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やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

肺胞出血

2009年11月09日 05時34分32秒 | びまん性肺疾患
脳出血や消化管出血なら非専門医でもしばしば遭遇し、診断に難渋することもあまりないだろう。だが、肺胞出血については実は呼吸器専門医でさえそれほどなじみのあるものではない。事象そのものは単純明快で、文字通り肺胞腔内に出血しているものだ。しかし容易に想像されるように単一の疾患ではなく、治療法や予後を異にする様々な病態を含む。従って、実際の診療にあたっては肺胞出血の診断のみならず基礎疾患の確認も必須で、総合的な臨床能力が要求される症候群である。

まず免疫学的機序によるものと、免疫学的機序によらないものとに大きく分けると考えやすいだろう。順序としては後者(免疫学的機序によらないもの)を鑑別することから始めるのがよいと思う。ここに含まれるものとしては、腫瘍、動静脈奇形、肺炎、気管気管支炎、気管支拡張症、心不全、尿毒症、血小板減少症、凝固機能異常、肺塞栓などがあり、現代日本では滅多にお目にかからないが壊血病に合併した報告もある(日呼吸会誌 2002; 40: 941-944)。これだけでも一瞥して多種多様な疾患が含まれているのがわかる。診断に際しては病歴、臨床所見、止血・凝固所見、その他の補助的検査(心エコー、肺動脈造影、気管支鏡検査など)を適切に評価することが必要である。

一方、前者(免疫学的機序によるもの)は全身性壊死性血管炎(顕微鏡的多発血管炎やWegener肉芽腫症)が主なもので、その他、膠原病(SLEなど)やGoodpasture症候群、薬剤性(プロピルチオウラシル、チアマゾールなど、J Clin Endocrinol Metab 2009; 94: 2806-2811)が知られている。ここに分類されるものの多くは急速進行性糸球体腎炎(RPGN)を合併するのが特徴である。よって、肺胞出血症例では常に尿沈渣と腎機能を確認すべきとされ、異常を呈していれば腎生検を施行することが正当化される。蛇足ながら、血管炎症候群に含まれる疾患すべてが肺胞出血を合併するわけではないことを確認しておきたい(血管炎は多くの疾患を包含し、かつその概念も幾たびか変遷しているため、総合診療医にとって理解しにくい分野の一つと思う。簡明なレビューとして日本循環器学会ホームページに「血管炎症候群の診療ガイドライン」が公開されているので、一度目を通すことをお勧めする)。

これと重なる意味内容で教科書や研究論文にはしばしば、びまん性肺胞出血diffuse alveolar hemorrhageという名称が登場する。これは局所的な異常(気管支拡張症、悪性腫瘍、肺局所の感染症など)や気管支動脈系からの出血ではないことを強調する概念だ(Interstitial Lung disease 4th ed., BC Decker, 2003)。より病態に即して、肺の微小血管系(肺胞毛細血管、細動脈、細静脈)の傷害により肺胞内に出血したものと記述する総説もある(Clin Chest Med 2004; 25: 583-592)。従って、ワーファリンなど抗凝固療法によるもの(Chest 1992; 102: 1301-1302)など、様々なメカニズムによるものが含まれることを認識しておくべきではあるが、免疫学的機序の関与する疾患がその主要な部分を占めるのは間違いない。生検で確認されたびまん性肺胞出血34例のretrospectiveな検討によると最も多いのは疑い例も含めたWegener肉芽腫症11例(32%)であったという(Am J Surg Pathol 1990; 14: 1112-1125)。ただし日本ではANCA関連血管炎に占める割合はWegener肉芽腫症より顕微鏡的多発血管炎のほうが多いことが知られており、欧米とは異なっている(血管炎症候群の診療ガイドライン;日本リウマチ学会などによる合同研究班、日本循環器学会ホームページ、2008年)。膠原病のなかではSLEに伴うものが多く(Arch Intern Med 1981; 141: 201-203、Medicine 1997; 76: 192-202)、少数ながらPSS(Thorax 1990; 45: 903-904)やRAに合併したものも報告されている。

それぞれの疾患ごとに様々な修飾を受けるにせよ、肺胞出血の四主徴は喀血、貧血、びまん性浸潤影、呼吸不全とされる。もちろん、これらすべてがそろうとは限らず、特に重症例であっても喀血を認めない例がまれならずあることに注意を要する(日呼吸会誌 1998; 36: 1017-1022)。また、胸部X線・CT所見は両側のびまん性肺胞性陰影が典型的であるものの、限局性・片側性のこともあり、画像所見のみで診断するのは困難である。出血が止まっていれば陰影は24~72時間以内に急速に改善ないし消失する。いずれも特異的所見に乏しく、特に貧血のある例では肺胞出血の可能性を念頭に置くことが診断には重要だろう(Clin Chest Med 2004; 25: 583-592)。さらに気管支鏡検査を行い、肉眼的に血性のBALF(気管支肺胞洗浄液)を認めるか、多数のヘモジデリン含有マクロファージの存在を確認できれば、肺胞出血が強く示唆される。なお、ヘモジデリンは出血後少なくとも48時間経過してからみられるもので、その存在は生検などの操作に伴う出血ではないと判断するのに役立つ。気管支鏡検査は感染症など他の疾患の鑑別にも有用であることは言うまでもない。

さらに基礎疾患を同定するためには、詳細な病歴・服薬・職業歴の聴取に加え、眼部(episcleritisやretinal vasculitisの有無)・鼻咽頭部(鼻中隔びらんや鞍鼻変形の有無)の評価が必要だ。血清学的検査としてはANCAや抗基底膜抗体、さらに膠原病関連のマーカー(抗核抗体や抗リン脂質抗体など)が用いられる。肺生検(気管支鏡下、開胸下)の意義については議論のあるところであるが、一定のリスクを冒しても得られた組織所見は非特異的で基礎疾患を確定することができないことが多く、肺組織の免疫染色の手技的な困難さもあり否定的見解が多い。病理学的にはcapillaritisがしばしばみられ(Am J Surg Pathol 1990; 14: 1112-1125)、全身性血管炎のマーカーとして記述されたこともあったが、その後、膠原病や抗糸球体基底膜抗体病、薬剤性などの疾患にもみられうることが明らかとなった(Fishman’s Pulmonary Diseases and Disorders 3rd ed. McBraw-Hill, 1998)。そのため、上述のように尿異常や腎機能異常を有する症例ではむしろ経皮的腎生検が勧められ、免疫蛍光染色でそれぞれの疾患に特徴的な所見を得ることができる。

喀血という事象は多くの人にとってとりわけ不安感を刺激するものだろう。医師として日常的に対応していても、この自分に起こった時に冷静でいられる自信はない。西洋医学の導入が始まって間もない頃、最期の数年は上体を起こすこともできぬ状態で闘病することを余儀なくされた若き歌人がいた。初めて喀血した時、彼がこれをどのように受け止めたのか知らないが、これを機に彼は子規と号し、後の世まで知られる存在になったのである。ここには死に直面しながら自己を磨き上げることのできた人間がいる。しかし、これはおそらく決して稀有な例ではなく、あえて顕示することもなく、それぞれの仕方で病と向きあっている無名の多くの人がいる。私はそのような人々の杖となる存在でありたいと思う。 (2009.11.9)