2週間前の気温は氷点下だったので、雪景色と夕焼けが映えるなあー、なんて暢気に構えていたのもつかの間、急速に春がやってきた。“カナダは寒くて暮らすには不便すぎる”などという考えも、春の訪れと共に何処かへいってしまった。
思えば、2年間今の家に住んでいたけど、こんなにゆっくりと夕日を眺める時間は無かったような気がする。少し損した気分になりながら、今日も沈み行く夕焼けが眩しかった。
徳島の繁華街を一時間程彷徨い、僕らは、雑居ビルの一角にある寿司屋へと入った。寿司屋が醸し出す一見さんお断りの雰囲気は、僕らに美味しい地魚が食べられるのではという淡い期待を抱かせた。知らない土地で美味しいものを食べようとすると大抵苦労する。時間をかけて店を探し廻っても、結局は美味しくない店に辿り着くなんてことはざらにある。ガイドブックを信用しても美味しい店に巡り合える確率は低い。さはさりながら、心理として地方に来たら美味しいものを食べたいという欲求が強いので、どんなにお腹が空いていても、ある程度時間をかけて納得の行く店を探したくなる。そんな僕のわがままはいつものことだ。5年間も同じことを繰り返して来た事から、SとAは理解を示しつつも半分飽きれているのかもしれない。
店に入ると頑固親父風の大将と目が合った。お腹がぺこぺこだったということもあり、大将の愛想の悪さに、早速Sが駄目出し。料理もいたって普通だったことから、Sの不快感指数は右肩上がりに上昇を続けていた。腹5分目にして店を出ようとすると大将が話しかけてきた。大将は話してみると実は良い人で、愛想が悪かったわけではなく、店が忙しかっただけのようだ。常連さんも多いのだろうから相手をするのも大変なのだろう。こうして誤解は解けたものの、それでもS評によると、徳島はややConservativeとのこと。
サンプル数が限られていることから、SのConservativeという仮説の検証には、更なるリサーチが必要だった。それ故、僕らはより正確な分析の調査を敢行するために、いつものように大人の社交場紹介所へと向かった。今回はどういうわけかSのテンションが低く、かつて見られたSの強力な交渉術とあくなき探究心はすっかり影を潜めていた。交渉の全権はA委任された。そして、Aの判断で大人の社交場αへと向かうことになった。
これまでの旅行では、AとSの二人の同意の上で何処の店に行くかが決められていた。この状況は彼らの協調に基づく決定なのだが、裏を返せば互いに行きたい店を選ぶために凌ぎを削っているとも考えられる。そんな競争の状況は、各人の利得を最大化することに直感的に行動する、囚人のジレンマとも言えなくない。競争は常に革新や改善を生み出す。つまり彼らの競争と協調の結果、新潟でも京都でも、僕らは旅の目的、“地域との触れ合い”における満足度を最大化させることができた。今回は店を選ぶことにおいてそうした競争が存在しない。僕は、一抹の不安を隠せなかった。
ビルの5階にある大人の社交場αの店内は、碁盤の目の如く区画されており、小さなテーブルによる個室空間が保たれていた。僕らは個別のテーブルへと案内され、離れ離れになった。暫くすると女性がやってきて、お酒を飲みながらたわいのない話をした。SとAとは席が離れているためお互いの会話は聞こえないし、細かな表情を見ることも出来ない。
店のパフォーマンスは思いの他悪かった。40分が経とうとしていた頃、少々退屈した僕は11時の方角に目を向けた。するとSが僕になにやら不思議なサインを送っていた。そのサインはまるでヒエログリフのように難解だったのだが、意味を解読するのにそれほど時間はかからなかった。
あっちを見ろ
Sの指差す7時の方向、そこにはAの至福の表情があった。これまでもAの楽しそうな様子を沢山見てきたが、今回は秀逸だった。後で聞いたところによると、Sは随分以前から僕にサインを送っていたそうだが、僕は気付かなかった。だけど、Sのサインを見逃さなかったおかげで、僕とSはAの楽しそうな姿に大爆笑だった。僕とSにとってAが楽しんでいたことが唯一の収穫だった。正直、今回の店は新潟や京都と比べると遥かに満足度が低かった。だから、僕らは迷うことなく延長を拒否し、店を後にした。
酔いの勢いも手伝って、店を出てからもAの勢いは衰える事を知らず、徳島の町を闊歩していた。僕らは、親切な地元の人に案内されてラーメンを食べてから、再度、別の大人の社交場へと戻ることにした。
この時、Aは単独行動を選んだ。Aは、僕らと別れて一人夜の街へと消えていった。彼の後ろ姿には、自他共に認める夜のエースの風格が漂っていた。