Josephcunlife107の日記

ロンドン(カナダ)生活、IVEY BUSINESS SCHOOLの日常。

雪景色に映える夕空

2007年04月21日 | カナダ
 今日は気温が20度を超えてしまった。天気も良くて、空には雲ひとつ無い。こういうのを絶好のゴルフ日和というのだと思う。ということで、家から徒歩5分の距離にあるドライビングレンジとミニコースへ。日本では、中々こういう生活はできないなあと実感しながら、友達とコースを廻る。最近はどんどん日が長くなってきているので、8時を過ぎても明るかったりする。7時頃からテニスをしたり、ゴルフをしたりと、こちらではごく普通のことかもしれないけど、一般的な日本人にとっては、なんて贅沢な時間だと思えてしまう。が、カナダではごく普通のこと。カナダ人は、5時きっかりに仕事を終えるので、仕事帰りの人たちがドライビングレンジやテニスコートにも結構居たりする。うーん、こういう生活も捨て難いと改めて実感。

 2週間前の気温は氷点下だったので、雪景色と夕焼けが映えるなあー、なんて暢気に構えていたのもつかの間、急速に春がやってきた。“カナダは寒くて暮らすには不便すぎる”などという考えも、春の訪れと共に何処かへいってしまった。

 思えば、2年間今の家に住んでいたけど、こんなにゆっくりと夕日を眺める時間は無かったような気がする。少し損した気分になりながら、今日も沈み行く夕焼けが眩しかった。

松坂 in Toronto

2007年04月19日 | カナダ
 松坂が登板するということで、Toronto Blue JaysとBoston Red Soxの試合を観に行ってきました。球場に入って先ず驚いたのが、観客の多さ。火曜日の夜のゲームにも関わらず、スタジアムは、3階席までお客さんで埋めつくされていた。

 北米4大スポーツといえば、アメリカンフットボール(NFL)、バスケットボール(NBA)、アイスホッケー(NHL)、 ベースボール(MLB)ですが、カナダにはこの中で唯一、アメリカンフットボールのチームがありません。それでも、カナダのベースボール人気というのは、アメリカンフットボールのそれに劣っているのが現状です。まあ、アイスホッケー以外のスポーツへの注目度は、50歩100歩といえなくもないのですが。カナダ人の楽しみといえば、モルソンやブルーといったカナディアンビールを飲みながら、アイスホッケーを観戦することです。こういう光景を見ると、アメリカコンプレックス満載のカナダ人のアイデンティティというものに触れるているような気がして、少なからず共感したりするものです。
 
 そういうことで、野球場が満員になるということには、少なからず違和感を覚えた訳です。この日は多くの日本人が来場していたこともあり、僕は一瞬”松坂効果か”と考えてしまったわけですが、そんな訳はありませんでした。実は、この日はある種のサービスデイのようで、チケットが通常価格の10%-90%程度で売られていました。席にも拠りますが、安いものになると、$22(2,200円)のチケットが、$2(200円)といった具合で、観客が多いことにも大いに納得してしまいました。(実際のチケット価格は、この他に手数料が$5-10程掛かります。)

 さはさりながら、他にも幾つか要因が挙げられると思われます。

①トロントブルージェイスが強いこと:今年のトロントは、現在、地区争いをしており、あのニューヨークヤンキースよりも上位に居ます。テレビの視聴者数も例年よりも多いとのことで、強いチームはお客さんを呼べるという普遍の原則でしょうか。

②メープルリーフスプレイオフを逃す:トロンニアンにとってのアイスホッケーシーズンは、リーフスがプレーオフを逃したことで、終わってしまいました。今季は、プレイオフに進出したカナダのチームも3チームしかありません。それ故、他のスポーツに目が向きやすいといえるかもしれません。

 さて、肝心の松坂ですが、4回以外はほぼ完璧な内容だったと思います。ブルージェイスの打者は、前に飛ばすのがやっとという感じでした。メジャーリーガーから、ばったばったと三振を取る松坂の姿は、同じ日本人として誇らしい限りです。惜しむらくは、フォアボールもそうですが、4回の味方の稚拙な守備でしょうか。ぼてぼての3塁内野安打とセンター前のヒットは、共にエラーといっても過言ではないと思います。ゴロについては、もう少しダッシュしていれば確実にアウトだし、センター前ヒットは、ショートゴロ併殺が十分可能でした。

