トルコは「クーデター幻想」から脱却できるか
<欧州と中東をつなぐ地域大国トルコで、15日夜から発生したクーデター未遂事件。過去3度もクーデターが起きた国だが、今回は失 敗に終わった。なぜクーデターが起き、そして失敗したのか。エルドアン大統領は今後どういう手を打つのか。これでトルコは名実ともに民主主義国となるの か>
15日午後10時前、英国放送協会(BBC)で「ブレイキング・ニュース(ニュース速報)」として「トルコのクーデター」の文字が流れた。
私がい るエジプトとトルコは1時間の時差で、トルコは午後11時前となる。
「イスタンブールでボスポラス海峡にかかる橋を軍の戦車が封鎖」という。
そのうち、 「軍が国営放送TRTを占拠」「イスタンブールのアタチュルク空港が軍に占拠され、全出発便が停止」というニュースが出て、
ただならぬことが起こっている ことが分かった。
私はイスタンブールからのライブ中継をしていたアラブ首長国連邦(UAE)のアルアラビヤTVのアラビア語放送に切り替えた。
軍が声明を出す。 「全権を掌握した。近く新しい憲法を発布する。外交関係と人権は維持される......」。
それに対して、ユルドゥルム首相が「軍の行動に正統性はない。 政府はなお機能している」と声明を出す。
エルドアン大統領は休暇中で南西部のリゾート地マルマリスにいる。
イスタンブールのテレビ局NTVにエルドアン大 統領から電話が入り、携帯電話に大統領の映像が映る。
「クーデターに対抗するために国民は街頭に出よ」と訴える。
テレビからは橋を封鎖した戦車の映像が流 れている。激しい銃撃音が聞こえる。
始まって1時間ほどの間は、トルコでクーデターが起こり、イスラム系のエルドアン大統領は終わりになるのか、という気がしていた。
3年前の2013年7月に朝日新聞の特派員として経験したエジプトの軍事クーデターの記憶がよみがえってきた。
【参考記事】エジプトの人権侵害を問わない日本のメディア
空気が変わってきたのは通りに市民が出てくる映像が流れ始めてからだ。
大統領支持派か、軍支持派かは分からない。テレビでは両方がいる、という。
しかし、現場からの音声で「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」という叫びが聞こえた。イスラムを強調するエルドアン支持者だ
。しばらくして、アルアラ ビヤTVでトルコ人ジャーナリストがイスタンブールの状況をリポートした。
「主要な通りは、反クーデターの民衆が繰り出している。エルドアンは選挙で 50%を得票している。人々はクーデターを許さない」
エルドアン大統領が率いる公正発展党(AKP)支持のジャーナリストかもしれないと思いつつも、市民が動いているとなれば、クーデ
ターは簡単に成 就するわけではない、という現地の空気が分かった。
さらに1時間ほどすると、軍幹部から「軍はクーデターに反対する」「クーデターを起こしたのは軍の少数 派だ」などという声明が出始め
た。
クーデターの速報から4時間ほどたったところで、カーキ色の服を着た兵士が、自動小銃を持ち、防弾チョッキをつけた治安部隊員2人
に両腕をつかまれ て次々と連行される映像が流れた。
国営アナトリア通信のアラビア語部門部長が、アルアラビヤに対して「クーデターは失敗した」と明言した。
空港の占拠も解 かれ、TRTも放送を再開した。
アンカラではまだ治安部隊と反乱軍の間で交戦が続いているようだったが、首相の指示を受けて、軍のF16が反乱軍のヘリコ プター
を撃墜との速報が流れ、クーデターの試みは潰えた、と私は判断した。
これほどの短い時間で、一国の歴史の一コマとなるような出来 事をみることもそうそうあるまい。
エルドアン大統領は16日未明、イスタンブールの国 際空港に到着し、米国に滞在しているイスラム指導者ギュレン師と、トルコ国内で
強い影響力を持つ「ギュレン運動」の支持者がクーデターの背後にいると非難 し、「彼らは国家への反乱で代償を払うことになる」と述
べた。
16日中にクーデターに関わった3000人以上の将校や兵士が逮捕され、2700人以上の判 事など司法関係者が更迭された。軍関係
者の大量逮捕はその後も続いている。
過去に3度クーデターを起こした「世俗主義」の守護者
トルコ軍は1960年、71年、80年と過去3回、クーデターなどで権力を奪取した。
軍は現代トルコの「建国の父」ケマル・アタチュルクが唱えた 国是「世俗主義」の守護者を自認し、司法当局の協力を得て、公正発展
党の前身であるイスラム政党に対して「政教分離」に反するとして再三、解党命令を出し てきた。
エルドアン氏自身も政治活動禁止などを経て、2002年にイスラム保守のAKPを率いて、政権をとった。
03年に首相、14年にトルコ初の民選大 統領となった。
この間、AKPの解党に動く軍の幹部を追放するなどし、軍の影響力は大幅に削がれていたはずだった。
今回のクーデター騒 ぎがひやりとさせられたのは、14年間にわたるエルドアン体制で軍にたまった不満が一気に噴出したのではな
いか、と考えたから である。
しかし、結果的には動いたのは軍の一部であり、それも軍幹部の名前は上がらなかった。
