脱原発・放射能

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疎開するまで 母子疎開生活『埼玉県三郷市のホットスポットから奈良へ自主避難』

2012-03-17 12:30:56 | 原発・放射能

埼玉県三郷市の小学校でセシウムが89万Bq/平方メートルを超えて、
チェルノブイリの強制移住地域に。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/e82fda214026bba9b4bcc3e91b38b741

 

母子疎開生活 ~奈良へ自主避難~

転載元: http://ameblo.jp/narakenseikatu/theme-10040919709.html 

体調を崩した為、埼玉県三郷市のホットスポットから、奈良市へ疎開しました。
現在療養中です。

<理解を得るために。>

最初は主人も安全大丈夫派でした。

私も出来る事ならば、大丈夫だと思いたかったです。

しかし、安心要素を探そうとしても全く見つかりません。

『もしここで私が選択を誤ったら、5年後、10年後
 子供達は 病気になっているかもしれない・・・。』

そんな思いが強くなっていきました。


私は数年前に親友を癌で亡くしており、

ジリジリと残酷に病魔に侵されていく苦しさを見てきました。

いつも楽しくお喋りしてた親友が、激しい痛みに苦しんでいる姿に

助けたくても癌の前に全ては無力でした。

そんな事から、私の目標はずっと

『家族から癌患者は出さない。ずっと健康でいさせる』でした。

ですから、放射能で今回こんなことになってしまい、本当に悔しいです。

しかし、目標は絶対に諦めません。


まずは主人を説得しなければと、様々な情報を見せました。

チェルノブイリへのかけはし
武田邦彦 (中部大学)ブログ
小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ
放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ
SCR misato

そして危険派になった主人は、母子疎開に協力してくれました。


このような非常事態の時に、人は脳で正常性バイアスが

強く働き、危険を認識出来なくなるそうです(詳しい説明)。

しかも、正常性バイアスについて詳しく調べてみると、

『政府の情報小出し大作戦&マスコミの真実よりも娯楽番組大作戦』は、

上手い具合に国民の正常性バイアスが強くかかる方法でした。


これは、いくら周囲が説得しても、とくのは難しいです。

本人が気付いて目覚めない限りは。

私も大切な人達を守りたいと、説得を試みた事がありましたが、

むしろ、私が傷付くだけで相手には何も伝わりませんでした。


正常性バイアスに加え、人それぞれ事情があるので

しょうがない事なのだと思います。


疎開するにあたり、一番辛い作業は、

『切り捨てる』作業です。

心の中で、様々な物事を諦めなければ、疎開は無理でした。

ほぼ新築のマイホーム、貯金、親族、人間関係、夢、今迄の日常。

そして、人任せで弱かった自分。


握りしめるから辛いんだと分かりました。

握りしめ離そうとしないから辛いのだと。

本当に握りしめたい物以外は諦めなければいけないのだと。


絶対に離したくないのは、家族の健康。

特に子供の命。

それ以外は悔しいけど手放す決心は出来ました。


もう平穏だった以前の日常は戻ってこないのです。

例え見ないふりをしても、放射能は毎日子供達のDNAを破壊し続けているのです。

被曝させるために命がけで産んだんじゃない。

だから私が出来る精一杯の事はしてあげたいのです。

 

<疎開するまで(1)>

3/15日の、いちばん放射線量が上がった時間帯に

子供達は小学校や幼稚園で屋外活動をしていました。

3/16日から、被曝量を減らしたく、様々な事に気を付けました。


飲料水はペットボトル、食べ物は関西や九州、外国産、

外出は常にマスク、部屋の中は拭き掃除をし、

カーテンも洗いました。


しかし、子供達の体調は日ごとに悪くなり、

目の下のくまも段々濃くなっていきました。


外部被曝は勿論、内部被曝も考えました。

原因として考えられるのは学校給食。

他の食事を気にすれば、1日1食位大丈夫だろうと考えていました。

考えが甘かったと今は思っています。


とても怖くて勇気がいりましたが、

6月から給食は止め、お弁当と水筒にしました。

先生は良い顔をしませんでした。


他の子供達にはアレルギーだと

説明してもらいました。


食材を気にしながら、なるべく給食と同じメニューにし、

キャラ弁にしたところ、我が子は大喜びで

毎日お弁当を食べていました。


しかし、体調は一向に良くならず、酷くなる一方でした・・・。

 

