備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム243.備前国の磐座拾遺(その16・山神山の光臨石)

2010-03-05 21:58:34 | Weblog
光臨石(こうりんせき)。
場所:岡山市東区西片岡。県道233号線(宝伝久々井南水門線)を南水門町から宝伝方面に南下し、「山神山」の峠のところに宗教団体「ほんぶしん」の聖地「神山」がある。その入口近くに広大な駐車場があるので、駐車させていただく。そこからはけっこう急な坂を徒歩で約10分、「神山」の敷地内にある墓苑「清浄苑」の西側の小高いところに「天津神社」がある。この神社の鎮座地自体は西片岡であるが、その南側に当たる久々井地区の氏神であるとされる。
この神社は岡山県神社庁傘下にないようで、殆ど情報がないのだが、下記のHPから引用すると、「高島を出発した神武軍団は、鵠浦(くぐいうら)で船ぞろえをし航海安全のため天皇は北斗星を礼拝された。すると北方の山頂が輝いて北斗星が山の大石へ降臨された。この大石を祭ったのが妙現社(明治8年天津神社と改称)で、左右4m高さ2mの巨岩である。後に神功皇后が参詣された時、光臨石と名付けられたという。」
北極星や北斗七星を信仰する「妙見信仰」は本来、道教のものとされるが、仏教にも取り入れられ、特に密教では「妙見菩薩」として信仰された。これが、神仏分離後、神社になった場合は、「天津神社」(祭神は天之御中主命)となることがあるようだ。岡山市北区三野本町に鎮座する式内社「天神社」も、中世は「明見宮」と呼ばれていたらしい。
さて、上記のHPの記述では「光臨石」のサイズが具体的に(メートル法で)記されているので、まだそこにあるのだろうと思ったが、どれがそうなのかわからない。社殿の右手奥に大きな、四角い岩があったので、これかもしれない(写真下)。
「光臨石」の由来は、あくまで伝説の域を出ないが、磐座のような特別な石は「天から降ってきた」というような話が多い。①「光臨石」という名前がついている岩であること、②その名前の由来に伝説があること、③山上にあること、④神社として祀られていること等から、独断と偏見により、これが磐座であったと断定したい。


朝日学区連合町内会のHPから(久々井):http://townweb.e-okayamacity.jp/asahi-r/mein.html


写真上:「天津神社」鳥居


写真中:「天津神社」社殿


写真下:「天津神社」本殿横の磐座?




最新の画像もっと見る

コメントを投稿