J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

道程

2006年04月19日 | 旅行動
巡礼の旅。
どんな思いで旅立ってゆくのだろう。
聖地を目指す。

そも、生きてゆくことが巡礼の旅に似たるものなのだろうが、
思い立ち、姿を整え、決意を携え家を出る時、既に旅は始まっているのだろう。

巡礼で有名なサンチャゴへの道、日本では熊野詣の熊野古道が世界遺産となったのも、
人が時空を経ても救いを求めて歩き続ける姿と重なる。
ほぼ10世紀から歩む人の姿が絶えないことの共通点から、両者は姉妹道となったそうだ。

もう一つ、世界遺産にという動きのある四国八十八箇所霊場

静岡の扇英樹さんは、霊場会公認の権中先達(ごんちゅうせんだち)。
四国八十八箇所を4回以上巡拝し、寺院からの推薦状がなければなることはできない。

平家の落人に先祖を持つ扇さん、ふと、父親の霊場ご朱印帖を見つける。
父の足跡をたどるように、霊場を巡った。

それから数えていまや、60周。
そのたびに、違う思い、違う出会いがある。

一度ではすまない何かが、その旅にはあるという。
だからこそ、霊場巡拝としては異例なほどにリピーターがあるのだろう、という。




旅慣れて、どこかを探してお遍路さんを経験しようという人もあれば、
先に逝った人の供養に歩く人も、心に重く沈む何かに救いを求める人も、
同じように同じ道を歩いてゆく。

順路を通るお遍路さんに、地元の人々はみな「お接待」をする。

ねぎらう優しさとともに、
そこには自分の代わりに歩いてくれるお遍路さんへの感謝もあるのだそうだ。

それだけで分かち合える何かを感じられるのが、お遍路さんの旅なのだろうか。




巡礼用語を見ると
昔は、木の薄板でできたお札を寺に納め、その板を本堂や大師堂に打ちつけていたことから、
お参りすることを「打った」というのだそうだ。

「本打ち」が、八十八ヶ所を全部まわること。
「順打ち」は一番札所から順にまわること。
「逆打ち」は八十八番札所から逆順にまいること。
「打ち戻る」お参りした道をふたたび戻る。
「打ち技」来た道を戻らず別の道から次の札所へ進む。

それぞれに、思いを表す巡拝の仕方があるのだろう。

お遍路姿の菅傘には6つの言葉が書かれてる。

「迷故十万空」「迷故三界城」「同行二人」「何処有南北」「本来無東西」
そして、弘法大師を表す梵字が1字。

自然や宇宙の中には永遠の命があり、精進や修行を重ねながら
自分もまた無限の命と一体化していこうという遍路の決意を示したものだという。

放浪の僧、詩人、画家、みな、何故に行脚するのか。

あるく。

あるく。

あるく。

歩きながら、人は進んでゆく。


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