たびたびクーデターで国が動いてきたトルコでも、もはや軍が クーデターを起こす状況ではないことが明らかになった。
クーデターに反対する群衆が街頭に繰り出して、戦車や軍車両を取り囲んだことで動きを止める映像は 感動的でさえあった。
しかし、これでトルコも名実ともに民主主義国家の仲間入り、というにはためらいがある。
軍の一部であれ、「クーデ ター幻想」とでも呼ぶべきものが ある。
そこに、一部の軍人たちの勘違いというだけに留まらないトルコの政治の空気を感じる。
つまり、強権体制が一般的な中東で、独裁的な支配者に対する軍 のクーデターやクーデター未遂が珍しくないという政治の空気であ
る。
エルドアンは独裁者とは言えないだろうが、政府に批判的なジャーナリストや文化人を逮捕し、新聞社を閉鎖するなど言論の自由を侵
害する強権的で独裁 的な傾向を強めている。
反乱軍の声明は「立憲的秩序、民主主義、人権、自由を回復し、トルコ国内にもう一度、法の支配を確立するため」というものだった。
反乱軍人たちの勘違いは、自分たちがエルドアン体制での強権化の流れに危機感を強める反エルドアン勢力の声を代弁していると
考えたことだろう。
反 対勢力とは、世俗派であり、エルドアン政権と対立し、イスラム的道徳を強調するギュレン運動である。
エルドアン氏はギュレン運動がクーデター騒動の背後に いると名指ししたが、ギュレン運動が画策したものでなくても、エルドアン氏が
強権的手法で政敵を抑えているという政治的状況が、軍人たちに「クーデター幻 想」を抱かせたのかもしれない。
軍を動かすことで、エルドアン支持派を沈黙させ、反対者の喝采を浴びて、体制を転覆できるという幻想である。
結果的にはクーデターを歓迎する市民がいたが、群衆にはならなかった。
逆に、群衆になって戦車を取り囲んだのは、クーデターに反対する市民だっ た。
エルドアン氏が選挙で50%の支持を得ているという実績の前で、反乱軍の時代錯誤的な浅はかさが露呈した。
しかし、欧米の民主主義が確立されている 国々では、軍がクーデターを起こすという発想自体が通用しないのだから、
トルコでは軍人が「クーデター幻想」を抱く、時代錯誤的な政治の空気を払しょくし きれていないということになる。
危機を逆手にとって政治的攻勢に出るエルドアン
トルコの課題は、軍人たちがクーデターを夢想だにしないような国になることだろう。
そのためには、民主主義が政権支持勢力のためだけでなく、政権 批判勢力にとっても利益であるような体制をつくるしかない。
つまり、批判勢力の言論を弾圧するようなエルドアン氏の強権的手法を改めるしかない。
しかし、 クーデター直後のエルドアン大統領の言動を見る限り、自分の支持者の力を誇示し、批判勢力を排除し、圧力をかけるという
方向に動いている。
クーデターに関係した者たちの逮捕など事態の収拾においても、判事など多数の司法関係者を更迭したのは、司法界に影響力を持
つギュレン運動が、エ ルドアン氏を含む政権の汚職捜査を進めていたためであろう。
それはクーデター騒ぎに便乗した権力固めというそしりを受けかねない。
さらにユルドゥルム首相 はクーデターを防ぐためとして、トルコが2002年に廃止した死刑制度の復活に言及した。
エルドアン氏はこれまでも政治的危機を逆手にとって、政治的攻勢に出ることで、自身の政治基盤を強化してきた。
エルドアン氏がテロに対して強硬策をとり、国民の支持を取り付ける手法については「『テロとの戦い』を政治利用するエルドアンの剛
腕」として書いた。
2013年6月のイスタンブールのゲジ公園開発に絡んでの市民の抗議運動に治安部隊を投入して排除し、
それに対して国際的な批判が起こると国内各地で政治集会を開いて、支持を誇示したこともあった。
今回のクーデター騒ぎでも、自身の支持を強化することで、軍や反対勢力を威嚇しようとする姿勢が見える。
今回のクーデター未遂事件に続いて、エル ドアン氏が反対勢力に対する大量逮捕を進め、さらに軍のクーデターに対抗した治安部隊
や情報機関の強化に動くならば、強権独裁への道が開かれることになる かもしれない。
今回の事件で、クーデターの速報を受けて、エルドアン氏が休暇の地から携帯電話を通じて、「街頭に出よ」と呼びかけた時、
その訴えは国民に向けた ものだったのだろうか、または自身の支持者に向けたものだったのだろうか。
実は、最初の声明でも既に「ギュレン運動がクーデターを仕組んだ」と非難してい た。
ということは、自分の支持者に向けて「動け」と訴えたということになる。
エルドアン氏は、軍のクーデターに抗議した市民は自分を守るために動いた支持者だと理解しているのだろう。
民主主義を守るためと考えていたなら、 クーデターという軍の政治介入に対しては政治勢力を結集すべきであって、
政治的なライバルの排除に動けば、国民の亀裂をさらに広げることになる。エルドア ン氏は気づいていないかもしれない。
その政治手法、その政治思考が、クーデターを生む土壌をつくっていることを。
さらに、今後の事態収拾によっては、トル コを民主主義から遠ざけ、国民を分断し、軍人たちに新たな「クーデター幻想」を与えかねな
いことを。