Gym&Edu blog

教育時事に関すること、体操競技に関することを中心としたブログ。

古墳考

2007-07-28 19:56:13 | 教育
 採用試験の勉強に息詰まったのでちょっとドライブかてがて古墳を見に行きました。何か気分が変わればと思って。

 行ったのは馬美古墳群。公園になっていて小さいながら資料館もあります。写真のように古墳も復元されています。

 やはり本物を見ると面白いですね。いろいろ思い浮かんでくるものがあります。それを少し記します。


 資料館で古墳の作り方のアニメがあったのですが(ちょっと映像を入手したいと思いました)古墳はまず溝を掘る作業から始まるそうです。土を盛って古墳は作られるのだから考えなくても当たり前といえば当たり前なのですが、これに少しはっとしました。

 つまり溝のない古墳はないということですね。さらに溝を掘った土だけでは足りないのでほかからも土を持ってくるそうですね。ということは、古墳の周辺には池が多いのではないか、と予測しました。そこで実際に写真の古墳の上に上ってみました。確かに周囲に池が数箇所ありました。

 このことから何が言えるか。
 古墳の造成理由が見えてくるように思いました。

 古墳がなぜつくられるかという理由は、権力誇示、外交的な広告(堺市にある百舌古墳群は特に)といった理由が挙げられると思います。(自分が思いつく限り)

 しかし、これだけの理由で何十万人という人々を動員できるのか。この点が実は何度か疑問を感じたことがありました。

 この疑問が先ほど書いた「溝」、「池」につながってきます。
 つまり、古墳作りは権力者が権力を誇示するためだけのものではなく、「溝」や「池」などを作るいわば大規模な灌漑事業も兼ねていたのではないか。だから、実は農民たちも古墳作りに協力した、とは言わないまでも無理やり働かされたにせよ反乱などを起こそうとはしなかったのではないか。灌漑事業であれば自分の生活も関わってくるわけですからそう考えると先の疑問は解決される気もします。

 この仮説があたっているかどうかはわかりません。的外れなことかもしれません。いずれ調べてみようと思います。

 もし、この考えがあたっていれば、古墳造成の絵などを見て、奴隷のように働かされて古墳を作らされているとまず初めに思うであろう子どもたちの常識を覆せるものだと思います。
 
 やはり現場を見るとなぜかいろいろ発問やら疑問やらがわいてきますね。するつもりもなかったのに久しぶりに社会科の教材研究っぽいことができ気がします。
(もしあたっていれば)ぜひ子どもたちにこうした追究をして貰いたいものだと思いました。

わくわく授業

2007-07-07 20:20:50 | 教育
 http://www.nhk.or.jp/wakuwaku/jugyo/070701.html

 NHKでやってる番組。学生のときはよく見るようにしていたんですが、最近はサボってみていなかった。。
 きのうは久しぶりに見ました。自分が担当する教科だったので。

 授業はは4年の算数で「円と球」という単元でした。流れは次のような感じでした。

 ・きれいな丸が書きたい。
 ↓
 ・等間隔に点を書いていったら?
 ↓
 ・等間隔に点を打つだけではだめみたい。
 ↓
 ・さしや分度器を使ってみたらきれいにかけるかな。
 ↓
 ・真ん中を決めて点を打ってさしで点を打っていけばいいかな。
 ↓
 ・真ん中の点から適当に点を打ってはだめみたい。
 ↓
 ・真ん中に決めてところから両方に同じ距離に点を打っていけばきれいに書ける。
 ↓
 ・真ん中の点は中心、中心から両方に打った点までの長さを半径という。

 こんな感じでした。

 この流れを先生がいちいち示すのではなく、児童たちがそれぞれ発言したり考えたりする中で生まれていく、という内容でした。

 円の学習で大事なことは円の定義で「ある1点から等距離にある点の集合」です。
 これを児童自身の思考のみで出させるってすごいな~と思いながら見ていました。

 教科書を使わず主題を追求し、教師はファシリテーター(促進者)としてのみ活動し、子どもの思考、発言から主題に対する解や真理を求める授業は、佐藤学の「挑戦する教師」という本にあった授業論とかぶる気がしました。「学びの共同体論」というものでしょうか。

 こうした授業ができればいいですよね~確かに参考にはなるしあこがれもしました。実際参考にすると思います。

 が、昨日の授業を見ていても思ったことですが、「時間がかかる」という致命的な問題点があるように思います。昨日の授業は何時間ぐらいをまとめたものでしょうか。3時間くらいだと思いますが、実際、円の定義などは1時間で済ましてしまわなければ時間が足りません。

