J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

何巡目やら

2015年07月08日 | ゆめ・夢

 

今朝、

ああ、結局

” いま ここ ” を生きるしかないな、

と。

 

 

 

何度目だろう。

 

何回も、

思いは巡って、

そこから離れ、

また戻り、

 

 

腑に落ちては

 

また

 

 

しょせん、

が、投げやりではなくなって

包み込む赦しの

しょせん、

になる

 

 

そんな感じ。

 

自己嫌悪ってもんを考え続けていたら、

自己嫌悪する自分を自己嫌悪をすれば、

自己嫌悪していることがキライなのだから

自己嫌悪をキライになるのか、

とか

自己嫌悪する自分がスキで自己嫌悪しているのか

ならば

自己嫌悪しているなんて、私サイコー、なのだから

そんな自分を自己嫌悪する必要がなくなる

とか

 

つまり、セットバックして状況を見れば見るほど、

矛盾だらけでアホらしさが増してきて、

 

 

笑い飛ばす。

 

 

生まれ落ちた瞬間から余生を生き、死に向かって生きている。

気にかけてもかけなくても

心配しようがしまいが

悩んでも悩んでも

なんにせよ、

そこへ向かって流れている。

 

いや、

流れているって感じじゃないんだけども。

 

まあ、

便宜上。

 

 

 

だから、

とりあえず

とりあえずでも

「いま、ここ」を生きるしか

すべもなく。

 

 

やりすごすのでも

なんでも

 

 

わけもなく

過ぎてゆくとしても

 

 

 

今更

いうまでもなく

 

 

 

つまり、

 

 

 

 

 

 

 

それしかできない。

 

誰もそこから抜け出せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
山頂まで、ほれ、あと一息じゃ (GG)
2015-07-09 21:44:46
自己嫌悪とか憐憫とか、肯定とか否定とか、
そういうくくりで物事を考えているっていうことは、あなたがまだ家族とか社会とかの一構成員として自分を位置づけているからで、そりゃ苦労は絶えないわなあ。ひたすら趣味というかやりたいことだけを追い求め続け、社会から離脱して流浪の自由人として生き、死にかけて、いまある私としては、そんな朝もあったなあという懐かしい思い出。解脱にはまだ程遠く、中途半端な諦観に達してはいるけど、こうしてわずかな悔いと寄りすがりにキーを打つ。まあ、そのうち、もっと楽になるさ、としか言えない私もどうかと思うけど、人生は楽しい。「夜霧」を書いたユダヤ人医師の言葉が温かいかも。
ふふ。 (本人)
2015-07-09 23:29:23
そういう空理で考えているわけでもなく。
ずっと、何重ねにもセットバックする存在の目を目を使って。
固定されると窒息だから。

「夜と霧」、今夜も有難う。。。。

ヴィクトール・フランクル、ですか。。。
原題「それでも人生に然りと言う: ある心理学者、強制収容所を体験する」

まあ、あまちゃんです。
笑かしてもろうた (GG)
2015-07-10 20:21:16
そのセンス、欲しかったなあ。

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