西暦2016年
平成28年
皇紀2676年
今年も終わりを迎えます。
2015年から始まった、世界の秩序の崩壊は、本年2016年如実に表れました。
本年最後の更新になるであろう拙著ブログにて、言っておきたい幾つかの話しをしてみようと思います。
本質とは?
2015年末、いわゆる従軍慰安婦について日韓合意がなされました。
そこから、伊勢サミット、オバマ大統領広島訪問、日露首脳会談、真珠湾訪問。
それ以外の安倍首相による外交を繋げて行くと、それは対中包囲網ということが見えてきます。
しかし、核兵器撤廃の国連決議や南スーダンに対する武器供給決議での我が国の振る舞いを見れば、幾ら世界の終わりを示しているとは言え、未だ敗戦国としての振る舞いから脱せず、その象徴である現憲法の呪縛から抜け出せないのだと理解出来ます。
つまりはまだ我が国は戦後なんだと感じます。
我々はまだ戦後という呪縛から抜け出せてはいません。
敗戦後71年経って、ようやく少しだけ前に進み出した程度であって、『主体性強化』や『自主独立』を声高に叫ぶ人々とて、まだ敗戦国の呪縛から抜け出せていないのだと感じます。
例えば拉致について。
例えば憲法について。
例えば核武装について。
例えば安全保障について。
例えば自衛権について。
例えば自衛隊について。
私自身も含め、まだまだ敗戦国の呪縛中にある。
ならばどうする?
様々な事柄があるけれど、未だ敗戦国の呪縛から抜け出せないのはだからどうするという議論が国民の中で巻き起こらない。
例えば拉致事件に関しても『知って下さい』と言う啓蒙ばかりです。
勿論、啓蒙する事は重要で大切なことです。
先ずは知る事から始まる。
だからこそ啓蒙を否定するものではありません。
しかし、小泉訪朝以後生まれや或いは幼少期であった人ならば知らないかもしれない。
けれども、あの時しっかりあのニュースを見ていた人は『拉致』を知っています。
知っていながら、考えていないのです。
みんな拉致事件を知っている。
ならばどうするのか?
知って、そしてそれをどうするのか?
その議論が殆ど巻き起こらない。
憲法についても、護憲派・改憲派共に欺瞞があり、国民が知り更に考える事を阻んでいます。
特に護憲派の欺瞞は罪が重い。
核兵器についても、自衛権についても、自衛隊についても全て根っこは同じです。
それが敗戦国に収れんされるのです。
それは根っこをしっかり考えない為に観念論が蔓延しているからではないか?
その様に考えます。
例えば、毎年毎年、まるで夏の風物詩か季語とでも考えているのではないかと思うほどの、8月の我が国の報道を見ても解ります。
不戦だ反戦だと言って、御題目を唱えるが如き同じ言葉の連呼です。
広島・長崎の原爆投下をまるで我が国自身が投下した様な有様です。
我が国に原爆を使用したのは米国である
これが事実であって、それ以下でもそれ以上でもありません。
なのに広島市長や長崎市長は『世界で唯一の被曝国』だからと核廃絶を声高に叫ぶ。
一体誰に向けた主張でしょうか?
過ちは二度と繰り返しませぬ
その様に主語もない碑を有り難がることこそが、事実を捻じ曲げ、根っこを見失うのです。
我が国に対し『過ち』を言うなら、それは『敗戦』であって『二度と繰り返さぬ』ことはハッキリ言うなら
一旦戦端を開いたなら絶対に負けない!
