深刻化する中東の分裂、ジグザグ航空路に投影
――筆者のヤロスラフ・トロフィモフはWSJ中東担当コラムニスト
【ドバイ】中東のさまざまな対立・紛争が地政学的にいかに絡み合っているのかを知りたければ、入り組んだ航空路線を見るといい。
カタール航空のドーハ発ハルツーム(スーダン)行きは、半円形に周回するため飛行時間は5時間半かかる。
1年前にはサウジアラビア上空を通過する直線的な航路をとっていたため、2時間足らずで到着していた。しかしそれは、サウジが
カタールと断交する前の話だ。
イスラエルのエル・アル航空でテルアビブからムンバイ(インド)に行こうとすれば、サウジとイエメンの上空を避けた曲がった
ルートを取るため8時間かかる。遠回りしなければ約5時間のフライトだ。こうした遠回りは、長期にわたるイスラエルとパレスチナの
対立が原因だ。
多くのアラブ各国やイスラム諸国の上空は、エル・アル航空には閉ざされたままだ。一方、エミレーツ航空やエティハド航空、
カタール航空など中東の主要航空会社は、欧州方向に飛行する際、イスラエルの上空を飛行できない。
7年に及ぶ内戦が続くシリアでは、大半の国際線航空会社が同国領空を飛行するのを禁じられている。例外は、レバノン国営の
ミドル・イースト航空だけだ。
イラクとイエメンの上空も、それぞれ戦争に関連して運航できなくなっている。また、サウジ主導の湾岸諸国とカタールの
対立に伴い、カタール航空はサウジ、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、エジプトの領空飛行が禁止されている。
エールフォン・パシフィック・アビエーション・コンサルティングのマネジングディレクター、オリバー・ラム氏は、「空域戦争、
つまり領空をめぐる争いによって、中東ほど分裂し、不安定になっている地域は世界にほとんどない」と述べる。
空域あるいは領空の閉鎖は、地域経済(そして航空会社)に大きな負担を課す。飛行時間は長くなり、燃料コストが上昇して
航空料金が一段と高くなるからだ。
例えば、エミレーツ航空の人気路線であるドバイ発ベイルート行きは通常、「J」の字のようなルートを描く。
これは、エジプトに向かって西に飛び、シナイ半島上空で右に急旋回し、イスラエル領空近くを過ぎたら再び右に曲がるという航路だ。
シリア内戦勃発前に飛んでいた同国上空を通過するルートより、少なくとも1時間長くかかる。
こうした現状を考えれば、先週のエア・インディアによるニューデリー発テルアビブ便の就航がなぜこれほど大きな話題と
なったかが分かる。サウジとオマーン上空を通過する新路線についてイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、大きな
「突破口」であり、地政学的な意味合いを持つと述べた。
サウジがイスラエル行き民間機の領空通過を認めるのは今回が初めて。これは、サウジとイスラエル間での暗黙の関係改善の
証しであり、インドが中東地域で影響力を強めていることの証左でもある。
イスラエルの政府系調査機関、エルサレム公共問題センターのドア・ゴールド所長は、「この展開は多くの人が感じているより
ずっと大きな重要性を持つ」と述べる。
2016年までイスラエル外務省の局長を務めていたゴールド氏によれば、多くのアジア航空会社が、これに追随したいと考えている。
イスラエル向けに燃費効率の良い航路が確保できるためだ。同氏は「イスラエルと極東の貿易は大幅に拡大しており、それを維持する
ためにも十分な航空ルートが必要だ」と語った。
これまで、この領空上の緊張緩和は第三国の航空会社だけが関係しており、例えばイスラエルとサウジの航空会社は互いの
領空から排除されている。こうした差別待遇は既にエル・アル航空からの抗議につながっている。エル・アルは、ドル箱である
アジア路線で他の航空会社が割安で飛行距離の短いフライトを提供すれば、自分たちは競争できなくなると懸念している。
もちろん、不合理な空域ルートは中東だけに限った話ではない。中国の飛行制限は悪名が高く、自国領空の大半を商業航空会社に
対して閉ざしている。例えば2008年まで、中国本土と台湾(中国は台湾を離反した省とみなしている)間のフライトは、香港空域を
経由しなければならなかった。このため、上海から台湾までの飛行時間はほぼ2倍になっていた。
空域の開放はまた、各国が古い係争を終えようと努めるなかで講じられる最も容易な措置の一つになり得る。旅行者ビザあるいは
貿易とは違い、あまり目立たず、それほど国民感情をかき立てずにできる一種の外交接近だ。米国がイスラエルとサウジやUAEなど
湾岸諸国との間の信頼醸成措置として、空域開放を押し進めている理由の一つもここにある。
先例もある。イスラエルとヨルダンが平和条約を結んで国境を開放する数カ月前の1994年8月、ヨルダンのボーイング727型機が
ロンドンからアンマンに向けて飛行する途中、テルアビブとエルサレムの上空を飛行することが容認された。同機のパイロットは
ヨルダンのフセイン国王だった。コックピットの同国王とイスラエルのイツハク・ラビン首相との無線での会話は、世界中に
生中継された。