 時間のことを挙げて言い訳をしてはいけないでしょうが現場でこうした子ども中心の学習をしえない理由のひとつだと思います。
 とはいえ、その中でも工夫をして子どもの考えを引き出す「学びあう」授業を構築することが必要なのでしょうが。。
 

授業プラン

2007-01-30 00:23:10 | 教育
 今学期、毎週月曜日に教師になる人(なれるか分からないのは自分だけ)が集まって模擬授業をしてました。

 今日が最終日だったのですが、色々勉強になりました。

 今日は本当は、楽しく歴史が学べるように「人物学習」という方法を少し工夫しようかと思ったのですが思うところがあって、中学校で最初に学習する単元の授業構成を考えました。どのような内容か一部を簡単に説明すると、、、

 「①世界の国境にはどのような国境があるか?→川の利用、山脈の利用、直線。
  ②直線の国境はどの地域に多いか?→北アメリカ、アフリカ
  ④どうして直線の国境か?→植民地支配の影響。
  ③アフリカではこの直線の国境によって内戦がおきて、子どもが兵士にされている、どうしてこのようなことが起るか?どう思うか?私たちは何ができるか?→( ? )」

 ちょっと簡単にまとめすぎたから分かりにくいかな?
 この写真の「子ども兵」は実際の話です。NHKスペシャルで昨年放映していたのを思い出して、こういう授業を考えてみました。
 (http://www.nhk.or.jp/special/onair/050724.html

 授業構成についてねらいとしてこのようにおきました。
 「中学校社会科全体の目標として指導要領に「国際社会に生きる民主的,平和的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。」と掲げられている。それに対応するように、3年生「公民」の最終単元として「世界平和と人類の福祉の増大」が置かれている。
 しかし、この最終単元は、国連の機能や世界の紛争に軽く触れる程度に終わるだけに終始する傾向にあるように考える。その理由としては、やはり教師側にとっても、生徒側にとっても、動機付けが少ないからであろう。
 中学校の最初の段階で、国際平和に関する動機付けを行なうことは、3年間社会科を学ぶ動機付けにもなるので、有効であると考える。よって、中学校「地理」の最もはじめの段階で、紛争問題を取り上げ、「国際平和」について関心を向けるような展開とした。」

 最後を空白にしているのは、中1になったばかりの生徒にとってまとまった答えが出ないであろうと思うからです。
 3年後、社会科という教科を学んで答えを出してくれたらと思います。

 以前から、S木さんのカリブ海の様子を書いたブログや、協力隊で開発途上国に行っておられた先輩の話を聞いて、授業を考えないといけないな~と思っていたのですが中々出来ずにいました。今回ひとつのプランとして示せたかな~と思います。

 今回の授業会ではでK君が青年海外協力隊をテーマにした授業をしていましたが、その中で「開発は一方的なものではなく、協力隊が帰国した時、日本にも大きな影響があることに気付かせたい」としていましたが、その通りだなと思います。開発を通して、「日本が途上国に何か与えるだけはなく、日本も途上国から学ぶ。」こういう構図にならないと、本当に「持続可能な世界」にはなりえないのではないかな~と考えます。

 だらだらと書いてしまいました。ここまで読んでくれた方ありがとう☆

教科書で教えない地理-いろんな国々-

2006-11-20 02:24:45 | 教育
 ちょっと教材になりそうなものを見つけたので。

 国家の成立要件って知ってますか?
 「領域・人民・主権」です。この一つでも欠ければ、国家と呼べなくなります。しかし、逆にこの3つさえ揃えば国家と呼び得るのです。

 シーランド公国

 こんな国があるそうです。イギリスの側に。けど人口4人って・・・しかし、一応3つは満たしえているんですよね~とはいえ、成立要件のほかにも、「国際社会」から認められる、という暗黙の条件もあるので、まあ国家と厳密に言えるのかどうか分からないですが。

 オーストラリアにも似た「国家」があるようです。

 ハット・リバー王国

 こちらは人口20人程度。国を主張しているようですが、オーストラリア政府からは無視され、国民は興味本位で見守ってるそう。こちらももちろん国際社会からは認められていません。

