投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

朝鮮の酒

鄭 大聲 「朝鮮の酒」 築地書館

2003年の暮から~2004年の正月にかけて読んだ酒に関するモノの一つ。

最初に日本酒に関してのモノをいくつか読み、その後で朝鮮についても知りたくなり図書館を探してみたのだが、あまりない。と言うかほとんどない。しかしその理由がこの本を読むとなんとなく分かるような気がする。この本だけで決めつけるのは間違いなんだろうけど、朝鮮では酒自体が発達してないのだ。酒について語るもの自体がない。下記の「酒幕」について考えただけでも十分未発達な状態が理解できる。

※「語るもの自体がない」と書いたが、朝鮮の酒に何を求めているかなのだが。。。。

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酒幕:木賃宿、酒場。高麗時代より日本統治まで続く。
   朝鮮末12万の酒幕あり。
   日本統治時代4000程度に減る。
   日本の酒屋を想像してはいけない。
   どぶろくを売る小屋だと思ったほうが良い。
   どぶろくが入った甕を小屋の中に置き、ドンブリに柄杓でくんで客に手渡す。
   その時、麹などの酒かすを濾すためにザルを通す。
   だから看板代わりにザルを店先に掛けていた。
   こんな店が高麗時代より延々と朝鮮末まで続いたのだ。
   日本統治で激減するのは日本が日本の酒税法を持ち込んだため。

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この鄭大聲と言う在日朝鮮人の筆者は豊富な朝鮮の酒について語っているのだが、その豊富さとか特色とは、マムシ酒とか梅酒とかの類でしかない。松の幹に穴を穿ち仕込んだ酒であるとか、桃の枝を酒の甕に入れて仕込んだとか、竹の香りを付けたとか、まあそういうものでしかないのだ。朝鮮は数百年間、何もしてこなかったのか?と思わせる。

室町時代以降、急速に技術革新を起こし、コッホに遥かに先立って低温殺菌の技術をモノにし、企業として発展していった日本の醸造家が造る日本酒や、多種多様な材料と醸造方法で酒を作り出す中国のそれの面白さとは比べることはできない。

>朝鮮末12万の酒幕あり。

仮に李氏朝鮮末期の人口を1500万人とすると「酒幕」の数が12万だから、125人に1軒の酒幕があったことになる。そこらじゅう酒屋だらけになるが、酒を造っている家は皆、酒幕だと思えば良いようだ。一杯飲み屋が自家製の酒をその場で売っている状態だから、酒を流通させると言う考えもあまりない。だから、そこらじゅうに酒幕ができるのかもしれない。

もっとも流通に関しては酒に限ったことではない。一般の生産物全て流通は未発達だったようだ。

>日本統治で激減するのは日本が日本の酒税法を持ち込んだため。

朝鮮では酒は課税対象でなかったようだ。
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