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第69回 「敗戦記念日」 戦艦【大和】艦長の駐米時の日記発見(毎日)

2014-08-15 23:55:47 | 戦争と平和
2014年08月15日(金)

 政府主催の 【全国戦没者追悼式】 が、1945年に敗戦の詔勅が放送され、
日本の敗戦が確定した、この日8月15日に例年通り開催された。

 69周年の追悼式となる。追悼式として69回目かどうかは不明。

 毎日新聞によると、
【安倍晋三首相は式辞で、歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者
 への加害責任や「不戦の誓い」には、昨年に続き触れなかった。】
   とのこと。

終戦の日:69回目 今、問い直す平和 首相、「不戦」に触れず
 (毎日新聞)- 2014年08月15日(金) 東京夕刊


 「戦争する国へ」へ舵を右に切ったことを世界に宣言したようなもの。

 尤も、一応建前としては
【今日は平和への誓いを新たにする日だ
 世界の恒久平和に能(あた)うる限り貢献し】
  と述べてはいるようだが、毎日新聞は次のようにも述べている。

【安倍政権は今年7月、憲法の解釈変更で集団的自衛権の行使を認めた。
昨年12月には国家機密の漏えいに厳しい罰則を科す特定秘密保護法を成立させた。
戦後70年の節目を来年に控え、国のかたちが変わりつつある中での追悼式となった。】

 建前より、やってきた事の方が『説得力』がある!

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 一方、きのうの毎日新聞には、太平洋戦争開戦前に米国に駐在した経験のある
戦艦「大和」の艦長を努めた松田千秋・元海軍少将(1896~1995年)が
駐米時に書き記していたとされる日記帳がみつかり、国力の圧倒的違いを実感
していたようだ、との記事が掲載されていた。  

戦艦大和:艦長、駐米時の日記発見 「豊かさ、比較にならぬ」
 (毎日新聞)- 2014年08月14日(木) 東京朝刊


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終戦の日:69回目 今、問い直す平和 首相、「不戦」に触れず
 (毎日新聞)- 2014年08月15日(金) 東京夕刊
 

 69回目の終戦記念日の15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館であり、天皇、皇后両陛下や遺族ら約6000人が参列した。安倍晋三首相は式辞で、歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者への加害責任や「不戦の誓い」には、昨年に続き触れなかった。一方、7月に閣議決定した集団的自衛権の行使容認への言及はなかった。(12面に「天皇陛下おことば」と首相式辞、社会面に関連記事)

 式典は正午前に始まり、国歌斉唱と首相式辞のあと、正午から全員が1分間の黙とうをささげた。続いて天皇陛下が「かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにする」とおことばを述べた。

 安倍政権は今年7月、憲法の解釈変更で集団的自衛権の行使を認めた。昨年12月には国家機密の漏えいに厳しい罰則を科す特定秘密保護法を成立させた。戦後70年の節目を来年に控え、国のかたちが変わりつつある中での追悼式となった。

 安倍首相は式辞で「歳月が流れても変えてはならない道がある。今日は平和への誓いを新たにする日だ」と終戦記念日の意義を強調。「世界の恒久平和に能(あた)うる限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世の中の実現に全力を尽くす」と述べた。太平洋戦争の激戦地パプアニューギニアを先月訪ねたことにも触れ、「いまだふるさとへの帰還を果たされていないご遺骨のことも忘れない」とも述べた。

 過去の式辞で、1993年に細川護熙首相は「戦争を永久に放棄することを国家の意思として宣言する」、94年に村山富市首相は「自らの歴史を反省し、不戦の決意のもと恒久の平和を確立する」など、加害責任や不戦に言及してきた。安倍首相も第1次政権の2007年には「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」「戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持する」とし、前例を踏襲していた。

 今回の式で、伊吹文明衆院議長が追悼の辞で「最高法規である日本国憲法の精神を大切に、世界平和のうちに国民の暮らしを守る」と憲法順守を強調。その後、遺族代表らが献花した。

 日中戦争と第二次大戦の戦没者は軍人・軍属約230万人と民間人約80万人。厚生労働省によると、式に参列した遺族のうち戦後生まれは731人(15・3%)と3年連続で1割を超え、70歳以上が8割に達した。終戦から経過した時間の長さと遺族の高齢化を改めて印象づけた。【遠藤拓】 



戦艦大和:艦長、駐米時の日記発見 「豊かさ、比較にならぬ」
 (毎日新聞)- 2014年08月14日(木) 東京朝刊
 

 「戦艦大和」艦長などを務めた海軍軍人が昭和初期、アメリカ滞在中につけていた英文の日記が見つかった。当時すでに「仮想敵国」だった米国の武力を探る一方、その豊かな国力を肌で感じていたことが分かる。当時の軍人によるアメリカ滞在日記が公になることはほとんどなく、貴重な1次資料だ。

 日記をつけていたのは松田千秋・元海軍少将(1896~1995年)。長男の孝行さん(81)が遺品の中から見つけ、孫で毎日映画社ディレクターの文治さん(44)が解読を進めていた。

 当時少佐だった松田は1929年、語学研修のため渡米し翌年、在米大使館付武官補佐官に就任、計2年間、主にワシントンに駐在した。見つかったのは29年6~9月のもので、約120ページ。サンディエゴでは「飛行機に乗り街を見下ろした。約100隻の駆逐艦があり、20隻は稼働中だった」と記した後「標的」を意味するとみられる「gun targets」と書くなど、米軍艦に強い関心を示している。

 一方、アメリカは人も建物も大きく、食事に行っても食べきれないほどのものが出てくるなど、豊かさに驚く記述も目につく。アメリカ通の軍人が少ない中、実体験でアメリカの国情を感じていたようだ。戦後は「アメリカは資源の豊かさや生産性など、日本とは比較にならないと思った」と振り返ったという。

 松田少佐は第2次近衛文麿内閣の直属機関で、開戦前の41年4月にスタートした「総力戦研究所」の所員として研究生を指導。諸外国の国力や国際情勢を踏まえつつ戦争のシミュレーションを行った。その結果8月、「日米戦日本必敗」の結論を下した。42年、海軍のシンボル「戦艦大和」の2代目艦長に就任するなど第一線で戦った。

 日記の内容は14日午後9時、BS11の「報道ライブ21 INsideOUT」で放送される。【栗原俊雄】 




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