 それにしても、最近のメジャーリーグはパワー中心になりつつあるような気がしてなりません。スポーツの醍醐味である”スピード”が感じられなくなりつつあるります。力と力の勝負もいいですが、僕は、盗塁や送りバントというのも野球の醍醐味だと考えます。だからこそ、体の小さい日本人の活躍がより響くのかもしれません。





0 Visibility

2007年03月06日 | カナダ
 3月になったというのに、今日も気温はマイナス25度。強風と雪で視界は最悪。ロンドンは完全なホワイトアウト状態。春はいつになったらやって来ることやら。ということで、いつもの通り、近郊の高速道路は走行危険につき、一部閉鎖。

 こうした状況を、英語ではVisibilityを使って表現するようだ。メディア等で盛んに使われているのだが、visibility Zeroとは、視界ゼロとか視界不良といった意味と思われる。西海岸に住んでいた時にはこうした経験はなかったので、今更ながら友人のコメント、You will experience real Canada in Ontario.(オンタリオに行けば本当のカナダを体験できるよ)を実感するのだった。

紛争ダイヤモンド

2007年02月23日 | 映画
タイトル: Bloods Diamonds
監督: Edward Zwick
主演: Leonardo DiCaprio


 レオナルド・ディカプリオ主演のBlood Diamonds。アフリカ中部に位置するシエラレオネを舞台に、ダイヤモンドを巡る内戦の現状が描かれている。シエラレオネ産ダイヤモンドは、通称"紛争ダイヤモンド”と呼ばれていて、内戦の温床となっているそうだ。

 シエラレオネでは、政府と反政府勢力が対立しているのだが、こうした構図の背景にはダイヤモンドがある。反政府勢力は、ダイヤモンドを探す人手を集める為、近隣の村を襲う。ここで捕らえた人々をダイヤモンド採掘場へと連れて行き、ダイヤモンドを探す労働をさせるのだ。見つかったダイヤモンドは、輸出され外貨へと姿を変える。そして、この外貨を用いて武装化を進めるという形である。

 ダイヤモンドの流通経路は、シエラレオネ → 近隣のアフリカ諸国 → ヨーロッパ → 先進国となっている。もしかすると、僕達日本人が購入しているダイヤモンドの代金の一部は、武器へと姿を変えているのかもしれない。

 武装に合わせて、反政府勢力は、体制維持の為の兵力増強を目的として、子供を誘拐する。10歳程度の子供に武器を渡し、人殺しを経験させ、訓練するのだ。更に、彼らを麻薬付けにすることで、子供の理性を失わせていく。子供にこんなことをさせるとは常軌を逸している、と感じるけれども、地球の反対側ではダイヤモンドを巡り、こうした悲劇が起きているといっても過言ではない。

 ダイヤモンドの利権争いによる内戦の結果、シエラレオネでは、大量の殺人だけでなく、多くの難民が生まれた。こうした問題の根本は、ヨーロッパにある。かつて、アフリカはヨーロッパの植民地として、アフリカの意志とは裏腹に領土が分割された。不自然に引かれた国境線は、望まざる民族分断を生んだ。国は違えど、同じ民族という形だ。帝国主義が生んだ負の遺産である。

 例えば、農業においても同様で、アフリカでは、資本の論理を優先して、付加価値の高い輸出品が作付けされるようになった結果、コーンや小麦といった主食の作付けがおろそかとなった。アフリカで作られた付加価値の高い商品は、アフリカ人の食卓に昇ることは無く、輸出されている。他方、コーンや小麦については、先進国からの援助に頼っている。そして、現在アフリカでは多くの人が飢えているのだ。先進国の言っていることと、していることは矛盾だらけである。日本からも食糧援助という名の下に、大量の米がアフリカに輸出されている。こうした米の大半は外米である。

