備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム232.吉備国内宮

2010-01-03 22:19:17 | Weblog
内宮(ないくう)。
場所:岡山市南区浜野1-3-8。旭川右岸(西岸)を走る県道213号線(福島橋本線)沿い、「岡山製紙」本社工場の西側。駐車場あり。
「伊勢神宮」は、天照大神を祀る皇大神宮(内宮)と豊受大神を祀る豊受大神宮(外宮)を正宮とするが、内宮はもともと皇居内にあった。第10代崇神天皇の6年(紀元前92年)、皇女の豊鋤入姫命が詔を受けて理想的な鎮座地を求めて各地を転々とした。その際、吉備・名方浜宮にも4年間滞在したとされる。吉備国の内宮は、この「名方浜宮」に因んで創建されたということになっていて、だから、「伊勢神宮」より前に出来ていたとされるわけである。
ところで、この「名方浜宮」の比定地とされる場所は1つではない。「岡山市史」などでは、(近くに備前国府址や総社宮がある)岡山市中区賞田にはかつて「中田村」があり、これが「名方浜」だったのではないか、とする。そして、式内社「伊勢神社」(岡山市北区番町)は、元はその付近にあったが、旭川の対岸に引っ越してきたのだろうという説である。なお、「伊勢神社」が現在鎮座する番町の対岸は「浜」という地名である。一方、この「内宮」の鎮座地は「浜野」であり、こここそが「名方浜」であるとする。ほかにも、岡山県内では、総社市福井の「神明神社」、倉敷市真備町と高梁市川上町の「穴門山神社」などがあり、「吉備」というのを紀伊国名草郡吉備郷とみて和歌山県にもある。
また、この「内宮」に対して、上記の式内社「伊勢神社」を外宮とする説もある。
真相は何か、ということはなかなか結論はでないが、吉備津彦ら四道将軍が派遣されたのが崇神天皇10年とされていることとあわせ、この頃、地方に対するヤマト政権の世俗的・軍事的勢力拡大があったということだろう。


岡山県神社庁のHP(内宮):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01011


写真上:「内宮」正面鳥居。傍らの碑に「伊勢皇大神宮御聖跡」とある。


写真下:「内宮」正面

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