<疎開するまで(2)>

体調が悪くなる一方の子供達。


洗濯物や布団も外干しせず、かなり気を使って

生活してきたにも関わらず悔しい思いでした。


外に出ても、三郷でマスクをしているのは少数。

公園へ行けば、皆、普通に遊び回っています。


『自分が気にし過ぎてオカシイんだろうか?』

『もしかしたら、流行の風邪や震災ストレスじゃないか?』

安心したい気持ちや様々な葛藤がありました。


そんな中、知り合いからガイガーカウンターを

お借りする事が出来、家の内外、よく行く場所、小学校の

放射線量を測ってみました。


子供の背の高さで道路は、0.2マイクロシーベルト。

地面付近は0.4。T小学校も0.4。

家の中は0.1~0.18。家の周りは0.4。

一番高い所は0.6でした。


数値の高さに驚き、更に拭き掃除を丁寧にし、

外壁や窓も洗い、庭の芝生も剥がし、除染しました。

しかし、一定の数値以上は下がりません。


ネットで情報を集めている時に、ある動画を見つけました。

「いま、子どもたちを守るために知っておきたい放射能のこと」


この動画を全て見て、疎開を本格的に考え始めました。

 

<疎開するまで(3)>
 
最初は夏休みのみの疎開を考えていました。

2学期からはT小学校へ戻ろうと。

しかし5月に放射能の計測を小学校へお願いした時も

安全の一点張り。給食に対する考えも安全の一点張り。

子供を守る姿勢は、残念ながら私には微塵も感じられませんでした。


そして、それは三郷市も同じ。

メールも何通も出しました。署名もしました。

メールの返信はいつも決まりきったお役所メール。

市民も共に除染に協力し、皆で綺麗な三郷を取り戻したくても

三郷市は放射能汚染地帯であることすら認めたがらない。

それまで『三郷市は市民を守ってくれるはず』と

信じていた自分が馬鹿に思えてきました。

そして住民税や固定資産税を払う価値も無い市なのだと感じました。


家は、まだ建てて2年。多額のローンがあります。

やっと建てられた夢が沢山詰まった家です。

贅沢はしなくてもいいから、地味に平凡に家族で暮らしていきたかった。

それだけだったのに・・・。
 

<疎開するまで(4)>

 子供達の体調を考え、6月中旬から夏休みの終わりまで

和歌山県に一時母子疎開する事にしました。


一番理解してほしい家族からは

「疎開なんかして別の土地に行ったら、
 かえって子供の精神衛生上良くない。
 テレビでも新聞でも安全だと言っているんだから
 親ならば、もっと子供達の気持ちを考えなさい!」と。

私達の事を思っての愛情ある有難い助言なのは

本当に分かっています。大好きな家族の言葉ですから。

でも、起こるかどうか分からない精神衛生上の影響より、

実際に目の前で体調不良にグッタリし始めた子供の方が

私にとっては、最も優先しなきゃいけない事だったのです。


例えば鼻血一つにしても、人は色々言います。

「暑さのせいよ。」
「うちの子も昔はそうだったから気にしない方が良い」
「きっとお母さんが神経質だからストレスじゃない?」


どれも私たちの事を考えて下さったアドバイスです。

しかし、お腹の中にいる時から子供達の体調を考え、

誰よりも子供達の体の事を見てきたのは、親なのです。

その母親が、今までのその子の体調や特徴を考えても

『この症状は絶対に今までと違う。』と異変を感じるのです。


色々調べ、我が子の症状が、低線量被曝の症状だと確信しました。

信じたくはありませんが、恐らく事実です。


残念ながら、うちの子供達は日頃から抵抗力もいまいちだったため、

他のお子さんより、早く症状が出たのでしょう。


放射能関連の事で、子供を守ろうとすると、

沢山の勇気と行動力がいります。

怖くて怖くて吐き気がしました。

しかし、今本気にならないで、いつ本気になるんだと思いました。

人に嫌われる事を恐れていては、子供なんて守れない。


かくして、まずは和歌山県の親戚の空き家にお世話になる事になりました。

夏休み中に三郷市が子供達を守るために行動してくれる事を期待して・・・。

 


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