 ダイヤモンドはあくまでも一つの例に過ぎないけれども、こうしたアフリカの現状は、余り日本では報道されていない。僕らはこうした状況をもっと把握すべきだと思うのだが。実際に何か出来るかといえば、中々難しいとは思うのだけれども。(シエラレオネ産ダイヤモンドを購入しないことくらいかもしれないが。)

 少々不謹慎ではあるが個人的な意見として、この映画は、結婚前の彼女と観るのには凄く良い作品だと思う。何故なら、女性のダイヤモンド信仰を再考させる上では、少なからず効果的な作品だと思ったからである。

モノポリー

2007年02月21日 | Ivey
 最近、モノポリーに嵌っている。きっかけは、行きつけのバブルティーの店でクラスメートと遊んだことから。昨日、ついにWalMartでモノポリーを購入してしまった。

 僕は、モノポリーを考案した人は天才ではないかと思う。このゲームには、ビジネスの要素がしっかりと詰まっているのだ。そういうことから、ビジネススクールのクラスメートと一緒にモノポリーをやると、異様な盛り上がりをみせる。そのうちの1人、モノポリー世界大会、カナダ代表決定戦の決勝戦に敗れた人に言わせると、モノポリーは運ではなく、戦略や交渉といったあらゆるスキル結果が勝者を決めるとのこと。

 モノポリーがビジネスやMBAの縮図という理由としては、

・情報の対称性: 全てのプレーヤーがあらゆる情報を共有

・交渉力: 他プレーヤーとのプロバティーの交渉

・ゼロサムゲーム: お金の総額は一定

・統計的思考: サイコロの出る目をランダムと考え、効率的な投資を行うこと

・キャッシュフロー : 投資、収入、費用の最適化

・投資と期待リターン: プロパティーへの投資と期待リターン

・戦略: 上記全てを網羅した経営戦略


 僕のモノポリーブームは暫く続きそうな気配。

賑わう洗車場?

2007年02月09日 | Ivey
 今日の午後、TOYOTATOWNでエンジンオイルを交換した際に、洗車のチケットを貰った。目の前にあるガソリンスタンドで使えるとのことなので、久しぶりに洗車をすることにした。前にも書いたが、ロンドンでは冬になると、融雪剤として町中に塩が撒かれているので、車が直ぐに真っ白になってしまう。道路を走る車は大抵白く覆われていて、とにかく汚いの一言に尽きる。周りの車も同じように汚れているので、車が汚いと認識しつつもそれ程気にかけていなかった。多分、カナダに住んでいるせいだと思うのだが、車に対して無頓着になっているのだと思う。ここでは、車は完全に足となっている。

 日本の大学時代には、皆で何処かへ出掛けるたり、女性と遊びに行く機会があると結構こまめに洗車をしていたことを覚えている。当時、僕の車が汚れていた訳ではないのだが、洗車をすることが何らかの効力を発揮すると単純に考えたのだと思う。そして何よりも、車に対して単純な足という概念以上に、愛着を感じていたからなのではないかと思う。だから、洗車に行くことも苦ではなかった。

 木曜日の午後にも関わらず、洗車場には長い列が出来ていた。僕が思うに、原因は非効率なオペレーション。3分足らずの自動洗車に10人近い従業員が携わっていた。僕達ドライバーは、入り口手前で降車を指示される。従業員がチケットを切り、車を運転する。機械洗車の後は、従業員が車の雑巾かけまでしてくれるではないか。これで、占めて9ドル(900円)。コストの安い労働力を使ったとしても、儲けがでるのか少々疑問だった。洗車場の隣には、セルフサービスのガソリンスタンドが静かに並んでいる。日本では、洗車は全て機械任せで、一方で従業員がガソリンを入れてくれる。文化や常識が異なると、ここまで違うものかと感じてしまう。

 洗車を済ませた後の車は、格段に綺麗だった。定期的に洗車をしたくなってしまった。今日は、日本の洗車とは車を綺麗に見せることというものに感じられてしまった。カナダでは、本質的に車が汚い。それ故、潜在的にビジネスとして成り立つ要素はあるのだと思う。その為には、顧客が車を綺麗にしたいと思えるような感覚を持たせる必要があると思う。そしてそれは洗車人口の裾野を増やすことであり、結果として車への愛着が増すことへと繋がる。こうした環境を整えることで、ビジネスとして成り立つようになるのだと思う。