 こういうのを見ると、今の世でも、頑張ったら国を持ったり王様になったり出来るのかもしれませんね。ほとんどの人が笑って取り合わないと思いますが。

 ところで、こんな笑い話のような国ばかりでなく、国際社会に認められていなくても、国のようなはたらきを持つ地域があります。

 アブハジア
 南オセチア

 ともに、国際社会は「グルジア」という中央アジアのひとつの国家の一部に所属するある地域のことだ、としています。しかし、実際はともに独立した国家のような存在となっています。
 そしてその過程に至るまで多くの血が流れたようです。そして、争いは今なお続いています。国家のことを知る際、先に書いた笑い話のようなことを授業の導入で取り扱っても楽しいですが、同時に国家をめぐった熾烈な、残酷な状況があることを知らずにおいてはいけないでしょうね。

必修科目の履修漏れ問題

2006-10-26 22:00:47 | 教育
 「必修」逃れ98高校に…成績表改ざんも

 富山県の高校で必修科目の履修漏れが発覚してから芋づる式に、各地でも同様のことがあると発覚していますね。しかし、これも氷山の一角だろうという見方も強いです。
 現在の、高校地歴の履修は以下のとおりです。
 ・必修科目・・・世界史
 ・選択科目・・・日本史か地理

 これを無視して、世界史を履修していなかった、ということが今回問題になっている(大筋で)ようですね。
 実は、世界史はセンターの選択率が低い科目です。だからこのような問題が出来したという見方もあります。そして、その延長として、世界史は必修にすべきなのかという議論もあります。世界史に変えて日本史を必修に、という動きもあるようです。この問題は一概に良い悪い言えないので、また勉強して書こうと思います。

 ただ、迷惑を受けるのは生徒達ですよね。生徒達が卒業できない、という最悪の事態は避けられれば良いなと思います。

 話は変わりますが、法規ぎりぎりなのは高校社会だけではなく、中学社会でもなんですよね。あまり知られていないけど。
 皆さんは、中学の時社会科は「地理→歴史→公民」という順番で習いませんでしたか?僕はそのように習いました。というか、それ以外のやり方があるって言うのは大学に入って勉強するまで知らなかった。しかし学習指導要領にはこう書かれています。

 「各分野の履修については,第1学年から地理的分野と歴史的分野を並行して学習させることを原則とし,その基礎の上に第3学年で公民的分野を学習させること。」

 専門用語で「地理→歴史→公民」という順番で教えることを「座布団型」、「地理・歴史並行→公民」を「パイ型」と言います。模試で書かれている「直行型」「並行型」と同じです。「座布団型」のほうは原則としてダメなんですよね。しかし「原則」であるので「例外」は認められるということで、よくされているのでしょうか。
 個人的には、「座布団型」の方が良いのでは?と思いますが、現在は「パイ型」の方が広まりつつあります。

いじめ問題

2006-10-21 21:38:18 | 教育
 10月17日付・読売社説(1)

 最近非常に世間では問題になっていますね、このいじめ問題。色々といわれていますが、本当にいじめの大本が教諭にあったとしたならばそれは、とても悲しいことであるとともに許しえないことであると思います。本来、弱者をいじめることはいかなる理由があっても許されないという毅然とした態度を取るべき指導者が、いじめに加担していたなどあってはならないことです。そのような行動をしていた教師や、あるいは看過していた教育委員会は今後、現在受けている批判を受けて、襟を正す必要があるでしょう。

 しかし、テレビによる報道を見ていると、釈然としないものが残るのも否めません。それは、今回の事件を挙げて、「教師叩き」をマスコミがしているように見えることです。
私は、教師ではありませんし、一介の教育を勉強している学生ですので、多少は教員のことについて客観的に見ることが出来るように思います。ですがやや、教員よりの意見になってしまうかもしれません。その点、以下に書くことについては許していただきたいと思います。

