今日のいいこと 

静かに過ぎていく熟年の日々・・・・・・
小さな変化でも見逃さないで幸せを感じましょう

琵琶湖周辺の旅 ③ 竹生島

2008-07-06 01:32:55 | 旅行
長浜港から船で琵琶湖の中の竹生島へ。(30分)



竹生島は神の住む島といわれ信仰の対象として、また美しい島は琵琶湖八景のひとつとして、昔から多くの人に親しまれてきたそうである。

周囲約2キロの竹生島、港に着くと、目の前でなく、山の上に神社が見えている。
これは大変なことになりそう......

 かなり急な坂

まず、弁才天が安置されてる宝巌寺・本堂へ
次に三重塔、そして唐門(国宝)へ

 屋根に苔が...

唐門は、豊臣秀吉の命令で、秀頼が京都東山の豊国廟の正門(極楽門)を移築したもの。
歴史を感じさせるこの門は桃山時代を象徴する造りとか。

観音堂(重要文化財)を通りぬけ、

 船廊下(重要文化財)

どうして船なの???
ガイドさんの説明によると、“豊臣秀吉が朝鮮出兵の折に使った御座船「日本丸」の船底骨組みを天井に使用したからだと言う。
どうりで、変わった形をしている

船廊下のおくがまたまた国宝の都久夫須麻神社本殿

建物は伏見城の遺構と伝えられている

本殿の前に竜神拝所があり、海との間に鳥居がある。

拝殿からの眺めが良い

かわらけ(小さなお皿)に願い事を書き、この鳥居に向かってかわらけを投げ、見事にくぐったら願いがかなう...と言われてる。
でも、外れそうで、投げる気になれなかった
投げてる人が少なかったので、皆さんも自信がなかったのだろう

気をつけながら、急な階段を下りて、港へ。

わざわざ、不便な島に神様をお祭りしなくても...と思わないでもない。
それも秀吉さんの時代のこと...。
綺麗な水に取り囲まれ、緑豊かで綺麗なこの島が神々しく、
神の住む島に相応しく思えたのだろう。
それにしても、昔の人は信心深かったのだな~~
この島には国宝や重要文化財が沢山あり、400余年前に誘ってくれた。

長浜には帰らないで反対の今津港へ。(25分)
琵琶湖を左手に見ながら大阪の南港へ向かう。
雨には降られなかったが、梅雨時の空でどんよりしていて、琵琶湖の水が綺麗に見えなかったことが残念だった。
もっともっと見所がありそうな琵琶湖周辺、
次回機会があったら、青空のときでありたい

亦フェリーに乗り帰路に付く。
丸々一日、よく観光しました、歩きました。
今朝この船から出かけたとは思えない12時間。
興奮してるせいか、お風呂に入る元気もあり、ビックリ
疲れが取れ、も美味しく乾杯!



デッキに出て、神戸の夜景と明石海峡大橋を見る。
綺麗、気持ち良い....

案ずるより生むが易し...船酔いの薬も無用に終わり、午前8時、無事門司の港に着いた。
(神様、船が揺れなくて、ありがとうございました)
バス、新幹線、バスと乗り継ぎ、10時半には家に着いた。
強行軍の船旅だったが、すごく実沢山の時間が過ごせて、満足、感謝







琵琶湖周辺の旅 ② 黒壁スクエア

2008-07-02 19:47:14 | 旅行
お昼を済ませて次の目的地、長浜黒壁スクエアへ。
長浜と言えば、秀吉が初めて城持ち大名に出世して、長浜城を建てたところ…位の知識しかなく、何?黒壁スクエアって?

