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じゅんこです!

建築の話、空手の話などなど。近頃twitterづいてたんですが、ブログも再開していきたいと思います。

やっぱり。

2005年09月24日 11時12分28秒 | Weblog
 じゅんこです。

 今回阪急コンコースの件で、13日にあの光景を見た時から、私のなかで再び考えはじめることになったことがあります。

 卒業設計にあたり、学部4年生の1年間考え続けた「Topophilia」(トポフィリア・土地愛・場所愛)という言葉です。これは社会学者のイーフ・トゥアンがつくった造語です。
 そして、「場所の記憶」ということに関しても再び考えています。

 今回の事に関しても、人々にとって、場所愛、場所の記憶があるのは確かです。しかし、その対象はどこにあるのでしょうか。何に愛着をもっているのでしょうか。
 決してそれは、伊藤忠太設計であると言うことではないと思います。
 それは、ちゃんと空間を感じているのかもしれません。もしかしたら、「あの人と待ち合わせしたな~」という付属的な記憶によるものなのかもしれません。
 そんな、愛着の対象がアンケートによってわかったら、何か私の中でずっと考えていることにある程度結論がつけられるかもしれません。

 建築的価値のあるものの保存活動に於いて、専門家は大抵、「~設計だから、残すべきだ」と訴えます。今回も壁画とシャンデリアは新店舗のどこかで利用されるということになったのは、そのような伊藤忠太の設計したものを惜しむ「専門家」の意見によるものだと思います。
 しかし、町の人々にとっては、「伊藤忠太がどうしてん!」と思うのです。人々があそこに愛着を持っているのは、決して伊藤忠太設計だからではないはずです。

 けれど、専門家にしてみれば、「あ~伊藤忠太の壁画とシャンデリアが残るならいいか」みたいなことで、今回の事態になっているのかもしれません。

 建築家、建築関係者に必要なのは、建築を歴史的価値だけではからず、「人々の愛着」のあるものも、そのまちにとって大切なんだ。という認識をもつことだと思います。

 今でも、数は減りましたが、コンコースで写真を撮る人は絶えません。その様子を見ていると、「建築の価値」、「人々の愛着」について考えさせられます。「旧阪急コンコースを残したい・・」のブログにある様々な人からのコメントにも。

 これは、当分私のテーマとして考え続けそうです。

 あっ、修論をやらねばっではでは。

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