私は現在、ボランティアとして週何度か学校に入っていますし、これまでに計3校で実習を積ませてもらいました。その中で、出会った先生方は、皆とは言いませんが、多くの方が立派な人でした。生徒や児童のことを心から考えている人がほとんどでした。しかし、どうでしょうか、昨日の報道では、どうも教師皆が悪い、教師同士のいじめが酷いなどというような結論になっていたように思います。何十人の中の5人が、問題のある解答をアンケートでしただけで。もちろんそのような5人がいることはいけないことです。しかしだからといって教師皆が今回のような事件を起こすような人ばかりではありません。先にも述べたようにほとんどの先生が子供のことを真剣に考えています。
指導の過程で、強く言うこともあるでしょうし、叱ることもあるでしょう。そういたときに必要なのは、教師に対する信頼です。指導の背景に世間という大きなバックアップがなければ、やはり良い指導は出来ないように思います。今回のことで、そのバックアップが弱まることがあったとしたら、それは非常に危険なことであるようにも思います。
再度言いますが、私が関わった教員の多くは、本当に目の前にいる児童生徒達たちに対する教育について考えていました。それは校長先生も同様ですし教育委員会の先生も同様でした。
 今回の事件についての批判は大いに必要と思います。しかし、出来るだけ感情論にならずに、理性的に、本当に今後に生きるような批判を期待したいと思います。(やっぱり教員になりたい人間なので、教員側の視点で書いてしまいましたね。)

朝日家庭教育講演

2006-10-04 22:56:53 | 教育
日曜日、朝日家庭教育講演にいってきました。以下が要約と感想。メモをもとにまとめるので正確かどうかは。。。もう3日も前の記憶なので。

第1部 子どものやる気と能力を引き出す驚異のパパ・ママコーチング
    (講演者:小山 英樹)

 子ども(生徒)をコントロールするのではなく、コーチングするという発想の転換の必要。
 
 ・コーチングの方法Ⅰ(話の聴き方)
 ①(とにかく)子ども(生徒)に質問する。
 ↓
 ②その話をじっくり傾聴する。
 ↓(・集中する。・判断をしない。・沈黙をおそれない。)
 ③承認する。(否定したり判断したりしない、ということかな?)
 ⇒色々指示するのではなく、こうした流れから自分で気付くようにしていく。

 ・コーチングの方法Ⅱ(ほめ方)
 ×・・・YOUでほめる。(評価だから)

 ○・・・Ⅰでほめる。(うれしい、感激した、信じている)
     事実を伝える。(70点取ったね、約束守ったね)

 確かに教育の観点は、これからはコントロールからの脱却が大切になってくるのだろうな~と感じました。

 第2部 家庭における親の役割
     (講演者:茂木健一郎)
 
・今の学校教育が教えてこなかった能力
「感情の力」

答えがないとき、大事な時は感情(直感とか)がはたらく。
(例、結婚の選択とか)

情緒の豊かさを育てる(情操教育)
(危機的な状況でどのような感情が立ち上がるかが大事。)

どのようにすればよいか?

何でも生の体験を積み重ねることが脳にはいい。
(生の体験は教科書などと違い編集される前の情報だから良い)

生の体験=将来の不確実性。この不確実性を楽しめるかどうかも課題
(初めての体験はドキドキするけれども、このドキドキが脳には良いらしい)

 決して知識が不必要と言っていたわけではありません。けれども知識を活用する能力や、何か判断をせまられる場面で正しい感情を瞬時に立ち上げる能力がこれからは必要。だから経験学習が大切になるのではないかという提言だったように思います。

 ・子どもはなぜ不確実性を楽しめるか。

子どもはどうしてそうした不確実性を楽しむことが出来るか。

親が後ろから見守っていること。(安全基地の存在)
(安全基地を得られない子どもは非行に走る可能性がある:ボルビーの研究)

安全基地を与えるには?

親が目を合わせてあげる。

そうするとこどもは情緒力・感情豊かにもなる。

 安全基地の論はとても興味深いものでした。悲しい理論ですが、多分そうなんだろうなと思います。
 不確実性を楽しむ。。。子どもに対してよりも大人に対する提言ですね。

 茂木さんの話から情操教育という言葉が出てきたのは驚きでした。しかし、脳の話からそういうことに行き着いたので納得はしましたが。
 講演を聴いたお二方とも、思いっきり新しいことをおっしゃっていたわけではありませんでしたが、改めて聞くとフムフムとうなずく場面が多くとても勉強になりました。
 やっぱり講演会とか行って勉強しないとダメなんでしょうね~