そう言う事です。
原爆投下を過ちと言うならば過ちを犯したのはアメリカです。
そして過ちを犯した国の核の傘に守られながら、他国の核を批判する。
こんな行為はバカげた話しで【観念論】以外のなにものでもありません。
世界で唯一の被曝国である日本は
世界で唯一、核使用の権利がある国です。
これは国際法に認められた権利です。
交戦権とはイザとなれば自国を守る為に戦う権利です。
全ての国に認められているのです。
それと同時に交戦権の本来の意味はやられたら、やり返す権利でもあるのです。
我々が本当に核廃絶を願うならば、我々の振る舞いは世界唯一の被曝国だからと主語もない『過ち』を主張する事ではない。
我々が主張しなければならないのは…
世界で唯一、核兵器を使用された我が国には、核兵器を使用する権利が二回もある世界で唯一の国だ!
そして
未だ核廃絶をせず、核兵器を保有するならば我が国はその核兵器に対し核で報復するぞ!
さらに
我々は世界で唯一核兵器の苦しみを知る国だ!日本の話しを聞かないならば、広島・長崎で味わった核兵器による苦しみをお前達に味合わせるぞ!
これが国際法に準じた主張で、それが我が国の権利です。
北朝鮮相手にも
我が国は我が国の国民を北朝鮮如き三流国家に拉致されたまま、取り返せずにいます。
拉致被害者を取り返せ!と叫ぶ方々にも私の意見に反対する方々がいます。
それは、人それぞれの考え方ですから構いません。
が、しかしその反対理由は『我が国は法治国家だから』と言う理由です。
以前から私が申し上げているのは
北朝鮮という主権国家が日本という主権国家の主権者を誘拐した事実を見るに、これは日本への主権侵害であるということです。
ですからこれは北朝鮮による我が国への戦争行為です。
それは国際法に明記されています。
しかし我が国にはくだらぬ憲法の縛りがあります。これこそが先に述べた呪縛です。
それが故に『取り返す為の手段』に対する私の主張を否定したり批判したりされる訳です。
否定や批判する方々を敵視するものではありませんが、では一体我々はどの世界で生きているのか?
国際社会で生き、他国と連携し、国際条約を交わし、国連には世界で二番目に金を出し、世界第3位の経済規模を誇り、識字率は世界1位の大国です。
その大国が、拉致された自国民すら取り返すことが出来ない。
いや、取り返す為の手段を取らない。
更に、我が国の経済圏にミサイルを撃ち込まれても遺憾の意を表明するだけ。
これを見る他国や或いは、途上国はどう思うか?
やるべきこと、取るべき態度を取らない国
その様に見られます。
その根源が憲法にあると考えれば、国際社会は我が国を国際法に対する遵法精神の薄い国とか自国の法で国際条約すら曲げるかもしれないと見られてしまう恐れを孕んでいるのです。
また、何をしても構わない国と見られてしまう。
いや、むしろ既にそう見られているからこそ嘘の南京大虐殺や従軍慰安婦なる嘘、更に北朝鮮による邦人拉致があるのです。
拉致を主権侵害と考えるならば、我々が取るべき態度は直ぐに国連安保理に持ち込み北朝鮮に対し拉致した同胞を返さないならば戦争するぞ!という北朝鮮に対する宣戦布告です。
ミサイルを撃ち込まれた事に対する対応は、打ち上げた瞬間には迎撃すべしです。
そしてすぐさま報復する。
もう一度言いますが、我が国は世界で唯一核兵器による攻撃の権利を有する国です。
北朝鮮の核もミサイルも放棄させるには、我が国は『俺達だけにある権利を行使するぞ!』と主張する事です。
私は実は核武装には反対、或いは条件付き容認です。
国際的発言権を得る為に核武装する事には反対ですが、日米同盟の破棄、或いは核不拡散が機能を失いアジア諸国が核武装したなら必然的に我が国も核武装せざるを得ない。
そういう立ち位置です。
話を戻します。
例えば、韓国は我々日本の固有の領土である竹島を武力で奪った事に対しても何もしていないのです。
島根の魚家は44人殺され、4000名近くが拉致された。
我が国の国民が韓国に殺されたのです。
しかも我が国の主権が及ぶ場所でです。
これは明らかな侵略行為ですが、我が国はこれに対して交戦権は疎か個別の自衛権すら行使していません!
