実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

実性院・利治公に殉じた三人の大聖寺藩士

2012年08月31日 | 日記

実高ふれ愛隊で~す(^^;)

実性院」は、大聖寺藩約230年におよぶ歴史がまるでタイムスリップしたかのように、

ひっそりと静かに伝わってくる素敵なお寺です。

実性院」は、大聖寺藩歴代藩主の菩提寺で、御霊屋・前田家廟所などは当時の面影を残しています。

裏山を少し登ると、そこには大聖寺藩主前田家の墓地が広がっていて、36基のお墓が見えてきます。

お墓の形は「宇宙は空・風・火・水・地の5つの要素から成り立つ」という仏教観にもとづき、

すべて”五輪の塔”という不思議な形をしています。

中でも、左手奥にある一番大きなお墓が、初代藩主前田利治のものです。

初代から第14代までの歴代藩主の墓が一堂に祀られている例は全国的にも珍しく、

普通は藩主が亡くなるとその都度菩提寺を決めるものだそうです。墓地には14人の藩主の

もの以外に、子ども、正室、側室のものも20基あります。

 

さらには、1660(万治3)年4月に江戸で亡くなった初代藩主利治に殉じて追い腹を切った

中沢九兵衛小栗権三郎小沢三郎兵衛ら3人の従臣のお墓が、利治の墓に寄り添うように

建てられています。利治はとっても家臣思いのお殿様だったそうです。

そのとき、3人と同じように利治の寵愛を受けながら、殉死しなかった青山新右衛門にはとても

非難があがりました。

中沢小沢小栗にやひば立ち、青山が腹に青蝿が立つ』

非難を浴びた青山新右衛門はその後12年間生きぬき、1672(寛文12)年に病気でなくなりました。

その青山新右衛門も今はひっそり実性院に眠っています。 

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