Five Forces + 1

2007年02月06日 | Ivey
 マーケティングにおいて、Complimentorsとは協力企業のことを指す。戦略論のFive Forces(5つの競争要因)に、新しい要素としてComplementorsを加えると、6つの競争要因により構成されることとなる。協力企業は、競合と関連していくわけだが、顧客がValueを認識する存在感の高さからこうしたフレームワークが作られたのだと思う。

 この枠組みは、CompetitorとComplemetorの関係に拠るところが大きいので、全ての業界に当てはまるわけではない。代表格としては、IT業界のハードウエアとソフトウエアの関係が挙げられる。

 例えば、プレイステーションとソフト制作会社。プレイステーションというハードが売れる為には、顧客を惹きつけるソフトは不可欠な存在である。ソニーは低価格でプレイステーションを販売して顧客の裾野を広げる。そして、収益は、ソフト会社からのロイヤリティーから生み出される。このビジネスモデルでは、相互依存が著しく、協力会社の存在が不可欠となる。

 個々の業界の魅力的な機会を評価する物差しとして、Five Forceの有効性を再認識。それにしても、ビジネスの理論とは統計学の延長線上にあるような気がしてならない。成功したビジネスを体系化して、あたかも理論として正当であるかのように教えているような気がするのは僕だけだろうか。

国境を越える

2007年02月05日 | カナダ
 カナダとアメリカの間には、国境越えのポイントが多数あり、簡単に行き来することができる。カナダ人がアメリカに行くには、パスポートは不要で逆も然りだ。それ故、グリーンカードの取得が困難と考えるメキシコ人や中国人は、カナダに移民することを選択する。カナダ国籍が有ると、アメリカで仕事を見つけることも比較的容易なのだ。

 9.11以来、入国に厳しい目を光らせてきたアメリカは、現在のパスポート不要の相互入国制度を見直すそうだ。カナダでは、システム変更による数十億ドルの負担と数百万人に昇る人的交流の減少を見込んでいるとのこと。

 単一民族である我々日本人にとって、国境を越えるという概念は中々ピンとこない。しかし、実際カナダからアメリカに行くと雰囲気はがらりと変わる。国境線を跨いだだけで、治安の悪さを瞬時に感じ取ることが出来る地域も多数ある。それ故、僕は、アメリカからカナダに入るとなんとなくほっとしてしまう。
 
 カナダ国民の25%が今夜スーパーボウルを見るといわれている。言語、スポーツ、経済、政治的にもこれだけ結びつきの深い両国だが、国民性等ファンダメンタルズにおいては、大きな違いが存在する。僕は、カナダ人とアメリカ人は似て非なるものだと思う。

 国境という人為的に作られた境界がこうした違いを育むのだとしたら、"ナショナリズム”とはある意味で僕らにとって本質的なアイデンティフィケーションの形なのかもしれない。

ロンドンは寒い

2007年02月04日 | カナダ
 昨年の暖冬の反動でしょうか、今年のロンドンはいつも通り寒い冬を迎えています。気温がマイナス20度まで下がる日もあり、グローバルワーミングも関係ない様相です。風の強い日には体感温度がマイナス25度にもなるので、顔は痛いし、コンタクトレンズが凍ってしまうのではと思います。故に、殆ど外を出歩くことはありません。

 さて、明日はいよいよスーパーボウルです。ここ一週間はテレビもラジオもスーパーボウル一色です。北米4大スポーツの中でも最も人気のある競技ですから、当然といえば当然ですが。

 スポーツにおいて、カナダがアメリカ化しているといっても過言ではありません。寒さが拍車をかけるように、明日は皆自宅やスポーツバーに篭ってビールを飲みながらスーパーボウルを観戦することになるのでしょう。

塩を撒く

2007年01月23日 | カナダ
 カナダでは雪が降ると道路に塩を撒く。だから、ある程度まとまった雪が降った後でも、主要な道路には殆ど雪が無い。これとは対称的に歩道には雪が積もっていたりするのだが。