つまりこの竹島の一件を見ても、国際法に照らし見れば韓国に対して報復する権利を有するのです。
僅か71年前に我々の先輩は国と日本の女と子供を守る為に自らの命を捧げた。
つまり、自ら血を流して後世の我々を守った。
敗戦後、我々は敗戦前と変わってしまったのか?
拉致被害者を返せ!返せ!と声高に主張するけれど、血を流しても取り返すとは思わない。
自らは安全な場所でただ『返せ』と叫ぶ。
そして、私の主張には批判的な発言をする。
批判されるのは構わないけれど、『ならばどうするのか?』と問えば
『改憲をして自衛隊を軍にして…』
『拉致を知らな人に知らしめる…』
『知らない若者に教育をする…』
そんな答えが多数寄せられます。
では、更に問いますが拉致被害者やその家族に対して
憲法を変え、知らない若者に教育し、世に知らしめるまで待っていて下さい
そう言うのですか?
横田めぐみさんが拉致され39年。
小泉訪朝から見ても14年。
この上にまだ『待ってくれ』と言うのか?
国や国民を守る為に、僅か71年前の日本人は自ら血を流して、命をかけて戦った。
だから、今の我々は生きている。
その事実を否定するのでしょうか?
何が言いたいかと言えば
犯された主権は血を流しても取り返す以外に方法はない
そして
血も流さず守れるものがあるのか?
血を流して奪った
先般、日露首脳会談がありました。
注目は我が国領土である北方四島の返還はあるのか?
私の意見としては『プーチンは返す気はない』で、二島だろうが返還などあり得ないです。
それは、ソ連が無法の火事場泥棒で我が国領土を奪ったとは言え、ソ連の若者が血を流し奪った土地です。
プーチンの本音は
血を流し奪った土地は易々と返す訳にはいかない
そういう事です。
また、ロシア国民の感情としてもロシア人が血を流して獲得した領土だ!
そんな意識があります。
つまりは『日本よ!お前達は血も流さず領土を取り返すつもりか?ならば、我々が流した血に見合う物を出せ!』ということです。
これは、領土の問題は血を流して解決するものだということです。
我が国は沖縄返還に対して血を流していません。
だから、その血に見合う物を出さなければならなかった。
それが我が国に駐留する米軍基地であり、日米同盟と言えるでしょう。
外交だけで解決するなら必ず話しは半分になります。
どちらかの一人勝ちはあり得ません。
ですから、北方四島を外交交渉で解決するなら話し半分で二島返還となってしまいます。
ロシアと支那も国境を巡り散々血を流したのです。
散々血を流した結果、お互いにこのまま血を流し続けても利はないとなって初めて話し合いになったのです。
ならば
戦争で取り返すのか?
そんな事は出来ない。
ならば、本来ソ連はポツダム宣言に調印していないのですから、南樺太、千島列島、北方四島をテーブルに乗せて外交交渉をせねばなりません。
そして話し半分でやっと北方四島が取り返すことが出来るのです。
では話しを戻しましょう。
北朝鮮による日本人拉致の解決に我が国は何をしているでしょう?
竹島に対して我が国は何をしているでしょう?
戦時下でもないのに、この二つについて日本人の命が奪われ、今も命の危険に晒されています。
なのに、我が国は外交交渉をやっています。
先に述べた様に『外交交渉は話し半分』です。
拉致を外交交渉にして話し半分?
韓国に殺された魚家を棚上げに外交交渉?
一体我々はどうしようと言うのでしょうか?
拉致が話し半分で一体何の解決か?
殺された魚家の命が外交交渉で半分ですか?
これに怒りを覚えない日本人など日本人なのか?
もういい加減にしませんか?
こんな事をいつまで続けるつもりか?
右だ左だ、保守だリベラルだ、護憲だ改憲だと二分している場合か!
そんなことはどうでもいい!
日本人よもっと根っこを見ろ!もっと足元を見ろ!
