あすなろジャーナル

日本を取り巻く世界の政治・経済・宗教・文化の矛盾を暴くブログです。

本当はいい男だろうって思うんですがこの人?

2013-01-24 15:15:44 | Weblog


[日本の未来と政治、その444]




言いたい放題書いてます。
世界に向けて書いてます。
そんなちょっと大きな独り言の
あおいのねんさんブログです。

ここの院長が書いてる、スリムになったふれあいカフェニュースは-

http://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005


   


『あおいのポストインニュース』




気になる中国関連も含めてのアジア関連ニュースをお伝えします。


本日は読売新聞のニュースの記事から引用-

「地方公務員の給与削減、予算編成方針に明記へ」

自民党はスタートしてから結構安全運転。
よほど野党生活がこたえたようですね。
でもあの人はやはり余計なことを言ってるようなんですが?
その人は下記に出ている人。


【本日は連載はあります】


   


≪どうなる?日本の政治は??≫



総理大臣は麻生太郎に代わりました。
ウイキペディアの資料などから引用させていただきます。

さて上にも書きましたが麻生は2008年自由民主党総裁選挙により
第23代自由民主党総裁に選出。
第92代内閣総理大臣に就任します。

ところで、この人ちょっと個人的には興味があるんですが
福岡県生まれなんですね。
政界に入る前のことをちょっと見ますと
やはり彼は実業家なんだなあと感じます。
それと結構面白い多面的で
魅力あふれた人だろうなという想像をしています。

細かいことにはあまりこだわらない。
こだわらないから腹の中を全部見せてしまう。
ときには、それで余計なことを言ってしまうということに||
案外腹は黒くない政治家の一人だろうなと思います。

お金はアホほど持っている。
だから政治の仕事も実業家的感覚でやっているのかもしれませんね。
そういう魅力も相まって小泉にも好かれたのかも知れません。

ウイキペディアの資料によりますと麻生は
「1973年にセメント事業の分社化の後に
グループ中核企業となった麻生セメント(現:麻生 (企業))の
代表取締役社長に就任。
炭鉱業からセメント業への転換を成功させた」とあります。
結構やってますよねえ。

それから、麻生産業時代にまた、社長業の傍らで
1976年のモントリオールオリンピックに
クレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)
しているという話は結構有名ですね。
でも41位というのは知りませんでした。
41位でもすごいですよね。
だいたいがオリンピックの代表選手として選ばれることがすごいですからね。

まあ彼のことです。周りの人たちに向かって-
「いやあああ41いだったよ・・
アアアアッハッハッハッハアアア!」
なああんて言いながら豪快に笑った感じがしますが?
いっしょに酒を飲んだらきっと楽しい人なんでしょうな。


   


『苦闘の日々、男たちの商店街物語』



作、あおい ねん。
この小説は、H委員の登場人物のその後の出来事をつづったものです。

         第7章 苦闘の日々・男たちの商店街物語

         15 ふれあいカフェ活動が始まる

     60. 彼らの音楽活動

6月14日、堺市役所人権推進委員会から
8月に催し物があるとのことでライブのオファーが入る。
杉浦の日々は仕事とこんな調整などに明け暮れていた。

福山高校の今年・7.29夜店ライブへの
前面協力体制が整ってきた。

アーケード商店街にとっては梅雨のころから
実は夏にかけて忙しくなる。
7月に毎年行われる夜店とライブなどの準備が始まるのである。

杉浦はその夜店とライブのうちの主にはライブ部門を担当していた。
勿論山口も当然関わる。
だが山口は立場上ライブのみに気を取られることはできない。
彼は全体を統括する立場なのだ。

そういうことで、この年の夏杉浦は大変忙しい日々を過ごしていた。
ビッグバンとして依頼されて8月に
堺市から頼まれた上のライブイベントの準備もしなければならなかったのである。
ところがメンバーの一人、ピアノの岡村がその日出張ということで
急遽藤田に頼んだ。
ドラムの今井靖男もOK。
そこで中心のピアノが変わったということで
杉浦はいつものビッグフェイスバージョンをあきらめて
ジャズに方針を変えた。
ここに中西のクラリネットを加えて、ベース神崎。
そして杉浦のギターのいわゆるクインテットとしたのである。

力量が分からないユニークな男。

2013-01-22 12:54:11 | Weblog


[日本の未来と政治、その443]




