他者に対する自分の意味が、何なのだか分からない。
これまで意味なんてものはどうでもいい気がしていたけれど、
どうしてこんなにも意味ばかりを考えるようになったのか。
これまで、自分の事は分かってくれなくても、分かろうとしてくれるだけでいいと思ってきた。分かりっこないのだから。それだけで幸せな事なのだから。そして未だにやっぱりそう思う。人の「気持ち」までは到底、理解できるものじゃない。「あの人は分かってくれる」「あの人は一番の理解者だ」という言葉は、自分本位で、誤解だと思う。押し付けがましい。傲慢だ。わがままだ。
「分かろうとしてくれる他者がいる」。それが真実だ。
ブログを約1年間続けて分かったことがある。
自分の行動や思考をどんなに深く掘り下げて考えてみても、それが自分を変えること等ない。そして、変えようとする事がすでに自分を失っている。人間は、自分を変えていくものではなくて、自分が変わっていく存在なのだと思うようになった。自分が変わるための媒体は、取り巻く環境でしかない。それからやっと、自分を変えて行けるものだと思うようになった。そしてそれは変化というよりも、純化かあるいは適応でしかない。掘り下げていった先には、地球の裏側に出る自分でしかない。ただその過程で様々なものに直面するだけの事だ。
この3年あまりが、自分にとって一番苦しい歳月だった。
その最後の年に、ブログを始めた。1年経って、自分で自分を変えられないことを知った。一握りの、ときどきの友情や愛情があれば生きられると思った。一握の砂には、一体どれだけが残ったのか。
友情から失った自分の人生には、同時に信頼も失っていた。少しの光をも疑うように、黒いカーテンが用意を始めていた。友人にも恋人にも、いつでも同じものを心の中で求めた。一握の砂でもない友人と恋人が、この手からいつもサラサラとこぼれ落ちた。砂場に滑り落ちたそれらは、もう掬い取る事はできない。ただこの手に残る一握の砂だけが自分を信じさせ、同時にいつこれがこぼれ落ちるのかという恐怖だけが付き纏っていた。
「恍惚と不安と 二つわれにあり」
当時、ヴェルレーヌのこの言葉がいつも涙を誘った。
枯葉のようにくるくると宙を舞っていた。
失う前に、得る事さえ出来ずにいた。子どもの頃に身に就いた「横目」が、いつもその邪魔をした。気付いた時には、すでに空虚の中にしかいなかった。疑っている時は、まだ幸福な気がした。
掬った手の平に残る、一握の砂。
渠成って水到るはずが、「水到りて渠成る」になっていた。そして出来た渠さえも、水の流れでいつしか崩れ落ちようとさえした。不仕合せであると思った。「変わっている」という掛け声が、それをいっそう助長した。
すべてを微笑に転化した。何も充たされない疑念。それでよかろうと思っていた。一種の諦めである。体を震わす微笑が、手の平から次々と砂をこぼしていた。
僕はいま、また、途方に暮れる。自分の中の狼に喰われまいとした自省は、狼の集団に捕まっていた。集団など、リーダーを倒せば散在してしまうはずでも、それらは1匹狼の集まりだった。倒せども倒せども減らぬハンターが、体中にかぶり付いていた。自分の痩せ行く体、へこみ行く胸板、か細くなってしまった肩や腕は、自分を小さく小さくしていく。自信を失い、自分を卑屈にさせる一方で、開き直りや諦めに近い微笑が現れる。そしてその微笑がまた自分をいつしか苦しめる。
ある人物の今だけを見つめて、その人を判断してはいけない。
しかし自分は1年前とは何も変わってはいない。2年ぶりに東京を訪れた今年、「東京とは生きるために死ぬる人の街である」とつぶやいた2年前とは違う東京が目の前に映っていた。そして、「嗚呼そうか、変わらないのは自分だけなのか」と思わせられた。自分の現在という曖昧な一時期は、どこでそう作られてしまったのか。
ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの。“太宰治/女生徒”
社会は人と人とのコミュニティーだけれど、それほどまで、今では人はそんなに汚いものではないなと思う。善と悪と、混ざり合うコーヒーのミルクの芸術を、そのままに受け入れる。それでも心の中に刻まれてしまった欠落部分が、いつでも黒いカーテンを誘い、不安をより濃くし、手の平にある砂さえもこぼさないようにしなければならなくしている。