平成28年
皇紀2676年
今年も終わりを迎えます。
2015年から始まった、世界の秩序の崩壊は、本年2016年如実に表れました。
本年最後の更新になるであろう拙著ブログにて、言っておきたい幾つかの話しをしてみようと思います。
本質とは?
2015年末、いわゆる従軍慰安婦について日韓合意がなされました。
そこから、伊勢サミット、オバマ大統領広島訪問、日露首脳会談、真珠湾訪問。
それ以外の安倍首相による外交を繋げて行くと、それは対中包囲網ということが見えてきます。
しかし、核兵器撤廃の国連決議や南スーダンに対する武器供給決議での我が国の振る舞いを見れば、幾ら世界の終わりを示しているとは言え、未だ敗戦国としての振る舞いから脱せず、その象徴である現憲法の呪縛から抜け出せないのだと理解出来ます。
つまりはまだ我が国は戦後なんだと感じます。
我々はまだ戦後という呪縛から抜け出せてはいません。
敗戦後71年経って、ようやく少しだけ前に進み出した程度であって、『主体性強化』や『自主独立』を声高に叫ぶ人々とて、まだ敗戦国の呪縛から抜け出せていないのだと感じます。
例えば拉致について。
例えば憲法について。
例えば核武装について。
例えば安全保障について。
例えば自衛権について。
例えば自衛隊について。
私自身も含め、まだまだ敗戦国の呪縛中にある。
ならばどうする?
様々な事柄があるけれど、未だ敗戦国の呪縛から抜け出せないのはだからどうするという議論が国民の中で巻き起こらない。
例えば拉致事件に関しても『知って下さい』と言う啓蒙ばかりです。
勿論、啓蒙する事は重要で大切なことです。
先ずは知る事から始まる。
だからこそ啓蒙を否定するものではありません。
しかし、小泉訪朝以後生まれや或いは幼少期であった人ならば知らないかもしれない。
けれども、あの時しっかりあのニュースを見ていた人は『拉致』を知っています。
知っていながら、考えていないのです。
みんな拉致事件を知っている。
ならばどうするのか?
知って、そしてそれをどうするのか?
その議論が殆ど巻き起こらない。
憲法についても、護憲派・改憲派共に欺瞞があり、国民が知り更に考える事を阻んでいます。
特に護憲派の欺瞞は罪が重い。
核兵器についても、自衛権についても、自衛隊についても全て根っこは同じです。
それが敗戦国に収れんされるのです。
それは根っこをしっかり考えない為に観念論が蔓延しているからではないか?
その様に考えます。
例えば、毎年毎年、まるで夏の風物詩か季語とでも考えているのではないかと思うほどの、8月の我が国の報道を見ても解ります。
不戦だ反戦だと言って、御題目を唱えるが如き同じ言葉の連呼です。
広島・長崎の原爆投下をまるで我が国自身が投下した様な有様です。
我が国に原爆を使用したのは米国である
これが事実であって、それ以下でもそれ以上でもありません。
なのに広島市長や長崎市長は『世界で唯一の被曝国』だからと核廃絶を声高に叫ぶ。
一体誰に向けた主張でしょうか?
過ちは二度と繰り返しませぬ
その様に主語もない碑を有り難がることこそが、事実を捻じ曲げ、根っこを見失うのです。
我が国に対し『過ち』を言うなら、それは『敗戦』であって『二度と繰り返さぬ』ことはハッキリ言うなら
一旦戦端を開いたなら絶対に負けない!
そう言う事です。
原爆投下を過ちと言うならば過ちを犯したのはアメリカです。
そして過ちを犯した国の核の傘に守られながら、他国の核を批判する。
こんな行為はバカげた話しで【観念論】以外のなにものでもありません。
世界で唯一の被曝国である日本は
世界で唯一、核使用の権利がある国です。
これは国際法に認められた権利です。
交戦権とはイザとなれば自国を守る為に戦う権利です。
全ての国に認められているのです。
それと同時に交戦権の本来の意味はやられたら、やり返す権利でもあるのです。
我々が本当に核廃絶を願うならば、我々の振る舞いは世界唯一の被曝国だからと主語もない『過ち』を主張する事ではない。
我々が主張しなければならないのは…
世界で唯一、核兵器を使用された我が国には、核兵器を使用する権利が二回もある世界で唯一の国だ!
