J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

例大祭

2010年08月15日 | ゆめ・夢
夕べのことである。
深夜2時、つまり丑三つ時、ドアの前で、鈴がなった。
しまった、ネコでも来たか、
そういえば、犬がまどろむようにマットを敷いたままであった、そこににおい付けでもされても嫌だな。
そんなことを思い、鉢合わせしないようにドアを内側から叩き、間をおいて、開けた。
当然ながら、何の影もない。

しかし、ふと思う。

イマドキ、近所に鈴をつけたネコなどいない。
不審者なら、わざわざ鈴の音など鳴らさないだろうし。

首をかしげながら、部屋に入る。
しばらくすると、またもや、同じ鈴の音が乱れて鳴り、ほんの少し後れてセミがぎぃぎぃと叫んだ。

そうだ、明日は氏神様の祭礼日。
朝早くに詣でよう。

そう思ったことであった。



静岡市駿河区八幡にある八幡神社は、創建1413年というから、始まりは西暦597年になる。

*飛鳥時代年表
http://www.bell.jp/pancho/hyper-history/chronology/1_nenpyo.html

古代よりの信仰は、支配者の歴史で、形も名も変える。
土地の信仰を取り込んで、包み込みながら、次代の信仰になってゆく。
八幡神社も、それ以前は、名もなき信仰の場であった可能性もあり、
長きに渡って祈りの捧げられてきた、いわば、パワースポットなのだろう。

宇佐八幡宮が、全国の八幡様の総本宮。
今年は、祭神の応神天皇式年1700年の年。
日本武尊の皇孫、神宮皇后の御皇であり、、仁徳天皇の父。
竹内宿禰を軍師とし、伝説的な軍事での活躍から守護神、武神として祀られている。
源氏の氏神としても祭られる、国家鎮護、東南戌亥の鎮守。

面白いことに、守護の色濃く、火の神であり水の神でもある。
神文は三つ巴。

*応神天皇(ホンダワケノミコト)
http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/kamigami/oujinn.html





特殊神事である「古式土俵子ども土付」が、午後1時から、神社の土俵で。

三つ巴が、美しく勇ましく染め抜かれている。



土俵が小さく見えるほどの巨木が、こともなげに、何本も見守っている。



拝殿の向こうに、階段が見える。
この急な階段を上ると、そこに、本殿がある。

神前の供え物が、なんと七十五膳もあり、海山の幸に加え、このときにだけこしらえる特別なお供えが伝わる。

その「七十五膳献饌の儀」も、今日執り行われる。



その隣には、演芸大会の準備。

神様は、民がニギヤカに楽しむのを、ことのほか好まれてお好き。



神輿には、四方に鳥居。

あ!!  鈴がこんなに取り付けられているのね。。。

そういえば、お参りの鈴事件もあったな。






踊りの連も出る。



出番を待つ山車が、狛犬に守られている。



山車には、子どもが乗り込み、お囃子で練り歩く。



警備や祭典本部の背後には、いくつもの御社が祭られている。
右手には、戦没者慰霊の碑。

駿河地方には、鎌倉時代から戦国時代にかけて、非業の死を遂げた人を祭神とする御霊八幡の信仰があったという。

御霊八幡信仰に関係する天王社は、かつて今年の当番町である八幡3丁目に祀られていてたらしい。
騎射御霊や地蔵伝説、馬場井戸の伝説の口伝、江戸時代中期に青面金剛が勧請された地域最古の庚申伝説。。。
一体、どんな内容なのだろう。気になる。

天王社は今を遡ること、約100年前に、境内に津島神社として移座。
テントの向こうに見える階段か、特設舞台の裏を上がって行けば、お参りできる。




2,3日前だった。
氏子の当番町が回ってくると、何かと煩雑だし大変だから、
お祭りを2年に一回にすればいいのに、という話を聞いた。

驚いた。

イベントではない。
氏神様の祭礼で、ご縁日の日なのである。
自分たちで決める町内の催しごととは、意味合いが違う。

ああ、そうか。
信仰が薄れ、形骸化するとはこういうことか。

住まう土地の恵みに感謝し、人智、人力では計れないできごとの前に、何事か、何者かに畏怖、崇敬する。
そして、お互いここに在ることを喜び合う。

お前もそれを忘れているんじゃないか、と夕べは、警鐘の鈴だったのだろうか。
それとも、遊びにおいでと誘っていただいたのだろうか。


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