 塩といっても純粋な塩を撒くわけでは無い。塩とは、ある程度加工が施された融雪剤のことだ。だから、塩害によって車は錆びてしまう。冬の北海道では、競走馬のトレーニングをするために融雪剤が用いられている。車が錆びるように、環境や馬にも何らかの影響がでないのか疑問の限りだ。
 
 昔、北海道に住んでいた頃には、道路が凍っていたりしてもこれほど融雪剤は使われていなかった。一方で、ロードヒーティングの存在には感動したことを覚えている。

 僕は、カナダ人の雪が降ったら塩を撒くという行為が、北米の合理的な行動習慣を反映しているように感じてならない。除雪のコストや手間を省くためには塩を撒くことは効果的だし、事故も防げるだろう。更に、日中でもマイナス10度位のこともざらにあるので、雪を解かすためには止むを得ないのかもしれない。

 大量の塩を撒くことが環境にどのような影響を及ぼそうと、彼らは詰まるところ合理的に行動しているのではと推測する。

徳島旅行Ⅴ-SのBig Bang and the end of our 3rd trip-

2007年01月15日 | 
 翌朝、僕らは東京へ戻る前に讃岐うどんを食べにいくことにした。途中タリーズコーヒーに寄ってから、一路徳島を北上した。昨夜、Sと3時近くまで飲んでいたので、コーヒーがいつも以上に美味しく感じる。そういえば、Sと2人でお酒を飲むのは随分と久し振りだった。

 以前東京に住んでいた頃は、僕の家がSの通勤経路にあったこともあって、僕らは頻繁に飲みにいったものだった。Sはお酒を飲むといつも熱く語るわけだが、そういう熱いSとお酒を飲むのはいつも楽しかった。そんなSは、昨年の京都旅行での宣言通り“Big Bang”を起こして、まもなく結婚するという。残念ながら彼の結婚式には出席できないけれども、心からおめでとうといいたい。

 讃岐うどんの店は繁盛している様子だったけれど、本場香川の讃岐うどんには程遠いように思えた。その後は、鳴門のうずしおを見てから、神戸空港へと向かい東京へと戻った。今回の旅行は、移動時間が長すぎて少し忙しかったように思う。一泊二日という限られた時間の中では、もう少し効率的にスケジューリングをした方がいいかなと思ってしまった。今後、僕らの環境は変わっていくだろうけれど、この旅行がいつまでも続くとといいなと思う。

徳島旅行Ⅳ-Night at Tokushima -

2007年01月14日 | 

 徳島の繁華街を一時間程彷徨い、僕らは、雑居ビルの一角にある寿司屋へと入った。寿司屋が醸し出す一見さんお断りの雰囲気は、僕らに美味しい地魚が食べられるのではという淡い期待を抱かせた。知らない土地で美味しいものを食べようとすると大抵苦労する。時間をかけて店を探し廻っても、結局は美味しくない店に辿り着くなんてことはざらにある。ガイドブックを信用しても美味しい店に巡り合える確率は低い。さはさりながら、心理として地方に来たら美味しいものを食べたいという欲求が強いので、どんなにお腹が空いていても、ある程度時間をかけて納得の行く店を探したくなる。そんな僕のわがままはいつものことだ。5年間も同じことを繰り返して来た事から、SとAは理解を示しつつも半分飽きれているのかもしれない。  

 店に入ると頑固親父風の大将と目が合った。お腹がぺこぺこだったということもあり、大将の愛想の悪さに、早速Sが駄目出し。料理もいたって普通だったことから、Sの不快感指数は右肩上がりに上昇を続けていた。腹5分目にして店を出ようとすると大将が話しかけてきた。大将は話してみると実は良い人で、愛想が悪かったわけではなく、店が忙しかっただけのようだ。常連さんも多いのだろうから相手をするのも大変なのだろう。こうして誤解は解けたものの、それでもS評によると、徳島はややConservativeとのこと。

  サンプル数が限られていることから、SのConservativeという仮説の検証には、更なるリサーチが必要だった。それ故、僕らはより正確な分析の調査を敢行するために、いつものように大人の社交場紹介所へと向かった。今回はどういうわけかSのテンションが低く、かつて見られたSの強力な交渉術とあくなき探究心はすっかり影を潜めていた。交渉の全権はA委任された。そして、Aの判断で大人の社交場αへと向かうことになった。