そして
未だ核廃絶をせず、核兵器を保有するならば我が国はその核兵器に対し核で報復するぞ!
さらに
我々は世界で唯一核兵器の苦しみを知る国だ!日本の話しを聞かないならば、広島・長崎で味わった核兵器による苦しみをお前達に味合わせるぞ!
これが国際法に準じた主張で、それが我が国の権利です。
北朝鮮相手にも
我が国は我が国の国民を北朝鮮如き三流国家に拉致されたまま、取り返せずにいます。
拉致被害者を取り返せ!と叫ぶ方々にも私の意見に反対する方々がいます。
それは、人それぞれの考え方ですから構いません。
が、しかしその反対理由は『我が国は法治国家だから』と言う理由です。
以前から私が申し上げているのは
北朝鮮という主権国家が日本という主権国家の主権者を誘拐した事実を見るに、これは日本への主権侵害であるということです。
ですからこれは北朝鮮による我が国への戦争行為です。
それは国際法に明記されています。
しかし我が国にはくだらぬ憲法の縛りがあります。これこそが先に述べた呪縛です。
それが故に『取り返す為の手段』に対する私の主張を否定したり批判したりされる訳です。
否定や批判する方々を敵視するものではありませんが、では一体我々はどの世界で生きているのか?
国際社会で生き、他国と連携し、国際条約を交わし、国連には世界で二番目に金を出し、世界第3位の経済規模を誇り、識字率は世界1位の大国です。
その大国が、拉致された自国民すら取り返すことが出来ない。
いや、取り返す為の手段を取らない。
更に、我が国の経済圏にミサイルを撃ち込まれても遺憾の意を表明するだけ。
これを見る他国や或いは、途上国はどう思うか?
やるべきこと、取るべき態度を取らない国
その様に見られます。
その根源が憲法にあると考えれば、国際社会は我が国を国際法に対する遵法精神の薄い国とか自国の法で国際条約すら曲げるかもしれないと見られてしまう恐れを孕んでいるのです。
また、何をしても構わない国と見られてしまう。
いや、むしろ既にそう見られているからこそ嘘の南京大虐殺や従軍慰安婦なる嘘、更に北朝鮮による邦人拉致があるのです。
拉致を主権侵害と考えるならば、我々が取るべき態度は直ぐに国連安保理に持ち込み北朝鮮に対し拉致した同胞を返さないならば戦争するぞ!という北朝鮮に対する宣戦布告です。
ミサイルを撃ち込まれた事に対する対応は、打ち上げた瞬間には迎撃すべしです。
そしてすぐさま報復する。
もう一度言いますが、我が国は世界で唯一核兵器による攻撃の権利を有する国です。
北朝鮮の核もミサイルも放棄させるには、我が国は『俺達だけにある権利を行使するぞ!』と主張する事です。
私は実は核武装には反対、或いは条件付き容認です。
国際的発言権を得る為に核武装する事には反対ですが、日米同盟の破棄、或いは核不拡散が機能を失いアジア諸国が核武装したなら必然的に我が国も核武装せざるを得ない。
そういう立ち位置です。
話を戻します。
例えば、韓国は我々日本の固有の領土である竹島を武力で奪った事に対しても何もしていないのです。
島根の魚家は44人殺され、4000名近くが拉致された。
我が国の国民が韓国に殺されたのです。
しかも我が国の主権が及ぶ場所でです。
これは明らかな侵略行為ですが、我が国はこれに対して交戦権は疎か個別の自衛権すら行使していません!