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『あおいのポストインニュース』




気になる中国関連も含めてのアジア関連ニュースをお伝えします。


本日は中国大嫌い、でも韓国は好き?の
 産経デジタルのニュース・イザブログの記事から引用-

「中国、脅威のスターウォーズ構想 狙いは海、空を超え『制宇権』」



【本日は連載はあります】


   


≪どうなる?日本の政治は??≫




総理大臣は代わりました。
9月24日麻生太郎内閣が発足となります。
資料はウイキペディアほかのものも引用させていただきます。

この人の経歴はすごいですね。
ざっと見ますと-
学習院大学政治経済学部にて学士を取得。
スタンフォード大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学。
その後、麻生産業に入社し、麻生セメント(のちの麻生 (企業)の
社長や日本青年会議所の会頭などを経て、衆議院議員に当選。
自由民主党に所属し、政務調査会や幹事長
などの党の役職、経済企画庁長官、経済財政政策担当大臣、総務大臣、外務大臣
歴任。
しかし不思議な人です。
確かに、この人のおおらかさから見ても小物という感じはありませんよね。
小物ではないにしても仕事ができる人というイメージもない。
頭もいいのか悪いのかも何とも理解できない。
でも彼の経歴を見れば「なるほど」と納得できる。
まったくつかみようのない人物です。
小泉政権では結構閣僚として起用されています。

ですが総理大臣としてはちと頼りない。
やはり閣僚止まりの人というところかと思いますが?
そういう目で彼を今後見ていこうかと思っています。
実は少しだけ事前に麻生のことを調べてはいますが
そういうことなんでしょうね。

人にはやはりトップに立てる人と
2番手、つまり側近に立てる人。
そして部局長的な役職の人というように
それぞれ人には器があるということが理解できます。


   


『苦闘の日々、男たちの商店街物語』



作、あおい ねん。
この小説は、H委員の登場人物のその後の出来事をつづったものです。

         第7章 苦闘の日々・男たちの商店街物語

         15 ふれあいカフェ活動が始まる

     59. CDを作る。

ところで当時の杉浦が考えたふれあいカフェは
実にユニークな存在だった。
実は彼らふれあいカフェのスタッフたちは
面白いプロジェクトを進めていたのである
それはメンバーのCDを作るということだった。

そこへ、ふれあいカフェメンバーのある青年が
ぜひCDを作りたいと申し入れてきた。で
そこで、ふれあいカフェスタッフ一同で作ることになったのである。

その青年の名は志村恭平と言って
親父は孝雄と言った。
この志村孝雄なる人物は、かなり前にこの小説にも出てきた
ふれあいカフェでも名物的存在でもある
うどん屋・あなんを経営していた男だ。

ところで、ふれあいカフェには実は親子で入会しているミュージシャンが
この二人以外にも後一組いる。
いずれ、この一組の親子も
この小説に登場してくることになるのだが
それにしても、ふれあいカフェのメンバーは
みんな実に個性豊かな人たちがそろっていた。
いや、今もなお彼らの活動は続いているので
「そろっている」と言い換えておこう。

だみ声親父。

2013-01-12 13:32:07 | Weblog


[日本の未来と政治、その442]




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『あおいのポストインニュース』




気になる中国関連も含めてのアジア関連ニュースをお伝えします。


本日は時事通信の記事から引用-


「地方紙「南方週末と一緒」=改ざん問題で支持拡大―中国」


えらいことが起きてますね。
この南方週末を支持する別の地方紙が現れたようです。
これは注目に値するニュースです。
尖閣列島問題は、もう古いでっせ|中国さん。


【本日は連載はあります】



   


≪どうなる?日本の政治は??≫




総理大臣は代わりました。
9月24日麻生太郎内閣が発足となります。
これ以降資料はウイキペディアほかのものも引用させていただきます。

ではガタンと落ちますが・・と言ったら彼には失礼かもしれませんが
そりゃまあ福田に比べたらわなあ。

麻生 太郎(あそう たろう、
1940年(昭和15年)9月20日生まれですね。
自由民主党衆議院議員です。
この人、だみ声で有名な人ですが案外若い人たちに人気があるようです。
俗に言うところの「ネット右翼」という人たち。
政権がまた自民党に戻りまして、この人偉くなってます。
副総理と財務大臣に就任したようです。
実業家としての顔も持っていますので
なぜか経済通という評価が政治家業界にはあるらしく
歴任した閣僚などを見ましても結構
その類の仕事をしているようです。

この人ですが、橋本内閣から安倍内閣にいたるまで
結構大きな大臣職をこなしていることも分かります。
特に小泉首相時代結構数多く、彼小泉に起用されていることが目立ちます。
小泉の第1次から第3次内閣までを見てもほとんど名前が出てきます。
それほどすごい人物だったのかとさえ思います。
小泉がそこまで気にいっていたということは?
ちょっと改めて研究しなければいけないかなって今思ってます。
ですが、総理時代を見てもたいした政策も
出してなかったような気がしてるんですが?