専門ガイドさんが付いてくださったおかげで、疑問が解けていく・・・

上のサムネイル、この黒壁の建物が黒壁ガラス館1号館と北国街道。

「谷汲街道と北国街道との交差点あたりは、江戸時代からの町の中心地。この一角に、明治33年、第百三十銀行長浜支店が建造されました。洋風土蔵造りに黒漆喰の壁という和洋折衷の様相から「黒壁銀行」の愛称で庶民に親しまれていましたが、昭和末期、建物は解体の危機に遭遇。それを聞いた市民の間から、この地に息づく歴史と文化遺産を未来へ守り生かそうという気運が高まり、昭和63年、第3セクター「黒壁」が誕生。江戸時代の面影を残す古い街並みを生かしたまちづくりが始まりました」・・・http://www.nagahamashi.org/bunka/glass/index.html

卯建(ウダツ)の立派な長浜最古の町家、四居家

商店街のアーケードの上に子供歌舞伎の看板が

博物館のテレビに子供とは思えない妖艶な姿が…

安土桃山時代の建築様式を伝える大通寺

若い人に人気があるフィギュアミュージアム

秀吉ゆかりの地、茶亭門

もちろん白壁も沢山ある

きりがないのでこのくらいでアップするのを止めるが、
黒壁スクエアの中はレトロなものから、今風のものと盛りだくさんの内容であった。

とても1時間では回りきれない。
博物館も、ゆっくり覗いてみたかった

ところで今の長浜城は昭和58年に建てられたもので歴史博物館として活躍している。
秀吉が建てた長浜城は、豊臣氏が滅亡すると取り壊され、石垣など多くの材料が、さっき見学してきた彦根城の建設のため使われたそうである。
長浜を愛する専門ガイドさんがとっても残念がられていたが、もっともだと、お気の毒に思えた。

つづく


琵琶湖周辺の旅 ① 彦根城

2008-07-02 00:07:25 | 旅行
今回は船の夜行で“日本のど真ん中を楽しむ”旅に行こうと夫に誘われ、
乗り物に弱い私は大いに躊躇したが、夫が“一度は船で行ってみたい...”と言うので決断した。

大型フェリー船は凪いでるせいか、確かにあまり揺れない...一安心
でも、お風呂に入る気にはなれなく、あまり美味しくない夕飯を食べたら、酔い止めの薬のせいもあって早くからベッドに入る。
特二等のベッドは昔の寝台車を思い出させた。
枕に耳を付けるとものすごいエンジン音がして.....
この音と振動に慣れなければ…と言い聞かせながら…いつの間にか

朝遅い夫婦も今日だけは6時に起き、コーヒーとサンドウィッチの朝食を済ませる。



大阪南港に着く20分前ごろ、
10年前12年もかけて造られた、世界最長の明石海峡大橋の下を通った。

南港に8時に着き、大阪は素通りで一路滋賀県の彦根へ。

国宝に指定されてる彦根城は400年の歴史を誇り、天下の名城と言われるに相応しい姿
(ちなみに他の国宝は松本城、姫路城、犬山城)



多くの大老を輩出した譜代大名の名門、彦根藩井伊氏14代の居城であったこのお城は戦火や地震を免れ、その周辺も含めて江戸時代からの姿をしっかり残している。

上のサムネイルは(クリックしてください)名勝玄宮園。
近江八景を模して造られた縮景園だそうである。

 園の中のお茶室

お菓子が出て、つい食べてしまったので写真はないが“うもれぎ”と言う名のそれはとても美味しかった。
井伊直弼が、青春時代を過ごした埋木舎にちなんで付けられたとか...
もっとゆっくりと茶室でくつろいでいたかった...素晴らしい眺め....

すぐ横にある楽々園

幕末の大老、井伊直弼の生誕の地。
この写真は、書院に続く茶室を撮ったものだが、
地震のときに非難するべく耐震構造が施されているとか.....
1601年にもうそんな技術が存在していたんだ~と、感動
と言うか、地震がそんなに頻繁に起こっていたのかしら?

 2重のお濠に囲まれている

古木が深い緑をなしてる城内を1時間半かけて散策した。
“江戸時代、260年間、一度の国替えや城攻めもなく今なお彦根の象徴として35万石の気高い雄姿を誇ります”
との説明があったが、なるほど、これだけのものが良く残っていて、彦根の人々が誇らしく思われるのも、うなづける。

つづく