「此の世は希望に満ちている」という金言をずっと信じて来た。そして年を重ねる度に、現実はまざまざと絶望を目の前に突きつけ、僕を当惑させ続けた。なぜあの頃、希望だけではなく絶望の存在を教えてくれなかったのだと、人のせいにした。「絶望もあるけれども」、その一言のHoweverさえ付言してくれれば良かったのにと思った。
此の世で生きるための最良の策は、希望を抱く楽観性よりも、希望を抱く意志と、それが直面した苦悩をまた希望に転化できる意志でしかない。それが未来につながる「Will」なのだと思う。
自分は生きていて良いのかと思う。
自分は何のために生きているのかと思う。
それを考え始めたら答えはどこにも見つからず、いっそ死んでしまおうかと思う。煙草で体が傷付くはずも無いけれど、ただそれだけのために煙草を吸うようになっていた。病気になって初めて生きている事の大切さが分かるのなら、いっそ病気にでもなりたい。祖父が亡くなって、それでも生きる事の大切さは分からなかった。
生きる意味は、目的で、目的はいつも終わりを持っている。だから「END」というのだと思う。いくつものENDの重なりがEndlessとなって、命の最後が「Finish」、そしてそれこそが最後の、そして人生を締めくくるENDなのだと思う。
人間のどんな目的も限界を持っていて、しかもそれが決定されて初めて目的や計画が存在する。しかも人間はその限界をいつだって越える事だってできるから、自省の立場は、不合理なようにしか見えない。始めたが最後、絶対に終わらない事を知ってしまっているから、自省すればするほど、どんな目的にも努力の必要性を疑う。進むのと進まないのでは結局は同じだと。
自省することが自分を苦しめる事も、ある。目的に従って進む苦しみもまた同じように、ある。どちらかをやめるのか、どちらをもやめるのか、どちらとも携えるのか。僕はその中で決めかねている。
他者にとっての自分の意味、自分の中の自分の意味、自分にとっての他者の意味、それぞれの意味が複雑に絡み合う。楽しいはずの綾取りがうまく行かない。
僕は今立ち往生ができない。許されない。
ただどっぷりと休みたい、安らかでありたいとばかり願う。
これまで意味なんてものはどうでもいい気がしていたけれど、
どうしてこんなにも意味ばかりを考えるようになったのか。
これまで、自分の事は分かってくれなくても、分かろうとしてくれるだけでいいと思ってきた。分かりっこないのだから。それだけで幸せな事なのだから。そして未だにやっぱりそう思う。人の「気持ち」までは到底、理解できるものじゃない。「あの人は分かってくれる」「あの人は一番の理解者だ」という言葉は、自分本位で、誤解だと思う。押し付けがましい。傲慢だ。わがままだ。
「分かろうとしてくれる他者がいる」。それが真実だ。
ブログを約1年間続けて分かったことがある。
自分の行動や思考をどんなに深く掘り下げて考えてみても、それが自分を変えること等ない。そして、変えようとする事がすでに自分を失っている。人間は、自分を変えていくものではなくて、自分が変わっていく存在なのだと思うようになった。自分が変わるための媒体は、取り巻く環境でしかない。それからやっと、自分を変えて行けるものだと思うようになった。そしてそれは変化というよりも、純化かあるいは適応でしかない。掘り下げていった先には、地球の裏側に出る自分でしかない。ただその過程で様々なものに直面するだけの事だ。
この3年あまりが、自分にとって一番苦しい歳月だった。
その最後の年に、ブログを始めた。1年経って、自分で自分を変えられないことを知った。一握りの、ときどきの友情や愛情があれば生きられると思った。一握の砂には、一体どれだけが残ったのか。
友情から失った自分の人生には、同時に信頼も失っていた。少しの光をも疑うように、黒いカーテンが用意を始めていた。友人にも恋人にも、いつでも同じものを心の中で求めた。一握の砂でもない友人と恋人が、この手からいつもサラサラとこぼれ落ちた。砂場に滑り落ちたそれらは、もう掬い取る事はできない。ただこの手に残る一握の砂だけが自分を信じさせ、同時にいつこれがこぼれ落ちるのかという恐怖だけが付き纏っていた。
「恍惚と不安と 二つわれにあり」
当時、ヴェルレーヌのこの言葉がいつも涙を誘った。
枯葉のようにくるくると宙を舞っていた。
