敬老の日と言えば9月15日が長い間定着していたので、今日が敬老の日
と言っても、何もなければ「あっそう。」で終わってしまいます。
我が町は区によって様々で、区の方で食事の用意をしてくれての敬老会が
催される所もあれば、我が区は来月に自分達で用意して(弁当は仕出)の会
で別に祝ってもらうほどのものではないのです。ですから「敬老」って一体何?
と思います。
市に統合される前は町で70歳以上や、80歳以上には記念品を頂きました
が、市になってからは一切なしです。まあこれだけ高齢者が多くなってしまえば
経費が持たないのかも?・・・・
テレビでは100歳以上のお元気な方を紹介されていますが、100歳が珍し
かった時代は少し遠くなり、近くにさえ100歳老人が見られます。
かつてのきんさん、ぎんさんは双子の姉妹で共に100歳だったので、話題と
なり、テレビ等でも様子を見せてくれましたが、・・・・
100歳を越えて尚、運動をしたり、書道、茶道を教えている方、難しい書物
を読んでおられる方、お元気ならどれだけ長生きしてもと思いますが、施設で
人の助けを受けなければならなくなると、長寿も心から喜ばれるかと、思われ
ます。
「齢をとったから敬われるのでなく、敬われる生き方をしなくては」と
上記の茶道の先生の言葉でした。然りとうなずきました。
人間の細胞もES細胞やIPS細胞(ノーベル賞ものとして今話題)は万能細胞
としてガンや難病治療に再生できるとなると、ますます長生きの世の中となり、
おそらく120歳(不明者でなく)と言う長寿者も現れるでしょう。
医学の進歩、食生活など長寿になる要因ですが、長寿者を受け入れる
家族、 社会に問題が生じることになるのでは、あながち長寿も手放しでは
喜べない現実も見られます。
昔からのやっていることが経費がかさむから
できなくなっているようです。
医学が進化し。長生きの方が増えていますが、
こればっかりはわかりませんね。
おけいはんでは人生楽しく過ごし終えたら
何にもいうことありません。
ただ、死ぬ時は楽にあの世に
いきたいなあ思いますが。
人には夫々寿命がありますから、弱いから
早いとは限らないですね。ガンがある程度
克服できたら、もっと伸びるかなあ・・・?
元気ならいいけれど。お荷物にはなりたく
ないですね。