実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

7月の活動(26)北大路魯山人と大聖寺味噌

2012年08月06日 | 日記

隊員NO.1あさので~す(^_-)

「よし。諸氏を集めて、朝飯会をやってみよう!」 それは閃(ひらめ)きのように

決まりました。美食家・北大路魯山人がこの朝飯会をひらいたのは、

昭和8(1923)年8月23日のことです。場所は北鎌倉の「星岡窯」。

40人の客が集まり、献立は次のとおりでした。

・蓮めし ・つくだに(こんぶ じゃこ えび) ・にしめ(ゆば ぜんまい 高野豆腐)

こぶとろ(浅草海苔をかけたこぶとろのご飯) ・味噌汁(大聖寺味噌

・ちんぴづけ(すずきを材料にして) 香のもの(いろいろ)

味噌汁は丸太にかけられた銀鍋でつくられたもので、”大聖寺味噌”に

蜆(シジミ)の汁加減もちょうどでした。

 ←山代温泉「魯山人寓居跡いろは草庵」のロビー

北大路魯山人は言いました。「狸(たぬき)汁は、肉や山ごぼう、コンニャク、

絹さやや粉山椒などを使い、必ず”大聖寺味噌”で仕立てよ」

「狸汁を作ったときの味噌は”大聖寺味噌”が一番だ」

この大聖寺味噌というのは、山代温泉の吉野屋から嫁いだ越前吉崎の

石塚屋さんの味噌だそうです。

←「魯山人寓居跡いろは草庵」(旧吉野屋別荘)からながめた服部神社鳥居

北大路魯山人を山代に紹介した金沢の細野燕台という人は、山代に行くとき、

必ず銀の小鍋を下げていったそうです。なぜなら、当時の山代は、各旅館が板場を

持たず、料理を仕出し屋に頼んでおり、細野燕台は仕出し屋の汁物が

途中冷えてしまうので、銀鍋を使って温めなおしたのです。

美食家・北大路魯山人のもてなしには、山代での経験がきっと息づいている

のでしょうね。北大路魯山人が愛した”大聖寺味噌”ってはたしてどんな味が

したのでしょうか?

※レポートにあたっては、『加賀の文化(NO.4)』(加賀市教育委員会発刊、

平成8年3月31日発行)を参照させていただきました。

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