 これまでの旅行では、AとSの二人の同意の上で何処の店に行くかが決められていた。この状況は彼らの協調に基づく決定なのだが、裏を返せば互いに行きたい店を選ぶために凌ぎを削っているとも考えられる。そんな競争の状況は、各人の利得を最大化することに直感的に行動する、囚人のジレンマとも言えなくない。競争は常に革新や改善を生み出す。つまり彼らの競争と協調の結果、新潟でも京都でも、僕らは旅の目的、“地域との触れ合い”における満足度を最大化させることができた。今回は店を選ぶことにおいてそうした競争が存在しない。僕は、一抹の不安を隠せなかった。  

 ビルの5階にある大人の社交場αの店内は、碁盤の目の如く区画されており、小さなテーブルによる個室空間が保たれていた。僕らは個別のテーブルへと案内され、離れ離れになった。暫くすると女性がやってきて、お酒を飲みながらたわいのない話をした。SとAとは席が離れているためお互いの会話は聞こえないし、細かな表情を見ることも出来ない。  

 店のパフォーマンスは思いの他悪かった。40分が経とうとしていた頃、少々退屈した僕は11時の方角に目を向けた。するとSが僕になにやら不思議なサインを送っていた。そのサインはまるでヒエログリフのように難解だったのだが、意味を解読するのにそれほど時間はかからなかった。

あっちを見ろ  

 Sの指差す7時の方向、そこにはAの至福の表情があった。これまでもAの楽しそうな様子を沢山見てきたが、今回は秀逸だった。後で聞いたところによると、Sは随分以前から僕にサインを送っていたそうだが、僕は気付かなかった。だけど、Sのサインを見逃さなかったおかげで、僕とSはAの楽しそうな姿に大爆笑だった。僕とSにとってAが楽しんでいたことが唯一の収穫だった。正直、今回の店は新潟や京都と比べると遥かに満足度が低かった。だから、僕らは迷うことなく延長を拒否し、店を後にした。  

 酔いの勢いも手伝って、店を出てからもAの勢いは衰える事を知らず、徳島の町を闊歩していた。僕らは、親切な地元の人に案内されてラーメンを食べてから、再度、別の大人の社交場へと戻ることにした。  

 この時、Aは単独行動を選んだ。Aは、僕らと別れて一人夜の街へと消えていった。彼の後ろ姿には、自他共に認める夜のエースの風格が漂っていた。 


徳島旅行Ⅲ -祖谷のかずら橋-

2007年01月05日 | 
 雲一つない青空が祖谷川の青さや周辺の新緑を一層濃いものとしていた。後部座席では、この美しい景色に目も向けず、IPodを耳に当てながらAが静かに眠っていた。真夏の四国はとにかく蒸し暑い。この時期、昼間の気温は常時30度を超える。そういえば、先程Aが食べていたアイスクリームは暑さのせいか瞬間的に溶けてしまい、彼の服にこぼれていた。統計上、Aが旅行期間中に何かをこぼす確率は非常に高い。新潟ではコーヒーを服にこぼし、白いTシャツが茶色く染まっていた。その後、Aは何事もなかったかのように振舞うっていたのだが、Sはそうした微妙な変化を見逃さなかった。しらっとして、まるで何も無かったかのようなAの茶色く染まったTシャツを、Sが真顔で指摘する姿に笑い転げる姿は、僕らの旅の縮図だった。

 かずら橋は、徳島市から高速を30分程西に向かって走り、高速を降りてから山道を50分程登った西祖谷にある。僕らは西祖谷に着くと、かずら橋すぐそば、駐車上という手作りの看板が目に入ったので、かずら橋から少し離れた場所にあったお土産屋の駐車場(有料)に車を停めた。徒歩で吊り橋へと向かう途中、観光客相手の土産物屋が軒を連ねていたのだが、どういうわけかそれらの店のの駐車場は無料となっていた。そう僕らはぼられたのだった。初めて行く土地では、心理的に直ぐそばとか、駐車場とあるとついつい車を停めてしまうものである。一度有料という文字を見ると、吊り橋の直ぐそばに無料の駐車上があるとは通常予想し難い。つまり、吊り橋が近くなると駐車場が無料になるという期待値は当然低くなる。今回は、全く逆のケースだった。こういう宣伝の仕方をする民芸屋の主人は賢いと思った。他方、僕達のような純真な観光客が多数同じ轍を踏んでいるかと思うと少々残念に感じた。田舎の人は良い人だという仮説に基づいた僕達の行動は、新たな不信感と満足度を下げる結果となった。