教科書で教えない歴史-補佐役-

2006-09-24 15:31:43 | 教育
先週(?)、NHKの「その時歴史が動いた」で豊臣秀長と言う人物が取り上げられていました。
 知っている人は少ないでしょうが、豊臣秀吉の弟です。
 高校の教科書や図版、用語集にも出てこない人物です。名古屋の貧しい農民の出身でありながら、200万石の領地を得、大納言の位に上り詰めた人物など、兄を例外としても他にいません。また、ほとんど小説やドラマになっていません。よほど領地も少なく、官位の低い前田利家や山内一豊が大河ドラマになっているにもかかわらず。
 と、いうのもこの人には派手な武勇伝や、恋愛話、面白おかしい逸話などがほとんど伝えられていないからです。もちろん、この人物が凡庸な人物であったというわけではありません。後世の歴史家もその存在は高く評価しているようです。このように全く目立っていないのは、秀吉の「補佐役」という役割に徹していたためであり、手柄話は豊臣家に同化させ、出来るだけ目立たないように秀長自身が仕向けていたからのようです。テレビではあまり触れられていませんでしたが、秀長のもっとも評価すべき所は、この「補佐役」という役回りに徹したことでしょう。現代風に言えば、社長の座を決して狙わない副社長、でしょうか。あまり考えられませんよね。しかし、この人物は、どうもそれをやり遂げたそうです。組織の発展を考える際、こうした人物像から学ぶべきことは今でも多いのではないでしょうか。
 ちなみに、秀吉が突如おかしな行動を取り出すのはこの人の死後です。甥の秀次や茶人、千利休を切腹させ、朝鮮に出兵します。後の関が原の戦いの引き金を作った武闘派と文治派の諍いが激しくなったのもこの人の死後です。有能なトップを頂きながら、補佐役を失ったために破綻に向かう組織の典型的な例です。
 学校ではほとんど取り上げられない人物の方が逆に勉強になったりするんですよね。
 この人物のことは「補佐役」の考えに着目した堺屋太一氏の「豊臣秀長」(文春文庫)に詳しいです。経営学・経済学に興味がある人は結構面白く感じるかもしれません。またフツウに小説としても楽しめます。この当時の時代背景を知っていなくても十分楽しめると思います。

体罰

2006-09-18 15:52:36 | 教育
 殴ることが「解決」…じゃない

 前回で書きそびれていたことを書きます。

 体罰に関する問題ですが、なぜいけないか。これは上に張った記事で答えになっていると思います。

 暴力で解決してしまうと、結局それが解決策になると、子どもに教えることになってしまう。そしてこどもは力が強くなると家庭でも友人関係でも暴力に拠ってしまう。そして大人になって子どもに・・・結局連鎖になってしまいますね。
 だから教師は体罰を方法に対処してはいけない。(もちろん法的、道義的理由も根拠となりえますが)

 しかし、力を用いずに指導するのもまた、簡単なことではないと思います。人間関係が出来ていれば、、、と考える人が出てきても不思議は無いと思います。
 この問題は、教師になった際誰でも悩む問題でしょうね。。

「キレる」子供たち

2006-09-17 16:27:54 | 教育
 [キレる小学生]「限界を超えれば“強制退席”も」9月15日付・読売社説(1)

 悪いことをする子どもには殴って分からせればいいという意見がありますが、体罰は学校教育法で禁止されています。

 「第十一条  校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」

 この体罰についての定義ですが、時々勘違いされるのですが肉体的苦痛のみではありません。精神的苦痛も含まれます。そして、マンガやドラマで時々見られる、「廊下でバケツ持ち」もまた体罰に当たります。これは当該児童生徒の教育権を奪っているからです。

 しかし、児童生徒を外に出すことが出来ないことはありません。学校教育法には次のようにも書かれています。

 「第二十六条  市町村の教育委員会は、次に掲げる行為の一又は二以上を繰り返し行う等性行不良であつて他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる。
一  他の児童に傷害、心身の苦痛又は財産上の損失を与える行為
二  職員に傷害又は心身の苦痛を与える行為
三  施設又は設備を損壊する行為
四  授業その他の教育活動の実施を妨げる行為」

 しかしこの措置をとる場合は非常に少ないそうです。教育委員会レベルの話ですし、現場が声を上げにくいということもあるのでしょう。

 最近ボランティアで学校に入っていますが、この校内暴力や体罰について色々考えさせられます。非常に難しい問題です。
 ただ最近思うのは、暴力を振るう児童はそれでしかコミュニケーションを取れないのかな~ということ。意外にそんな児童は寂しがり屋だったりするように感じてきました。そんな児童が「もう学校に来るな」って言われたら悲しいでしょうね。。何とか暴力が悪いことを理解させて、いいところを伸ばせるようにするのが必要でしょうね。まぁ理想論といわれるかもしれませんが。