実業家としては麻生セメントという会社。
代表取締役社長や社団法人日本青年会議所会頭を務めています。
ぼちぼち行きます。


   


『苦闘の日々、男たちの商店街物語』



作、あおい ねん。
この小説は、H委員の登場人物のその後の出来事をつづったものです。

         第7章 苦闘の日々・男たちの商店街物語

         15 ふれあいカフェ活動が始まる

     58. 夜店とライブ

ところで鳳アーケード商店街では夏に夜店をやっていた。
理事長の山口は実に自らも熱心な音楽好きでもあったが
彼は外の世界にもよく通じた男でもあった。
彼は商店街の活性化を自らも願って日々奔走していたのである。
その意味からもよそ者の杉浦とはよく気が合っていた。

そして杉浦がこの商店街に来る前から山口は
この7月に毎年行われている夜店とコラボをさせて
野外ライブをしていたのである。

杉浦は八日、夜ふれあい広場で7.29夜店の
ライブ部門関連の会議を招集した。
なおふれあいカフェにライブ用スポットライトがついた。
これも実に山口の力だったことは言うまでもない。

当時商店街と、ふれあいカフェ関係者でメーリングリストを作っていたが
グーメールが7月いっぱいでなくなることから
商店街では新しいMLを作ることになり
方針で外部関係者を除外することが決まった。
杉浦もこれは当然の流れとして認めるとともに>
プロの物販関係者と、アマチュアミュージシャンたちのメーリングリストを
いつまでもいっしょにしておくわけにはいかなかったと考えていたのだった。
これで別物のMLが作れることでいっそう
幅の広いしかもより柔軟な活動ができることになると杉浦は思った。

政権交代への道筋。

2013-01-05 13:14:35 | Weblog
     


[日本の未来と政治、その441]




本年もよろしくお願いいたします。


言いたい放題書いてます。
世界に向けて書いてます。
そんなちょっと大きな独り言の
あおいのねんさんブログです。

ここの院長が書いてる、スリムになったふれあいカフェニュースは-

http://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005


   


『あおいのポストインニュース』




気になる中国関連も含めてのアジア関連ニュースをお伝えします。


本日は読売新聞の記事から引用-


「米国防長官に共和党のヘーゲル元上院議員指名へ」


日本では考えられない人事ですね。
野党からの起用です。
自民党が前原氏を入閣させるようなものですよね。


【本日は連載はあります】


   


≪どうなる?日本の政治は??≫




総理大臣は代わります。
ところで、この時期つまり
福田が総理を退陣した辺りの政治的出来事を見てみますと
9月1日福田首相退陣を表明。
その後21日小沢民主党代表再選。
22日に自民党総裁に麻生太郎が選出されています。
結構いろいろとあったんですね。

そして24日麻生太郎内閣が発足となります。
あくる日25日、小泉元首相が政界引退を表明となっています。
何だかこうやって政治年表を見てますと
なるほど、この国の時代の大きな変わり目が見えてきますね。
ということで次回からは新しく総理に就任した
麻生太郎の話に移っていきます。
このころから政治の動きが、まさに大きく変わることになります。


   


『苦闘の日々、男たちの商店街物語』



作、あおい ねん。
この小説は、H委員の登場人物のその後の出来事をつづったものです。

         第7章 苦闘の日々・男たちの商店街物語

         15 ふれあいカフェ活動が始まる

     57. ふれあいカフェは順調

この年も杉浦たちの、ふれあいカフェ活動は順調に進んでいた。
6月三日ふれあいカフェライブは美山と彼の妻恵子が出演していた。
実は恵子が先に毎年秋にふれあいカフェで行われていた
『フォークジャンボリー』で女性の友人とともにデビューしていた。
その後恵子の友人は出産の都合で音楽活動からは離れるのだが
音楽に目覚めた恵子の夫美山芳郎が加わって
『アリスカンパニー』というユニットを結成することになる。

なおアリスカンパニーには後に美山芳郎の友人中村秀雄が加わることになる。