 かずら橋は全長45mの原始的な吊り橋で、近隣に生えるかずらという木を用いて作られている。清流の真上に立つ吊り橋は、人が少し動くだけでがたがたと揺れる。よくもまあこんな橋を作ったものだとつくづく感心する。

 かずら橋の起源については諸説あり、屋島で源氏に敗れた平家の落人が追っ手からいつでも逃げられるように橋をかけたとか、弘法大師がかけた等々、様々とのこと。平家の落人の血を引いている僕としては、平家説を信じてしまうのだが。

 僕は最も美しい遺跡というのは、周囲の自然との愛称だと考えている。例えば、エジプトのピラミッドは、歴史と規模においては目を見張る程素晴らしい。しかし、周囲に立ち並ぶKFCやマンションといった現代建築の産物は、全くもって遺跡に調和しておらず、遺跡の素晴らしさを損なっていると言わざるを得ない。かずら橋は、橋を渡るのにはものの5分しかかからない小さな吊り橋だけれども、周囲の山々や谷と調和している姿は秘境浪漫といえるだろう。

 僕らは橋下の谷で水遊びをしてから、温泉に入り、徳島市へと向かった。移動距離が長かったせいだろうか、ホテルに戻ると異様な眠気が襲ってきた。空腹と疲れた体を揺さぶり起こして、僕達は徳島の夜の街へと繰り出したのだった。それは長い長い夜の始まりだった。

徳島旅行Ⅱ‐徳島ラーメン‐

2007年01月03日 | 
 出発ゲートを抜けて、僕らは飛行機へと乗り込んだ。上昇したテンションを抑えきれなかった僕達は、出発ゲートを歩きながら終始騒がしくしていたので、迷惑な客に見られていたに違いない。特に、ターミナル中に響き渡るAの笑い声は、周囲の注目を集めるには充分過ぎた。

 幾分小さく感じたスカイマークの機内も一時間程のフライトには特別不自由を感じなかった。神戸空港に到着しレンタカーを借りると、神戸市内を抜けて、陸路を四国へと向かった。車を運転する僕の隣では、陽気なAがケツメイシを口ずさんでいる。Sは最近忙しく寝不足気味とのことで、後ろでお休みの最中。淡路島を走る高速道路は完全に山を切り開いて作られており、緑を帯びた山々が一面に広がっている。そんな淡路島の南国の風景は、どこか沖縄の景色と似ていた。

 この旅行に来る1年程前のこと、僕は仕事で沖縄へ行く機会があった。仕事の翌日が休みということもあって、次の日にレンタカーを借りて、沖縄半島を一周することにした。Aからは、沖縄のドライブを3倍盛り上げるために、事前にケツメイシのCDを準備するように言われていたのだが、前日の夜が遅かったということもあり、すっかり疎かになっていた。当時は、丁度MBAの受験が終わり、精神的に解放されていた時期でもあったのでラジオを聞きながら景色を見るだけで充分だった。沖縄の山や海は凄く綺麗で印象的だった。当時は、普通の生活に飢えていたことから、何気ないことが必要以上に眩しく見えたのだと思う。それに、あの沖縄出張がなければ、もしかしたら今の自分の人生が大きく変わっていたのではと思うことがあるので、強く記憶に残っている。

 2時間も運転すると徳島に着いた。お腹が空いたので、Sが準備していたるるぶを参考にしながら、僕らは徳島ラーメンを食べに行く事にした。とんこつ派の九州男児Aは、ここでもとんこつラーメンを食べる事を熱望していたのだが、熱い議論の末に、田園風景広がるのどかな場所にある徳島ラーメンの店、巽屋を選択することになった。

