えたかもしれない。それならいっそのこと、全て壊れてしまえばいいのに、と。
 一瞬、揺らめく炎に負の情念をかき立てられたルキアン。
 彼の歪んだ言葉に呼応するかのごとく、《あれ》の姿が鮮明に蘇った。炎の翼を持った赤い巨人の幻が、ルキアンの脳裏をよぎる。
 《クリエトの塔》が立ち並ぶ風景。平和な旧世界――否、旧世界の繁栄を味わい尽くすことのできた限られた場所、すなわち《天上界》だ。
 絶望や欠乏とは無縁にみえる光の都。
 その清潔ながらもどこか冷たいイメージに向かって、赤い巨人の持つ大鎌が振り下ろされる。どす黒い炎が全てを飲み込んだ。


10 永遠の青い夜―天空人と地上人の誕生



 だが赤い巨人を、《紅蓮の闇の翼》を目覚めさせてはならないことは、ルキアンにも本能的に分かっている。やり場のない苛立ちのようなものを、彼は心の奥底に押し込めた。何度も頭をもたげてくる暗い憤りを。
 ――分からない。でも、なんか、ここで倒れているだけじゃ、ダメな気がするんだ。悔しいっていうか……。嫌なんだ!
 重々しい鎧の音を立て、アルフェリオンがふらふらと立ち上がっては、また地面に倒れ込む。
 極限的な疲労感の中で、ルキアンは意地になって立ち上がろうとした。
 理由は自分にもよく分からない。
 銀の天使は両手を地面に着け、無様に何度も這いつくばる。
 だが、ルキアンは止めなかった。
 ――もうこれが限界だと、そう感じたら……僕はいつも、それ以上は頑張らなかった。やるだけ無駄だという気持ちを、心の奥底にまで刻み込まれていたから。光の中で頑張れば、その報いは確かにある。だけど一度、光の当たる場所からこぼれ落ちてしまったら、同じように頑張ったところで……いつでも報われなくて、損ばかりして……でもそれでも我慢していなきゃいけないって、ずっと感じていた。
 ひとり痛々しく言葉を吐き続けるルキアン。
 彼が自らの心の中で語ることは、全てリューヌにも伝わっているはずなのだが、彼女はじっと黙っていた。
 ――頑張ったところで報われないのなら、頑張らない方がマシだと思ってた。いや、頑張っても報われないのにそれでも頑張るなんてことをしていたら、空しいだけだと……そう思い込まされていた。だけど、それでいいんだよ。そのまま頑張って、倒れずに立ち続けていることが……そうやってあがくこと、それが、僕からの《抗議》で、そして僕の《戦い》なんだから。
 とうとう、ルキアンの思いは爆発的に溢れ出た。
 彼らしからぬ激しい言葉。
 ――ふざけんな。空しくなんかないぞ! もし悪あがきだったとしても、それをやめてしまえば、僕は自分の未来をこの手で閉ざしてしまうことになる。どこかで些細なボタンの掛け違えをしてしまっただけなのに……それでも《仕方がない》からと諦めて、見えない《烙印》をずっと背負わされ続けることを、承知してしまったら……今までの僕みたいに。でも僕は、もう《仕方がない》なんて言わないって、決めたんだ。負けるか!!
 今のルキアンは、己の激情を煽ることによって、意識を無理矢理に保っている。彼のどこにそんな力が隠されていたのか。凄まじい執念だ。
 真っ白な頭の中に、様々な言葉や象徴が去来する。
 そのひとつ、永劫の烙印――苦しみ続けなければならない人々――幻夢の中で見たあの荒れ果てた世界を、ルキアンは自然と連想した。
 今では彼にも分かっている。あれが《地上界》なのだ。
 ルキアンがそう意識したとき、リューヌの思いが彼の心へと静かに溶け込み始めた。
 ――そう、地上界の真実を伝えましょう。あなたはまず知るべきなのです。幻の中に浮かんだ、あの青い星。あれが私たちの本当の故郷。でも遠い昔、あの星は《永遠の青い夜》によって死の世界に変わってしまった。そして終わりなき絶望を、運命のいたずらによって背負わされた人々がいた。変わり果てた母なる星に置き去りにされた人々。彼らは《アーク》の民になれなかった、烙印の民。選ばれなかった者たち。それが《地上人》。
 あの少年の姿をルキアンは即座に思い起こした。
 不毛の大地の上、遠い目で子犬を抱いていた、やせ衰えた子供のことを。
 天空から降り注ぐ光の柱によって一瞬で命を奪われ、何も楽しいことなど知らないまま、死んでしまった男の子を……。
 リューヌは淡々と、それでいて哀調を帯びた声で続ける。
 ――それから遙かな年月が過ぎ、過酷な環境の中で地を這って生き続けた人々は、あの美しい星の姿を少しずつ取り戻し始めていた。《天空植民市》にはない豊かな大地の恵みを、地上人たちは自分たちの手で蘇らせつつあった。すると天空人たちは、自分たちが見捨てたはずの《惑星(ふるさと)》を、再び我が物にしようと考え始めた。そして地上人の新たな犠牲のもとに……すなわち、地上界に対する強引な収奪によって……《天上界》はさらなる繁栄を誇った。天空人は、その繁栄が《勝者》の自分たちに与えられて当然なのだと、無神経に信じ込んでいた。そして地上界の《敗者》がずっと敗者のままで、自分たちに取って代わることがないよう、永遠に分かたれた光と闇の二重世界を、暗黙のうちに、そのくせ完璧なまでに作り上げていた。


【続く】



 ※2002年2月~3月に鏡海庵にて初公開
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