備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム105.古代山陽道を探す(その9・都月坂)

2008-12-15 23:13:08 | Weblog
岡山市北区富原から笹ヶ瀬川を渡ると、半田山にぶつかる。半田山の南麓には「福輪寺縄手」という直線的な道があったことがわかっていたので、以前は「都月坂」を越えて「福輪寺縄手」に連絡することが想定されていた。
「都月坂」といえば、前期古墳時代(3世紀?)の特殊器台形埴輪が出土し、「都月型」の名のもととなった「都月坂1号墳」で有名。そして、少し西に式内社「尾治針名真若比神社」(2008年6月21日記事)がある。同神社が創建時から現在地にあったかどうかは不明だが、半田山という名が「針田山」から転じたとの説もあり、古くから知られていたものと思われる。
そして、現在も舗装された道路で峠を越えられるのだが、途中道幅が狭いところがあり、距離は短いものの、その分、相当な急坂である(バイクのイラストに「スピード出し過ぎ注意」の看板がたくさん立っている。)。もし、この坂を越えていたとすると、かなりの難所だっただろうと思われる。


写真上:都月坂上り口(南麓)。左側のフェンスは津島小学校。垂直に立っている案内板の柱と比較すれば、急坂の角度がわかる。


写真下:都月坂の峠から南側を眺める。正面、帯状に紅葉しているところが岡山県陸上競技場(桃太郎スタジアム)で、考古学ファンには「津島遺跡」。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
津島小学校が出来た時、都月坂道は付け替えられた。 (あいうえお)
2011-12-16 12:31:37
津島小学校近隣在住。
津島小学校が出来た時、
都月坂道は東側に付け替えられ、
急坂となりました。

戦前の地形図での検証が必要です。

コメントを投稿