 お昼時ということもあって、巽屋の店内は賑わっていた。徳島ラーメンの見た目はある意味で衝撃的だった。450円~という魅力的な価格もさることながら、黒澄むスープの色と生卵が乗せられている姿は、まるで牛丼そのものだった。濃い目の醤油味のスープは、甘味が抑えられていた。ストレート麺との愛称も良く、濃い味が好きなAとSは結構満足そうだった。日本の国土は狭いけれども、地域に根付いた食文化があることを改めてAppreciate。

 こうしてお腹を膨らませた僕達一行は、旅の最大の目的地の一つである、日本3奇矯の一つに挙げられているかずら橋へと向かうことになった。

ボストンのタクシー

2006年12月24日 | Ivey
とある11月の週末、ボストンに行ってきた。ロンドンの氷点下とは打って変わって、穏やかな気候だった。海沿いの景色も綺麗だし、シーフードは美味しいし、ロンドンとの差を改めて感じてしまった。

 ボストンでは、毎年11月になると、ボストンキャリフォーラム(BCF)という留学生向けのキャリアイベントが開かれる。BCFには、毎年多くの企業が学生を採用する為にわざわざ日本からやってくる。今年は過去最多の175社が参加したそうで、留学生の間では毎年恒例のかなり有名なイベントとなのだ。僕も一留学生として、参加した訳だが、日本企業の積極的な採用環境がなんとなく伝わってきた。団塊世代の退職もあるのだろうけど、多分景気が凄くいいのだと思う。

 さて、そんなボストン滞在中のある日、僕はいつものようにタクシーを捕まえて最寄の駅からホテルへと向かった。その日はどういう訳か、タクシーが中々捕まらなかった。待つこと15分程でタクシーを捕まえ、ものの5分の距離にあるホテルへと向かうことになった。タクシーへと乗り込み、ドライバーにホテル名を告げたのだが、ドライバーが分からないと言い出した。仕方がないので、プリントアウトされたホテルの名前と住所を見せるのだが、分からないような素振りをするので降りようとすると、彼は突然思い出した言いと始めた。なんとなく不審を抱きはしたのだが(この時点で既にメーターは回っていた。)、まあいいかと思いホテルへ向かうことにした。

 高速道路の脇を抜け、暫く走ると大きく二手に道が分かれていた。右側がショッピングモール、左側がそれ以外の道だった。運転手は、ショッピングモールの方へ曲がった。僕はホテルがショッピングモールの側にあるのかと思ったのだが、そこを通り抜けて左折して、先程の分かれ道の少し先に戻ってきた。彼は明らかに遠回りをしていた。僕は呆れてものが言えなかった。

 僕を乗せる時に、ホテル知っているのかと聞いたら、“I know I know”等とぬかしていたくせに、わざと遠回りしたこの態度に僕はどうしようかと考えた。そこで、僕はチップを減額することにした。北米ではチップは習慣であり、通常料金の10-15%が支払われる。こうしたサービス業に従事する人達にとってチップは生命線なので、チップ無しでは給料がもの凄く低いと言われている。

 タクシーがホテルの前に止まると足早に次の客が乗り込んできた。彼を横目に僕はチップを減額した料金をタクシーの運転手に渡した。運転者は、少し不満そうな顔をして、乗り込んできた男に向かって、

運転者:チップが少ないけちな奴だ。

乗り込んできた客: こいつらにはチップの習慣がないから仕方がないのさ。

 僕が言葉を分からないと思って、こういう発言をしたのかどうかは定かではないけれど、遠回りしておいてこんな物言いをするとは、なんて失礼な奴だと思った。ドライバーにチップを少なくした理由を説明しようかと思ったけれど、相手にすること自体がばかばかしくなってきたので辞めた。こういう人間とまともに取り合っても時間と労力の完全な無駄である。

 北米には、自分の行為を特に考えもせず、主張のみをする輩がやたらと多い。CRM(Customer Relationship Management)を唄い、顧客満足度の最大化という薄っぺらい議論がビジネススクールで為されているけれで、僕は義理と人情に厚い日本やアジアの文化を最大限にappreciateしたいと感じた瞬間だった。