TA EIS HEAUTON

自省録。
自分自身という
最も手強い敵を相手に。

メフィストフェレス

2011年05月29日 | 着想
 陰を見ようと思うのなら、ほれ、光が差さんことには始まらんじゃろう。光であろうと思うのなら、陰も知らぬとは言わせまい。


金の臭いがせぬ世をお探しのようである。アナーキーというのかしら。もううんと疲れたのよ。これまでたくさんの本を読んだわ、小説だって、詩だって、うんと難しい本だってね。でもそこにはヒントが散在しているだけで、そのヒントだけを集めたってギリシアのお城は造れないのよ。この建物の柱はすべて矛盾しているのだもの。世の中ってそうよね、いつもあれだ、これだって言い聞かせながら生きているのに、時間が経てばそうじゃないことばかりなんだもの。嫌になるわ。おじさんがいつも言ってた、世の中甘くないんだぞって、いつも鋭い目で私の目の中を押し潰したわ。でもね、そのおじさんがいう世の中ってのも変なものよ。自分のことばかりで、表には綺麗に見えても、その過程は黒々としている。ダイヤモンドやチョコレートを、アフリカの誰かが苦労して運び出すようなものよ、誰も知らない気苦労や悲哀の彼方に、ちっぽけな世界の幸せがコロリと落ちて来るようで、私はその幸せが幸せに感じられないのよ。金の臭い、恩着せがましさ、世代という名の圧力と鉄柵。
私にはね、もう我慢ならないのよ。確かに世の中って厳しいと思うわ。それに他人と生きることって本当に厄介で難しいとも思うわ。でもそんなことじゃないのよ。世の中厳しいって、それはあなたの世の中でしょう。今の時代のどこをどう見たって、良い時代じゃない。虚しさが漂って、息苦しくて、八方塞がりで、それなのに平気な顔をしているのは老人達だけ。しかも極めつけに老人達が憂国の念や若者批判することったらもう我慢ならないのよ。あなたたちが造ってきた世の中でしょう!あなたたちが造ってきた若者でしょう!悪いのは、あなただ。それなのに私がその世の中から違うことをしようとしたら、なぜあなたちの目はそんなに冷たくなるのだろう。分かってるわ、自分が否定された気になるからなのよね。それでも私は否定する。こんな世の中間違ってる。私は追従者じゃない、開拓者なのよ。昔から危機の時代にはいつだって真実が語られてきたわ。もう不誠実な世を望んでいないのよ。私の目の前に、随分と前から蜘蛛の糸が垂れ下がっているの。私の使用人はいつだって
その糸を不潔なものだからと言って伯耆で払っていたけれど、それは私がそちらへ昇ることを許したくないからなのだ。私はこの糸を掴む。もういい加減になさって。御自分の間違いを認めてくださらない?本当はここまで言いたくなかったのよ、御自身で気付いてほしかったの。でも一向に気づかないようだからこれを最後の言葉にして、私はこの糸を登っていくわ。さようなら。私はこの糸をそのままにしておくわ。この糸はいい?心で見ないと見えないのよ。

行けども行けども

2011年05月09日 | フラグメント。

 マックス=ウェーバーだか夏目漱石だか、いつぞや読んだ書物と、恐らくはマルエンの知識が入り混じっているのであろう。帰りの車内でぼんやりと頭の中を活字がタイプする。
 「近代人は、日々の糧を得るために労働に追われ、あくせくしている。生産手段をもたないがゆえに自らをその生産手段とすることに慣れ、資本家の奴隷となる。それゆえ、自らの時間を失い、自らの思考を奪われ、ついには自分自身をも失う自己疎外の状態となる。ああ、あの頃は『そんなものですかね』と思ったり、『いや、私はそれでも自分を見失いますまい』と変な誓いを立てたりしたものだ。いわゆる俗人の流行病に臥すは、自らを貶める諸悪の本であるのだから、私は自分を確立するのだ、などと肩をいからせていたものである。そんな折、何を目的とするのだかわからない労働をし、ただただベルトコンベアーを流れる不可思議なものたちを、本当に訳が分からぬまま本当らしく処理している。一日の終わりが早く、少し待ってくれと手を前方に差し出そうとしても、足早な選手たちが早々に下り坂の方へと消えていく。そして私は私で、競争社会の矛盾を知りながら競争社会に生きる葛藤に蓋をして、最終的に至る論理は、それでもやはり頑張らなくてはならないという死人に鞭打つ結論しか提示できないでいる。もうやけだと思うと、いっそう、とまらない車輪を一生懸命こいでいるような格好になり、へとへとになる。私を支えているのは、そして私を支えようとしているのは一体何であろうと頭に雲を浮かべるが、それもたちまち霧消し、時間軸に合わせて私の一生が削られていく。HOW DO YOU DO?」
 身の回りを変えるのか、自分が変わるのか、革命か反抗か、そんな二元的な問ではなかったようである。世の中は深い。サタンが食べさせたあの果実が、どんどんどんどん苦くなっていく。