実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

硲伊之助ってどんな人?(加佐ノ岬倶楽部)

2013年10月29日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す

10月22日(火)の課題研究の時間に橋立町の「加佐ノ岬倶楽部」にお伺いし、

オーナーの宮本昭夫さんに、併設するギャラリーをご案内いただきました。

宮本さんは、1974(昭和49)年春に、偶然に大聖寺で硲(はざま)伊之助の作品

(陶芸)に出会い、まるで魂と五感を揺さぶられるような衝撃を覚えたそうです。

そして、その年の10月に和歌山県立美術館での特別展『硲伊之助展』を展観し、

1983(昭和58)年5月には加賀市立美術館の春季特別展『硲伊之助展』(回顧展)を

見て、宮本さんの心に火がつきました。「このまま芸術を埋もれさせたくない。

社会からもっと評価されて良いはずだ。」宮本さんはその情熱で、いろんな方々に

協力していただきながら、1986(昭和61)年4月にこの加佐ノ岬に硲伊之助美術館」を

開かれたそうです。現在、硲伊之助美術館」は、画伯が九谷焼を作陶された吸坂町に

移転されています。

硲伊之助画伯とは

1895(明治28)年11月14日 東京生まれ

1921(大正10)年 26歳で渡欧。パリを中心に活動。

1928(昭和3)年 フランス人ロゾラン・アデリア・エルビラと結婚。

1933(昭和8)年 世界的画家マチスに師事する。

1936(昭和11)年 一水会創立に参加。

1944(昭和19)年から1950(昭和25)年 東京美術学校(現東京芸大)助教授となる。

            マチス展・ゴッホ展など開催。

1977(昭和52)年8月16日 加賀市吸坂町で永眠。

という経歴の洋画家・陶芸家で、加賀市ととても関係が深い方です。

わたしたちは、宮本さんに硲伊之助画伯の石版画(リトグラフ)・油絵・木版画・陶芸

などの作品をたくさん見せていただきました。

宮本さんはおっしゃいました。「何でも見ればいいというものではありません。本物に触れる

機会を持ってください。」わたしは、芸術のことはあまりよく分からないのですが、

硲伊之助画伯の作品の数々は、どれもとっても美しいものばかりでした。

宮本さんには、ヨハネス・フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』の素晴らしさについても

教えていただきました。目の輝きと左耳の真珠のまばゆさが特徴的ですね。

『真珠の耳飾りの少女』(wikipediaより)

宮本さん、貴重なコレクションをご紹介いただき、本当にありがとうございました。

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