「幸福の科学」観察日記

「幸福の科学」を観察しつつ、心に浮かんだ感想などを綴っています。

信仰格差

2012-02-17 | 感想 1

信者のブログを見ていたら、「信仰格差」という呟きを見つけた。気の毒な話である。

本来、宗教は、お金ではなく、心が基準のはずである。だから、心がこもった貧者の一灯は、富者の万灯に勝ることもあるとされる。

けれども、HSの場合は、お布施目安だか、ご奉納目安だかいうものがあるという。たとえば法話などは、一定額以上を支払った者しか拝聴できないらしい。

目安額が低く、誰もが簡単に支払える程度であれば、さほど問題はなかろうが、実際には、相当な額に設定されているために、信者らは、お金の支払い能力によって、振り分けられることになる。信仰心はあっても裕福でない信者にとっては辛いところだろう。

唯物論を批判する宗教が、お金の多寡によって、信者を振り分けているというのは残念なことである。もし仮に、どうしても信者を振り分けなければならないとしたら、ご奉納目安の支払い能力によって分けるよりは、希望者多数の場合は厳正な抽選によってとか、仏法真理の試験の成績優秀者を優先とかにした方が、よほど良いと思う。そうなれば「信仰格差」などという悲しい呟きはなくなるはずである。



3 コメント

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Unknown (eaon)
2012-02-21 13:40:56
お布施の目安は確かにありますが、最近はそれほど高額ではないので、あなたの説は当てはまりませんよ。

それにしても、どうしてあなたはいつもいつも、何も知らないのに、知ってるようなことを言うのでしょうか?

このような自分の思考に問題がある、という自覚は?
それともソースが2chで、2ch情報をそのまま鵜呑みにしている、ということでしょうか?
Unknown (enzo)
2012-02-22 16:02:10
初めまして。考えるに、平等=善・格差=悪とは必ずしも言い難い事実があると思われます。
当会において格差は全くないとは言いません。
が、それぞれの段階においてさえ、学びもあれば、法を学ぶ喜びもあるというのが、率直な感想です。

私は議論があまり得意ではないので、手短に終わらせますが、ネームに“自由”という言葉を使っておられるようですので、質問があります。

jiyuuさんは「信教の自由」また「信仰告白の自由」をどう捉えてらっしゃいますか?
これは「言論の自由」に先立ちてあるもので、これがあるために、アメリカ国内においてさえ、イスラム教徒が迫害されずに住んでおります。

私の意見としては、相手の信仰を認めるという行為が、相手の“自由”をも認めるということに繋がるのだと感じております。
はじめまして (jiyuu)
2012-02-22 19:06:06
はじめまして。

たしかに、平等にしろ、格差にしろ、常に善または悪として固定されてるわけではないかもしれませんね。

自由については、「信教の自由」「信仰告白の自由」「言論の自由」「相手の信仰を認めるという行為」など、どれも尊重したいと考えてますよ。

ただ、「相手の信仰を認めるという行為」が具体的にはどのような行為なのかについては、見解の相違はあるかもしれませんね。

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