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『中庸』第六節

2013-12-04 17:00:00 | 漢文
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       『史記』、『戦国策』の解読を載せています

               第六節
子路が強について尋ねた。孔子が言われた、「強にも色々有るが、尋ねているのは、南方の強か。北方の強か。それとも中国の強か。寛大でやさしく、それによって民を教化し、無道なことをする者にも、報復はしない。それが南方の強である。だから君子はこの強に居る。甲冑などをしとねにして、死をもいとわないのは、北方の強である。そして汝の強はこの北方の強である。だから、君子は人と合わせても、人の説に影響されることは無い。意志は強く、立ち居振る舞いも強いのである。誠に強であるよ。常に中立の立場を堅持して偏らない。意志は強く、立ち居振る舞いも強いのである。誠に強であるよ。國に道が有れば、心の實を改変しない。誠に強であるよ。國に道が無ければ、死に至るまで、心の實を改変しない。誠に強であるよ。」


子路問強。子曰、南方之強與。北方之強與。抑而強與。柔以教、不報無道、南方之強也。君子居之。衽金革、死而不厭、北方之強也。而強者居之。故君子和而不流。強哉矯。中立而不倚。強哉矯。國有道、不變塞焉。強哉矯。國無道,至死不變。強哉矯。

子路、強を問う。子曰く、「南方の強か。北方の強か。抑々(そもそも)而の強か。柔以て教え、無道に報いざるは、南方の強なり。君子之に居る。金革を衽して、死して厭わざるは、北方の強なり。而して強者は之に居る。故に君子は和して流れず。強なるかな矯。中立して倚らず。強なるかな矯。國道有れば、塞を變ぜず。強なるかな矯。國道無ければ、死に至るも變ぜず。強なるかな矯。」

<語釈>
○「而」、鄭注:「而」の言は女(汝と同じ)なり。中国を謂うなり。○「柔」、寛大でやさしい。○「金革」、甲冑などの武具。○「而強者居之」、この「而」の解釈に依り、此の句の意が違ってくる。鄭玄も朱子もこの点については触れておらず、此の文章どおりに、強者は此の北方の強に居ると解釈しているが、私は先の「而」と同じく「汝」の意に解し、子路の強は此の北方の強に居るという意に解釈したい。これにより三者の強を挙げて、三者の強についてのべたことになり、文章が整然とする。○「矯」、「強」と同じ意、○「塞」、鄭注:塞は實なり

<解説>
子路、名は仲由、孔子の弟子の中で、最も勇力を好んだ人物である。その子路が孔子に強について尋ねた。孔子は子路の強は、北方の強であると述べ、君子の強を持つように教えている。君子の強とは寛大で柔軟に富み、いかなる場合も其の心を改変しない強さである。今で言うなら「ぶれない心」を持つことである。之が如何に難しいかは、一国を担う人々を見ておればよく分かる。結局子路は孔子が心配した通り、衛の乱に巻き込まれて死亡する。『史記』の仲尼弟子列伝の子路の項に、「孔子、衛の亂を聞き、曰く、『嗟乎、由は死せん。』已にして果たして死す。」と書かれている。

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