失う前に、得る事さえ出来ずにいた。子どもの頃に身に就いた「横目」が、いつもその邪魔をした。気付いた時には、すでに空虚の中にしかいなかった。疑っている時は、まだ幸福な気がした。
掬った手の平に残る、一握の砂。
渠成って水到るはずが、「水到りて渠成る」になっていた。そして出来た渠さえも、水の流れでいつしか崩れ落ちようとさえした。不仕合せであると思った。「変わっている」という掛け声が、それをいっそう助長した。
すべてを微笑に転化した。何も充たされない疑念。それでよかろうと思っていた。一種の諦めである。体を震わす微笑が、手の平から次々と砂をこぼしていた。
僕はいま、また、途方に暮れる。自分の中の狼に喰われまいとした自省は、狼の集団に捕まっていた。集団など、リーダーを倒せば散在してしまうはずでも、それらは1匹狼の集まりだった。倒せども倒せども減らぬハンターが、体中にかぶり付いていた。自分の痩せ行く体、へこみ行く胸板、か細くなってしまった肩や腕は、自分を小さく小さくしていく。自信を失い、自分を卑屈にさせる一方で、開き直りや諦めに近い微笑が現れる。そしてその微笑がまた自分をいつしか苦しめる。
ある人物の今だけを見つめて、その人を判断してはいけない。
しかし自分は1年前とは何も変わってはいない。2年ぶりに東京を訪れた今年、「東京とは生きるために死ぬる人の街である」とつぶやいた2年前とは違う東京が目の前に映っていた。そして、「嗚呼そうか、変わらないのは自分だけなのか」と思わせられた。自分の現在という曖昧な一時期は、どこでそう作られてしまったのか。
ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの。“太宰治/女生徒”
社会は人と人とのコミュニティーだけれど、それほどまで、今では人はそんなに汚いものではないなと思う。善と悪と、混ざり合うコーヒーのミルクの芸術を、そのままに受け入れる。それでも心の中に刻まれてしまった欠落部分が、いつでも黒いカーテンを誘い、不安をより濃くし、手の平にある砂さえもこぼさないようにしなければならなくしている。
「此の世は希望に満ちている」という金言をずっと信じて来た。そして年を重ねる度に、現実はまざまざと絶望を目の前に突きつけ、僕を当惑させ続けた。なぜあの頃、希望だけではなく絶望の存在を教えてくれなかったのだと、人のせいにした。「絶望もあるけれども」、その一言のHoweverさえ付言してくれれば良かったのにと思った。
此の世で生きるための最良の策は、希望を抱く楽観性よりも、希望を抱く意志と、それが直面した苦悩をまた希望に転化できる意志でしかない。それが未来につながる「Will」なのだと思う。
自分は生きていて良いのかと思う。
自分は何のために生きているのかと思う。
それを考え始めたら答えはどこにも見つからず、いっそ死んでしまおうかと思う。煙草で体が傷付くはずも無いけれど、ただそれだけのために煙草を吸うようになっていた。病気になって初めて生きている事の大切さが分かるのなら、いっそ病気にでもなりたい。祖父が亡くなって、それでも生きる事の大切さは分からなかった。
生きる意味は、目的で、目的はいつも終わりを持っている。だから「END」というのだと思う。いくつものENDの重なりがEndlessとなって、命の最後が「Finish」、そしてそれこそが最後の、そして人生を締めくくるENDなのだと思う。
人間のどんな目的も限界を持っていて、しかもそれが決定されて初めて目的や計画が存在する。しかも人間はその限界をいつだって越える事だってできるから、自省の立場は、不合理なようにしか見えない。始めたが最後、絶対に終わらない事を知ってしまっているから、自省すればするほど、どんな目的にも努力の必要性を疑う。進むのと進まないのでは結局は同じだと。
自省することが自分を苦しめる事も、ある。目的に従って進む苦しみもまた同じように、ある。どちらかをやめるのか、どちらをもやめるのか、どちらとも携えるのか。僕はその中で決めかねている。
他者にとっての自分の意味、自分の中の自分の意味、自分にとっての他者の意味、それぞれの意味が複雑に絡み合う。楽しいはずの綾取りがうまく行かない。
僕は今立ち往生ができない。許されない。
ただどっぷりと休みたい、安らかでありたいとばかり願う。