[日本の未来と政治、その444]
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あおいのねんさんブログです。
ここの院長が書いてる、スリムになったふれあいカフェニュースは-
http://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005
『あおいのポストインニュース』
気になる中国関連も含めてのアジア関連ニュースをお伝えします。
本日は読売新聞のニュースの記事から引用-
「地方公務員の給与削減、予算編成方針に明記へ」
自民党はスタートしてから結構安全運転。
よほど野党生活がこたえたようですね。
でもあの人はやはり余計なことを言ってるようなんですが?
その人は下記に出ている人。
【本日は連載はあります】
≪どうなる?日本の政治は??≫
総理大臣は麻生太郎に代わりました。
ウイキペディアの資料などから引用させていただきます。
さて上にも書きましたが麻生は2008年自由民主党総裁選挙により
第23代自由民主党総裁に選出。
第92代内閣総理大臣に就任します。
ところで、この人ちょっと個人的には興味があるんですが
福岡県生まれなんですね。
政界に入る前のことをちょっと見ますと
やはり彼は実業家なんだなあと感じます。
それと結構面白い多面的で
魅力あふれた人だろうなという想像をしています。
細かいことにはあまりこだわらない。
こだわらないから腹の中を全部見せてしまう。
ときには、それで余計なことを言ってしまうということに||
案外腹は黒くない政治家の一人だろうなと思います。
お金はアホほど持っている。
だから政治の仕事も実業家的感覚でやっているのかもしれませんね。
そういう魅力も相まって小泉にも好かれたのかも知れません。
ウイキペディアの資料によりますと麻生は
「1973年にセメント事業の分社化の後に
グループ中核企業となった麻生セメント(現:麻生 (企業))の
代表取締役社長に就任。
炭鉱業からセメント業への転換を成功させた」とあります。
結構やってますよねえ。
それから、麻生産業時代にまた、社長業の傍らで
1976年のモントリオールオリンピックに
クレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)
しているという話は結構有名ですね。
でも41位というのは知りませんでした。
41位でもすごいですよね。
だいたいがオリンピックの代表選手として選ばれることがすごいですからね。
まあ彼のことです。周りの人たちに向かって-
「いやあああ41いだったよ・・
アアアアッハッハッハッハアアア!」
なああんて言いながら豪快に笑った感じがしますが?
いっしょに酒を飲んだらきっと楽しい人なんでしょうな。
『苦闘の日々、男たちの商店街物語』
作、あおい ねん。
この小説は、H委員の登場人物のその後の出来事をつづったものです。
第7章 苦闘の日々・男たちの商店街物語
15 ふれあいカフェ活動が始まる
60. 彼らの音楽活動
6月14日、堺市役所人権推進委員会から
8月に催し物があるとのことでライブのオファーが入る。
杉浦の日々は仕事とこんな調整などに明け暮れていた。
福山高校の今年・7.29夜店ライブへの
前面協力体制が整ってきた。
アーケード商店街にとっては梅雨のころから
実は夏にかけて忙しくなる。
7月に毎年行われる夜店とライブなどの準備が始まるのである。
杉浦はその夜店とライブのうちの主にはライブ部門を担当していた。
勿論山口も当然関わる。
だが山口は立場上ライブのみに気を取られることはできない。
彼は全体を統括する立場なのだ。
そういうことで、この年の夏杉浦は大変忙しい日々を過ごしていた。
ビッグバンとして依頼されて8月に
堺市から頼まれた上のライブイベントの準備もしなければならなかったのである。
ところがメンバーの一人、ピアノの岡村がその日出張ということで
急遽藤田に頼んだ。
ドラムの今井靖男もOK。
そこで中心のピアノが変わったということで
杉浦はいつものビッグフェイスバージョンをあきらめて
ジャズに方針を変えた。
ここに中西のクラリネットを加えて、ベース神崎。
そして杉浦のギターのいわゆるクインテットとしたのである。