つまりこの竹島の一件を見ても、国際法に照らし見れば韓国に対して報復する権利を有するのです。
僅か71年前に我々の先輩は国と日本の女と子供を守る為に自らの命を捧げた。
つまり、自ら血を流して後世の我々を守った。
敗戦後、我々は敗戦前と変わってしまったのか?
拉致被害者を返せ!返せ!と声高に主張するけれど、血を流しても取り返すとは思わない。
自らは安全な場所でただ『返せ』と叫ぶ。
そして、私の主張には批判的な発言をする。
批判されるのは構わないけれど、『ならばどうするのか?』と問えば
『改憲をして自衛隊を軍にして…』
『拉致を知らな人に知らしめる…』
『知らない若者に教育をする…』
そんな答えが多数寄せられます。
では、更に問いますが拉致被害者やその家族に対して
憲法を変え、知らない若者に教育し、世に知らしめるまで待っていて下さい
そう言うのですか?
横田めぐみさんが拉致され39年。
小泉訪朝から見ても14年。
この上にまだ『待ってくれ』と言うのか?
国や国民を守る為に、僅か71年前の日本人は自ら血を流して、命をかけて戦った。
だから、今の我々は生きている。
その事実を否定するのでしょうか?
何が言いたいかと言えば
犯された主権は血を流しても取り返す以外に方法はない
そして
血も流さず守れるものがあるのか?
血を流して奪った
先般、日露首脳会談がありました。
注目は我が国領土である北方四島の返還はあるのか?
私の意見としては『プーチンは返す気はない』で、二島だろうが返還などあり得ないです。
それは、ソ連が無法の火事場泥棒で我が国領土を奪ったとは言え、ソ連の若者が血を流し奪った土地です。
プーチンの本音は
血を流し奪った土地は易々と返す訳にはいかない
そういう事です。
また、ロシア国民の感情としてもロシア人が血を流して獲得した領土だ!
そんな意識があります。
つまりは『日本よ!お前達は血も流さず領土を取り返すつもりか?ならば、我々が流した血に見合う物を出せ!』ということです。
これは、領土の問題は血を流して解決するものだということです。
我が国は沖縄返還に対して血を流していません。
だから、その血に見合う物を出さなければならなかった。
それが我が国に駐留する米軍基地であり、日米同盟と言えるでしょう。
外交だけで解決するなら必ず話しは半分になります。
どちらかの一人勝ちはあり得ません。
ですから、北方四島を外交交渉で解決するなら話し半分で二島返還となってしまいます。
ロシアと支那も国境を巡り散々血を流したのです。
散々血を流した結果、お互いにこのまま血を流し続けても利はないとなって初めて話し合いになったのです。
ならば
戦争で取り返すのか?
そんな事は出来ない。
ならば、本来ソ連はポツダム宣言に調印していないのですから、南樺太、千島列島、北方四島をテーブルに乗せて外交交渉をせねばなりません。
そして話し半分でやっと北方四島が取り返すことが出来るのです。
では話しを戻しましょう。
北朝鮮による日本人拉致の解決に我が国は何をしているでしょう?
竹島に対して我が国は何をしているでしょう?
戦時下でもないのに、この二つについて日本人の命が奪われ、今も命の危険に晒されています。
なのに、我が国は外交交渉をやっています。
先に述べた様に『外交交渉は話し半分』です。
拉致を外交交渉にして話し半分?
韓国に殺された魚家を棚上げに外交交渉?
一体我々はどうしようと言うのでしょうか?
拉致が話し半分で一体何の解決か?
殺された魚家の命が外交交渉で半分ですか?
これに怒りを覚えない日本人など日本人なのか?
もういい加減にしませんか?
こんな事をいつまで続けるつもりか?
右だ左だ、保守だリベラルだ、護憲だ改憲だと二分している場合か!
そんなことはどうでもいい!
日本人よもっと根っこを見ろ!もっと足元を見ろ!