イワシ倶楽部 (船頭・高田芳樹)

楽しいアート、参加型のアートを模索する倶楽部。設置人の高田芳樹(TAKATA芳樹)が、アンチョビ魂での塩漬けを企む。

思考も凍る。

2011年01月30日 | イワシつながり
100年に一度だとさ、この寒さ。マイナス20度の中で、スキーでもなく、犬と遊ぶ訳でもなく、制作なんて。
なんのアイディアも出て来ない。それなのに10日間は過ぎ,オープニングの日はやってきた。
オープニングの日、参加者全員がこの豚様が奉られた祭壇に向かい2度ひれ伏し、展覧会の成功を祈願する。

小島(浅瀬になり、半径2メートルほどの葦の島がある。)に「火の玉(隕石)」が落ちてきたという作品(AN CHI-HONG作)。
地元の作家は、もちろんこの地をよく知り、まさに地の利を生かし、このイベントの意味を理解し、
市民が楽しめるような作品を持ち込んだり、その場で作っていく。
氷上のこの作品も、大きな作品だ。人が見えるだろうか?
大きさと、力強さは韓国男性彫刻家たちの特性ではないかと思うぐらいである。
かろうじて、思わないで済んだのは、昌源市(釜山の近隣)からきた若い作家がシンプルで繊細な作品を作っていたからである。

この周りを、自転車で散歩するものもいた。
対岸にバンジージャンプの塔が見える。9時過ぎから、遊園地の音楽が流れてくる。


私の選んだ場所は、ここ。
逆側は、借景に「自然」を生かせるが、このサイドは街が見える。
私の、イメージは、ずいぶんと来る前と違っていた。
もっと、自然な環境だと思っていたのだ。
川側でなく、島の真ん中は、「韓国式弓道広場?」で、全く木々はない。
つい最近、大規模なスポーツ公園化が押し進められたのだ。

ソウルも含めこの場で手に入れられる、自然素材だけで作品化をしていくことを考えていたのだが、
それにしても、この急激な人工的な絵に描いたような公園化は
「もったいない」「何処も同じ」「やっぱこれか」
という感じで、どうしても事前のイメージと現実のギャップを整理できなかった。





結局、私は整理の付かないまま、曖昧に作品作りをすることになった。
とりあえず、見たままをテーマにするしかなかった。つまり「開発と自然」である。
タイトルは、「MOON」とした。ハングルで「門」である。
凍り付いた脳みそは、まったく働かないくせに、
安直に「コンポジション」を、そして「ものつくり」を、ささやき始める。
15kg買った石灰と、2kgのベンガラをぶちまけたくなる。
10日間の制作期間、貧相な木々の前に立ち、
自分は、ここで何をしたいのか考えた。


そして、オープニングを迎えた。
私は、まだ混乱していた。私の作品は、始まってもいないし,進んでもいない。
どこにも行き着いていないのだ。
見に来る市民への説明は、
「木々に寄りかかる、細い枝は私だ、あるいはあなたかもしれない。我々は自然に内包されて生きている。」
的なことを、韓国語で伝えてもらった。
三種の加工された枝に付いても、適当な説明をした。
そして、この場所以外に三カ所、「MOON」を敷地内の木に設置した。

オーストリアのアースワークの作家と、野投のベテラン女性作家と、昌源市からの若い作家の三人だけが、
「私、あなたの作品好き。」と声をかけてくれた。

私は、いまだに、マイナス20度の空間で木を見上げているような気分でいる。










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2 Comments

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残った石灰は? (いか・)
2011-01-30 20:49:47
無事にご生還、おめでとうございますね。

ジャラ島は開発が進んで云々、ワシ、タカタさんに言わなかったっけ?もちろん実地で見て、実感しないとね。わからないよね。写真はいいとこだけ写してるしね。
それに韓国の方がもっと徹底的にやっちゃうからね。なにごとにおいてもね。俗化具合が激しいよね。

枝を削った感じが、おもしろくなりそうだなぁ。高い所への設置がたいへんだったろうなと、つい同業者的見方で見てしまいます。
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脳は働かねど (船頭)
2011-01-30 22:28:08
そう無事生還。
ぼやき節に聞こえるかも知れないが、そうでもない。マイナス20度は十分楽しかった。「スクラプチャーの人々」との違いを知ることができた。いや、感じることができた。
Baggtoも方向性を模索し、試行錯誤しているようだ。
私も、ここでの思考は寒さで速度はなかった分、いつまでも、「脳みそ」の片隅に存在しそう。
だから、この2週間はとってもよかった  ぞ。
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